日記

 

 

- 2003年07月16日(水)
現代国語に於ける得失点と感受性の反比例


 先日柳螺先輩とのデートで私がいかにAB型かを語った時の話題から。

 「現国のテストに出題される文章と問題って気に食わなかったんスよ〜
  私は凄い深読みして答え書いてやってんのに、解答は誰もが思いつく
 様な単純な答えですげぇムカついて〜
  現国の点が悪い時は私が悪いんじゃなくて、絶対そいつ(作者)の
 感性が無いのがいけないんだと思うんですよね。
  腐っても小説家なんだからもっと捻れよって思うんですよー。
  評論文の問題はもっと嫌いだったんですけど、あの考え方って
 ダサ過ぎじゃないっすか?」

 世の中には私と意見が一致する作者や評論家が少なすぎると思う。
 テストで「お!今回良い出来じゃねぇ?♪」って思った時ほど点が悪く、
「今回ぜってぇヤベェよ・・・υ」と思った時ほど現国は点が高かったです。
 先輩に言わせりゃ、「長い小説のあんな短い一部分から色々考えたって
意味が無い。テキトーに書いときゃ良いんだって。」
 それはそうなんだけどねー・・・
 やっぱどんな形であれ、同じ話を創ってる人間として許せねぇっていうか。
 点が悪いのは決して私の所為ではない。
 悪いけど私、自分の感性気に入ってるから解答曲げるの嫌だし。
 むしろサービス得点プラスして戴きたかったくらいだ。

 懐かしき高校時代の成績表。
 現国のテストの点は悪かったけど現国の内申は良かったんですよ。












My追加

 

 

 

 

INDEX
past  will

 Home