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2004年10月21日(木) 23号あと

23号けっこうすごい雨風だったんですけど、どうなったのかな。まだすごいのかな。

今朝いろんな夢を見て目がさめたあとで思いました。私は本当にまいっている。呼吸器が弱っているんじゃないだろうかと思いました。子供のころこんなに胸の存在を意識したことはなかった。父や母がいなくなることを考えたことはなかったし、夫や子供や友達と別れること、自分が失われること、考えていなかった。喪失というもの。だからさ、少しくらいまいっていても、それで自分を責めるにはあたらないさ。失恋だってつらいものだというのが普通だ。

 自分が弱っている気でがんばれがんばれおいちにおいちにとお金の支払いのためにある病院に向かってあるいていたら、私よりも歩みの遅い人があった。腰が曲がっておられた。

 母は若々しいままいってしまったなあ。娘みたいな雰囲気のまま。60でも腰は
ぜんぜん曲がっていなかったけど。うらやましいぜおふくろ。もっといろいろやりたいこともいいたいこともあっただろうけどな。それともなかったの?子供がみな
父や母になれば満足だったの?

 生きていれば喪失の悲しみも避けて通れないけれど、創造する喜びというのも
あるはず。生きている私は覚えている。母が刻んだ鎌倉彫り。あのおばの作品も。
弱くても懸命に生きた父を。まるで私のために死ぬかのような言葉。私は親を見殺しにしたのではないだろうか。私がおばあちゃんになるといった。あれは実現するのだろうか。私も言う。子は祖父母になる。母は私に生きることを望んだ。おばあちゃんになることを。どんなに苦しくても?落ち込んではいけないと。落ち込んだらどうなるのか。どうにもならない。どうにかならなきゃいけないの?父は死ねばいいといったけれども私はまだ生きている。あの怒りは悪魔の言葉ではなかった。でも心配することはない。いずれいけるに決まっているのだから。なくなった人の言葉は生きている自分の心の中にインプットされている。だとしたら私の言葉も私の死んだあとも子供の心の中にインプットされているかもしれない。喜びも悲しみも。
 意識を失ったものはすべてを忘れるのだろうか。忘我の境地?あの一点に。
母は私に任せてすべてを忘れたのだろうか。

 お天気になってきたみたい。迎えに行かなくちゃ。まだお迎えがこないとおっしゃっていたおばあちゃまがあったけれど、うちの息子も待っているだろう。
 


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