�蠧�記
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歩行安定性というのがとても低くなると、一心に祈ることは多くなる。 下りの階段を降りるとき、つい祈ってしまうのだ。どうか足を踏み外しませんようにと。
私が祈るのはどこの神様?と親戚のお姉さまに聞かれたことがあって、うちの神様、とつい答えてしまったのだが、私の神についてのイメージというものは、例えば、全知全能という言葉に出会った、故に、例え私が不完全な者でも、神が全てお見通しで何でもできる存在ならば、神は私を助けて、私は階段を踏み間違えずに済むに違いないと信ずる、浅ましいといえば浅ましい信心なのだ。 とにかく踏み外したくない一心なのだ。み仏は尊いが、来世のお話は清すぎる。願いは今生の話なのだ。 階段の上り下りの練習をさせていなかった飼犬が、2階の階段から転がり落ちてしまったことがあった。あれは全くもって私の心胆を寒からしめた、悲惨な体験だった。 その犬が亡くなった後、私はその犬を大明神に格上げして祈った。自分が転がり落ちたくない一心からだった。 そんな私であるから、全くもって他宗の信仰を貶めることはできないが、しかし私は釈尊のお弟子さんたちを心ならずも裏切ってしまうことになったので、キリスト教信仰によって救われるわけにはいかないと思っている。豚肉を食するし回教の教えに従って暮らすこともできない。 しかし、うちの神様に祈るのだ。足を踏み外さないように、それは道を踏み外しませんようにという願いでもある。
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