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今日は遅刻なしだったのだけれど、時間が設定されているテストなどで集中力が 非常に落ちているのです。これだと息子の注意散漫を攻められない。 やはり習慣が身についていない。習慣づけていくしかないな。
息子は今朝も6時前に何か学校の宿題をしていました。今はテレビのニュースを見ているけれど。
年金制度には確かに加入すべきだと思う。そうしなければ成り立っていかない。
結局のところ人は若くて元気なうちに自分自身に大いに期待し、若いうちにちゃんと働いて、年取ってからだが弱ってきたときに備えるしかないのだ。そうでなければどこからも棚からぼたもちなど落ちてこない。自分自身が打ち出の小槌になるように努力するしかないのだ。そういう人たちが社会の8割がたでなければ続いていかない。
たまには芸能人などになって人よりも稼ぎがよさそうな人もあるだろうが、すべての人がそういうものではない。芸能人だって自分の体を張っているからそれだけの稼ぎになるので、何も労せずにお金は沸いてこないですよね。
これは私自身に対しての独り言です。
しかしながら私がはじめて年金ということを意識したのは、26歳にもなってからです。
もしうちのだんなさんのように高校を卒業してあるいは学校を卒業してすぐ どこかの企業などに就職していれば、本人の意識にかかわらず、自動的に厚生年金 などに入っているわけです。 私の兄たちだって年金のために就職したわけでなくて、ただ健康で成人したら何がしかの仕事をするのが自然の流れだった。それで一生懸命就職活動して就職したのだ。正社員であれば本人の意識にかかわらず福利厚生があって、収入が全部手取りになるというわけではない。つまりこうした人は自動的に自然と贅沢な性癖は 回避できるところもあるかも。堅実にいけるというか。
ところで私が年金ということについてはじめて意識したのは、そのころガンになって余命いくばくもないといわれた母が、今まで年金の掛け金を払ってきたのに、 一ヶ月でももらわずに死ぬのは悔しいわ、といったときだった。そのときたぶん 母は59歳だった。なくなったのは60歳の誕生日が過ぎて半月ほどしたとき。末っ子の私に子供が生まれて2歳くらいになったとき。
それまで私は学生のころにアルバイトをしたことはあるけれど、つまり求人に応募して採用されて働けばお金がもらえるという程度の意識で、年金のことなど考えていなかった。
そして最初に結婚して私の夫になったのは企業に就職したサラリーマンではなかった。
そこは営利企業でもなかった。宗教法人。社会福祉法人。
台帳を作ったり、帳簿や収支を明確にして申告しなければならない。そういうことを覚えるのも結構大変に感じたが、いろいろな面で抵抗があった。
そこで私が感じたのは、先生のような立場の人も、当たり前のことかもしれないが、人間なんですねということで。でもそこにかかってくるプレッシャーはそれによって人を成長させるところはあると思う。人のことを考えなければいけないのは 私が育った家庭よりも過酷な印象を受けた。そして何か不祥事があったときの不思議さはなんともいえない。要するに一般に悪いといわれていることは、当たり前のことかもしれないが、誰のためにもならないということ。ただそんな当たり前のことを実感するためだけに私は生まれてきたのだろうか。
企業などに就職した人の給料については会社で計算してくれるから、経営者のように雇った人たちの生活について算段する必要はない。自分の収入について計算してそれは家計簿など計画的にやる必要はあるが、自分の生活さえちゃんとしていればいいので、苦しければ苦しいといえる。自分はこれだけ働いているという自信があれば雇い主に給料あげてくれませんかと要求できる。
しかしながら、経営者は自分の仕事だけしていればいいというわけでもないし、 それは平社員よりも役職が上の人に余計にいろいろな義務や期待がかかってくるのと同じだ。
宗教家も信念や教義について人を納得させるものや人柄を備えていなければ人はついてこないし、人の情けで食べさせてもらっているだけだとしたら情けない。 そんなことはないと思うけれど。
ところで何の話でしたっけ。年金の話です。
20歳になったら国民年金に加入するものだと。
ところが二十歳のころ私は英米文学を勉強したり翻訳や通訳のアルバイトをしたり中華料理屋さんでアルバイトしたりはしていたのだけれど、国民年金を払う義務があるとは知らなかった。学校を卒業したら就職するものだと思っていた程度。 今となっては親が私の国民年金を払っていたのだろうかということもわからない。 たぶんこれは社会保険庁に問い合わせてみれば確認できることなのだろう。確認しよう。というか今確認中。
それで卒業するころ就職活動はしたのだけれど、そこでわかったのは、自分が 非常にお粗末なものだということだった。面接の時に書類を忘れて遅刻したり。 当然そこには採用されなかった。 それから、単位も必要な数取得していなかったこともわかって、一年留年した。 その余分な学費を払ったのは親だった。 しかしその学費が無駄だったとは思いたくない。 私の親は私だけに甘かったのではないと思う。兄たちも修士課程まで出たし。 少なくともちゃんと試験を受けて入ったのだから。裏口入学とかカンニングとか はできないたちだ。4年で卒業する人に比べると効率は悪いがしかし一応正門から 入って卒業はした。
ところで今私が願っているのは、自分にかけられた学費を無駄に終わらせたくないということだ。
さて私は学校を卒業して結婚して子供を生んだのだけれども、その間私の国民年金は払われていたのだろうか。 私が覚えているのは、離婚して療養して、今の主人の励ましでパートに出て働けるようになったときに、国民年金の支払いの紙がきて、それは払いこんだということ。
私は年金手帳を4つ持っていた。それはいつから払い込まれていたのだろう? 私が自分で国民年金の掛け金を払った記憶があるのは離婚して少しした28か9か30くらいからなのだ。和食のお店でパートをはじめてからだ。
私の娘の祖父は難しい人だといろいろ批判されるところもあったが、きまじめな働き者で、ホームレスにはならなかった。こつこつやっただけのものは備えていた。私の娘の父親はまずしかったけれども、彼の親は貧乏ともいえなかったし 蓄財もしていた。 そのせいか私は慰謝料を要求しない代わりに子供は先方に任せた。 離婚する場合は母親が引き取るのが普通だということだったが、実家の父は子供を先方に任せて私を引き取った。 父と二人で実家にいる間に、父は子供を引き取りたいというなら引き取れるように動いてくれるといったこともあるが、私はぜひともそうしてくれとは頼まなかった。先方が子供を虐待するのではないかという心配はまったくしなかった。たとえ それほど甘くはなくても。自分が殴られたように娘も殴られるだろうとはまったく思えなかった。つまり私は彼らのセンスを根っこのところでは疑っていないのだ。いい人だと思っているのだ。馬鹿にしているわけではなく、信頼できる人だと思っているのだ。それなりに一生懸命やっている人だと。
私が彼(前夫)の車をガードレールにぶつけたときも、私は自分の稼ぎでその車の修理代をだしていない。 別居してからだったか学生時代の友人の家に泊まっていて彼にあいたくて電話したときも、彼は私の友人宅へ世話になってすみませんとメロンか何かを下げてきたのだった。
私に自分の宗派の仏教の通信教育を受けさせたのは、もちろんそれで私に協力してもらうための投資だったろうけれど、私もそのつもりだった。いやで受けたわけでもない。それはひとつの保険のようなものだった。自分が死んだときに多額の保険金が入るよりも手に職を持っていたほうが健康的だと考えたのだ。
それにしても、二十歳になってからと、最初の結婚の夫婦関係の間、私は一生懸命環境になれようとしたけれど、そのころ自分の年金が払われていたかいなかったかが今わかっていない。確認しなくちゃ。
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