冬は好きだが、冬の寒さは嫌いだ。 反対に夏はそのアクティブさを見習いたい。 ちなみに夏の暑さは嫌いだ。 秋は最近嫌いになった。 ただ肌寒いだけじゃねーかよ! 春はぼんやりとしてしまう季節だ。 だからパッとしない。 だから嫌いだ。
最近森博嗣という人の小説(フィクション)を五冊連続で読んだ。 その五冊はシリーズで、S&Mシリーズと呼ばれている。 そのシリーズは全部で十冊あるらしい。 なぜS&Mかというと、主要人物が犀川創平と西之園萌絵という名前だからだ。 はじめ、僕はこれを「寂しがり屋とマダム」の略だと思っていた。 この小説の感想や解説を今ここに記す気にはなれない。 面倒くさい。 ただ例えば「冷たい密室と博士たち」の中でこんな文章が出てくる。 こう言い切れる主人公の発想が好きな事は確かだ。
面白ければ良いんだ。 面白ければ、無駄遣いではない。 子供の砂遊びと同じだよ。 面白くなかったら誰が研究なんてするもんか。
これは国立N大の助教授という設定の犀川の言葉である。
後に、今まで読んだ森博嗣(名古屋大学工学部助教授)の小説のタイトルを意味も無く載せておく。
「すべてがFになる The Perfect Insider」 「冷たい密室と博士たち Doctors in Isolated Room」 「笑わない数学者 Mathematical Goodbye」 「詩的私的ジャック Jack the Poetical Private」 「封印再度 Who Inside」 (文庫は全て講談社より出版)
最後にもう一つ。 「すべてが・・・」の表表紙にタイトルや著者名と一緒に載っている言葉を。
「先生・・・・・・・、現実ってなんでしょう?」 萌絵は小さな顔を少しだけ傾けて言った。 「現実とは何か、と考える瞬間にだけ、人間の思考に現れる幻想だ」 犀川はすぐ答えた。 「普段はそんなものは存在しない」
―END―
| 2002年11月22日(金) |
口実の恋人との手繋ぎ |
�―ゞ気繁� 人は何か自分の中に基準を設けないと、神経に負担がかかるような仕組みに進化した生き物である。 人は善を持ってして対極を悪と成す。 その逆もまた然り。
人は生きていくために宗教というものを形づくった。 そこには集団の意志の強さと脆さが織り成す世界が広がった。 人は自分という個の存在の中に渦巻く思考に疲れ、集団の中にそれを解き放った。 個が、それでいいと思えばそれが正解でしかない、その人にとって。
人は他人のパーソナリティに土足で上がり込む事ができない。 それは、個が生き、思考する限りにおいて絶対であるといえる。 例えばAがBに嫌がらせを受けたとする。 その場合、彼がBに抵抗しようが我慢しようが、その行動と思考は絶対にAそのもののものである。 Aの中にBの存在はない。 Aの意志や行動にBのそれはない。 Bの嫌がらせにおけるAへのそれは、Bの自己表現でしかない。 BのそれはAのものではない。 一見BはAに自分の考えを植え付けようとしている。 いわば思考の押し売りである。 Aが万が一、Bの嫌がらせの中にBのメッセージを感じ取り、彼の思考を共有することをしたとしても、それはBのものがAのものになるのでない。 パーソナリティは常に己の中に生まれるのである。 この自然の法則が、絶対の法則が人をいわば惑わせる。
自分の中に渦巻くパーソナリティを意識し、それを集団という形の中に解き放ちたい、そして楽になりたいと思う人は、形としての宗教に身を投じるのであろう。 その人達に顕著なのは、元々パーソナリティが自分の中にしか無いと思い込む人に多いと思う。 そして意図的な集団の中に己のパーソナリティを見るようになるのである。 自分の中にしか自分を感じない人は、自分という存在が窮屈に思え、意図的な集団の中に宗教の幻想を見るのであろう。
かく言う僕は、自分の中に宗教という幻想を見ているタイプの人間だ。 故に孤独だが、一般に思われるようなイメージの孤独とは違う。 孤独な人間ほど自らのパーソナリティを外界に見る人間はいない。 それは自然な事である。 つまり一見形として孤独な人間は、孤独でないのである。 ただし精神的に孤独なのがいいとも悪いともいえない。 それは個人の判断においての基準に基づいて決定されることである。
��悩みの連続性 ひとは悩むという。 悩みとは一種のガソリンである。 結局、ガソリンの存在に意味はないと思う。 つまり存在理由はないということ。 それを考え出してしまうと、人は神経にくる仕組みになっているらしい。 それに理由はない。 それを考え出すと、人は神経にくる。 それに理由はない。 それを考え出すと・・・
―END―
| 2002年11月21日(木) |
パーソナリティーの喪失 |
明治時代のある年。 大手書籍店の丸善の創業者、早矢仕さんは思う。 「ごはんとおかずが一皿で済む手軽でおいしい料理はないものか?」 店内では忙しく働く奉公人達の姿があった。
そこで考えられたのがハヤシライスだという。 悩みはアイディアを生むのだろう。 そう、人はいつもパーソナリティーを求めて日夜工夫をするのである。 自分とはなんだろう?
丸善の奉公人達にとって、忙しく働く中で食べるハヤシライスはひとつの習慣となり、それはやがてパーソナリティーとなっただろう。
芸人で言えばタモリ。 彼なんかは今ではサングラスがトレードマークとなっている。 もうサングラスなしの彼なんて想像も出来ないし、本人にとっても同じ事だろう。
他に例えるなら、コンビだってそうだ。 爆笑問題の太田、田中。 彼らはもはや相方からは逃れられない。 個のパーソナリティーのために相方がいるのだとも言える。
パーソナリティーとは簡単に言えば自分にとって、気が付けばそこにあったもので あろう。 そしていつのまにか自分のものになっていたものの総称であろう。 だから人は愛用のものをなくしたり、誰か知っている人が死ぬと悲しむのだろう。 僕は小さい頃、おそらく気に入っていただろう帽子を列車の中で無くし、当分の間それを思い出しては夜中、一人で布団の中で泣いていた。
―おすぎ、はしゃぎすぎ、グッド―
| 2002年11月20日(水) |
音源の源(みなもと) |
部屋で映画「模倣犯」のオープニング曲をCDで聞いていた。 まあ何の曲かどうかは関係ない。 隣の部屋で祖母が変な歌を歌っていたので、CDのボリュームをあげた。 でも漏れてきた。 妙に意識してしまうのか、祖母の音痴な曲が気になってしまう。 おかげで集中できないというか、「模倣犯」のそれに聞き惚れる事ができない。 困ったものだ。 しかし、気が付いた事がある。 逆に祖母のお上手な歌声を聴こうと意識すればいいのでは?と思った。 実際やってみると、効果が上がったような気がした。
―上戸彩の顔って小さいな―
| 2002年11月18日(月) |
台詞者アニバーサリー |
僕は生まれた時、「不束者ですが」と泣きながら生まれた。 普通の子供は、一般にいう「オギャー」という擬音語を発しながら生まれてくるらしいが、僕は特殊な子であったのだという。 なんと礼儀正しい赤ん坊だろうか? それ以来、僕は生まれたての頃の僕を尊敬しているが、年々尊敬に値する人間からは遠ざかっていく。 ちなみにタイトルの台詞者というのは、僕が時代劇の台詞のような言葉を発しながら生まれたということで、それ以来の、つまり生まれてこのかたのあだ名がそれになったのである。 つまり、今日は僕の誕生日なのだけど・・・↓
↓ 今日に限って書きたい事はない。 語りたい事はない。 ただ、最近は「笑う犬の情熱」をよく見ているなーと思う事ぐらいだ。 生活、冒険、発見、情熱。 次は何だろう?
○笑う犬の最近 なんだか生活と同じニュアンスが漂う。 ○笑う犬の発進 今までしてなかったのか!! ○笑う犬の前進 それなら解る。 ○笑う犬の全身 興味ない。 ○笑う犬の眼鏡 私物に興味ない。 ○笑う犬の天使 天使は悪魔がいないと成り立たない。 ○笑う犬の強烈 強烈でないコントも見たい。 ○笑う犬の未来 未来は今築くもの。 ○笑う犬のビル ビル事業始めたのか。それ、サイドビジネス? ○笑う犬の前後 興味ないよ。 ○笑う犬の衝動 衝動買いみたいに衝動的につくったコントを厳選!? ○笑う犬の息子 二世か・・・なかなか厳しいよ。 ○笑う犬の墓地 そういう人いるよね、自分のお墓つくっておく人。 ○笑う犬の時間 いかにもテレビ番組っぽくていいね。 ○笑う犬の点滴 視聴者を病人扱いするな!! ○笑う犬の開店 これも番組っぽい。 ○笑う犬の回転 随分アグレッシブなコントが揃いそう。 ○笑う犬の下町 あれ、ネプチューンの変わりに・・・。 ○笑う犬の感じ メンバーが多すぎる。 ○笑う犬の前世 つまり、ごっつの事。 ○笑う犬の人気 こんなタイトルだと見る気がしなくなりそう。 ○笑う犬の台本 放送作家の苦闘と成果を取り上げたドキュメンタリー。 ○笑う犬の猛暑 「暑くてやる気が起きないよー」とウッチャンが言うので収録が進まない。そのくせ彼は自分は全コントに出ないと気が済まないらしく、仕方が無いので皆は内村のやる気待ちをしている状態。
―END―
「枕の工夫」 うちの母は僕のベッドで昼寝をする。 彼女は枕を使わない。 僕は朝ベッドを片づける時、枕は壁側でない方へ寄せておく。 解説するとベッドの西側には壁がある。 つまり西側は、ベッドに寝た時に自分の体の左側がくる。 母が昼寝をする時、つまりこのベッドで寝る時は壁側のそって寝る。 よって枕は壁側でない方に寄せてあった方がいい。 だから枕を移動させておくのだ。
僕の枕は横に長い長方形型のものだ。 スタンダードなものだといえる。 それを壁側でない方へやると、反対側には三分の一ほどの平らなスペースができる。 少し狭い。 つまり枕がその状態ならば、母はその三分の一のところへ寝る事になる。 しかし、枕を縦に、つまり辺の長い部分をベッドに沿うように寄せれば、スペースは二分の一ほど空く。 もしくは枕をとっぱらえば母にとってみれば都合がいい。
僕はなぜ枕を工夫もなく寄せているのだろう? 決して先ほど記したスペースを多く空けることをしない。 少し優しいが、かなり意地が悪いのだろうか?
「コーヒーの素」 インスタントコーヒーどころか、初めから一杯分のインスタントと粉ミルクと砂糖とかき混ぜ棒と紙コップがセットになっている商品がある。 昨日は2コセットのものを買った。 かき混ぜ棒が熱に弱いのはさておき、結局便利だが割高なのはさておき・・・ そう、さらに僕にとってはコーヒーとミルクと砂糖が別々になっているのが煩わしいと思っているのもさておき・・・ 今度こそそう、何が言いたいかというと、その三つのコーヒーの素を入れて、お湯を入れずに紙コップを円を描くように横に振ってみたのである。 すると、軽いのかインスタントのあの茶色のつぶつぶのやつが上の方に浮かんできた。 さらに振っていると、若干その茶色のつぶつぶと砂糖が混ざって・・・いや茶色のものの周りに細かく砂糖が付着し出した。 ミルクはよくわからない。 でも、フライパン返しの要領で大胆に縦に振ってみると、砂糖もしくはミルクのそれぞれが顔を出した。 つまり茶色のつぶつぶにからみ切れていないものが沢山底に貯まっていたのである。 さらに混ぜたらもっと混ざるかと思って一心不乱に混ぜていたら、何とそれは紙コップの内部の範疇を越え、宙見に舞っっていった。 つまり、こぼした。
「239」 コンビニで税込み239円のものを購入した。 僕は500円玉と10円を出した。 間違えた。
―END―
| 2002年11月11日(月) |
カレンダーの大安とか友引とか仏滅・・・。 |
タイトルにもある通り、それらの表示がカレンダーに記されているのが嫌だ。 見たくない。 気分が悪い。 自分のやる気の無さを実感して悲しくなる。 邪魔だ。 何なんだ? 何の主張か? 何様だ!! だから何なんだ? どうしろと言うのだ!? 誰が決めたのか? 仏滅には何が起きるのか? 全国民にどうしろというのか? 何かのアドバイスなのか? 確かに結婚式をあげるなら気になるのでその日は避けたい。 ただ、日常には関係を持たせたくない。 僕は表示があるおかげでキッチンのカレンダーは遠くからしか見ない。
と前置きはこの辺にしてと。
「鼻の穴」 なんで開きっぱなしなのか? 開放感抜群か!! なぜ閉じないのか? 他の穴という穴は目に見える範囲では閉じるのに。 鼻の穴だけ何扱いなのか?
「Aの前後」 A以前には必要はなく、A以後には必用なものとは? またAとは何か? ただしB君はクッキーを帰宅以前に購入しているものとする。
答え:『おみやげの』;A=おばあちゃんを帰宅直後に怒らせた事。
―タモリにはタァモリ、タモさァんなど、ァを効果的に駆使する事もできるから不思議だ―
| 2002年11月10日(日) |
センスありコマーシャル |
とあるアナウンサーに偏りのある・・・いやそういう風に言われているだけで僕はそうは思わないのだけれど、とにかくそういう局の情報番組で、世界のCMを特集をしていたのにふと目がとまった。
するとどうやら日本のCM(BSでのみの放送作品)が何かの賞を取ったみたいだった。
内容はこんなものだった。
ある小学校の教室で、心に思い描く風景を描いて下さいという課題を担任の先生が出し、子供たちがせっせと何やら描いている。 ある子供はカラフルな恐竜のようなものを思い浮かべていた。 みんなが思い思いのものを描く中、1人(おや?)と思うものを描く子がいた。 先生はその作品を目にする。 それは画用紙いっぱいに広がる闇・・・ その子は隙も見せずに黒いエンピツでそれに塗りたくっていた。 とまどう先生。 後日、その子の両親が学校に呼び出された。
その両親は何やら不安を表情に浮かべている。 一方その子は自室にて、何かに取り付かれたかのように、画用紙の中に闇の世界を導き出していた。 戸惑う親。 それでも書き続ける子。 その子はやがて精神科の病院へ連れて行かれる。
そこでもその子は同じ事を繰り返していた。 医師や看護婦がご機嫌を取ろうとしても、彼は反応しなかった。 何枚もの真っ黒く塗りつぶされた画用紙が、彼の病室のベッドの下に散乱している。 看護婦はそれに目をやる。 ふと、彼女は完全に黒くはなっていない画用紙を見つけた。 近くに落ちていたもう一枚の画用紙と組み合わせると、その二枚の画用紙は絵柄として繋がるように見えた。 彼女は気がついたのだ。
体育館のような広い場所で、それは行われた。 ひたすら彼が黒で描いていた画用紙の一枚一枚が、床に並べられていた。 ただ並べられているのではない。 それらは面と面をきちんと合わせて置かれていた。 まるでパズルのピースを合わせる作業のようだ。 二階の手すりから顔を出し、その子のお母さんが病院の医師や看護婦に指示を与えている。 一枚一枚が織り成すであろうものの全体像を把握するために、またパズルのピースをはめていくために彼女は集中している。 出来た。 体育館の床一面には、大きな鯨が横たわっていた。
・・・ これを見て、なかなかのものだなと思った。 彼、子供にとって、その大きな絵は何を意味しているのだろうか? 何か、大切なものを周りの大人達に気づかせたかったのだろうか? 彼は毎日を画用紙を黒くすることに費やしているようであったが、それをしている時の顔つきは無表情であった。 楽しくはなかったのか? とすると、やはり好き好んであの絵を描いていたのではないのだろうか? このCMは両親や学校の先生がその子をサイコ扱いしたことに対しての警告をしたのであろうか? いや、そんな大袈裟なものではないはずだ。 第一、精神科の病院が悪いイメージのところと思うのが間違いである。
彼は、少年はきっとあの大きなくじらを描きたかったのだろう。 あの絵が描かれた事に、何か意味はあるのだろうか? 彼が描き続ける黒いものを見て、周りの大人達はどう思えば、どう接すれば良かったのだろうか?
―END―
ついしん 外国のCMで、街全体で鬼ごっこをしているものがあった。 シンプルで迫力があって面白かった。
| 2002年11月09日(土) |
文化先行というのも、それはそれでイヤだ!(今エピ付き) |
「親切の錯覚」 僕がトイレに入ると、後ろから声が。 『私が入ろうとしていたのに』 母の声だった。 それは知らなかった。 どうやら母は急いでいたので、ここで一つ<親切の錯覚(ミス・ディレクション)>を試した。 僕はまだおしっこを出し切っていなかったが、早々に水を流した。 流している間も放尿は続けられた。 そして水を流すためのレバーを、片手で器用にも引きっぱなしに固定させた。 それは通常の一回分の水量では、早めに流したため流れ切らないおそれがあるからだ。 そのおそれは、知らない人が周りにいっぱいいる程のものなので、なんとしても回避したかった。 そうして僕は無事に親切の錯覚をさせることに成功したのだが・・・ それのどこが親切なのか? 答えはこうだ。 トータル的にはいつもと変わらない所用時間でも、早めに水を流す音を相手に伝えたことによって、『あ、もうすぐ出るんだな』という安心感を与えることができるのである。
※ <通常>おしっこ(十三秒)→流す(八秒)・・・計二十一秒 <親切の錯覚>おしっこ(七秒)→残りのおしっこ(六秒)と同時に流す(八秒)[同時なので要は八秒]→追加の流し(六秒)・・・計二十一秒
「今までのエピソード」 エピソード6 アンジェリーナ・ジョーリではなく、アンジェリーナ・ジョリーだ。
エピソード7 ヒーローは大変だ。
エピソード8 僕の親はフランス人ではない。
―END―
ついしん1 薫製にしんという言葉をご存知だろうか? 例えば文化祭で素人のバンドが誰かのコピー曲を何曲か演奏するとしよう。 客には(ここのバンドはコピーばかりやるところなのか)と思わせておく。 そうした上で、そのバンドはオリジナルの曲を演奏する。 すると客は、その曲に対して新鮮さを感じ、よりその曲が魅力的に聞こえる可能性がある。 ただし、オリジナルの曲がコピー曲に対して聞き劣りするものである場合、効果はない。 よって、大した事のない曲を事前にコピーすることをお勧めする。 話がそれたが、そのオリジナル曲の事前に演奏するコピー曲が、つまり薫製にしんの効果を持つのである。 薫製にしんとはそういったものだ。
ついしん2 見せない映画をご存知だろうか? その映画は意図的に客に冒頭のシーンを見せない・・・つまり真っ黒に映ってるだけのシーンを見せる。 すると客は(おや?)と思ったり、人によっては不快感を覚える。 でもそのシーンは後に続くシーンにとって重要な伏線なのである。 そんな映画を、シチリア島の金持ちの息子が創っているといううわさである。
(標準で録画すればよかったな) と思わずにはいられなかった。 僕にとって、本腰入れて見たい番組は、放送時間に見ていると同時に標準で録画をするのが常だ。 したがって、標準でとるものと三倍でとるものが必然的に、貧乏が故、またテープの保管場所に困る故、出てくるのである。 しかし、ほんとうは区別するのが気持ち悪いのである。 自分に対して「どっちかで統一しろよ!」と言いたくなる。 しかし、悩んで悩んでこの番組はどっちでやろうか?と思うのもまた人間味があっていいではないか、と思い直し、そうやって自己弁護する毎日である。
ところでいきなり話しが飛んでしまった。 なんで冒頭のようなことを思ったかというと・・・(思案中)
| 2002年11月05日(火) |
面倒の言葉の酔いしれて |
弱みを握っている側の人間が殺人を犯すなんて理解できないよね、でお馴染みのダーZ改めひとときのニューダZです。
今日はまたまた不親切にも、いや不親切にもと警告している事によってそうでもないが、まぁそれでもかなりの不親切運動を今宵も(これ打ってるのが深夜なので)していこうかなと思います。 ではさっそく9月12日の日記以来のおなじみのパターン、行ってみたいと思います。
花焼け 怪盗ひっぱるん 三分後通訳(カップ麺に湯を注ぎ、食べる通訳) 通訳としての会話 無言の警官 うん、逃げ方がうまい。 立体坊主 パジャマン ラストの戸 へらへら門次郎 変身のテーマ 変身のメインテーマ キャンディーの袋剥ぎとミュージック 明日の汗をかく 俯瞰ったら!! あなたの癖が仇となる あなたの人生早送り中 新しい茶碗はどれが僕のなのか? 濡れたような黒髪の女 評価できません。 ゲット雰囲気 引力に逆らって 明和電気 ダカダカ・インパクト 好きな四字熟語は「音信不通」 目の前の光 音声案内 海底を蹴り上げて 前足のみ 行列のできる交番 葉力〜HARYOKU〜 妻を接待 氷付けのポン太 俺は寿司だ! 洗練されたら 切り売りランド 足踏みを捕らえろ! メロディーライン 伸びる魔球 発作 謎を放置 飴等(あめとう) 人工灯 星のない宇宙 窓枠甲子園 どう映るのか、あのスクリーンに 側面を気にする女 美女の訪れる階段
何度も言うが、僕は携帯の送信メールに思いついたフレーズを蓄積していってる。これまでの上の文字、実は二ヶ月以上も前に思いついてるものなので、今現在見てみるとどこか居ろ褪せた感じになってしまっている。 それはまだ僕が甘い証拠だ。 しかも文字の中でも単語というのは比較的色褪せないもののはずである。 流行語でもないので、尚の事だ。 例えば明治時代の小説の文体をみれば、それは今のものとは違うというのがはっきり分かる。 しかし、単語のみなら何かとほそぼそと生き残り、中にはより時代が進んでいくにつれて磨きがかかるものも有り得る。 つまり単語というのは周りに余計なものが付いていない分、動きやすく自由であるということだ。 よって言葉も短ければ短いものほど残っていくということになる。 そんな文字の可能性を信じ、僕は新たな響きのフレーズを求めてこの先も行く、古いところで言う四字熟語のような、普遍たるものを求めて・・・。
宇多田ヒカルの結婚に反対はしない すこやか同盟 事実を言ったのみ 夏も終わりのファンタジー 立ちっぱなしなのが一番辛い 色んなものが流れていく 風はエゴな奴 蜘蛛と糸 交通機関の発達により、この世は縮まった。 おじんになりたい(オリジナリティー) 現実を紡いだフィクション 雑誌の事をマガジンとは言わない 勝手の境界線 色んな、の色は色が色々にあるからこそ 全員の犯人 制服ならぬ制かつお ねぎしょうがを刻むに意味はない 今秒のコラム 机の上のメモ用紙には<アカシヤ>の文字が 這い上がり症候群 落しイタチ 若い人向け、お年寄り向け、もっとお年寄り向け きっかけ〜今では毎週見ています〜 ジョンの演奏は視聴者にも迷惑 お情け連続 動物番組でしか ミディアムレア・バスターズ 完全に焼き切って下さい。 OLミニスカハンバーグ 誘惑ハゲ 全部濃い 全部故意 全部鯉 いつもの調子 タイム・サンデーマンデー 娘には百の目的がある 娘は百の出来事に囲まれている 茶渋心 朝方バナナ カメンライダーナンパ 天才騎手の弟比べ ものみんた 何故か上戸 飛騨理恵飛騨理恵 あなたの思っている程でない 今なら空を飛べそうだ
ここまでのは9月6日以前に携帯の送信メールにメモをしたもの。 昔のばかりを打っててもつまらないので比較的最近のも次でご紹介します。
藤井フミヤアート 股について 隔週人間 出身魚 尻当りコーポレーション 冬服の方がグッド〜ポケット〜 揺られついでの嘘泣き 新しいせせらぎを用意 板尾〜ITAO〜(俺を見るな!お前らが見ると言うなら俺はお前らを見つめないぜ。どうだ、俺の勝ちだろう?) 剣道って何? 平均2 七時間のカラオケ 須藤と足掛け 研究と非研究と私 楽しむと再利用 認めるの美学 前衛ップ 散歩ではないし、縮んだし サンプル・タイマー 笑いと時の部屋 約束とバラバラ 騙してるの思い込み かぶらない特訓 握るの素 間違え方と色々 目の前のマン 脱出の条件 無駄サービス 位牌とベロベロバー 切って切っての法則 叩き付けの技術開発 驚異的と気づかなさ 毛に勝った感 酢嫌いの功罪 表現法と開拓 それを出さずに出せ。 石鹸と僕 昼飯ファンタジー 浮かび上がらせ技師 根ファンタジー 予告編用マネキン カンシャダン・ネオブラボー シナモン洒落っ気 何かうまいこと言えと言われない 尻当りラッキー 熱心避け 格別シャウト 先頭のみの奮闘
・・・ いやはや、今日はこの辺にしたいと・・・。 これからも小出しにしていきたいと思うのでどうか長い目で見て下さい。 尚、このパターンに僕が飽きた場合、違う形での表現法も考えていくのでお楽しみに。
―遊園地に来たらまずはコーヒーカップだね。(遊び人ダニエル談)―
| 2002年11月03日(日) |
見返すとインタレスト |
そう、いつだって「今回に限って」と嘆く。 僕はそういう男だ。
今日のいいとも増刊号は実に見所が満載であった。 こんなに面白いならいっそ見ていなかった方がマシだったかもしれない。
僕は面白そうな番組は録画しながら見る癖がある。 見ていて面白ければ、また後で見直すことができるからだ。
最近は日曜に出かける用事が多い。 そういう時にはいいとも増刊号を予約録画して後で楽しむ。 しかし、最近飽きたのか、それをしなくなっていた。 今日はたまたま用事が無く、家でゆっくりとしていた。 そして遅くも午前の十一時に床から起き上がり、それとなくいいともを見た。 遅い朝食と共に。
そう、そういう時に限って面白いのである。 予感はしていたのだ。 面白い。 これ、後で見れないのか。 僕は録画用の空きのテープを準備することもできず、ただただテレビをを見続けていた。 番組の途中から録るのも何だか癪にさわる。 心寂しい限りの気持ちになった。
内田アナのカラオケ 爆笑田中のみみず談義 新人アナのコマネチの途中 鶴瓶のずっこけマネージャー マイルドセブンを吸っている遠藤さんと・・・ 定規で応援する男子学生 飯尾のメガホンで伝えるコント タモリとそのお友達の建設機械展〜明日の未来を築く〜←県の許可も無く土地を造成するな!←もうこれからは造成しないでください ・・・ 見ていない人にはなんのこっちゃ分からないだろうが、とにかく面白いの連続であった。 くっそー!! 内田アナすげぇ〜・・・。 あんたはある意味大物だ。 中野アナ(おそらく新人)の裾が斜めの巻スカートを見たタモリが「コマネチ?」と言ったそのセンスも素晴らしい♪ おまけにタモリのその発言に対して中野アナはちょっと足広げた。 それがセクシーで面白かったのがいい(笑) なんかセクシーと言うのがやたら恥ずかしい気もするのだが。 それでもめげずに「セクシーだ!!」。 そんな意味でもどんな意味でも盛りだくさんだった今日のいいとも増刊号の事を忘れるのは、そう遠い日の事ではないとは思うのだけれど・・・。
「ダーZの小話その一」 松屋という牛丼屋では先に券売機でチケットを購入し、それを店員に渡して注文の品を待つ。 もちろん食べ終わったらご馳走様の気分で、後は店を後にすればいいだけなのだが・・・ 『勘定お願いします』 おぉ神よ・・・。 罪深き僕よ。
「ダーZの小話その二」 100円ショップにおいてある200円の商品(1.5リットルのペットボトル)が許せない! その商品は何扱いなのか? じゃー置かないか値下げしろよ、100円に。
―裾が斜めで巻きスカートもどきなのって、ワンピースに次いでいいね― ―変態か!― ―変態だ!!― ―認めたよ・・・―
「アイディアというもの」 僕は絵を描くのが苦手だ。 そのくせ何かを描きたいという欲はある。 例えば漫画家なんて大変だなと思う。 よくあんなに細かい書き込みできるよな、とか思う。 あんなデッサン思いもつかないよ、とか。 では僕に漫画を描くのは無理か?という問題にぶつかる。 たぶん今の段階ではぐうの音もでないだろう。 そこで僕は考えた。 顔だけの漫画というのはどうだろう? 何だか電波少年みたいだ。 顔だけで漫画を描ききる。 かなりツライだろう。 だいたい意味がわからない。 僕は顔だけならノートの隅などにちょくちょく落書きのように載せている。 手塚漫画のように表情豊かなものには全く歯が立たないが、自分なりのものはあるように思う。 はたして、顔だけの登場人物の漫画というのはありえるのか? こうご期待・・・なんかしないで下さい。 大体実践しない確率の方がおおきいっつーの!! 万が一大学ノートにそれを書いてみたところで、それをどうにかすることもないだろう。
「文化の創造」 寒いと体を動かしたくないと思う人もいる。 すると彼らはみるみると体が鈍り、思考さえも定かでなくなる。 しかし、その寒さが極寒地におけるもので、そこにはストーブという機能的なものがなかったとしよう。 その家には暖炉が一つ。 それがある一部屋に、家中の人達が身をよせるようにしている。 もし、今の時代であるならばそんな家にも各部屋に暖房器具が整える事は可能である。 そうすると、個々は自分達の部屋に向かうようになる。 自然と、以前のように身を寄せ合うこともなくなり、コミュニケーションも薄くなりがちになった。 人は文明を築くことによって何をしようとしているのか? 人とのコミュニケーションを求めないことか? それとも身体能力の低下を狙っているのか? そんなことを思う僕は、ますますの文明の発達を祈るばかりだ。
「非生産主義」 芸術が非生産的なものだとしても、僕はそれを愛する。 何かを生み出すのだから、そうとも言えなくもないが、田んぼで米をつくるのとはわけが違う。 一体芸術とはなんでしょう? そんな風に意味を問うことはナンセンスだろう。 では意味の無いものとは一体何だろう? これは自分に対する問いかけだ。
―あー、山陽道が閉まるぅ―
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