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| 2022年08月21日(日) |
萩生田さん 神様の国?? |
仏様の国ではない?
実は私の両親は、転勤している時、私が2、3歳の頃は、神様とか仏様とかいった言葉は使っていませんでした。父方の祖父の葬儀は、真言宗だったはずです。私は見ていませんが。新義真言宗だったんだと父は申しておりました。 私が五歳くらいの頃、父方の祖母が脳血栓で倒れました。 それで、転勤先から父の実家に、最初、母と、私、兄たちだけ、戻りました。と言っても、子供たちにすれば、行きました、状態。長兄は中3の二学期だったか、辛そうでした。 父は直ぐには実母が暮らしていた実家に戻れず、単身赴任で頑張りました。
で、母は、ですね。 それまて、子供三人夫と育てていたわけですが、末っ子の私は、三十過ぎてからの子です。 その後母はもう子供はいらないと思ったかな?祖母たちは四人くらいは、四十過ぎまで産んでいました。 私の父は、祖父母がとしいってから、二人とも四十過ぎてもしかすると五十近くで産んだ子です。 ですから、お爺さんのような父親が抱いた父は、とても小さな幼児でした。ひ弱な感じかな。 もやしっこ。
さて、母の実家は曹洞宗で葬儀でした。
で、母は、私の母は、祖母が倒れて嫁ぎ先の家に戻って姑や夫の姉のお世話を始めたのですが。 神様、という言葉を使うようになりました。 それまで転勤先では、神も仏もあるものか、というわけでなく、神様や仏様が無くても、すこぶる夫婦仲は良く、従って、まあ母は結構御用聞きのお兄さんと長話しがちだったかな。
ところが、突然、姑が脳血栓で倒れました。
電話はお隣のお宅にかかってきたのてす。祖母危篤と。
それで父の実家に戻って、暮らし始めました。 祖母は口がきけなくなっていた。
そうしたら、急に、母には沢山の事が一度に、ふりかかってきたのでしょうね。
当時私は五歳。
転勤先の仮住まいに、父は沢山のぬいぐるみとBarbie人形に埋もれた小部屋を、建て増ししてくれたのです。 台風の時は大変でしたが。
それで、祖母の家に行っても、私はまあ兄たちとは同性ではないせいか、一部屋をあてがわれました。
その家の廊下に、多少本棚がありました。
で、転勤先ではいつもくっついて歩いていたお隣の女の子その後親戚になったりした子があるのですが。 祖母の家に、母は戻ったかんじだったかな。嫁ぎ先でもね。新婚の頃は同居していましたから。 でも私は転勤先で生まれた子なので、ちょっとかなり環境変化は激しかった。
母は母で、てんやわんやだったのでしょうね。 私に猫の手になって欲しかったでしょうね。
五歳って本当は、アルプスの少女ハイジなんかでも、結構気が効く子になっていても不思議ではない。
しかし指示待ちタイプと言われましても、なかなか私も咄嗟に気の利いたことなど思い浮かばぬたちでした。 あれしてこれして、と具体的に頼んで欲しかったな。
しかし母は女学校を出てから、出版社に勤めていたひとなので、文学少女だったんですね。 きっと、夢見がちな女性だったのだ。 そして、上に五人のお姉さんがある妹、姉妹の中では末っ子だったのだ。 下に弟たちができて、きっと親には、世話すること、家族の中て協力する事を求められたが まあ多分お姉さんたちに子供扱いされていたのではないかな。 実は子育ては得意じゃなかった。 きっといろいろ不安の種はあったのだが、まあ戦後の日本は、空襲がなくなっただけでも、 彼女は朗らかに生きていけたのではないか?
しかし急激な負担によって、母はちょっとおかしくなったと思う。 夫は遠い赴任地 手紙を書いて健全な交流を維持したろうが。
お前は神様を馬鹿にしているよ。
びっくりしたなーもう。
あの頃母かイメージしていたのは、何処の神様だったのかな?
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