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浄土真宗では、門徒間の結束のために普段元気な時はよく正信偈という念仏偈を謳うものらしい。 しかし、私の腹の中に娘が居た頃に毎日娘の父親があげていたのは、阿弥陀経だった。 お釈迦様が弟子たちに、西の方にとても美しい極楽国土があるのだと語る話。 今日は娘の叔父にあたる人の命日なのだけれど、私はその人に一度しかお会いした事は無かった。 私が次兄の友人、娘の父親と婚約して間もなくの頃、其の方は亡くなった。まだ阪神の震災の前。 私が二十二だったとして、1961たすことの、22は、1983年だろうか?
私の実家は新義真言宗のお寺さんの檀家のつもりだったようだが、父が大晦日紅白歌合戦が終わった頃初詣に行くのは、最寄りの駅近くの真言宗のお寺さんの手前にある 八幡神社だった。
浄土真宗のお寺さんというのは、本来、割合とキリスト教や回教のように、阿弥陀仏一筋で、お念仏さえあれば、白道における無碍の光明、というご信心である。 しかし私の実家は小さな神棚もあり、祖父の亡くなった時か、小さなお仏壇かあったが、いまだ祖母のお骨は押入れの中でどうしたらいいかわからない状態が長かったのではないかと思う。
結婚式は神道で、お葬式はお寺さんで、というのは当時日本人としてはよくある話ということだった。 神仏習合といい、日本には八百万の神々があるが、例えばインドの神様たちも輸入されて弁天さんだのと言われて信仰されている。そんな風なお話ありますよね。 キリスト教は仏教にとってはすこぶる脅威な存在で江戸時代にはカトリックの布教は 禁止されていた。明治維新にとうとう門を閉ざしていられなくて開港し、キリスト教も解禁になったら、それまで幕府の役所の戸籍制度を担っていたお寺さんは随分と迫害された。廃仏毀釈というやつだ。
そういったことは、私は、戦後日本の自由民主主義の地域の公立の小中学校で子供の頃日本史を漠然と習っていた頃は、僕らの名前を覚えて欲しい、戦争を知らない子供たちさ、というわけだったが、戦国時代は大昔の話、えー、インドのカースト制度?大変なのねー、というような意識だった。歴史の参考書を勉強しようとすると、考古学は最初やる気満々でゆっくり眺めている、しかし、年度の終わりの二月頃になったら、近代現代史は何だかうやむやに端折らざるを得無かった。
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