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確かになかなか自分のエゴから解放されることは難しいけれど、開放されなければやはりそれだけのものだ。 なんだか高校の保健体育かなにかで、人間の欲望についての対処の仕方があったな。昇華というやつだ。そういう風なものがほしいと思う。
私は息子が生まれてから土曜日が苦手です。なぜかというと、土曜日に外出するとパパさんつきの家族連れが多いからです。この苦手意識何とかしたいな。どうするかな。これって比較意識。でも人それぞれその家庭それぞれ人は人うちはうちだよということで。
こんばんは餃子を作りたい。
あるもので済ませるか餃子を作るか。
休みの日の前日でないとなかなか出せないからなぁにんにくたくさん入れたいし。
あと一週間いけるかな。
青パパイヤというのの宣伝にも惹かれています。
日が落ちてから買い物に出たいという気もするけど間に合うかな。
漂白剤もほしい。
野菜の煮物なんかにもチャレンジしたいけど、煮物は足が速くない?
かぼちゃもちって作ってみたい。と思ったが、我が家に今たくさんあるのは ジャガイモ。ジャガイモもちを作ろう。
月曜日は出かけないとすまない仕事があるぞ。って大げさな。でもそうなんだもの。
ブッシュ大統領がパーフェクトだとはもちろん思わないけれども、ケリー候補よりブッシュさんのほうがなんとなく好きだ。まあわたしにわかるわけないと思うけど。
先週だったか今週だったか、だんなさんと夜つたやにいったときに、前からほしいと思っていたベートーヴェンのソナタのCDを見つけて買いました。あ、まずいコーナーにつれてきてしまったとだんなさんは笑いました。まずいかな? 自動演奏があるカシオのキーボードが子供が小さいときにあったのですが、その中で一番ほっとするのがベートーベンのPathetiqueというソナタの第2楽章だった。これは悲そう(漢字変換不能)といわれるソナタだけれども、patheticというのを辞書で引いてみたら、感動的という意味もあるが、哀れな、という意味もあるみたいだ。 どうしてこれにほっとするのか、10代のころ演奏できるようになりたくてずいぶん練習したので、懐かしいのかもしれない。そうしてみると、やはり子供のころに 一生懸命打ち込んだものにはあとになってからも思いいれができるわけで、私の子供にもそういうものができるのだろうなと思ったりする。 私の性質には哀れなものがあるのかなと思ったりする。悲劇的なのは好きじゃない。人魚姫だってディズニーみたいに明るいのがいいなあと思ったりするけれど、 身を引いて泡と消えてしまうアンデルセンのもとの人魚姫のバージョンは幼児のころの私の心に刻まれていたりするので、仕方がないのかもしれない。
だからだんなさんはなだそうそうとかそういうものの後の一種穏やかなたくましさをもってきてフォローしようとしたりしてくれるのではないかと自分本位に考えたりする。
そういえば母はけんなおこさんの歌を聴いて涙が出ると言っていた時期があるし、父は枯れ葉をよくきいていたことがあったっけ。
ベートーヴェンのひそうソナタをきいて涙が出るわけではないのだが、心肺機能が非常に安らいでいるのだ。
だからというわけではないと思うけれど、夏休みの読書で息子はベートーヴェンの伝記をよんでいる。ベートーヴェンをよんでベートーヴェンのようになるわけでもないのに、私は気の毒で心配になったりする。ぶわっかじゃなかろうかという 精神構造の母だ。私が本を読んでいると心配していた母に似ている。
そのころはスペインのことイスパニアっていったんだって、などと息子はいっている。
それにしても久しぶりにきいてみると、ベートーヴェンのソナタってやはり 名曲。当たり前?
それにしても、久しぶり、が多いな。
餃子はできるのか?ジャガイモもちは?
今日のお昼は厚切りハムの焼いたのとキャベツいためでした。あと、アセロラジュース。
ねえねえ、ベートーヴェンがとうとう遺書を書いたよ、と報告にくる息子(いちいち報告にきてくれなくてもいいのよ)との昼下がり、愛を笑い飛ばす女たちというのが痛烈でおもろいというのをネットサーフィンで見つけて検索したら、過去ログというどこの掲示板かとんとわからないけれど、タヒチとかモアイとかについて 書かれている掲示板らしきログにいきあたってよんでいるとけっこう面白い。
それから、シニアサイトの戦争中や戦争直後についての記述を久しぶりに拝見する。何度かオフでお会いしたことのある方の記述を拝見したりして、あのご尊顔を 思い浮かべながらその方の当時の様子の記述を拝見すると、存じ上げない方のものよりまたイメージが膨らんだりする。
タヒチやモアイの過去ログの掲示板に人たちはおそらく私よりデジタルな雰囲気の人たちのような気がしたのだけれど、アナログにはアナログの味があるし、デジタルにはデジタルのよさがある。
自分たちは軍隊で社会勉強できたようなところがあるんだが、となくなった父が 私たち戦争を知らない子供たちに対するはがゆさを表現したことがあったのを思い出す。
戦争放棄についてはそのままにしておいてほしいという気持ちと、わが子がこの社会で生き残っていくために何が必要なのか、私はまだ言葉にできない。人は好む好まざるにかかわらず、選択せざるを得ない状況を生きていくのではないかと思うが、何もわからないままにある状況に放り込まれていくようなこともよくあったことなのだと思う。しかし、あやふやなままよりも、大切なものを心得て身についていることを願う。でも実はわかってないほうがよかったりして?そんなことない? わかってないとなにがいいの?苦しくても何かひとつでも理解できたほうがいいのではないかな。私は何がいいたいの?
ベートーヴェンの伝記を読み終わったあと、息子は笛やハーモニカの練習をしている。私の歌やピアノと同じくらい不器用だ。ため息はつかない。なぜかここへきて音楽の成績は最高。いい子だと思うんだけどなあ。ベートーヴェンのような天才でなくても私はまっとうに暮らしていってくれればと思う。不器用な私でも幸せだと思うもの。人気者じゃなくても一人でも信じられれば法外の幸せ。ベートーヴェンも器用な人とは思えないけど、私のいう器用な人っていったい何?努力なくして きようになれた人なんてあるの?エネルギーはどこから生まれてくるの?
何かに触発したときにエネルギーが噴出することがあるような気がする。
すごく怖いことだけれど。
何も独立して存在できているものはない。
子供の成長を願う気持ちと自己完結してほしくない気持ちがある。
もっともまれたほうがいいと思うんだけど、臆病なんだよな。慎重といって。 のんびりとしているけれど、やるときはやるやつだって。
あーだめだだめだ。私の予定は本当に未定。
日が落ちてから買い物に出て、虫の声を聞きながら、やっぱり夏は夜ねえなどと 思ったはいいが、にらがうっていなかったので餃子はキャンセル。宇都宮餃子というのが出ていたので買えばよかったかもしれないけど、なんだか悔しいので買わず。
そういえば、お盆のあとは、秋の雲が浮かんでいましたっけ。
ところで、明治維新って廃仏毀釈か。お寺さんは大変だったのね。
話が変わりすぎですね。話題が飛躍しすぎ。
とにかく漂白剤は買ってきたのがほっと一息。
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