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イチロー選手などは常にこれをもち続けていたい人のようだし、きっと 自分なりの目標とか夢の実現への希求というのは人をして駆り立てる一つの大きな要素なのだろうと思う。
私が第一義としてしまうのは、食欲と休息欲といくばくかの哲学的な好奇心、基本的に人間嫌いではないけれども、社交性をフル回転という生活にもちょっと心身にしんどさが先にたつ。
要するに、あまちゃんとはいえ、今日まで私なりには生き残りが先決であったのだ。
私は家業を継ぐことを期待されて育ったわけでもなく、気に入った人があればどこへなりともいくがよいという空気の中で育ったので、のんきにしていられる場所に何よりも惹かれるのだ。
いつもしゃかりきに働いてそれなりのステータスを得るというのにも今ひとつもろくて弱い。何かを盛り立てていくというのも、食べていければとりあえずま、いいか、という感じで、おそらくかなり人間関係に不得手な恋愛下手でありながらかろうじて子を授かったのも、子に対して割合甘い夫に出会ったのも、私のこうしたどこといって取り柄のない今ひとつぱっと性格ながらかといってそこそこ高望みもできない体質に、神仏がまあしょうがないから何とか食べさせてもらえるように取り計らってやろうかと恵んで下さったところがあるのではないかと思う。
そのようなくそつまらなさとはいえ、こういったぱっとしないながら、 すべての人がかみそりのように切れて燦然と輝くばかりであったならば、 目もちらちらとして疲れてしまうような状況の中では、それなりのよさが ある場合もあるのではないかと思う。というよりも、私の状況が実情に合わないからと切られても、私としてはどうしようもないからだ。
というような感覚だったが、しかし、本当に私にはどうしようもないのだろうか。
日野原重明さんが75歳から新しいことを始めよう、愛し愛されること、 創めること、耐えること、というのを提唱されているのを拝読していて、 私の脳細胞もDNAもまだ開発の余地はまだあるかな、日野原さんの容量も仕事量も私には神様のようでとても自分には無理だけれども、でも私は私を生きることはできる、小さな私の少し萎縮してしまった体でも、まだ開拓の余地はあるかな、とまた期待しています。
そして、日野原さんが、3年先のスケジュールまで決まっているということにも、感動しています。
私はスケジュールなどまったく念頭になく暮らしてきた日々が多いです。 特に子供時代独身時代はそうでした。小学生の頃は日本中を歩いて旅したいと思って日本列島の地図帳を眺めた程度で、医学や人の命を救いたい人の心を救いたいと早くから目覚めて志された人のパワーや容量にはたいしたものだと目を見張るばかりだし、そうしたことに素直に敬意を明確に感じられるようになってきたのも、私としては成長という程度です。
でもその程度でも、素直に感じられるようになってきたということは、おそらく自分ひとりの力ではなくて、それはその程度といいながらも、私にとっては奇跡的な道の開け方なのです。
ローマは一日にしてならないように、モーチベーションがちょっぴり出てきたからといってまたへこたれの繰り返しだとしても、でも開拓したい。 柔軟になりたいです。
自分は大風呂敷を広げるが広げた限りはちゃんと後からそれなりのものを 用意するとおっしゃった方があって、それは20代の私にはとても新鮮な言葉でした。私の育った家庭ではそうした言葉はあまり聞かれなかったからです。せいぜいお前は自分に求めるレベルが低いと兄に言われた程度です。 その人は大風呂敷という言葉を使ったけれど、嘘をついて人をだますことなどとてもできない誠実な人で、私の育った家庭もそうでしたけれど、私はそれを理解しながらも、言葉遣いに面食らったところはあります。その人はおそらくそれまでの私よりも色々と関心領域が広くて、世の中の色々な現実を私よりもよく知っていたので、私の知らない悲しいこともいろいろあって、そうした人として悲しまざるを得ないこと、気をつけなければいけないこと、あるいは気をつけていても思いがけなく陥ってしまうことなどが実際にあちこちにあることなどを、私よりも切実に感じていたから、そのような言葉遣いになったのだろうと思います。 その人はただ、自分には無理無理と思わずにやったるでと思い自分なりに宣言したことを人を傷つけないように注意しながら実現していこうとするということを私に表現したに過ぎなかったのだと思います。
その人と共に生きていくのは当時の私には無理があったのだろうか。私は その人についていくのに、自分が何か色々と不足していることをそれまでよりも感じないわけにはいかなかったけれども、その溝を埋めたい欲求に貪欲すぎて、あさっての方向にきてしまった気がします。一つには容量や力が 足りなかったし今も足りないように思われます。 そして今ではそうした自分を否定することもできないので、その人との出会いによって自分の世界が広がったことに対して感謝することしかできません。
しかし感謝するということも、それ以前にはあまり私の念頭になかった、 それほどに幼かった。
スポーツ観戦ひとつにしても、何ら生き生きと迫ってくる体験も乏しかった私に、短い間にも様々に語ってくれたことが、私に、自分にいかに外界に対してぼんやりと生きてきたかを教えてくれたのです。
そのままでよかったのかもしれない。でも私は変わらないわけにはいきませんでした。
そうだ。クラブのみんなのスナップ写真焼き増しして配るんだ。
うちの旦那さんは自分のカメラでイベントの時みんなの写真を取ってあげて焼き増しして配るというようなことそうしたことを仲間内でしあっているようですが、そうしたサークルの楽しみに、意外に私は気がつかずに気が回らずにきてしまっていたところがあったんです。
あの人もきっとあの頃のままではいられなかったのかもしれない。
でも私の心の中には、あの人はお誕生の頃や高校生の頃の面影を残して存在している。それが幻や妄想としても、消えないのだから仕方ありません。
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