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2004年11月12日(金) 学習意欲の減退

ちょっと息子がやる気なくしてる。学校行かないとはいわないけど。宿題をやろうとしてもその気になれないみたいだ。やらないんだったら1年生にいけと先生に言われて臍を曲げている。絶対やらないと怒っている。本人としては頑張ろうとしていた分反動はあるかも。体調とか友達と親との関係に疲れたりとかあるだろうけど。
 理想としては人に褒められようがけなされようが関係なく夢中になれるもの(社会的によしとされていることで)があるとかだとたいしたものだと思うけれど。先生の物言い一つででやる気が出たり落ちたりするのは小さいって気はしますよね。
先生は子供たちの将来のために頑張らせてあげたいという熱意に満ちておられるに
違いないと思うのですが。私の物言いにも問題はあるかもしれない。息子は要領よく立ち回れるタイプじゃないし、それは悪いことじゃないと思うのですが。
 私としては基礎は大事だと思うけれど、小学生から深刻にガリガリしてたらそれも心配な気がするし。でも今のレベルだと通用しないということだろうか。
 体が機敏じゃないけど、(親ばかですけど)心はとても良いところあると思う。
でもそれは鍛えられ方が足りない人の良さなのだろうか。自分が傷ついても人が
傷つくようなことはとてもいえないようなところがいいところでもあり、だから
犬のしつけについて、一生褒め続けてあげてね、などと私に念を押したりするのだと思う。
 塾の宿題と学校の宿題の両立が負担なら塾の科目を一つやめてもいいんじゃないかと私は思ったけれども、塾の先生の励まし方は担任の先生のそれよりもいくらか理性的な表現だったらしく、息子は塾はやめないと言う。塾やめればこしひかりの
新米も夢ではないのに。
 私も将来を思うと心配ではちきれそうになるのだけれど、やればできる実行が子供の自信になるという信念で熱意を持って頑張っておられる先生が子供のことを
思えばこそやらせようとやっきになってしまわれるお気持ちも痛いほどわかるような気がするのですが。私は小学校のころそれほど宿題を出されて学校以外でも疲弊してしまうようなことはなかったので。よくわからない。母は隠れて本なんて読んでいないでお友達と外に出て遊びなさいと心配したけれど、私は快活にお友達と
遊ぶ理想が覆い被さるほどに本を読んでいたほうが気楽な時期もあった。おべんきょうの方が人間関係よりは格段に楽チンだからだ。ただ勉強したほうが身のためだからということでしなければしなければというのは確かに楽しくはならないな。
 課題を果たせば褒められるというパターンでしばらく頑張ってこられたけれど、まじめな人ほど頑張っているつもりでももろいところがありがちだったりしますよね。
 心配だけど、あまりこだわらずにいきたい。流れはどこでどう変わるかわからないし。
 少なくとも息子にも関心が持てることはあるのだし、成長はしているのだし、
それほど弱い性格でもない。体力不足だとしても段々鍛えられていくのだ。
 深刻に考えるのは実に面白くない。

 空襲や災害で家族を失ったり身体に障害を受けたりしながら頑張っているお子さんに比べたらちゃんちゃら甘い。それにリストラやら社会不安の中で先生が教育ママ化する気持ちも自然ではある。

 それでも私は、せかされなくてもやる時はやりますって先生に言いなさい(申し上げなさい、かな)などと子供に言ってしまった。親ばかちゃんりん。これじゃ
世間には通用しないかしら。

 それよりスタッドレスタイヤを早く用意しておくとかさ。

今晩はカレーうどん。明日は体重を量る日。とりあえず6時過ぎに夕飯できたのが言い訳。

 バラエティ番組見て大笑い。心配して損した。宿題は?と聞いても、大丈夫、って何が大丈夫なんだか。

 


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