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父は母にいきりたって離婚すると息巻いたことがあった。 そんなことできるわけないじゃないの、と母は言っていた。 母が元気にお勤めしていた二十代だったらいざ知らず、子供3人あって子宮も全摘された後でそんな事を言われるのは虐待でしかなかったかもしれない。 しかし父は別れたい時でもついに離婚はできなかったので、もしかすると離婚に憧れている面もあったのかもしれない。実際した人がどんな目に遭うかということについては、人にはわからず、いいとこどりのようにしか思われないのかもしれない。だから私に離婚して再婚という手があるなどと言ったが、離婚しなかった既婚男性は割合離婚が悪いものだとは思っていない場合は多いのかなと思う。母親が先立つと娘は男の感覚に合わされて壊れる。
日本では子供は母親が親権を持つ場合が多かったせいか、娘の父親は私の父が孫娘の親権をさっと父親に渡すとは思っていなかったと思う。だから私にしてみると、前夫に子供を取られたというよりも、自分の父親に子供との仲を引き裂かれた、という形になった。
私の実家とか両親のどちらかが娘の父親の宗旨と同じだったらなあと思ったりしたが、そうでなかったからこそできたご縁だったのだ。
私の父は、あまり女性にモテるタイプではなく、両親の期待を背負ったひ弱な家督ではあったが、結婚相手としては世間的に悪くないタイプで見合いの数は少なくなかったかもしれない。 その中で父は祖母が気にいるタイプではなく自分が気に入った女性と結婚したので、 母は基本父に惚れられているという自信はある女性だった。 だから誰が見ても母は幸せな女性であり、また父も思い返して実に幸せだったと語っていた。 二人は大事な弟たちや親戚の甥姪などを愛してまた結婚相手を自分でひっかけるというような術を持たない不器用な若者たちを娶せるのが得意だった。
父にしてみれば惚れた弱み、母にしてみれば、家では自分が頑張らねば回らんみたいな、 かかあ殿下ではあったのかもしれない。祖父母たちは大正のモダンを楽しんだかもしれないが、 父母は大恐慌の後の軍靴の足音が子供の頃からずっと続いていて、欲しがりません勝つまではが、成人の頃まで続いて、小学校中学校では優秀でも、戦争末期には学校の授業を落ち着いて受けられることは少なかったのではないだろうか?机上の空論でない経験はあっても。
母方の祖父の法事があって、八人姉弟の家族が皆揃って温泉に泊まったことがあった。 祖父の菩提寺は曹洞宗だった。だから、私の母は、写経といえば般若心経しか思い浮かばなかった。 父方の祖父は四国の出身なので、真言曼荼羅の世界だろうか? しかしながら、私の娘の父親の家系は、曹洞宗とも真言宗とも遠いところにあった。
一口に仏教といっても、いろいろな道が違いすぎる。 私はお釈迦さまが早くにお母様を亡くされたことはお気の毒に思うが、実はお釈迦さまがあまり好きではないのだ。だから、イエス様のお言葉の方がよく入ってくる時期も多かった。
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