ヤグネットの毎日
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2001年08月30日(木) |
久世保育園と久世学童の現役とOBのつどい |
2日に久世保育園のプレールームで久世保育園と久世学童の現役とOBのつどいを開くことになり、今日、Mさんのお宅にお邪魔してきた。 Mさんたちは、保育園活動や地域活動などを本当に頭がさがるくらい熱心にやってこられている。 私は、市会議員のくせに、Mさんたちの熱心な活動をすごいと感嘆しているだけだった。今日、その仲間のみなさんたちと会議に参加させてもらって、なにか、自分もその輪のなかに入れてもらえた、という感じがして、とってもうれしかった。 東城陽中学校の校区で、年に何回か、子育てや教育についてみんなで考えあえる催しができないかという、大きな目標がある。すばらしいことだと思う。私も、一緒にがんばらせてもらいたいと強く思った。
2001年08月29日(水) |
市民の手作り大集会成功! |
今日は、市民大集会だった。1100名の参加で成功した。オープニングでは、急なお願いだったが、中島先生のヴォーカルと山本さんという方のギター演奏。とってもよかった。オープニングコンサートには勿体ない内容だった。 それから、介護、幼稚園、会社社長など、多彩な弁士が要求と大西市長への期待の言葉を述べた。 市長のあいさつもよかったし、上土さんのメッセージは、会場参加者を感動の渦に巻き込んだ。関心のある人は、私のホームページのメルマガ25号に詳しいので、ぜひみてほしい。
2001年08月27日(月) |
久しぶりに息子と会話 |
最近、市長選挙の準備で、帰りが遅く、息子の寝顔しかみられなかった。 今朝は、久しぶりに息子と会話をして、だっこをしてあげた。 といっても、まだ片言の会話だけれども、生意気に「お父ちゃん、帰ってきたら足を洗って、手を洗いなさい」などと指図をする。母親の口癖をしっかりぬすんで、覚えているのだ。
smapの稲垣吾郎が釈放後の緊急記者会見を行っているニュースを朝のテレビでやっていた。概して、日本は芸能人の犯罪等に甘いのだが、今回は、総じて辛口のとりあげ方であると思う。 行った行為そのものにかばう余地はまったくない。「人間としての未熟さ」ということをくり返していた。そうなのだろう。 でも、20代の「未熟な」若者を、ある意味でおごりをもたせ、他方で、ああいったときにパニック状態に陥らせる。いずれも、芸能界やマスコミという世界がつくりだしたことではないか。その犠牲者といったら、あまりに彼をかばいすぎだろうか?
2001年08月25日(土) |
掲示板に書き込みが! |
自分のホームページに掲示板を試験的に開いてみた。 すると、25日、二人の方からさっそく書き込みがあった。 涙が出るくらい嬉しかった。 自分の意見や活動に注目し激励の声をかけてくれる人がいる。 その期待にこたえてがんばりたいと思う。 とても深い意味がある。考えてみれば、人間はみんな自分がかけがえのない存在として認められ、求められ、励まされたとき、生きることの喜びを実感するのではないか。そんなことを考えた。 よし!やるぞ!
今日も城陽市長選挙にむけての準備で忙しかった。 相手陣営のポスターがはられはじめた。 「新しい政治の流れを」というスローガンが目に入った。 新しい政治の流れ…あれっ?これってどこかで聞いたことがあるぞ。 僕らの党がいつもかかげるスローガンではないか。 新しい政治とは何をさしているのか? 大型事業優先?府市協調? でも、ムダな公共事業を削り、地方分権の時代にはいったのだから、国や府など上下関係よりも、住民の意向や要望をよくききながら、市民とのパートナーシップを強めるのが、新しい政治の流れんじゃないの?
いちど、このポスターを作ったひとと、じっくり話しがしてみたい。
2001年08月23日(木) |
保守、革新を問わず、人間的にもすばらしい人はたくさんいる。 |
「市民の会」のホームページをみていたら、「ダベリングルーム」というところに、城陽市長選挙にむけての活動に関連してたいへんすばらしい投稿がされていた。 その部分をこの日記にもとどめておきたいと思う。 お話をしているのは、上土新一郎さんという、大西ただし後援会の会長さんである。GOROという方がアップしていた。GOROさん感謝。
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なぜ、大西再選をめざすのか、その理由について語れということなので、このことについてお話ししたい。 4年前、我々は「多選反対」をかかげた。どんな人でも権力に長くとどまると利権などの問題が発生する。 しかし、1期4年間で市政を変えるのは難しい。市政転換には2期は必要だ。大西に2期やることは必要だと話し、無条件で推していくことを、私は約束した。その約束が私にはある。それが第1の理由だ。 第2は、この4年間のたいへん大きな社会情勢の変化があり、それが私を刺激した。子供が親に危害を加えたり、親が子供に暴力をふるう、地域社会もどんどん荒れ果てていく。その背景には、大人たちが、利権をあさり、ギスギス・ドロドロした世界で生きていることがある−と私は思う。こんなことで子どもたちの正しい教育はできるだろうか。利権がらみで動く政治では、よい親子関係や、地域社会は決してできない。 大西は、政治家として未熟でなれない点があるかも知れないが、利権に身を染めたことは一度もない。クリーンな政治を一貫してめざしている。城陽を利権あさりの政治にもどしてはならない。口当たりのいいことをいう人は多いが、言っていることとやっていることが大違いな人がほとんどだ。彼はクリーンな姿勢を決して崩さない。これからの政治は何よりもクリーンなことが必要だ。 ------------------------------------------------------------------
4年前の市長選挙は、組織としての自民党と私たちは共闘したわけではない。まじめに市政の刷新を願う幅広い市民と共同し、そのなかにはたまたま自民党に籍を置く人もいた、というわけだ。保守、革新を問わず、人間的にもすばらしい人はたくさんいる。大切なのは、その人の生き方や考え方を尊重し、一致点を大切にそれを誠実に守りぬくことだ。 私も、この立場でこれからもがんばりたい。
2001年08月21日(火) |
台風の中を岐阜から無事帰る |
岐阜に里帰りしていた妻と子どもとともに、台風の中を無事、京都にもどる。 朝9時に出発。途中、中央道の内津峠(うつつとうげ)で休憩をしたときのことだ。さとしが、「ちょっとツルツル(うどん)食べたい」と言い出した。実は、今年の5月にも同じところでうどんを食べたのだ。恐るべき記憶力。結局、卵うどんと、きつねうどんを3人で食べた。
午後3時すぎに城陽に戻ってから、「新しい城陽をつくる会」の事務所へ。台風のなか、事務所スタッフのみなさんは、懸命に仕事。 私も、遅れている仕事をとりもどすべく頑張ろう。
2001年08月20日(月) |
8:29のひだ号で岐阜へ出発 |
妻と息子を岐阜の実家に迎えいく。朝、8時29分のひだ号に乗る。 電車のなかで仕事をしたかったので、指定席をとる。「あと2つしか席のこっていません」といわれていたのに、電車の中はガラガラ。どうしたことだい! ま、その分、電車のなかに荷物を広げて、快適に仕事が進んだ。 午前11時34分。無事、飛騨萩原駅に到着。あっという間だった。 実家についてからは、もろもろの仕事をこなした。 9月には、また、稲刈りで帰らなければならない。市長選挙がおわったらすぐだ。この稲かりがまた、たいへんな仕事らしい。心してかからねば。
2001年08月19日(日) |
私のホームページのアクセスが2000を突破! |
つい、この間、私のホームページのアクセス数が1800を突破したとこの日記にもかいたが、ついに2000を突破した。 前にも書いたが、いぜん画像のはりつけに成功していないのだが、これだけたくさんの方に見ていただいているというのは、ありがたいことだ。 これからも、こまめに更新しながら「もぎたての矢口」をみてもらえるようにしたい。 今日は、保育関係者と大西市長との「対話集会」を実施。約30人の人たちが集まった。休廃園基準の問題、延長保育やゼロ才時保育の拡充の問題など、切実な声が出された。市長も正直に話しをされたので、参加者からも、「誠実な人柄がわかった」などの声が出された。
仕事の関係で私ひとり城陽へ戻った。 午後3時43分に飛騨萩原駅から「ワイドビューひだ」に乗る。これだと、直通で京都までつく。すぐに奈良線にのりかえたら、午後7時30分には「新田」につくのだ。 少し恥ずかしく、情けない話。 帰りの電車はすっごく混んでいた。自由席は2両しかないのだが、飛騨萩原駅の次の駅、下呂で少し人の入れ代わりがあったので、何とか座れた。たちまに眠りに落ちてしばらくして目がさめると隣のひとが岐阜で下車。そのあと座ったおばあさんも大垣でおりたのだが、そのおばあさんが下りる時に、ずっとたったままの老夫婦に「私の席が空きましたのでどうぞ座って下さい」と声をかけた。実は、その老夫婦にはそれより少し前に外国の方が声をかけて席を譲ろうとしていたのをこの老夫婦が丁重に断っていたのを、私はみていた。 ところが、今度は大垣でおりたお婆さんのあと、つまり私の隣にこの老夫婦がすわることになった。まずは、お婆さんが座った。 当然、私は、席を譲るべきだったのに、まわりは満席でまだたっている人もいる。ここで、私が席を譲るとまわりの注目を集めてしまう、かといってずっと声をかけて固辞されたらどうしよう、などと年がいもなく迷ってしまって、とうとう声をかけるタイミングを失ってしまった。 いまどき、お年よりに席を譲る等は、常識の部類のことなのに。なんとも、恥ずかしく、情けない話だ。 それにしても、近江のあたりで西のそらにし沈む夕陽はきれいだった。
15日の朝は、二階の窓から吹き込んでくる、さわやかな風で目が覚めた。国道41号線をはさんでゆるやかな山が幾つも続いているがその山の間を通り抜けてきたのだろう、少しひんやりとした風は山の木々の匂いがした。午後からは近所に買物にでる。周りの小さな山々には、ガスがかかっていた。少し高い所になると、もう立派な雲になっている。飛騨は高所にある、と実感した。夜のテレビ番組でアカペラのコーラスのうまさを競いあう、全国大会にむけての最終予選がおこなわれていた。ああいうサウンドをやってみたいなあとおもった。 ちなみに、昨日は、車の中でゴスペラーズを聴いていった。ヒット曲の「ひとり」はたしかにいいなあ、と思った。最近、聞き出したのだが、聴いていて、なにか、足りないなあ、と思ったら、ベースのパートがないんじゃないの?と思った。 もちろん好みの問題なのだが、やっぱり音の厚みからいって、ベースパートはいると思うのだが…。 今日は、終戦記念日。今を生きる者として、歴史の教訓をしっかりかみしめ未来を生きたい。
2001年08月14日(火) |
岐阜の妻の実家へ出発 |
14日はお昼過ぎに、岐阜・飛騨の妻の実家にむけて出発。 私は仕事の都合で16日には城陽に戻ることになる。酷暑となった今年の夏は、山間地の飛騨地方でも連日猛暑が続いたようだ。ただお米の成長にとっては、よかったようで、春に私が初めて植た苗は豊かに稲穂を実らせていた。夜、食事をしているとき、小泉総理が靖国神社を参拝したことに関するニュースが流されていた。海軍の士官学校の幹部候補生だった義父は、靖国参拝については、また違った思いをもっているようだ。
五日ぶりに日記を書く。というのも、8日から10日まで、市議会の文教常任委員会で行政視察で出張していたためだ。まとめて、5日間の日誌を書いておく。
◆8日、富山県高岡市へ。 学校給食を民間委託をしている現状の報告をうけた。 民間委託をすでに10年以上も前から実施しているということだが、高岡市はもとより富山県でも学校給食をうけることができる民間の給食会社はなんと1社しかない、ということだ。その会社と「一般競争入札」をして(一社しかないのになぜ競争入札できるのか、不思議だが)単年度で契約更新をしている、とのことだ。民間委託のデメリットについて、「まったく問題ありません」と言い切っていた。 なにごともそうだが、「まったく問題ありません」というのは、ものごとを全面的にとらえて表現といえるのか、疑問に思った。 ◆9日 富山から一路東北の宮城県、角田市へ。(長距離のため、1日移動日となる) ◆10日 朝から、角田市を視察。小学校のあき教室を公立幼稚園に転用している学校を視察した。詳しくは、メルマガに書こうと思うが、幼稚園を老人施設と複合とするのか、年齢の近い小学校との複合とするのか、これはきわめて地域性のある問題ではないのか、と思った。一概には言い切れない問題だと思う。ただ、園長を小学校の校長が兼務し、教諭の事務室も小学校と同じ、というのは、小さい学校ならばそれで対応できるのかもしれないが、規模の大きな学校では発達段階も違う子どもたちをみるのに、あまりに不都合な点が多いのではないか、と思った。 ◆11日 午前中から、市長選挙にむけてのたまっていた仕事をこなす。午後からは、会議。5時からは、「新しい城陽をつくる会」の事務所びらき。 地元紙では、150人と発表されているが、乾杯の時、準備していた160個の紙コップがたりなくて、さらに5〜60足した。別に、数にこだわらないが、150人という報道はあまりにも少ないぞ! その後、久世保育園保護者会の三役会議。外で食事をとりながらの会議。みんなで、わいわい食事をしながら会議をする、とっても楽しかった。
2001年08月06日(月) |
今日は広島への原爆投下の日 |
◆今日の日誌◆ 午前9時すぎ さとしを保育園へ 午前10時〜市役所議員団室で執務 午後2時〜市長選挙の打ち合わせ 以後、市長選挙にむけての打ち合わせ、作業等続く
今日は、8月6日。広島への原爆投下の日。 思えば、私が政治の世界に飛び込むきっかけになったのも、戦争の話し、原爆の話しであった。なぜ、このように、人間の命が軽く扱われるほどの、狂気の世界が存在したのか、なぜ戦争がおきるのか、こういったことを考えたとき、戦争をおこすのも人間、大量殺りく兵器である原子爆弾をつくりだしたのもまた人間。ならば、それらをなくすのもまた、人間の力であると、自分は、あくまで戦争を否定し、原爆をなくし、人間の尊厳を守り抜く立場に一生身をおいて生きたいーーそう思った。18歳のときのことだ。 それから、16年。一応、その大きな道はふみはずさずに生きている。
2001年08月05日(日) |
画像がアップできない!超ストレス… |
◆今日の日誌◆
午前10時〜市長選挙の打ち合わせを各関係者と 午後3時〜買い物 午後4時〜アルプラザ城陽前で「新しい城陽をつくる会」の宣伝 午後5時〜新しいポスターをはりだす 夜はオフ
私のホームページにはトップページ以外は画像というものがない。 なぜか?それは、何度チャレンジしても画像をアップできないのだ。 ページミルのバージョン3をつかっているが、アップすると例の ×マークが出て画像がでない。 いろんな人に聞いてみるのだが、どれもうまくいかず。 ソースモードで確認してもちゃんとログはかけているし… 何が原因なのだか、考えるとストレスばかりがたまってくる〜〜
2001年08月04日(土) |
ジョイナスの仲間が増えたぞ |
◆今日の日誌◆ 午前6時からポスターはずし第2弾 午前10時から市長選挙のポスターのうらばり 午後1時から市長選挙の打ち合わせ 午後5時からパソコンに向かって仕事 午後7時 ジョイナスグリーの練習 その後、赤旗日曜版を配達して帰る。
夜、男声コーラス「ジョイナスグリー」の練習でうれしいことがあった。 新しいメンバーがなんと2人も増えたのだ。一人はテナーの方、もう一人は私と同じベースの方。 ベースの方は、サックスを演奏する方だそうで、音感もとてもよく、声もとてもベースらしくて、一緒に歌っている私のほうもうれしいくなってしまった。 9月29日に寺田西の敬老会で舞台に立つことになった。 昨日は、大阪グラフティーの曲と、「見え上げごらん夜の空を」を練習した。やっぱりいいなあ、男声コーラスは。
2001年08月03日(金) |
城陽のまちをグレードアップするために |
◆今日の日誌◆ 午前6時〜地域の党支部の方と参議院選挙ではったポスターをはずす。 午前10時〜党洛南地区委員会常任委員会に出席。 午後12時30分〜妻と待ち合わせてランチを食べる。その後、前から探していたクマのプーさんが刺繍できるミシンを購入するため車で京都市内へ。 午後5時〜 仕事でパソコンに向かう。 午後7時30〜 市長選挙対策の会議に出席。
前の日に妻と「おいしいランチを食べようか」と相談して、インターネットで「城陽 ランチ」と検索をかけたら、久世北垣内にある「創作串処 厨 〜KURIYA〜ソウサククシドコロクリヤ」をヒットしたので、さっそくそこへ行ってみた。 とても、串かつ屋さんにはみえないオシャレで落ち着いた雰囲気のお店。 妻と800円の串かつ定食を注文したが、これがうまい! インターネットで紹介されていた一文には、次のようにある。
「フグ、カキ、タイなど、毎日市場から届く旬の素材が自慢。いっさい冷凍物は使わないのが、マスターのこだわり。ササミチーズ、ステーキなどを含め70種以上、80円より。串コース(1900円)、二人のコース(4800円)なども。ランチは800円より(税込)。久保田万寿、宝壺(焼酎)、イタリアワインなど酒類にもこだわりが。」 すっかりお気に入りの店となった。
それにしても、城陽市には宇治にある「ujiナビ」のように、グルメや観光、ショッピングをはじめ、生活に役立つ情報をまとめて発信するサイトがない。この「厨」のように、こだわりをもって、技に磨きをかけ、人生をかけている人、いい商品を世に送りだしたいとがんばっている人たちがいるはずだ。そういう人たちを紹介する媒体がないものか? そうすれば、もっと城陽のまちをグレードアップすることができるはずだ。 城陽に住み、働き、生活している人たちが毎日、いきいきとした発見ができるようなそんな支援を考えられないものか?
2001年08月02日(木) |
私のサイトのアクセスが1800を超えた |
◆活動日誌◆ 午前中 資料整理とホームページの更新作業 午後1時30分〜議員団会議 夕方から夜にかけて オフ
今日は、時間的に少し余裕があったので、ホームページの更新作業と資料などの整理をした。 自分のホームページを立ち上げたのが今年の4月20日。3ヶ月半になるが、アクセス数が1800を超えた。 平均すると1日のアクセス数は18人。ありがたいことだとつくづく思う。こんど、お知らせのコーナーを自分自身の情報というより、私のまわりにいる人たちのとっておきの情報をお伝えできるようなものにしたいと、少し工夫をしてみた。 「マイブーム」という言葉があるが、それぞれがひたむきに打ち込んで取り組んでいることは、どれも素敵だ。そういう人たちを応援したい、という思いがずっとあったので、新しい企画としてやってようと思ったわけだ。 私のホームページを通じて、人と人とのつながりが広がり、心と心が通い会うネットワークが広がれば、と思っている。
今日から8月。相変わらず暑い。 ◆活動日誌◆ 午前10時〜城陽市議会議会運営委員会。6月議会の議会だよりの打ち合わせ。1時間の質問原稿を数百字にまとめる事務局の方の能力はすごい。 午前11時〜城陽市長選挙の打ち合わせ 午後1時〜私の住む城陽団地の方と喫茶店でコーヒーを飲みながらお話。 午後3時〜4時 参議院選挙で中断していたメールマガジンの発行を再開すべく、気合いを入れて原稿を書く。 午後6時〜前市会議員の中村千代和さんの叙勲のお祝いに出席。 昨日と今日と、庭師の方にきていただて木の剪定などをしてもらった。 前住んでいた方から庭の木もそのまま引き継いだのだが、庭師の方の話しでは、狭い庭にたくさんの木を植えすぎだ、とのこと。 妻と一定スペースを家庭菜園にしてしまおうか、相談した。 ガーデニングには、これまであまり関心がなかったのだけれど、自分の庭に関心をもちはじめるというのは、これって年をとってきた証拠なのかな?おいおい、まだ34ダゾ…。
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