�蠧�記
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母は心配の種だった末っ子の私に娘が生まれて安心したのかもしれない。末期癌の苦しみからとにかく鎮痛薬を欲しがったらしいが、まだまだ死にたくはなかったろうが、私は彼女の心身を救えなかった。私は母よりも子供の数が少ないし、兄弟姉妹も彼女のようには多く無いし、構成も違う。血は繋がっていても違う人生。 私は母のように空襲や防空壕の経験も無いので、母の人生を理解している自信は無いし、今となっては私の生も母からは理解不能になっているかもしれないし、天は母に与えられなかった生を私に与えられたのかもしれない。母は私の生に自分が叶わなかった夢を見ていたかもしれない。 父と息子、母と娘には、時にはコミュ症である事が少なくないようだ。 母の夢は母の夢。私の夢は違って良いと思うが、それでも私は、彼女の夢を諦めたくない。叶えてやりたい。しかしこれは執着なのかもしれない。彼女の夢は痛い程わかるが、私はこれを手放そうと思う。 天は私に何を望まれる? 母が亡くなるまで、父は私に広島の方で汽車の窓から原爆の光を見た事など語った事は無かったが、本当に見たのかな? 私にはわからない因果関係はあって、歴史や過去は変えられない。天は私に必要な物はご存じだ。 私は自分に出来なかった事は悔いない事にした。私はゆるす。それでも悔いている事は、今これからの自分に影響している。母が精一杯生きたように、私も、生きている。明日消える命でも五十年後でも、私は投げられない。鈍根でも、成長はしている。 路傍のお地蔵さんに出会うのが好きなの、と語っていた、おかあさん。 私の中で生きよう。
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