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昨日は息子の卒業記念の集まりがあって世話人の一人だったのに、子供が帰宅するまでころっと忘れておりました。 息子はおみやげものを机の上に置くと、先生は体調の悪い時は忘れちゃうくらいの方がいいのよって言ってくれたけどね、と表情に一種諦観を浮かべながら申しました。何だか、私もそういう時あります、という深い理解がクラスメイトのお母様の声色にも先生のお言葉の優しさにもにじみ出ていて、感謝であります。。ふぅ。。ぁ、本当に助かっております。本当に申し訳ない。気をつけたいです。。 息子はゆうべ夜更かしだったせいか、夕方帰宅した後ご飯食べてから塾に出かけようという気持ちではありましたけれど、眠ってしまって、塾はお休み、多分朝まで目が覚めないでしょうが、きっと学校は休まないでしょう。 私は昨年当たり、毎月お月謝と気張っていたあまり、塾を休むたびに、そんなことならやめろ〜と怒っておりましたが、この頃のところは、まあ、風邪の時は休ませよう一応辞めたくないというものはとりあえず続けさせておこうと鷹揚にしております。まあゆうべは読書量も結構まとまったものだったしね。国語の授業くらいきっと何か理解したこともあったろうと。気落ちさせたかな。 またメモ帳確認しておこ。卒業式は出席しよ。
へえ、日本の企業が中国で低公害の循環型農業を企業するのか。悪くないかも、と成功を期待する。
インドも成長率高いんだな。
今晩は息子は昏々と眠り続けているけれど、ゆうべ子供が読んでいた、10代の子供が育つ魔法の言葉を、今度は私が一人で読んでみました。まだ全部は読み終えていないけれど、ゆうべは眼痛や頭痛であまり読めなかったけれど、今晩はコンタクトをはずしてメガネにして読んだら、私は自分があれこれ中途半端な癖に子供に対して随分と完璧主義になっていたかな、子供を失望させていたかな、傷つけていたかな、頑張らせすぎていたかな、子供の優しさに甘え過ぎていたかなと思いました。あるいは自分も頑張りすぎていたかもしれない。 ふと、化粧鏡に向かった母に何かをねだった時に、今度ね、という約束が上の空だったので、今度っていうのはその気がないっていうことなんだと思ったのを思い出しました。
長時間コンタクトをするのは目にあまりよくないけれど、メガネの方が鼻にずっしり重さを感じてコンタクトの方が楽だという気がしたり、玉葱を切るのにもメガネだと目にしみるからコンタクトの方がいいと思っていました。でも今は、やはりメガネにして神経をほぐしたほうがよさそうな気がしています。いつのまにかものすごく視神経を酷使している。
昨日は結局犬の散歩にも出なかったのだけれど、もっと運動を増やした方がいいと思う。パパさんも肩揉んでケツ踏んでとサロンパスが入り用な感じだけれど、私もつとめて体を動かした方がいいな。こめかみや眼球を押さえると本当に痛んでいる。ちょっと奮発して泊りがけの温泉とかにも行きたいな。
それから子供が目を覚ましたら、シャワーとシャンプーだけでもさせたい。ゆっくりお風呂に入れたい。お父さんもそう思っていたのに、私は温泉に出かけるのも欝になっていました。車にも酔って温泉いけなかったし。風邪ひいてたからね。
私でさえこうなのだから、みんなもっと疲れているんだろうな。いつのまにか。
そういえば、先日横になっていたら、息子が私の白髪を抜き始めた。白髪は抜かないでよ、白髪全部抜いてたらおかあさんはげちゃうよと言ったら、それほどはないと言う。まあまだその程度だが、私は頭の白髪は絶対自分では抜かない主義です。のつもりだったが、ただ、何となく抜きたくなる白髪はあった。どこのだ。改めて白髪は抜かないと再決意。
ぼおっとした時間に、自分の髪の枝毛を無意識にいじったり眺めたりしていたひとを思い出した。案外その無意識の時間に癒されていたのかもしれないけれど。なにをいっているんだかわたし。
それにしても今日は息子の頭を洗ってやりたい。くさくなってる。ということで今朝は風呂に入らせた。12時間寝た計算。
法的に問題ないのに、ライブドアの再建に助言してやることが好ましいとはいえないと法相が難しいお顔。検事の立場??親切も好ましくみなされなくなってしまうことがあって立場をわきまえるって社会人として微妙な重要事項の一つなんですね。 自分の立場。私の場合は今のところとりあえず、子供の母親として保護者として妻として社会人としてとか友達としてとか嫁としてとか、女として、とか、人間として、とか、そんなところだけど、プロの職業を持っている人の、例えば医者として、とか、教師として、どうでなければならないかとか いうものがある人はまた大変だ。その職業に固有の職業倫理みたいなものがあったりするのね。でも、人として、その検事さんはよかれと思って法律的な助言をしたんだろうし、その相手が渦中のライブドアで自らに危険が及ぶかもしれないことも顧みずにされたことだろうと思う。
核兵器は軍縮の方向に行ってもらいたいのだけれど、しかし核を持っているアメリカが自ら核兵器を放棄せずに他国に放棄を要求するのは何となく納得がいかない。自分が持っているのであれば、アメリカ合衆国は、他国が防衛のために持ちたくなることは理解できるとして放っておいてあまりプッシュしない方が得策なのではないか、あるいは、私は武器を捨てる、だからみんな一緒に捨てようではないか、と呼びかけるのであれば心が動くような気がするのだが、甘ちゃんだろうか?アメリカは何が何でもちょっと気に触ったどこかの国を何が何でも悪の国家と見なしてつぶさずにはいられないような衝動を抑え難い病気に罹っているのではないかと思われてしまう。もともとは勤勉で善良な人々というイメージなのだが。
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