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2010年06月03日(木)

 私の父は戦争で食糧や物資が不足することで栄養失調にもなり、成人する頃には既に農業に対する情熱が確立していた。母も園芸が趣味だった。
 それだから私も園芸にはとても憧れがあるのだが、あまりまだその道には遠い。植木鉢でも植物は育つというにな。
 一つには、毎日朝晩の水遣りというような落ち着いた地道な活動が生き物に対する愛情のバロメーターだったりしますよね。
 もし自分ができない時は、人に頼むだけでも違う。例えば鯉や金魚を最初に欲しがったのが私だとしても、夫がその命の維持に関心を持ってくれているということは、とても助かることなのだ。あるいは余裕があれば、技術革新の恩恵を受けたり、情熱如何によっては同じ関心を持つ人々との交流によって育つものもあると思う。

 それにしても、うちの銀鯉、買ってきた時の大きさの10倍くらいになってしまった。稚魚というわけでもなかったが、当初は頭から尾までの体長が3cmあるかないかだったのだ。髭も見えなかったので、鮒か鯉かわからなかった。

 時折、自分の器の小ささに絶望的な気分となり、器の大きさって生まれつき決まっているのかなあとため息をつきながら遠くの山を眺めたりする。
 それにしても何が人物の器の大きさを決めるのか。大きくなければいけないのか。自分の意図というわけでもなく何かのきっかけで何かに関心を持つ
こともあれば、今まで自分が無条件に受け入れてしてきたことに一服して思いをめぐらせてみる時間があってもよかろうと思う。

 それにしても勿体無いくらいいいお天気。


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