| 2002年06月24日(月) |
理恵ちゃんってどんなだろう?見てみたいなー(と思わせるくらいの小説) |
表題の通り、僕はある小説のを読んでそう思った―「理恵ちゃん」
(※ここからは2002年8月25日に書き記しています)
今何かと話題の小説家、宮部みゆきの小説「今夜は眠れない」は、主人公が少年で、彼の目線で物語りは語られていきます。
そんな彼は、物語の中で、<理恵ちゃん>と呼ばれる主人公よりも年下の子と出会います。 彼がその子と出会う事は、ストーリーの中ではそんなに重要な役割を果たしていませんが、それでも僕は彼がその<理恵>ちゃんと呼ばれる子と話をしているシーンを読んでいて、なぜか胸に迫ってくるものがありました。 別に胸が迫ってくるってことではないですよ。(そりゃそうだ。でも言いたかったので・・・ゴメンナサイ)
要は、小説って、細かいエピソードも噛み締めるように自分の中へ取り込めるからいいなーと思いました。
それにそういう名前の女の子が実際僕が小学生のときに―確か小6のときかな?―隣の席にすわっていたなーとか、その子はよくミニスカートをはいてたなーとか、そんな事も思い出して・・・なんだか色んなことが今頭の中で絡まっています。
現実と空想の世界と思い出が溶け合って、何だか今夜も眠れない気分です。
―終わり―
過去に生きたっていいじゃない! ・・・でおなじみの(?)ダーZです。
最近、映画「模倣犯」の関連本(1800円ほど)を買いました。 もちろん映画館へ「模倣犯」、見に行きました。 パンフレットも買いました。 因みに映画館で見た映画のパンフは全部買う主義です。 そう言えばここんとこ、「模倣犯」の監督の作品を立て続けに見ました。 「おいしい結婚」「家族ゲーム」「黒い家」「39」、深夜にやっていたのを録画して見たり、レンタルをしたりして見ました。 あぁ、体の中で<森田>が繁殖しているぅ〜・・・ 森田、森田、森田の脳細胞が・・・ 繁殖しながらも体の中へと溶け込んでいくのである。 人の体に繁殖したり溶け込んだり・・・ 勝手だな、やつぁ。 別に悪い気はしないけど・・・というよりむしろ興味深かったし!
ところでさ、今の季節、蚊が多くなってきましたね。 僕んちではまぁスタンダードな方法だけど、液体の奴ね、冬の時期東北地方とかで作ってそうなかまくらってあるじゃないですか。あれみたいな形の中に液体の入ってる奴ね、コンセントに刺して使ってるわけですけどね・・・ ベープマットの方が効きそうじゃないですか? あの板みたいなやつ、最中ほどの大きさの機械に乗せてね、金属の部分にね、それを直接コンセントに刺すようなやつ。 あっちの方が効きそうじゃないですか? 僕、何を言ってるか分かりますか?
―白玉ぜんざいあったら食べよう♪―
恥かしながらのついしん 映画制作に大切な事は、仕上げ切ること見た感じがどうなるかをヤキモキする事・・・か? 万が一制作しきれなくなった場合、特に資金面でどうにも完成の見込みが付かなくなった時、その場合は・・・屋台にでも行けばいい。何かしらの屋台にでもいけばいい・・・のか?
恥かしながらのついしん2 ジンセイハ クエスチョンマークニテ オワル ???????????・・・ヘンナカタチ!
| 2002年06月15日(土) |
ジョークで「しばくぞ!」(今エピ付き) |
「ヨコガオ」 レンタルビデオ屋の二階の、レジの所に並んでいた。 僕の前に、20代か30代か分からないが、女の人が並んでいた。 髪は後ろで結んでいた。 前髪は垂れていたかどうか、今となっては忘れてしまった。 その人は何やらごそごそと、顔を俯かせながら手元を動かしていた。 その仕種は、まるで何かの手入れをしているような感じだった。 何を手入れしているのだろうか? よく見たら、手が荒れていた。 洗い物のし過ぎなのだろうか? その人がレジを済ませ、一階の本屋に向かったのか、もう帰ろうとしたのか階段の方へ向かっていった。 その時、僕は自分が借りるものをカウンターに置きながら、彼女の横顔をちらっと見た。 そんな手の荒れなんて似合わないような、それでいてタフな感じがして、また計算をして相手を引き立たせてくれるような感じもした。 きっと彼女は繊細でいて、大胆な行動をする人だ。 と思った所でどうなる訳でもないけれど、所謂隣の人の顔色を見て自分の態度を変えたり、同じ表情を取り繕う人ではないなと思ったから、いいなと思った。 うーん、自分でも言っている事の意味がわかんなくなってきてしまった(笑) だから、たまたまその時、近くに居た人の事を思ったりするけれど、その人にとって見れば「いい迷惑だ!!」って事なんだろうなぁ・・・。
「いい迷惑って何?」 それにしても「いい迷惑」って何だ? この言葉の言い回しって、面白いものがあるんじゃない? この場合の「いい」とは、どういう事? 皮肉の意なのか? 逆に「悪い迷惑」ってのはもっと変だ。 素直に考えれば当たり前の事を言っている気にもなるし、迷惑なんだか迷惑じゃないんだか分からなくなってくる。 「迷惑」として「悪い=良くない」なら、それは「迷惑」になってない。ということはそれは「迷惑」ではない? 本当に訳が分からない。 「悪い」=否定の意とは言い切れないからなぁ。 やっぱり、「悪い迷惑」という言葉は、成り立たないような気がする。
そう考えると、「いい迷惑」でいいという気にもなる。 この言葉が皮肉を含んだものであると考えるとすっきりするしね。 でも、迷惑な事にいいも何もないと思う。 どのくらい迷惑なのか?どういう風に迷惑なのか?を言うなら言葉としてしっくりくる。 例えば「大変迷惑だ」とか「犬がうるさくて迷惑だ」とか、そういう風なら納得がいく。 「いい迷惑」っていう言葉は、「いい犯罪」っていうのと似ている。 一般的に、「いい犯罪だ」という言い回しはされないが、とにかく似てるって事である。 犯罪にいいも悪いもないだろう。 「質の悪い犯罪」はあっても、「質のいい犯罪」ってのはないという事だ。 ルパン三世に魅力はあっても、犯罪はいいもんではないしね。 犯罪自体は悪いしね。
なら、「いい」=「うまい」、「上手」と捉えるならどうか? あ、これかもしれない! このニュアンスで言うならしっくりくる。 「上手な犯罪」=「知能犯」? まあそんな所だろう。 なら、「上手な迷惑」「うまい迷惑」ってのはどうだろう? やっぱりすっきりしないけれど、皮肉として捉えるなら面白い言葉である。
よって、うまい迷惑をかける人、正確に言うなら「うまいこと迷惑をかける人だぇ」という皮肉を言われないようにしよう。っていう所かな? それにしても本当にうまい事、作戦を立てて故意敵に相手に迷惑をかける人に対しては、「いい迷惑だ」と言っても皮肉にもなんにもなんない。 ただ本当の事をいっているだけだもん。迷惑をかけられた人は知る由もないか、もしくは薄々気付いているかもしれいが・・・(笑)
「よーく考えてみると・・・」 よーく考えてみると、SMAPの中居の事を「なかいー」と呼び捨てし、しまいにゃ「しばくぞ!」なんて言うのは・・・いや、い・え・るのは、ナイナイの二人くらいだろう。 (某番組で、中居は、自分の事をアイドルである事を、スターである事を強調するような発言をし、それに対して岡村が半ばジョークで「しばくぞ!」と言ったのだ。) それって、凄い事だと思う。 岡村とかは、なんだか分からない雑誌で、嫌いな芸能人としてランキングされていたが、その事で大衆がナイナイや岡村個人にキャーキャー言わなくなったと言う事は、むしろチャンスなのである。 ナイナイは、ここからが面白いのである。 今までのナイナイは、序章に過ぎない。 それだけは確実に言える。 舞台芸人だけが面白いわけではないのだ。 中居くんの事は僕も好きだ。 あんなに瞬発的にユーモアを効かせられる芸能人なんてそうはいない。 しかし、国民的誰もが認めるスターのアイドルに呼び捨てをし、暴言をさらりと当たり前のように言えるナイナイのポジションは、中居とナイナイが同世代である事も手伝って相当貴重なのである。 ナイナイと中居の関係は、これからも見逃せない。
―END―
おまけ「今までのエピソード」 エピソード�帰�僕は外出先に忘れ物をしてくる事が多い。
エピソード�侠�ノラ猫が、溝にはまっていて可愛かった。
【No.1361】/投稿者:ミケラン次郎/投稿日:6月9日(日) 「モホウハンミマシタ・・・タ?」 模倣犯を見た。結論から言うと、期待通りとも期待外れとも言えない、曖昧な気持ちになった。ストーリーが原作のダイジェスト版の様な感じがして、登場人物一人一人の描写が薄くなっていたような気がした。 しかし、監督は雑誌などで「原作の読後感を表したかった」というような事をおっしゃっていたので、ストーリーの中で、個々の登場人物がどんな動機でこんな行動をした、とか、そういうわけでこんな事件が起った、という説明をあえて省いたのかな?と思った。 日ごろ僕らは、ニュースを見ていて「へーこんな事件起ったんだ、かわいそうだな被害者の人達・・・」などとどこかしら人事のように思う。そしてそんなニュースがメディアを介して唐突と言ってもいいくらい一方的に入ってくる。そういう普段の生活で感じるようなものを映画でも感じさせようとしたのでは?という気がした。監督は、それを狙ったのでは?と思う。それを表すいい例が、劇中のCFだ。事件のニュースの後に入るその呑気な映像は、僕らの気持ちをかき乱すような効果がある。現実に起る唐突感を映画でも表現し、そういうった、<心をかき乱すような効果をもたらすもの>が、この映画の全体に散らばり、広がっていると思うと、少しこの映画の見方が分かってくるような気がする。 そしてこんなことも思う。「この映画には、宇宙がビッグバンする以前の状態に似ている。」と。それ以前の宇宙には、<時間>という流れが存在していなかったと言われている。勿論、時間の流れというのもこの物語には重要な要素であると思う。原作では、被害者心理が、時の流れによってそれが色褪せたりしてしまう様子だって、リアルに伝えてくれるからである。しかし、森田’s「模倣犯」には、普遍的な人間の業が一枚の絵にベチャっと塗りたくられているような感触があった。そう、一枚の絵の中には時の流れが描かれていて、それでいて作品と言う名の一枚の絵自体には、時間の流れなど存在していないような、不思議な感触をしているなと思った。 (一部訂正済み)
この文章は、ヤフーの映画「模倣犯」の公式サイトのBBSに、僕が載せたものの コピーである。 自分で改めて読んでみても、かなり曖昧な事を長々と書いていたなあ、と思う。 しかし、言いたい事はこういうことだ。 森田監督の描いた「模倣犯」は、ある一つの物語ではないような気がする、という事だ。 かなり良い様に解釈すると、これはもはや映画の今までの次元を突き破っているものなのかもしれない。 映画が監督の最終決定によって成立するものであると仮定するならば、この映画は森田監督の構想を表現したものであると言える。(おまけに監督は脚本も書いている。) そして、監督の作り上げたこの作品に対して、凄まじいほどの賛否両論が繰り広げられている。 もちろん、僕も、批判している人達の言っている事はほとんど正しいと思う。 しかし、一方で賞賛している人達の意見も分かる。 というか、僕はどちらかというと、賞賛側の人間だ。 それでも、この作品は、10店満点でいうところの8点だ。 完璧に次世代の新しい映画を創りきった!とは言い切れないのだ。 よくやった!森田監督・・・とは言えないのである。 やっぱり、少し原作に引っ張られてたな、という印象はぬぐえない。 もっと、スマートにするべきだったと個人的には思う。 それでも、十分に面白い作品には仕上がっていたと思う。
また掲示板などでは、映画版について、「被害者の気持ちを汲んでいない」「馬鹿にしている」などのような意見も飛び交っているが、そういった意見は、この映画を見ての意見とは別の次元のものだと思う。 確かに、作品としての影響力の事を考えると責任を持って描かなくてはいけないが、この作品のどこに、被害者を馬鹿にしたような描写があるというのか? 確かに原作と比較すると、被害者側の気持ちを表した描写は少ない。 しかし、あえて被害者の遺族が悲しみに暮れるシーンを省く事により、それを客に頭のどこかで想像させる事も出来る。 映画では、全てを描く事よりも、見せない事によって効果を上げる事が出来る場合があるのである。監督はそれを実践させようとしたんではないか? そしてもう一つ、被害者側の気持ちを汲んだシーンが少ない理由があるように思える。実際のマスメディアによる事件の報道も、そうだからである。だから、この映画を見て、後味が悪いなあと思う事は、僕に言わせればそれで正解なような気がする。なんで気持ち悪さを感じたのか?それを考える事が重要なのかもしれない。 だから、「被害者の気持ちを・・・」という類の批判をするのはこの映画にはあまり関係の無い、お門違いのものであって、何もその点について不満をぶつけなくてもいいではないのか?と思う。 もっと違う部分を批判するならして欲しい。 話が分かりづらいとか、そういう事ならどんどん言えばいいと思う。
また、この映画は、酷な言い方をするなら、落とし前のついていない映画なのだと思う。あらゆる点で、決着していないのである。そして、決着するはずなんてないのである。そういう点も含めて、この映画の中に流れているものはリアルなのではないか?と思う。 被害者の気持ちを考える為の映画であってもいいし、どうしてこういう犯人像が現代に浮かび上がってきたのか?という事を考えるきっかけになる映画であってもいいのである。 しかし、決め付けてはいけないのだと思う。 「僕はこう思いました。」という意見は良くても、「この映画は駄目だ。」というような意見はして欲しくないな、という風に僕自身は思う。 そうは言っても、やっぱり一つの映画について意見するという事は難しい。 僕が不快感を持つ意見にだって、真実はあるかもしれない。 それに対して僕が、「こんな意見はよくない」というのは簡単だ。しかし、それで済まさない様にはするつもりである。 どうしてこんな意見が出てきたのか?それに同調できる部分はあるか?という事を考えて、それらをも自分の考え中に取り込んでいかなくてはいけない。 それでも、嫌なものには「嫌だ」と思う事は大切だと思う。 感情は、自然に生まれてくるものである。 そういう生き物である感情を、自分の中で成立している論理的思考の中に当てはめる事は、大切なのだと思う。 そうやって、感情も思考も、鍛えられていくのだろう。
(コノサキ ネタバレヒッシ チュウイセヨ↓) 話がそれたが、最後に一つ・・・ 映画「模倣犯」のエンディングの事である。 あの有馬に対するピースからの頼みは、一見ピースの人間らしい一面を垣間見せたように思える。 が、こうも捉えられるのでは・・・ もしピースがこういう事を思っていたらどうだろう? 「おじいちゃん、おじちゃんのかわいいかわいい孫娘は、とんでもない人間の子供を産んでしまったんだよ。どうだい、最後まで泣かせてくれる話だろ?僕って奴は、最後の最後まで計画的に真の悪の存在となり得ただろう?こんな僕をおじいちゃん、誉めてくれよ。少し位誉めてくれたっていいじゃないか。そうだろ?こんな事は僕の様なレベルの人間でしか行えない、素晴らしい行いなんだよ。この素晴らしさ、おじいちゃんにはちょっと分からないかな?残念だなあ。ま、せいぜいその子を可愛がってくれよ・・・」 もしこんな事を考えていたとするなら、ピースという人間は、徹底的に救えない奴だと思う。 一見最後の最後に改心したかの様に見せかけて、日本で史上最悪の犯罪を犯した男の子供を引き取らせたこのピースの企みは、ひょっとすると、とんでもない悪意のこもったメッセージなのかもしれない。
―終―
【ついしんの気持ち】 ある程度裕福な国で生まれる犯罪ほど立ちの悪いものはない。 真実よりも、現実を見渡して歩いていく事の方が大切なのかもしれない。 人間は、果たして罪を償えるのか? ピースのしたことに、真実なんてあるのだろうか? 彼の歩いた道の後には、現実がありありと残っているだけ・・・ 彼のした事なんて、誰も受け止まられはしないだろう。
ついに「模倣犯」を読み終えた。 一体僕はいつからこの小説を読み始めたのだろうか?と思うくらい遠い昔に読みはじめたような気がする。 僕は小説の類を読むのが苦手な方で、少しづつ日にちをかけて読むタイプの人だ。 それに加え、僕は今読み終えたばかりのその本を購入しているわけでなく、上下巻あるそれのうち、上巻はずっと本屋で立ち読みを続けていた。 そういう事もあり、読み終えるのには3週間と少しもかかってしまった。 下巻も始まりの方はそれを続けていたが、友達が読み終えたというので借り、途中からは家でも読むようになり、ペースは次第に上がっていった。 そして今日に至った。 本当に先の気になる御話だった。 もうすぐ映画の方も公開という事で、観に行くのを楽しみにしている僕は「間にあ った。」という気持ちにもなった。 最近は、ここ一ヶ月くらいの間は「模倣犯」につきっきりな状態だった。 今度は映画が楽しみだ。
―「模倣犯」終―
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