�蠧�記
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また地震とは
扶養家族と言われるが、おとうさんは食べさせるのが愛情表現。
そうか。背が高いのもコンプレックスになりうるのか。
見上げたい願望ってある。
いつか、福島の原発事故の後、高校の友達が、放射能を心配して、京都の貸家?に泊めてくれたことがあった。そこに、親子3人くらい泊まれるベッドが三台あった。 しかし息子や息子のお父さんは京都には来ず、新潟にいた。息子のお父さんは私が麦わら帽子を被ったりするのが気に入らなかった。私は彼が私に被せようとする帽子も、大概変わっていると思う。
アメリカの大学で学んだ友人が用意してくれた家、そこから京都の市民吹奏楽団のコンサートを聴きに行って、そこから息子にメールを送ったりした。
その後、また新潟の方に戻って、息子と病院に行った時、女医さんとの診察の時に、息子は女医さんに、 お母さんのメールはポエムみたいなんだもん、みたいなことを言った。ほかのお母さんのお子さんへのメールってどんなのかな。
今年の5月5日に、健康を祈念して、小さな鯉を2、3匹飼いたいと思っていた。 それだから8000歩や10000歩歩けた日もあった。 でも多分金魚と犬とガーデニングで精一杯だとおとうさんは思うのだ。 だから飼うとしたらお母さんが一人でしなくちや駄目だよ僕もお父さんもその余裕は無いと子供は言う。 ただ私はメールで夫に鯉の話を多分かなり情熱的にしていて、夫が行ってやるよと言ったのが、鯉のセンターに一緒に行ってくれるという意味だと勘違いした。希望的観測というやつだ。 しかし夫が行ってやると言っていたのは別のことで、鯉の話は、だめだためだだめだ、という三三七拍子だった。 だめだ、だめだ、だめだめだめだ。ためだ、ためだ、ためためためだ。たーーーーーーーーー。
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