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2024年01月17日(水)

私はあの頃自分の年齢を意識はしていなかったが、私が二十二の時だとすると、娘の叔父様が亡くなったのは、今から40年前か。
震災は、29年前らしい。息子は二歳だったと思うが、今は三十になったところ。
種違いのお姉ちゃんは十歳だったのか。
彼女が二十九の時、二人が並んで歩いているあとをついて歩いている時に見たら、弟の方がだいぶ背が高くなっていた。彼女のお父さんほどではないが。

小人の大マラゆうてな、いいんだいいんだ、と息子の父方の曽祖母が語ったことがある。
夫の祖父は、戦争で片足を失ったが、子供は七人。
うめよ増やせよという時代だったそうだ。私の両親の両親も子沢山。私は祖父たちには会えなかったが。
避妊なんて考えなかったんだな。

夫の祖母はやはり子沢山に苦労したから、そんなに大きいマラが良いとは思えない時もあったのかな。
次兄の奥さんが、子供産んでいいよ、って言うのは、優しいつもりなんですよね、とお怒りだった。
核家族の上に、転勤族だったし。大変だったろう。家督というのは、戦後の法律では、無いようだけど、日本の保守層が所帯を持つには、一度は考えざるをえないことだ。

私はまさか自分が結婚や出産が可能とは思っていなかったので、子供が生まれたのはとても嬉しくて、独身の頃のニヒルな?気持ちは霧散していた。しかし、知らないことは山ほどあったし、これからもそうだ。

日本に貧しくても子沢山な家庭が沢山あった頃には、おじさんおばさんも沢山あったが、一人っ子が多くなると、おじさんもおはさんもなくなってくるみたいだ。
娘は甥も姪も居ないうちに、自分のことをオバサンなのではないかと思っていた。
彼女が姉であって、私が妹に生まれたことも、彼女がオバサンでなく、私が早くから叔母にされたことも、人に決められたことではなくて、天命なんだ。

最近、ロシアで、若い女性たちが、兵士になるような子を沢山産めみたいなことを言われているらしいというニュースがあった。


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