電車に乗っているときだとか、ちょっと怪しい人に出くわすことはありませんか。 例えば、酩酊状態のサラリーマン。よく深夜の電車でこんなオヤジにからまれている女性がいたりするけど、心底同情する。 例えば、明らかに怪しオーラを発している正体不明の青年。意味のない薄笑みを浮かべて、何かを口走りながら車内を小走りしてる、なんてのがいるよね。車内で『次の停車駅は石神井公園、石神井こーえん〜。各駅停車飯能行きを御利用の方はお乗り換え下さあい』と、やけに流暢に駅員の真似をしているのもいたりする。もちろん、車窓から斜め前方を指さし確認もしてる。 例えば、異常なテンションで子供を叱りつけているおばさん。その声は常軌を逸していて、車内には冷たく乾いた空気が一瞬にして立ちこめる。 いわゆる“ちょっとヘンな人”。
俺はこの“ちょっとヘンな人”にかなりの確率で遭遇する。電車の中、ファミリーレストラン、喫茶店……ありとあらゆる場面で、だ。 『ああ、また“呼んでしまった”』 いつの頃からか、俺はこの“ちょっとヘンな人”に出くわす機会がやけに多いことに気づいた。 “ちょっとヘンな人”に遭遇することを、俺は“呼ぶ”と言っている。どうも俺自身が怪しオーラ系の人々を“呼んでいる”としか思えないほど、その機会は頻繁なのだ。
先週の土曜日。池袋の本社で行われる会社の展示会に俺の客が来ることになっていたので、その案内のために俺は休日出勤をしていた。午前と午後の遅い時間に一組ずつ案内する予定で、ちょうど昼時から2時間ほどぽっかりとあいてしまう。その時間を利用して、俺は一気に読み進めていた、さだまさし『精霊流し』を読もうと思っていた。それほどに本に引き込まれていたと思っていただきたい。 午前の客の案内が終わってお昼過ぎ。本を抱え、俺はサンシャイン通りのドトールに入った。地下の禁煙席のソファ席を陣取り、アイスコーヒーを傍らに俺は頁をめくり始めた。 まわりの席の話し声や笑い声が聞こえなくなるほど、その世界に入り込んでいくのにさして時間はかからなかった。
どすん。 俺の左側にはテーブルとテーブルの間を遮る“ついたて”があって、自分のおしりで風船でも割るのか、というような勢いでその向こう側に一人の中年女性が座った。その振動がこちらに伝わってきて、俺は感動の世界から一気に現実に引き戻されてしまった。 青いワンピースに決して整っているとは言いがたい髪形。眉間のしわ。そして何より強く感じる怪しオーラ。その女性が“ちょっとヘンな人”だということはすぐに分かった。ついたての向こう側でなにやらぶつぶつと不平不満をぶちまけていて、トレーの上のコップを“故意に”床に溢していた。 『ああ、また“呼んでしまった”』 俺は思った。 手元の本は今まさにクライマックスから感動のエピローグへと突入したところ、残り2、3頁という大事な場面だ。 彼女が口走る言葉はやがて“ぶつぶつ”ではなくなり、どちらかというとぎゃーぎゃー怒鳴っている、というような風情になった。まわりの客もいぶかしげに彼女を見遣っていた。 俺は感動の世界に舞い戻ろうと本に眼を落とすが、同じ行を繰り返し眺めているだけで、ちっとも身が入らない。ついたてのすぐ隣では中年女性が叫び声をあげている。俺、泣きそう。 ほどなくして女性店員が現れ「遅くなりまして申し訳ございません」と澄んだ声で言いながら中年女性のテーブルにクロワッサンを置いた。 どうやらこの“ちょっとヘンな中年女性”は、自分が注文したクロワッサンが出てくるのに時間がかかり過ぎていることをかなり御立腹のようだ。女性店員は引きつった表情で何度も詫びているが、中年女性は「出すのが遅せえんだよ」「こっちは金払ってんだ」「金返せ、ばか」 ――異常なほどの金切り声で何度も繰り返していた。
俺は『精霊流し』の感動のラストシーンを、この中年女性にブチ壊しにされた。怒りがわき起こった。 「金返せ、ばか」 本気でそう言いたい気分だった。
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