�蠧�記
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2007年03月02日(金)

 母もきっと闘っていたんだろう。何と?

 自信がなかったら無理して闘おうとするより引きこもっていてもいいと思うんだけど。

 子供の頃はお医者さんも看護婦さんも信じていた。だって入院したら病気の辛さが楽になったもの。

 母が亡くなった頃長兄は医師に憧れると言っていたと思う。人の命が救えたらいいのにって。

 私は見舞いに行っても小さな子連れで病室に行っても母は他の患者さんの手前気疲れして、結局何の助けにもならなかった。

 せめてお母さんがいなくちゃ私は駄目なのって言えればよかったのに。

 父は僕のお母さんはとても不幸な人だったので僕は明るい家庭を作りたかったと言っていた。母は割合感情表現が素直に出ている人だったと思う。
日記にも気持ちがよく出ていた。父方の祖母の日記は出来事の記述だけで嬉しいとか悲しいとかいう記述は一切なかったということだけれど、それでも私は祖母が自分の息子におとうさんはあなたが憎くてお説教をするわけではないと語ったということは、祖父を愛していたように思われる。昔の白黒写真で祖母の笑っている写真はほとんどなかったが、一枚だけ祖母が楽しそうに笑っている写真を記憶している。それは外国の人と一緒のような写真だった。私が幼稚園の時既に祖母は脳血栓で口がきけなくなっていたけれど、愛と青春の旅立ちに出てくる海軍士官を年配にしたような姿勢のよい二人のアメリカ人が病床の祖母を見舞いに訪ねてきたのは、きっと彼女の人柄が悪くなかったからではないだろうか。病床で恥ずかしいような嬉しいような表情をしていた。

 祖母が倒れた時、転勤先の熊本の家には電話はなく、お隣のお宅に電話がかかってきた記憶がある。

 昔のことばかり思い出すのは本当に若くなくなった証拠だと思う。でもそれに抗う気はない。

 それにしても健康でありたい。頑張ったら頑張っただけのことがあればいいなあ。私もガンやら脳血栓やらにはなりたくはないけど、もっと母や祖母に話が聞きたかった。

 それにしても、人に会う時は先入観を持ちたくないなあ。

 それにしても崇高な行為というのは確かにすごいことだと思う。コルベ神父とか人を助けようとして亡くなった韓国青年とか。
 父は私に徳を求めたことがあった。
 でも私は子供に崇高であれとは願えない。勿論悪いことはしないで欲しい。いいことをしてほしいけど。これじゃ駄目かな。死なないで欲しいよ。 どちらかというとやっぱり与謝野晶子さんの歌が好きだ。与謝野晶子さんが好きというよりは、歌が好き。金子みすずさんが好きというよりは、詩が好き。詩は好きだけど、どうしても、金子みすずさんはどうしてもっと生きようとしなかったのかと思ってしまう。そのように三島由紀夫さんも川端康成さんも今ひとつ。行動派作家のヘミングウェイも。
 


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