日々想事ひびおもうこと...紫能神巳

 

 

少年法で護るなら - 2012年04月23日(月)

親が出て来て謝るべきじゃないのか?

…と、京都の児童の列に突っ込んだ車の少年達や、バスジャック未遂(?)の少年の事件を鑑みるに、思ってしまう訳です。

大体少年法って何だよ、と、私が学生時代に起きた、あのあまりにも有名で猟奇的だった神戸連続児童殺傷事件の時から思ってました。

当時、私神戸の学生でしたからね。絶対に一人でウロウロしないようにと、教授陣からも言われたものです。


そして、フタをあけたら犯人はガキ。


少年法とやらで護られて、名前も顔も出ず終い。(まあ、土地の人はみんな知ってたけどな)


その危険なガキ、野放しになったのよね?


人を、その意志を持って殺したような人間は、己の死をもって償うべきだ。生きて償うなんて有り得ない。生きてどうやって償うんだ?思い切り惨たらしく死んでこそ、遺族感情も少しは癒されるかもしれん。完全に癒されるには、殺した人を生き返らせる事が出来るなら、それで初めてだけどな!(つまり絶対無理)


…その危険なガキ、また野放しにするの?


また刑務所から出て来て今度は『大人』になって殺人するまで待つのか?


…少年法って要らなくないか?


不思議な国に住んでるなと、こういう事件が起こる度に思います。


親を晒し者にしようって話ではありません。


ただ、『少年法』なんかで犯人を護るなら、一般人にも身を護る手段を寄越せよと思う訳です。

顔も名前も解らない危険な殺人者と気付いたら隣に住んでましたじゃ怖いじゃないか。


鍵の要らない嘗ての隣組意識って、死滅しつつあるのね、と哀しくなるお話です。

隣の人は何する人ぞ。

嫌な言葉だなあ。


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