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2005年11月24日(木) 開店

新規開店したお店に連れていってもらいました。

広くてとても一度には回りきれません。

また行ってみたいかな。自転車で行けるといいんだけど。無理かな?無理だって主人は言うんですけど、よっぽどサイクリングにいけるくらいの調子がいい時だったら行けそうな気がする。あの距離を雨や雪の中を自転車で行くのは余程差し迫った用事でないと嫌なんですけどね〜

車の運転ができる人はやっぱり自分の裁量でいろいろ行けていいなあと思うんですが、やっぱり慣れていなければ車でも気疲れは大変だろうし。

電車やバスで行けるところもあるけれど、首都圏のような感覚ではいけないからな〜

やっぱり免許取りたいな。免許持っているだけでも持っていたい。色々な手続きも免許証ないと面倒だし。旦那さんが忙しくなってきたら自分で小回りきかないと何かと不便だものなあ。別に雪が降らなくなった春まで待たなくても冬の間でも免許取りに行けるんじゃないかしら?自動車教習所自転車に乗らなくても傘差して歩いていける距離。

パソコンの配線が間違えていて、繋がりませんでした。自分で何とか繋げようとはしないのですが、繋がっていると使ってしまう。

あとね、強力な掃除機を買いました。今までの掃除機とパワーが違う。

今朝もまた雷雨。婦人科とかいろいろ行きたいけれど、この中を自転車でお医者さんへって気が進まない。また不調になった時のために行っておいた方がいいと思うんですが。

不調な時はほんと道端歩いていても、おかあさんおかあさん、っていい年して声に出ちゃうので、何だか暗い顔して伏せ眼がちにぶつぶつ言って変な人に思われるかもしれないと思います。要するに、いい大人のくせにおかあさん助けて助けて、という迷子の女の子のような気持ちだというだけのことなんですけどね。で、それでそばに子供とか夫とか居ても、話にならないと感じると、母を呼んでしまうんですね。しっかりしなくちゃと思うだに声が出てしまう。やはり戦後の自由民主主義を掲げた核家族の中で私は相当に母親に依存してしまったんですね。
で、少し不調から脱すると、やっと現実に生きてそこにいる旦那さんとか子供を頼りにするんです。どっちにしろ依頼心が強くてわけわかんないところがあって夫や息子は何なんだよおかあちゃんわんこと同じだよわんこより始末が悪いよって思われているかもしれないけど、やっぱり不安な時は家族と話が成立するかしないかで全然気持ちが違うんですよね。こんなつたない自分に少しでも、芥川龍之介の蜘蛛の糸の主人公のように、仏様がこの男は酷い男だがある時小さな生き物を助けたことがある、いいところもあった、と思い出されて蜘蛛の糸をたらして下さった時のような希望が感じられると、阿呆でもふつふつといい力が湧いてきたりする。でもそれですぐにぱっと善人になれるわけではない。それだけだと、ほかの人も大勢細い糸を上がってくると細い糸が切れてしまうんじゃないかというさもしい恐怖が自分さえよければという気持ちを引き起こして結局自分も奈落の底に堕ちていくような状況から抜け出せないままでいるような心理が、まったく私の心の中にあり得ないとは言えないと思います。自分が家族とかほかの人にどういう人であってほしいと願われているかということは、理想としては痛いほど知っている人が多いのではないかと思います。例えば妻だったら自分が良妻賢母だったらもっと物事うまくいったんじゃないかと考えたりする場合がある。けれど実際良妻ではいられないことの方が多いし、私をこんなやつにしたのはあなたのせいよと言いたくなったりもする。
子供は育つ過程で自分に期待されているものを敏感に感じ取ろうとすると思います。その期待を担おうとするか、親の期待が重いとかあるいは親自身が混乱していてわけがわからずうまくいかない不満を子供に当てられてつぶれてしまう、あるいは子供が親を反面教師にして親の期待を裏切っても乗り越えようとするとか。
私の両親は夫婦相和し朋友相信じの教育勅語を聞いて育った世代だったけれど、戦後自由民主主義と平和憲法の中で子育てをすることになった。その中で自由と言われても、心配と不安で一杯だっただろうと思います。一生懸命やっても報われるとは限らない。裏切られることが多い。自分が心ならずも人の信頼を裏切ることにもなってしまうこともある。親は子供たち兄弟は仲良くあってほしいと願うけれど兄弟は他人の始まりともいわれるほどだったりする。
私の親は自分が親の期待を裏切ってきた気持ちがあるから、子供に何を継げとかいうことを期待したりはしなかったけれども、抽象的なことを言うことがあって、例えば、女の子は素直で明るいのが一番よ、とかいうようなものが結構小さな私の心を苦しめたのでした。親心とわかってはいても、私には素直で明るくあれというのがすごく重たい期待だったりしていました。だって小さいときから憂鬱や泣きたいような気持ちにならざるを得ないことが多かったからです。それほど積極的にはなれない性質だった。休み時間に友達と一緒に駆け回ろうとしても体がしんどくて、友達が遊んでいる風景を眺めているほうが楽だった。心配して仲間に入れてくれようとしてくれる友情は光だったけれども、ひとたびそこに入ると、背後に控えている、いろいろな友達としてあるべき理想のような数々の抽象的なものが、大群のように私に
襲い掛かってきそうで怖かった。ただあまり活発でいないことが保身でした。親の勝手な期待を担うのも大変でしょうけど、幸せであって欲しいというようなあまりにも漠然としたものもとても不安で重たいものです。
例えば親御さんが事業だとか会社の社長さんだとか政治家だとかいうような
人も子供の頃から私には到底想像の及ばないような様々な相克があったことでしょう。そのような世界で闘って何か得て世の中を泳いできた人から見れば、私のようなものは小さな小さな笑っちゃうような子供っぽい存在感の薄いものでしょう。それでも夫はそんな頼りない私を頼りにしようとしてくれて、信じようとしてくれているのですから、とても有難いことに違いないと
思います。
話ができる状態でない時もある。気持ちを持て余して。そうすると、すぐに性的な欲求不満に結びつける向きもあるかもしれませんが、そういう不満とは限らないんですよね。旦那さんといちゃいちゃくっつきたい時にはくっつける時もあるんですが、そうではなくて、何か話がしたいんです。何か共感とか安らぎが欲しい。だけど私が気持ちを持て余してとんがっている時は、夫などにしてみれば、何を怒っているのかわからない、相手してられない、という感じがするんじゃないかと思うんですね。壁を作って防御しながら、それでも壁を越えていきたいものはある。
で、例えば精神科のお医者さんに話を聞いてもらえればいいのかというと、
今はとりあえずやっぱり夫や子供と話がしたいんですね。夫や子供は同様に私が自分達の苦境を理解して引き立てて助けて欲しいのが山々で、妻や母がやっぱり心ここにあらずでは困るんですよね。家族の方向性がどちらを向いているのか理解できればやっぱりほっとしたりもする。勿論外敵のようなものに対する備えもないと怖いけれど、やっぱり似たようなところがあったからくっついたんじゃないかと思います。最初夫が似たもの同士だと言った時はどこが似ているのかと思いましたけど。割れ鍋に綴じ蓋だったんですね。
最初好きになって子供を生んだ人の家に染まろうとしても染まれなかったので、今度は夫の希望に答えられるとは約束できないということを明確にしておかなければ心配でした。女が親に決められた結婚に何があっても努力して添い遂げるというようなまねは戦後の教育を受けた私には自分で望んで努力しても無理でした。自然が拒んた。それでも私にはやはり今度も夫に添う努力をする以外に自分が生き残る道は見出せません。自分の種に続いていく力があるかどうか疑問なことがあるんですが。でも私は弱くても強いのだ。やはり二心なく誠実に一筋に生きるのが、間抜けな凡人の乏しい力を何とか集中して続けていく道ではないかと考えています。これって当たり前の理かもしれませんけど、世の中って怖いんですよね。怖いものがあることを知ることが怖いもの知らずの乙女が嫌でも大人になっていかざるを得ないというか、えっちらおっちらそれでも自然に成長していかせてもらうプロセスかと思います。怖いですね〜本当に怖いです。例えまたしても離婚しなければならなくなる時がきたとしても一人ではとても生きていけないと思います。

あ、いい加減にしとこう。


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