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■■■ ぼくと契約してよ!
魔法少女まどか☆マギカを一気観いたした。
感動した!
ちまたで絶望少女とか血だまりスケッチ、ハートフルボッコアニメとか言われてるの知ってたので覚悟して視聴。
QBめが…
希望の種を持って、絶望を知って「倒すべき魔女」になるのなら自分なりかねんとはおもうが、条件である思春期のオナゴでもないしな。 それに絶対に絶望の先の終わりは見ない。 何がなんでもだ。 先に逝った友人に誓った。
でも覚悟しなければいけないほど、何かを守る、何かを得る、何かの苦しみを除く、何かの笑顔を守る。
その為には自分も魂を捧げそうな気がする。
けれど、相手にとっては奇跡であっても、それを乗り越える苦痛を逃したら、人生としては損でしかないわけだけど。 途方もない苦労を越えるから、人は人生に自信が持てるのだと思う。
本当の絶対の絶望の苦痛の中でも何かしら、生きる意味があり、小さくても幸せがあり、葛藤があり、希望がある。 それを他者が「奇跡だよー☆」で解決されても、その人の今までの過程はどうなるのか。人として成長もくそもねぇ。 生き延びることはそれだけ人生やり直せるものではあるけど、現実はそうもいかない。
ミクシでもどうしようもない絶望の人ほど笑う。 泣き飽きたそうだ。 恨み飽きたそうだ。 なら、もう誰に可哀そうともいわれないように笑うのだという。 いや、笑う門には福がくると。
奇跡が叶うという魔法少女になれるのなら、そういう人を助けるべきなのか。 自分の道を見つけた人を助けても迷惑にしかならないんじゃないか。 ぼんやりとそう思った。 魔法少女になっても奇跡を叶える目的回数は1回のようだし、悪夢しか続かないわけですが。
哲学的に考えさせられる。
自分もほむらに近いからなのかもしれないけれど。
久々に脳みそに良いアニメでした。 「モノノ怪」 「バッカーノ」 「デュラララ」 「ブラックラグーン」 あたりに続く畏怖(みんな血みどろやん)
2011年06月12日(日)
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