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2004年12月06日(月) わたり蟹の缶詰とインスタントのお茶漬け

わたり蟹の缶詰というのがあるんですが、この蟹缶、蟹缶としてはやはりズワイガニとか毛蟹とか何だったっけほかの大きな蟹さんの味ほどではないような気がするし、わたりがにはそのままの甲羅の姿をぶつぶつと4等分くらいに切って味噌汁にでもするのが美味しいと思うのですが、この缶詰を開けてみたいと息子が言い張って開けたところが今ひとつだったらしくてそのまんま。卵とじにしてもかに玉ってほど美味しい感じしなくて。
 それがさっきお昼にインスタントのお茶漬け食べようとして、そこにわさびと
海苔を加えているうちに、このわたり蟹のぼろぼろとした身も入れてみることにしたら、なかなかいい感じで頂けました。お茶漬けもノーベル賞もののうまさだな。

 スーパーに誕生日の花言葉などが書いているチョコレートというのを見かけて、
つい買ってしまいました。明日は娘の誕生日なんだけれどこれを送ったって何こんなもんと思われるかな、親戚のおばさまが私らそんなにしてもろてへんとおっしゃってそりゃ私だって親に誕生日してもらったのは小学校一年生の時だけで、成人式の日も家でうだうだしていただけだけれど、成人式をしてもらっていないからいつまでたっても子供みたいなのだろうか。しかし少なくとも自分の生んだ子にものを送る権利くらいはあると思うのに、それさえ気を使えと言われなければいけない義理はないのにどうしてそんなに私は気を使うのか、自分を馬鹿にするのもいい加減にしろと思う。まるで私が悪いんですとこびていることになってしまう。でも私は本当に自分だけが悪いとは考えていないのに、相手への批判を閉じ込めてものわかりよくなろうとしがちなところが浅はかだった気もする。今夫に対して自分の不満をぶつけても、それを夫が改められるかどうかは別として、それで破局になったりはしなかった。つまり相手に合わせようとするだけではなくて、失うことを恐れずに自分の正直な感覚を相手にぶつけた方が違う人間同士として相手を理解する手がかりへの希望は出てくるようになったではないかと今私は感じているのだけれど、言わずにいて誤解されたところは多かったと思う。例えば私自身は彼女がその家の後を継がなくてはいけないとは考えていないのに、私の父は後継ぎなどという言い方を先方にしたことがあって、そうしたことも何だかおかしくなっている影響があったと思う。確かに私のように結果として無責任なことになってしまうものにはなかなか偉そうに言いづらいような、後継ぎということが切実な問題として出てくるところがあるのだろうということは否定しないけれども、それにしても今の時代にたとえそこが親一代で終わりになろうと別にそれで体制に影響があるほどの問題でもないのに、それ以外に道がないような雰囲気が私にはどうもなじめない。それを
受け入れてそこで頑張ればそうしたものがない人よりもかえって恵まれているようにも思われるので、ことさらにそのことを軽視させたいとは思わないけれど、それにしても娘が抱えているものと私が抱えているものとは同じ女と生まれて受けたものとしては表と裏のようなところがあるような気がして、ただ普通に話をしようと
しても感覚の違いに苦笑するだけだ。
 例えば私は夫などの男性と一緒にいて沈黙が続いてもさほどそれを耐えがたいとは思わないが、娘は男友達とでも、調子よく話が弾まないと耐えがたく感じるみたいだったし、それは私が両親の元で育ってのほほんとしていられるところがあったせいだろうかと思ったりする。両親そろっていたから五体満足だから幸せになれるというものでもないのだし、人にあなたは恵まれていると言われて自分は恵まれていると納得できるわけでもなく、自分で幸せだと感じられなければ仕方がないし、誰でも不満を好ましく解決できているというわけでもなく、あのぶどうは酸っぱいと考えて自分には必要ないと切り捨てるやり方はよくある解決法だと思うし、私自身がそうしているところだってあるのに、子供にそういう面を見ると物足りなく感じたりするのは、私がかなりうざいやつだということなのではないかと思う。そういうところをぼわぼわと感じさせられるので、不本意でもある程度感じたことを伝えずに目をつぶってやり過ごしたりしていたりするのだけれど、澱のように沈殿して溜まってくるものがある。その時々に感じたことをそのつどそのままぶつけていたら私は旦那さんよりももっとずっと煩いやつで、多分旦那さんも耐えられなくなるような気がすると思うのだけれど、このところは私の鬼の部分がわんこの存在でだいぶ助かっているような気もするが、胸の中の鬼を出さずに人生を終われるものだろうか。まだまだこれから出していかざるを得ないのが本当だと思う。
 私だって別段親に誕生日を祝ってもらわなくても過ごしてきたのだし、忘れていないということは通じているのだから、かまわないではないかということではなくて、むしろ忘れてもらっては困るというのが正直な気持ち。自分自身が結婚などを
決める時点で疎かにしがちだったことで自分のしたことが失敗だったというよりは、一朝一夕にはいかなくてもこの10年20年で少しはわかってきたことがあると認めて自分の出し方を調節していきたいと思います。子供を任せて楽していて
ごめんなさいなんていう精神状態では決してないんだもの。そんなの嘘だ。嘘はよくない。

 なんかうだうだいってるなぁ。でもこれが日記をつけているってことなんだから書けることはなるべく書かせてもらった方がいいと思う。

気がすすまなくてそれをしないと刑務所行きというわけでもないことは無理して
することはないってことでもいいですよね。

 合わなかったから努力しても駄目だったんだろうし、今ここは合っているからなんとかなっているんだろう。

 やっと用事に手をつけ始めた。喉も治ったみたいだし。


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