2002年04月19日(金) |
なんて見にくい文章だ。 |
ロボットに心は持てるかという問題を扱う講義を取っています。 それは、ロボットのデバイス次第ではないかと考えるとき、分子レベルの人間のコピーを作った場合に、心を持てるか否かという問題に還元できるのです。僕はこの場合には持てると思っていたんですが、(人間の)心は記憶に左右されるものではないかと思いました。つまり、突発的に、人間となんら遜色のない機構を備えたロボットを「はいできた。」といって提示してもそのロボットは思ったりするのでしょうか? 心が記憶・経験に左右されるということは、人間が誕生して生きてきた時までの、「時の連続性」のなかではぐくまれた「何か」が必要不可欠だといいたいのです。それさえ獲得できればいいわけなので、ロボットを教育し、感情・思考・行動などを順次教えていくことができれば、心を持つことも可能なのではないでしょうか?この、「順次教えていくもの」をあらかじめ情報としてロボットに備え付けただけでは意味がないと思います。なぜなら、情報をつんだロボットはたとえ笑っても、それはプログラムの一部を表に出しているに過ぎないからです。ただ、基本的な喜怒哀楽をインプットし、外界からの刺激によって感情・思考・行動を変化させることができるとなると、これはもう心を持ったと言っても良いでしょう。たとえるなら、以前までは犬に近づいても平気だったのに、一度かまれてしまって、怖がるようになるということです。 ですが、決して心は喜怒哀楽(感情)だけのものではありません。欲や卑下、凶暴さや優しさ、も司っているはずです。さらに深めると、「自分とは何か?」と問い始めたときには決定的に心というものを持った証拠ではありませんか。そういうと、哲学とは心を持つ者(特に人間)にしかできない学問ですね。 ここまでえんえんと書いてきたわけですが、僕が今現在で言いたいことはわからないってことなんですよ。だいいち、書いている途中で分けわかんなくなってきたし・・・。もっと講義を重ねてじっくり考えたいと思います。
|