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2005年12月15日(木) 関川村の昔話

どこにやったかと見失っていた新潟の昔話の小さな本が出てきたので寝る前に少し読みました。

 一つは、仲良しだった兄弟のうちの兄が盲目になって、弟は兄の目がよくなるように一生懸命尽くしたのだけれど、兄は病のためにひがんだ考えを持って、弟が目に良いというご馳走を兄に食べさせると、弟はもっと陰でご馳走を食べているのではないかと疑って弟を殺してしまう、すると目が見えるようになって、自分には立派な着物が着せられていて、弟はぼろぼろの服を
着ていたことを知り、後悔したが、取り返しがつかないというお話。苦しい時はひがんだりする傾向があるけれども、悪く取らないほうがいいんだよということです。
 これは私にもちょっと耳痛かったり。

 もう一つのお話は、針仕事などで生計を立てているばばさに息子がいたのだけれど、かなりものぐさだった。その息子がどこかで団子をご馳走になって、こんなご馳走があるとは、ばばさに後で作ってもらえるように頼もうと
考えて、だんご、だんご、だんご、と忘れないように暗誦しながら、帰り道を急いだのだけれど、途中でどっこいしょと腰を降ろしたときに、だんごというのを忘れて、どっこいしょ、どっこいしょ、と暗誦しながら帰った。
帰宅して、どっこいしょを作って食べさせてくれ、というのだが、ばばさには何のことだかわからない、躓いて、頭をぶつけ、大きなこぶをこしらえた
ところ、ばばさが、だんごみたいなこぶだと言うので、そうだ、団子だと
気がつく。ばばさは、団子をこしらえてやってもいいが、それには田畑を耕して働いてもらわねばならないという。息子はうまい団子を食べたさに精を出して働くようになり、団子だけでなくほかのご馳走も食べられるほどになった。そして、かわいい嫁も嫁いでくるようになったということだ。

 このお話も、うちの息子は、団子のようなこぶをこしらえた時に気がついた段でけたけた大笑いしたけれども、他人事だろうか、と私は耳痛いような気がしました。

 視野狭窄というのは怖いですよね。

 学生が勉学に励むのは、視野を広く持つためだろうと思うのですが、知識が沢山あるからといって視野が広くなるとは限らないという事実はとても怖い。
 誰にとっても学校も職場も和気藹々とあって欲しいものじゃないかと思うのですけど、だらしなくない程度のほどよいリラックスした空気を作るのに
自分が貢献できる人になりたいです。

息子の今所属しているクラブのリーダーの子が、これからも頑張ろうという友情のメモをくれたのを偶然見つけました。
 この友情がいい思い出であり続けるように、酷い精神的な視野狭窄に陥らないことを祈るものです。

 テレビゲームの中には非常にスピード感のある一直線ものがありまして、
うちの息子は最近これでストレス発散をしたがるのですけれど、不安を感じることがあります。子供に対して失礼かな。
 てくてくと苦しい山登りの中でも野の草花に目をやってその姿を楽しむようなところが欲しいと思います。山道できれいな草花を見つけたからといって欲しいものは何でも摘んでしまえというのではなくて、やはり野におけレンゲソウの精神も持てるような人に。

 自分が欲しいものを得るために何か資格を得るという選択肢はあるだろうけれど、今自分に命があるということはまださまざまな可能性があるということなのだから、人として人生の選択を誤らないように欲張らずに落ち着いて歩いていきたい。でもマイペースって難しいな。例えば私がこれから車の免許を頑張って取れたとしても、色々なことに煽られたような状況に追い込まれると、気持ちとしては悪気はなくても何かに間に合うようにと急ぐあまりにスピードを出しすぎたとかいうこともありそうで怖い。何が一番大切かを常に見失わずに足を踏み外さないようにしたいと思っても、色々なプレッシャーに追い詰められてしまうことはないとは限らない世の中を見せ付けられるけれども、そんなに自分は何かを見失ってしまっているのかしら。

 子供の頃はビデオカメラもない時代だったし、テレビのニュースもドラマと同様に別の世界のように見ていた。日曜日はサザエさんや笑点、大河ドラマなどを見るのが習慣のようになっていた。とてものどかな時代だったように思われるのだが、世の中全体として今の時代が特別に物騒に感じられるようになったのは、自分が責任世代になったからかしら。

 それにしても、ほかのママさんたちは都会的なお洒落な装いをしているけれども、私はどうも寒さのためか気持ちが縮こまってしまって同じようにお洒落に決めようとすると破産しそうな気がしてしまうんですよね。そんなに
縮こまる必要はないともう一人の私は思うのですが、お金って使おうと思ったらすぐ無くなってしまいそうだし、お金の問題ではなくて、何なんでしょう?やっぱり気持ちの問題かな?すぐに結論を出したり決め付けたりしたくないのに、どうしてこんなにきゅうきゅうとしちゃうんでしょう。愛情が無いとか感情的な結論を出さずに、もっとクールに賢く愛情表現ができたらいいのにな。

私の器は大きくないけど、他の人が、例えば子供でも、それなりにスタンスを取ってくれて助かることがあります。私がもっと気楽になればいいのかもしれないと思うこともあるけれど、そういうわけにもいかない時もありますよね。

でも私の父も若い頃ドライバーだったのに東京に長く住んでいた頃に免許を更新しなくなってまた年がいってから田舎暮らしで免許を取り直したのでした。父も運動神経抜群というわけではなく、年取ってからの運転は血気盛んな若者ドライバーであるうちの旦那さんを唸らせるようなとろとろ運転でしたが、しかしルールに則るほうだから様々なことを感じながら乗っている人を内心うならせることはありましたが事故を起こしたことはなかったと思う。だから実は私は躊躇いながらも免許を取り直すことを諦めているわけではないのです。怖いよーと旦那さんは言うけどね。旦那さんの運転だってはっきり言わせて頂ければ怖い時もあるんですよ。運転中に運転手を怒らせないように命預けていますけどね。もう少し落ち着いたら取りたいなあ。

義理と人情の板ばさみになる be torn between love and duty.



 

 


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