�蠧�記
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母は自分が悪いとは思っていないと言っていた。父はお母ちゃんが私を甘やかしたと私の責任を亡くなった母になすりつけた。しかし私は今自分の父と母を批判する。彼らが精一杯生きたことは私は知っている。既に仏さんになっているはずの両親だが、私は彼らが私の中で成仏しているとは思えないのだ。そんな愚痴は親が生きているうちに言っておけよと思うが、彼らはあまりに弱くて責めることはできなかった。私の親であるから、頭もからだも弱かった。 しかし彼女は、次兄でなく、私を伯母のところに養女に出すべきだった。あるいはまるで犬猫のように次兄を養子に出すべきではなかった。どんなに子沢山でも、自分たちの子供たちは自分たちで育ててきた両親はある。あるいはやむおえずに我が子を人に頼むこともある。 蓮如さんもそうだった。そうしたことは、貧しい者がいくらか余裕のある者に頼むことは、赤ちゃんポストや宗教団体の斡旋事業のように、命が殺められるよりは養われていくことが幼い親に願われて、なされていく現実だったのだ。
偉人の伝記を読めば、幼い時に養子に出された人は少なからずある。そこである程度慎ましく暮らして一定の教育を受けて成長した人も少なからずあるだろう。徳川家康も源頼朝も、幼くして今川だったか北条だったかに人質と言うが、貧しいが故かどうかはわからぬが里子に出された。
他家へ嫁ぐというのも、養子幼女の縁組に似ている。そうしたことがなくても、人は一人では生きていないんだ。
今難病というものに侵されて、このまま命を終わることを思うと、私はこの国の言論の自由を信じてものを言いたい。私の生にさして面白いものは無いが、たとえ戦前の日本の教育を受けた者に育てられた時代遅れでも、自由民主主義憲法を与えられて育ったからには、思ったことを言って死んでいく権利はあるのではなかろうか。
最近は、済んだことを考えても仕方がない、今ここだと言われる。 しかし思い出を語るのは自由だ。私の思い出と人の思い出とが噛み合わないことはあるだろうが、母親が亡くなった年齢を過ぎた今、私には人を憎む気持ちはない。 ただ時が流れても残っている自分の気持ちを認めてやりたい。
男女七歳にして席を同じくしなかった時代が羨ましいな。
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