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私は日本人が冷たいとは思わない。 自分が冷たいとも思わない。 まあそんなに外国の人をたくさん知っているわけでもないので、断言もできないが、どの国にも色々な人があるだろうと思っている。
冷たいというのは、そう感じる人の期待が裏切られた感じなのかなと思う。人に適切に親切でありたいとはとても願っている。しかし私は確かに自分より元気な人のペースについていけないところはあって、 例えば夫に早くしてと言われてもどうしても待たせてしまう時が多い。
もうあまり長いことないのかな、と思うこともある。私は六十二歳だが、81歳の体力らしい。 生きていくのはとても苦しい。 しかし今のところ私は死にたいとは思わない。死にたくないと思っている。回復したいと思っている。
鬱でしょう?と内科の先生が最近おっしゃったが、私はそうではないと思う。 でも明るくない、と先生はおっしゃった。
なぜそういうことを言われなければならないのか。 体が思うように動かずとても痛くて苦しいのに、明るく振る舞わなくてはいけないのか? 車椅子に座って、私専属の優しい女性に介護されたいという体の願いは沸々とあるが、それは多分私には贅沢だし、経済的余裕も無い。
しかし、せめてせんたくくらいはしたいし、ごみ捨ての整理もしたい。できたら、料理、ガーデニングもしたい。土の地面が欲しいから、苗を地植えしたいから、わすかでも、土の地面のあるところに住まわせてもらっている。
これは鬱か? 私は幼い頃から確かに明るい性格とは言えなかった。しかし私は人嫌いというわけでもないし、元気一杯とは言えないが、自分にできることはしようとしてきた。
私の神経はあまり強くは無い。それでも頑張ったことはある。
おそらく私の力では、我が家が子孫繁栄するのは無理かなという気がすることがある。 それても、夫も子供も頑張ってくれているから、うちの子にも幸せが訪れてくれたらな、と内心願っている。しかし、本当に、もう長くは無いかなという気もする。 人は変えられない、変えられるのは自分、ということで、健康を願っていふ。
死んだら家族を去らなければならないのだろうか?そばに居て見守っているわけにはいかないのかな。
火葬も順番待ち長いなんて、死ぬのも容易じゃないね。
私ら日本人は鳥葬という文化はちょっと無理と思うが、色々な面で弱っている。
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