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2011年02月05日(土)

 ゆうべは海苔巻きにした。かに風蒲鉾、卵焼き、胡瓜、それから、主人が
お野菜などの直売所で買ったらしいオータムポエムという青菜とベーコン炒め、マヨネーズでサラダまき。古代米をちょっぴり入れて炊いたご飯。

 このところ少し生活を立て直そうと頑張ったせいか夕べは結構疲れて、ちゃんと眠ったのだが、トイレで目が覚めた今朝私は心身不調だった。でもおねしょじゃないし、もよおしたらトイレに行って用を足せる。介護は不要だ。主人は水曜に病院に連れて行ってやると言った。肺炎じゃないかと言う。熱はない。でもまだ死にたくないとか会うとほっとするようなお医者さんじゃないと嫌だなどと主人に言って私はおいおいと泣いた。子供みたいかな。でも弱っている時にしごかれるようなことを言われると本当に言うこと聞かないと死ぬぞと言われてもどうしようもない。朝は爽やかに目覚めたいな。
 私は大概のお医者さんは努力家で真面目で良心的でいい人だと思っていますが、何だか子供の頃に出会ったお医者さんたちに対する安心感を失ってしまいました。お医者さんも人間だなどと思いやれるほど元気でない時があるんです。お医者さんだって非難したくなる時はあるでしょうけど。
私が具合悪くても病院を頼れなくなったのは、それはお医者さんたちのせいではなくて、私の傷のせいでしょうけど。
誰だって神様じゃない。だから、こちらから求めたりしなくてもいい、全てお見通しの存在に、このままで愛されているようなほっとする時がなければ
気が休まりません。

 そういえば、ゆうべは寝る前に、Bread of Lifeというののお祈りを音読した。
 聖パウロの娘たちというアメリカ方面の団体みたいだ。

 米国に渡った友達が今世紀になって最近は毎週教会に行くのが楽しみだと語っていた。彼女の神様はどこの神様かはわからなかったけど。

 私のこの本も今世紀の本だけど、どうも購入したのではなくて、頂いたような気がする。
 これは英語だけど、もともとはイタリアの団体みたい。カトリック教会から送られてきたのかな???
 
 私はちょっと間違えてしまったところがあって、悩むところもあるが、でも間違えようとしたわけではないし、だまそうとしたこともないし、私が出会ったどんな人にも、私は基本的にだまされたことはないと思う。私は時々
教会の日曜日の集会などに参加したくなる。何に惹かれるかというと、ほかの人と一緒に歌を歌う時間が幸せなのだ。仏教のお寺さんでお経を一緒にあげるのも嫌いじゃなかった。
 というか、私は本当に間違えたのだろうか。綴りの間違いとかいろいろするし、先日も番号を書き間違えたか、老眼で読み間違えた。
 でも、子供が生まれてきたことを、間違えとは言えない。自分の人生を否定はできない。だから神父様がおっしゃるとおり、許しあわなければ生きていけない。

 子供の頃ピアノを習ったが、ピアノの先生は教会などにも馴染みがおありだったのではないだろうか?よくわからないが、ピアノは西洋の楽器だ。
 私の両親は私が子供の頃教会には出かけなかった。でも終戦の頃などに
洗礼を受けたくなったことがあったということは父も教会のミサに参加したりしたことがあったのだ。
 でも父が言うのに、彼はある時何かが冷めた。それは何か当時結構流行っていた宗教団体の責任者にスキャンダルがあったりして、そうしてみると、
宗教団体は両家の子女に懺悔をさせてその親たちから多額の寄付金を集めている、などというような見方に陥ることもあり、そうしてみると、それまでぼおっと憧れて見つめた神父様の衣装もなんだかけばけばしく色褪せて見えてしまうというような、信仰や信頼がないと、同じものが全然違って見えるのだ。

 それから父は神棚に手を合わせていたが、もしかすると、戦争に負けて
苦しかったからやおろずの神々を見限ろうとしたという自分もちょっとずるかったような気がしたりしたのではないかと想像したりする。
 
 ただ、私は、人は本気で奉仕したい福音を伝えたいという純粋な気持ちなしに、聖職者の道に入ることはできるものじゃないと思う。人にものを贈るのだって、それをいいものだと思っていなければ贈れるものではないと思う。イエス様の勧められる主の祈り、時々、祈ってしまう。御仏の慈悲も有難いと思う。

 今日は土曜日だが、子供も朝から学校。

 生活していれば、お隣近所というものがある。
 子供の頃お隣に茶道の先生がいらして、母について袱紗などを持って少し習いに伺ったりした。
 そちらにも我が家にも若いお嫁さんができて、兄夫婦に赤ちゃんができて
小さな姪甥などが遊ぶようになり、お隣にも同じような年頃の子供たちが育ってほかにも子供たちがあって一緒に遊ぶ姿が見られるようになって、そうして若奥さんたちのお茶の会がにぎわったりすると、別に騒音だの境界線の問題だのということはそんなに出てこないし、出ても話し合いで収まる。
 というような楽しい時代があった。私はまだ独身だったが。そして自分も結婚すればまたそこでご近所づきあいも自然にできるのだろう、などと考えることもなく、どうでなくてはいけないと思うこともなく、足の向くところへ行き、興味を持った講義を取り、読みたい本を読み、やってみたいアルバイトをし、惹かれる言葉の辞書を購入した。
 無理があれば続かないし、ご縁があればまた楽しい出会いもあるだろう。

 午後お野菜を炒めてビーフンを作りました。父は台湾で生まれたし、祖母はそのせいかビーフンを作ることがあったようで、それで父も時折懐かしがって作っていました。それで私も好きなのです。

 エジプトって、一院制だったのか。二院制に移行してみるとどうなのかと思う。首相や大統領などになった人たちが、別に私欲のためや権力のために
なったとは思わない。留まって頑張ろうとするのも辞任するのも自分のためとは思わない。一院制の方がよかったこともあったのかもしれないけど、シーザーだって素直に人気に乗じて権力を掌握してしまったからあんなことになったとすれば、やはりアウグストスのように遠慮することも必要なのかなと思います。
 誰でも大任はおいそれとは負えないところで、大衆に認められたら思う存分世のため人のために尽力してこられたことでしょうが、二院制三権分立といった制度の中でも運営されていくのは大変なことでしょうが、しかし、やはり独裁だと、責任の重さもカリスマの一人の人に負わせるのは重過ぎるでしょうし、権力を掌握してきた人が人々の動向や激しい反発や情勢などに押されるのと別に、自分の才覚だけに頼らずに自分のかわいい子供には旅をさせて、民主的な選挙や二院制などの制度の構築を成し遂げられたら、実に偉大だと思う。

 ところで、今日は個人的に(別にいつもそうですよね、何言ってるんだか)非常に驚いたことがありました。
 子供が音楽を聴いていたのですが。そのオケは。そうだったのか。あの指揮者の先生も。そうでしたか。


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