Mother (介護日記)
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2002年10月31日(木) 寝不足。

昨夜は参った。

母のセキがひどかった。

どうしてこうも、
寝ようとする時間と、もう少しで起きるという時間に限ってなのだろう(-_-;)

このところの平均の就寝時間は1時〜2時。

私たちは居間でネットやテレビに興じているのだが、
寝る前にはどうしても歯磨きだのトイレだのと動き回るので、
その物音によって一度寝た母も目を覚ますらしい。
立場を変えれば、寝ていた母が私たちに起こされた、とも言えるのだけど。

私たちは5分程度で布団に入り、すぐにウトウトし始めるのだが、
そこから母がのっそりと起きだして来る。

寝返りや起き出しなどによって体を動かすことで、
肺に空気が入り、むせてセキを誘発するシステムらしいのだが、
一旦起きれば短くても15分、長ければ1時間もセキが続くのである。

昨夜は私もグッタリだったので、すぐにもウトウトと夢に入りかけていたが
まもなく母が動き始めると同時にセキも始まった。

チカラの抜けてる私は、そのまま布団の中でしばらく様子をみていたが、
収まる様子もなく、レフティーも寝られないようなので、起き出してぬるま湯を飲ませた。

「ごめんね、こんな時間に。悪いわね、起こしちゃって」 と、息を切らしながら謝っている。

本人もつらいだろう。

収まりそうなので、布団に戻る。

しかし、また5分もしないうちに、激しいセキが始まった。




・・・ ホントにこんな状態でも入院しなくていいのだろうか?

    でも入院は、母の不穏を招く危険もあり、通う私の負担も増す。

    それでも、夜、ぐっすり眠れるなら、その方が良いだろうか?

    親戚への連絡は、どこまですべきだろうか? ・・・


いろんなことを考える。




セキはまだ続いていて、
レフティーから「飴をあげたほうがいいんじゃないか?」 と言われて起き出す。

レフティーは今日が休暇だったから良かったが、
仕事に差し支えるのではないかと思うと、申し訳ない。


飴を持って行った。

「大丈夫、大丈夫。 ごめんね。」 と、セキの合間に言う。


再び、布団の中。

足が冷えていた。

絹江が寝返りをうつ。

セキとうなり声の中でも、私の体は疲れていて、いつの間にか寝ていたらしい。



そしてまた、激しいセキが始まる。

カーテンの隙間から洩れる日差しで、朝らしいことがわかる。

眠い。



目覚ましが鳴ったが、起きれない。

絹江が遅刻したら大変なので、布団の中から声を掛けて、起きたことを確認してまた寝る。

お弁当も作らない。 絹江は、朝食もたぶん、食べていないだろう。

母に起床時の薬も飲ませず。



次に起きたのは、10時半。

訪問者による玄関のチャイム。

母は寝ていた。

ここで声をかけたら、また咳き込むだろう。

レフティーをもう少し寝かしておいてあげたいので、母には声を掛けずにいた。

私たちが朝ご飯?を食べたのは、もうお昼だった。



 * * * * *


ケアマネージャーが来た。

来月の予定表には、デイサービスが記入されているけど、
「朝の様子を見て、調子が悪かったら休んでください」 と言われても、無理。

そもそも、施設に行くために、
出掛けにトイレに立ち、歯磨きをし、玄関まで移動する。
・・・この一連の動作によって、セキが出始めるのだ。

母は、良くなるわけじゃない。
もう、デイサービスの利用は不可能だと思う。

その代わり、ヘルパーの派遣をお願いすることにした。

やはり、人手が足りないとのことで、すぐに返事はできないとのことだったが、
とりあえず、スケジュールの調整をしてもらうことにした。

不規則でもいい、単発でもいい。
わずかな時間でも、買い物やランチができるように考えてもらおう。

他人が家に来るとなれば、またいろいろな問題もあるとは思うけれど・・・


2002年10月29日(火) 市役所を動かしたFAX

タクシーの運転手の応対については、12日の日記で書いた通りである。

その件につき、今月15日、私は市役所宛てにFAXを送ってあった。
(FAXにしたのは、要点を手短に伝えようと思ったから。私にしゃべらせると長くなるので)

大方の内容は次の通り。


 * * * * *


『 障害者がタクシーを利用する場合の乗務員の対応について、行政による指導をお願いしたい 』

『 私個人が市内の各タクシー会社に改善を求めるには限界があるので、
 ぜひ、お力をお借りしたい 』


( この件では、県のタクシー協会に宛てる方法もあるのだけど、
  市役所社会福祉課にて『障害者認定』の手続きを取り扱っているので、
  現状を把握してもらう意味も含めて、相手先を居住地のタクシーに限定し、
  市役所に依頼することにした )


1.運賃の1割引については全車両が料金の一覧表を常備し、清算時間の短縮をして欲しい。

2.スムーズな乗り降りのために、車椅子の積み込みに協力して欲しい。

3.目印の建物までしか来てくれないが、自宅を覚えて欲しい。

4.外で呼んだ時には、名前を確認して欲しい。
  (違う人を乗せて行ってしまったこともあったので)

5.車椅子だったからか、乗車拒否にあったこともある。


 * * * * *


これについて、今朝9時前から、市役所の担当者より
『各タクシー会社に配布する前に、作成した文面のチェックをして欲しい』との電話があった。

私も偉くなったもんだ(笑)

・・・なぁんて浮かれていたところが・・・

こんな時に限ってFAXのインクリボンが切れてしまい、
一枚目の送信票だけが出てきたが、これでは内容がわからない・・・(-_-;)

で、“見てからプリント”という機能を使って設定をしなおしたら、
読むことはできたが、その小さな画面で文書のチェックをする羽目になってしまった(T_T)



市役所では“お願い”と優しい書き方をしており、
しかも、「今般、障害者のご家族の方から要望が寄せられましたので」と断り書きがあるが、
いちいちそんなことまで書かなくちゃダメ?

「要望」というより心の中では「苦情」レベルなんだけど。


でも、まぁ、一枚のFAXが行政を動かした、ということで、これは大きな進歩だろう。


文面の3箇所について、表現を少し直してもらうことにして、担当のS氏に電話を入れた。


文書は近日中に各タクシー会社に郵送されるであろう。
運転手の中には「これを言ったのはアイツだな」とわかる人もいるだろうけど・・・

改善されたかどうかについては、嫌だったタクシーにも乗ってみないとわからないね。


2002年10月27日(日) 超個人的意見

母の体調は悪くなるばかり。

強いセキが長引くことが多くなった。

体重も減った。
急に痩せたので、おしりや太ももや肩などがシワシワになってしまった。

お風呂も、寒くなったので、ひとりでは無理だ。

SPAでは「おむつをしている乳幼児の入浴はご遠慮ください」との貼り紙。
つまりは、おむつをしている母も、入浴できない。

施設でも、移動は車椅子を使うようにお願いしたが、体調の悪さをたびたび指摘される。



・・・・・こんな中で。



重い病気の赤ちゃんに、海外で手術を受けさせるための募金活動というのがたまにある。



私は、不思議でたまらない。

なぜ、その子だけが、助けてもらえるのか。

数千万円もする海外渡航費と手術費・滞在費。



私だって、母を助けたい。

一流のお医者さんが肺移植をしてくれれば助かるかも知れない、と言うのなら。

それで、苦痛がなくなるというのなら。

それで、1週間でも長く生きられるというのなら。



でも、うちにはお金ないです。

誰か、私にお金をくれますか?



赤ちゃんには将来の夢があるから、助けてもらえるの?

他にもたくさん病気の子供はいるのに・・・



募金活動をしてくれる友情に厚い友達がいないから?

年寄りは、どうせこの先が短いんだから諦めろって?

肺炎だからダメで、心臓病なら良いとか?

研究材料になるとか、ならないとか?

重い病気ならわかるけど、アンタの病気はたいした事ないからって?

浮浪者だから放っておけとか?



まったく見ず知らずの人から数千万円の支援を受けられるというのは、
いったい、どういう基準で選ばれた人たちなのですか?


2002年10月26日(土) 正直な整形担当医

25日金曜日、整形外科検診。

待合室はものすごく混んでいた。
結局、会計が終わるまでに2時間半。ヽ( ′ー`)ノ


昨日、内科でレントゲンを撮ったことを話した。
画像は見てはいないが、内科主治医がカルテに描いたイラストを見て
「う〜ん、汚いね」 といつものように遠慮なく言った。


「え〜? プレドニンの量、めちゃくちゃ多いじゃん」

なに? 多過ぎ? 必要ないの? 副作用が気になる? 


施設やケアマネからの話もした。

「肺が壊れちゃてるもんでね〜、他にやりようがないからね〜 
 肺を取り替えるぐらいしか・・・
 だけど、こんな状態じゃさぁ・・・内科で自宅酸素の話は出ないの?」

出てない・・・ やっぱ、必要?

「苦しい時だけでも酸素を吸わせるとか。
 急になんとかって言ったって、
 ここに連れてくるまでに間に合わないことだってあるしねぇ」


ってか、総合病院なんだからさ、
担当医同志で患者の病状や治療について話をする機会はないの?

患者が自身が
「あっちの先生がこう言ってました」
「こっちの先生にこう言われましたけど、どうなんですか?」 って言うのは変じゃない?


「こうして話していると、具合良さそうなんだけどねぇ」

「外出すると頭も回転するし、調子がいいんです。先日も横浜に行って来ました」

「え〜? そんなとこまで行けるの? 大丈夫なの? 無謀だね〜(^_^;)」

「生きてるうちだけですから。 他人だったら(無理は)できないでしょうけど」

「寝たきりになって生きててもしょうがないもんね〜」 

�堯福陰Α院叩叩飽綣圓�そんなこと言っていいのか?


母は、目の前のそんな会話を聞いているのかいないのか、ニコニコしている。

もちろん、私の発言は、母に聞こえないようにしているが、W先生の声がでかすぎる。

「動けるうちに、あちこち連れて行ってもらってね」

「はーい♪ 幸せ♪ 最高♪ (^▽^)V 」 ← 最近、母はこれが口癖になっている(^_^;)



毎回の検診はこんな調子で、代わり映えのないやりとり。
こうして日記に書くことさえ、バカバカしく思う時がある。

改めて考えたら、なんだか通院している時間がもったいない。
内科と整形とが別の曜日になった今、2週に2度の通院。
交通費を考えても、時間的なものを考えても、日帰りでどこかに行けるじゃん。

急には辞めることのできない薬だけはもらいに行って、
後は、同じことばかり話してる診察なら辞めて遊びに行った方がよっぽどもマシ。


2002年10月25日(金) 横浜日帰り 3

私たちは「JRお客様相談室」の奥のエレベータを降りて地上に出た。

ちょうどそこには郵便局があり、その前の道を歩いて行ったが、
私は途中で広い道路に出て万里橋を渡った後、浅山橋をも渡り、桜川沿いを進んでいた。

ちょうど12時を回ったところで、
ランチに向かうOLや会社員も多く、川沿いでお弁当を食べている作業員風の人もいた。

母は、
私が道に迷い、たびたび地図を広げて車椅子を止めるのにシビレを切らしたのか、
あちらから歩いてくる紺のスーツを着た若い男性に声を掛けた。

「おにーさん、この辺でどっかおもしろいとこは、ない?」

戸惑った様子(^_^;)

「あ、あの、これからみなとみらいの方に行きたいんですけど、
 今は、この地図で言うと、どの辺でしょうか?」 と聞いてみた。

「今は、このあたりですね。ここを左に曲がって右に進んで・・・」

高島町の交差点に出た。

大きな交差点には、歩道橋が掛かっていた。
それは、初めて見た『スロープの歩道橋』であった。(後日、写真参照)
さすがは横浜。

ところが、またここでバリアに遭遇。 
『すずかけ通り』の歩道に逆U字の鉄柵が3つ・・・
“歩道上を自転車が走行しないように”という対策らしいが、車椅子はどうすりゃいいの?

いや、車椅子と自転車の数を比べたら、こうせざるを得ないのだろうけど、
結局、これによって、弱者である車椅子利用者は危険な車道にでなくてはならない。
わずかながら上りになっている車道を車椅子を押して駆け上がる私。
やはり疑問・・・


 * * * * *


ジャックモールの近くで中華のファミレス「バーミヤン」を発見。

「(車椅子なので)他の方のお邪魔にならないところに、席がありますか?」 と聞くと、
「こちらへ」と、すぐに案内してくれた。

入り口には、わずかな段差があり、
これまた観音開きの扉であったが、従業員のヘルプでクリアできた。

店内がかなり混んでいたので、
私は、母がどうか食事中に咳き込まないように、と祈るばかりであった。

ワンタン粥のランチセットには、ハチミツパンと杏仁豆腐が付いていた。
これを二人で分け合って食べた。
さらにドリンクバー、そして昼間からグレープフルーツサワー(笑)ヾ( ̄。 ̄;)

母は咳き込むことなく、静かに食事を終えることができた。



 * * * * *



オシャレな店舗が立ち並ぶ『ジャックモール』にはさまれた『グランモール公園』と呼ばれる道は、
水と花と木が美しく、公園と呼ぶにふさわしくステキなところだった。

大きなビルをいくつも見ながら、横浜美術館前を通って進んで行った。

しかし・・・

その行き止まりは、クイーンズスクエアの2階部分であった。
またしても階段である・・・
やはり、エレベータを探して建物の中に入って行かなくてはならなかった。

どうして、健常者よりも障害者の方が遠回りをしなくてはならないのだろう・・・


ランドマークタワーの前を通って、みなとみらい大通りに出て、
やっと『汽車道』にたどり着いた。


2002年10月24日(木) 矛盾する発言から生まれる疑惑

2週間ぶりの検診である。

昨夜の雨は、なんとか上がっていたので、
寄り道のことも考えて車椅子を持って行くことにした。

タクシー会社は、これまでの「K」から「I」に替えた。

この運転手は障害者割引の一覧表と計算機を持っていたので、
降車時の清算はスムーズであった。

病院のボランティアが、タクシーの到着と開けっ放しのトランクから覗く車椅子を見つけたのか
外まで迎えに来てくれ、運転手が降ろした車椅子を広げてくれた。

病院の受付にいるボランティアは、銀行のロビーアシスタントと同じ役割で、
初診患者への対応、受付機の操作のご案内、各科までの誘導等を行っている。
しかし「ボランティア=無給」とは、本当に頭が下がる思いだ。
私も地元の新聞を読むまでは「仕事=有給」だと思っていた。

病院のボランティアは登録制で、他にもおしぼりを作るなどの作業があるらしいが、
私には恥ずかしながら、現在のところ『ボランティア精神』なるものが全くない。

それだけに一層、ボランティアをしている方々に対しては尊敬をし、
感謝の気持ちを忘れずにいるが・・・


 * * * * *


中の待合室に入った母は、診療室のカーテンの隙間から主治医の姿を見つけ、
「あ〜っ、K先生だ♪」 と、大きな声で言ったので、
他の患者さんも、カーテンの向こうの主治医も看護婦さんたちも、一斉に笑った(^_^;)

「すいません(^^ゞ」 と言って、私はカーテンの隙間を閉じた。

「ダメだよ、覗いちゃ」 と、母に注意したが、カーテンの向こうに患者さんはおらず、
主治医は、直前の患者のカルテを記入しているようだった。
 
すぐに呼ばれて、カーテンの中の診察室に入る。

K 「前回、薬を増やしましたけど、どうですか? 調子いいですか?」

A 「土曜日にデイサービスに行ったのですが、
『セキが多くて心配だから病院に行った方が良いのでは?』と言われまして。
 私も『主治医がいないので』とは言ったのですが・・・」

K 「病気のこと、知らないからね〜」

A 「その日、こちらに電話しまして、内科の看護婦さんと話したのですが、
   結局、次の検診日まで様子を見ようと言うことになりました」

ここでパルスオキシメータの数値が『87%』と出た。

K 「今日は少し低いね」

A 「今日も、玄関からタクシーに乗るまでの10m、20mの歩行で息切れをしてしまって。
   施設でセキがひどいのも、施設内を歩いたのが原因だと思ったので、
   トイレへの移動も車椅子で、とお願いをしたところですが・・・」

K 「感染症の方は悪いですね。ずっと治療はしていなかったから」

はい? (@_@;)
確か前回の説明では、入院しない理由が“今回は感染症がないから”ではなかった?

何だか最近、主治医の発言がアヤシイ。

病状について何を聞かれ、どう説明したのかまでは、カルテに記録していないからね。

いや。
今の状態を見ても、施設から言われることが多くなったことにしても、
はたまた私がチェックしたカルテの血液検査の数値から見ても、良くないことは確かだけど。


今日はレントゲンを撮った。

被爆による肺炎になるのではないかと思えるぐらい、
母はこの1年半の間に何度もX線を浴びている。

私はデジカメを準備して診察室に戻り、
出来上がった画像を主治医が蛍光灯に照らした直後に撮影したので、
主治医も少し驚いていたようだった。

K 「デジタル処理になって鮮明になったので、
   前より悪いように見えますが・・・あまり変わりはないですね」

・・・と言いつつも、
前回増やしたばかりのステロイド(プレドニン)をさらに増やしていた。


2002年10月23日(水) 横浜日帰り 2

横浜駅。

私たちは8号車から降りた。
少し離れたところに駅員の姿が見えたので、手を挙げて合図をした。

歳のいった白髪で小柄なその駅員は
「何号車か、聞いていなかったもので」と少し面倒くさそうに言った。

エレベータで改札に降りることになった。

横浜駅にはすべてのホームにエレベータが設置してあり、
自由に使えるとのことだった。 これはとても助かる。



私は赤レンガ倉庫に行くために、電車を使うか歩いて行くかで迷っていた。

駅員に「歩いて行ける距離ですか? 何分ぐらいですか?」等と質問したが、
はっきりしない。

前回のオフで、桜木町駅にはエスカルがあるのを見て知っていたのだけど、
この駅員は「桜木町駅は、言わないとやってくれないので」と消極的で、
さらに「乗換とは聞いていなかったものですから」などと言うものだから、
私も『ええい、面倒だ』と思って、徒歩で行くことにした。



横浜駅は、地上の道路から少し下がった場所になっていて、
階段を数段昇らなくてはならない。

階段の脇には「JRお客様相談室」なるものがあり、
その奥にエレベータが設置されているのを確認した。

街に出る前、
私は駅員に案内してもらって再び構内に戻り、
観光案内で地図をもらいながら、みなとみらいまでの道を確認した。

地図上では、途中まで細い道であるが、
案内の女性二人の話しでは、特に車が激しいわけでもなく歩道もあって、
歩行者の数も、避けて通るほどではないと聞いた。
みなとみらいまでは、20分ぐらいで行けるだろうとのことだった。

トイレが見当たらないので聞いてみると、地下(=ポルタ)か、
建物の中だと言われ、ルミネに入った。

ルミネのインフォメーションで聞くと、車椅子の母を見て、
「突き当たりのエレベータで3階に上がっていただきますと、
 身障者用がございます」と教えてくれた。

身障者用でなくても・・・と思ったが、
フロアをのぞきながら行ってみることにした。

ちょっとわかりにくい場所、倉庫部分の向かいに、
身障者用トイレだけがあった。

明るく、広く、キレイで、縦と横の手すりがあり、
洗面台は普通の高さと、低いものと2つ、
簡易ベッドと、男児用の小便器もあった。
今までに見てきた障害者用のトイレの中で、一番設備が整っているかもしれない。
(写真に撮ってきたので、後日、介護のページの写真のコーナーにUPします)



ルミネのエレベータで1階に下りたところ、
出口は重いガラスの観音開きであった。
車椅子を押している私には、非常にやっかいな扉である。

しかも、このドアは全開状態を維持できずに閉まってしまう。
モタモタしていたら、通りがかりの家族3人が協力してくれて、
無事外に出ることができた。

ところが、である。

「あの〜、こちらは階段ばかりですけど、大丈夫なんですか?」

はい? (@_@;)

ルミネの1階は、地上から階段で数段上がった部分にあったのだった。�堯福陰Α院叩叩�

なんと言うことだ・・・

横浜駅は、ルミネの1階・道路・駅構内それぞれが、
わずか数段の階段によって3層に分かれているのだ・・・

再びルミネの中に戻り、エレベータで降りて、
先ほど駅員に教えてもらったエレベータを使って、
やっと道路に出ることができたのだった。

なんとも・・・

目の前に行きたい場所があるのに、
数段の階段のために、何と言う遠回りをしなくてはならないことか。

「バリア」とは良く言ったものだ。


2002年10月22日(火) 横浜日帰り 1

久しぶりにお天気が良くなったので、
お洗濯物もそこそこに、電車に飛び乗って横浜に行って来ました。

つい10日前に、オフ会で行ったばかりなのだけど、
みなとみらいの汽車道からみるコスモワールドの観覧車や、
横浜グランドインターコンチネンタルホテルなどの景色がステキだったので
母を連れてもう一度行くことにしました。
先週金曜日に行こうと思ったのだけど、お天気が悪かったのでね。


 * * * * *


地元駅から上り電車に乗るためには、どうしても階段を使わねばならない。
乗換の駅にも階段がある。

前回の鎌倉の時には、大勢の人にお世話になったのだけど、
母にも無理をさせず、できれば私も気兼ねなく行きたかったので、
今回は途中駅で階段を使った乗換をしなくて済むように考えた。

地元駅から、一旦下り電車に乗って少し戻り、
到着したホームの反対側から、上りの特急電車に乗ることにした。

到着ホームでそのまま母を待たせておいて、
私だけが階段を昇り降りして一度改札を出て、上りの切符を買いに走った。
改札で事情を話して2枚の切符を差し出すと「どちらまで行かれますか?」と聞かれ、
自由席の乗車口を教えてくれ、横浜駅には連絡を入れてくれるとのことだった。

特急の発車時間までは10分程度だったが、なんとか間に合って、
爽健美茶と黒飴を買って乗り込んだ。

ここですでに汗びっしょり・・・

席を探していたら、車両の先頭部分が良い具合に空いていた。
ここだと車椅子は自分達から見える通路に置くことができるし、トイレも近い。
ラッキー♪
自由席特急券と言うのは、車内で指定席券に変更することはできないので。

ただ、乗車口から1両分ほど歩いたために、母はその後しばらく咳き込んでしまった。
爽健美茶を飲ませたり、黒飴をなめさせたり・・・

私は汗を拭き拭き、大きなバッグに詰め込んできた荷物を確認し、
その後、清浄綿で顔を拭いて軽く化粧をして、降りる時にはすっかり別人になっていた(謎)


ってか、まだ話は途中。

現場到着前が長い・・・だから、日記全体が長い・・・だから書く時間がないんだよなぁ(T_T)


2002年10月21日(月) 介護BBS設置

昨日、介護日記のリングに登録したので、
もしかしたら今後、介護系のお客さんが増えるかも知れないので(期待?)
介護ページTOPに専用のBBSを設置しました。


2002年10月20日(日) 介護日記リング参加

『介護日記リング』に参加することにしました。

高齢者との生活のページに、介護日記リングのナビゲーションバーが貼ってあります。


2002年10月19日(土) デイサービス利用不能?

今日はこんなお天気だからか、それとも遊びに行く予定がなかったからか(爆)
私は午後からお決まりの微熱が出た。

月曜日に中間テストを控えている絹江は、昼に起き出して来て勉強。
3回分の洗濯物は絹江に見張ってもらうことにして、私は昼寝。

・・・

外がにぎやかとなり、時計を見ると3時半。
母の帰宅だな、と玄関に出て行くと、既に絹江が外まで迎えに行っていた。

施設との連絡帳を見ることなく、私は再び眠ってしまった。

・・・

電話の音がして、まもなく絹江が子機を枕元まで持って来た。

「ケアマネから。」



「はい?」 いかにも 『寝ていました』 という声に、

「あら、具合悪いですか?」 とケアマネ。

「自律神経失調ぎみで」

中略。

「今日、施設の方から連絡がありまして(併設だけど)
 お母様のセキがだいぶひどいようで、連絡帳にも書いてあるそうですけれども」

はいはい。 今に始まった事ではありません。 連絡帳を読み返せば、
既に8月31日の時点で 「セキがかなり出ていました」 と書かれている。



それ以前の8月10日、
右の肋骨下部分をしきりにさするしぐさについて、私が書いている。

「セキによる筋肉痛と思われ、主治医も定期検診で確認済みです。
 特に処置はありませんので、よろしくお願いいたします。」


連絡帳には、そのほかにも、
「入浴後にはセキが多く出ていたので、ベッドで休みました」 などと書かれているし、
送り届けてくれた人からも、そういった報告がたびたび出ていた。



そして今日は、
「セキはあまりなかったのですが、息をするとき大変苦しそうです。
 肩で呼吸をしているため 『切ない』 と言われます。
 ベッドで休まれることが多くなりました。
 喀痰が多く、ゼイゼイと息をしていられます。心配です。」 とあった。


そりゃ、ちっと歩いたんじゃないですか?
うちの中みたいに狭い場所なら、
自分の部屋・トイレ・台所の移動をしたぐらいでは、息を切らすことはほとんどないけど
これが広い施設だった場合、トイレまでが遠かったりすれば息も切れるでしょう。
それならトイレの入り口まで、車椅子で連れて行ってよ。
ひとたびセキが出れば 『セキがセキを呼ぶ』 と言われるように、連続して出るワケで・・・
痰は前から一日中吐いてるし。


ケアマネは、「病院に連れて行った方がいいんじゃありませんか?」 と言う。


こっちだって、検診の度に主治医には報告してますよ。


セキが30分ぐらい続く時もあるんですけど?

肋骨の下が痛いって言ってますけど?

去年入院していた時よりも、良くないんですけど?

体重が、どんどん減ってますけど?


だけど、やりようがないっていうんだから、しょうがないじゃん。

間質性肺炎が治る病気じゃないってことは、ケアマネもご存知の通り。

肺移植しか助かる道はないってことだし、80近い年寄りに、それは現実的じゃないし。

入院しても特に治療することないんだし。

だから自宅介護なんでしょ?

で、その負担を軽減してくれるのが、介護保険なワケでしょ?



「こちらでは治療はできませんのでね」



ってかさぁ、デイサービスを利用してる人って、どんな人よ?

元気なお年寄りのための、レクリエーション?

身体障害者のための入浴?

みんな、セキひとつしないの?

うちの母のセキは伝染るような病気じゃないし。 え? うるさいってこと?

大声を上げるような、強度の痴呆の人とかはいないの?

母の痴呆は軽度だし、徘徊もないし。

え? 喀痰が多いからダメとか? 他の人が見ていて汚い? 気持ち悪い?

いったい、どんな人が利用してるワケ?

そんな元気な年寄りなら、要介護にならないでしょ?



それじゃ、うちは介護保険で何が利用できるの?

デイサービス行き始めたのは、つい7月だよ?



デイサービスが利用できないなら、ヘルパーでも派遣してくれよ。

買い物行って来て。
掃除して。
食器洗って。



 * * * * *



病院に電話して内科の看護婦と話したが、
結局は次の検診(24日木曜)まで経過観察ということに。


だって、今は落ち着いてるし。
主治医は木曜・金曜にしかいないし。


そんなにひどかったなら、その時点で連絡くれたらいいのに。
呼吸器なんだからさ。
今日は家にいたんだし、ケータイ番号だって教えてあるんだし。
かかりつけの病院だってわかってるんだし。



 * * * * *



デイサービス、使えないとなると、私も遊んでる場合じゃないね。

ま、今までたくさん遊んできたけどさ(笑)



母の体力は確実に落ちてるワケで、こちらもそれなりの覚悟はしている。

この秋冬が越えられるかどうかわからないし。

できるだけお散歩には連れて行ってあげようと思ってる。

体重、昨日計ったら服を着ていて45.5kg。

脱いだら45kgしかないね〜

母には 『47kgのまま、変わりない』 って言ってあるけどさ。

顔がコケてないから助かるよね。


2002年10月13日(日) 犬。

そうそ、10日木曜日の内科検診の日のこと。



通っている病院には待合室というものがなく、
廊下の中央に背中合わせにソファが並んでいる。

タクシーを降りた後、車椅子で移動した場合、
ソファが空いていれば車椅子をたたんで、ソファに座らせる。
混んでいる場合は、車椅子のまま、邪魔にならないところで待っている。

診察室に行く時には、ソファに座っているみんなの前を通過しなくてはならないので、
その狭い通路に車椅子のまま進むのは、本当に歩けない時だけで、
ほとんどの場合、車椅子を降りて手すりと私の介助で歩いていく。



診察が終わって出て来た時。

「あらあら、お母さんを犬みたいに・・・」 という小さな声が聞こえた。



それは、私が、母のウエストポーチを持って誘導していたのを見てのことだ。

私は無視をしてその場を離れた。



人間、何事も経験のないものにはわからないものだし、それは仕方がないのだけど、
(かつての自分もそうだったかも知れない)
その、理解されないこと=誤った憶測によって、
どれだけ不愉快な思いをしている人たちがいることだろう。



「在宅介護のQ&A」で読んだんですよ。



  * 歩行の介助をするときのポイント

『 要介護者に腰のベルトなどをつけておけば、
  バランスを崩しかけた時に、介護者が支えやすくなります 』



そういうことなんですけどね。

これは入浴の時も同じで、腰にタオルを巻いたりして対応するのに。



この不愉快な気持ちを私が諦めてしまえば、
これからも同じ思いをする人は絶えないだろう。

私は、自分の経験を通じて改善すべきだと感じたものは、すべて声に出して行こうと思う。

うるさいオバサンになって来たな、と自分でも思うが、我慢からは何も生まれない。

バリアフリーにしても、行政を動かすまでには、10年、20年が必要だ。
私たちは、自分の将来のためにも知恵を出し合っていかなくてはならない。


2002年10月12日(土) タクシーの運転手ってヤツは・・・

具合が悪かったからかも知れないけど、昨日はまったくイライラしていた。



2週に1度の検診やSPA通いで、
この1年半、頻繁に同じタクシー会社を利用しているにもかかわらず、
一向にうちを覚える気がない。

都会の流しのタクシーじゃあるまいし、こんな小さな街での営業で、
顧客という意識を持たないことが不思議で仕方ない。

今朝も
「(目印)の前のALLURE ですが、○○病院までお願いします。」と言っているのに、
目印の建物の前に止めて、クラクションを鳴らした。

毎回こうなのだけど、今日はその建物の窓から住人が顔を出して、
「うちは呼んでないけど?」等と、運転手とやり取りをしているのが聞こえてきた。
玄関先で、うちの前をタクシーが通り過ぎたのを見ていた私は、
ゴミを捨てながらタクシーに合図をして、こちらに呼んだが、
私も虫の居所が悪かったのか、『いい加減にしてくれよ』と腹が立った。

うちが呼んだんだよ、名前をちゃんと言っただろうが。
地図があるだろ、地図が。
誰が呼んでいるのか、ちゃんと確認してから来いよ。

電話で受けてる事務方のオジサンは、いつも同じ人だ。
ホントに学習能力のない人だな。
お客さんの名前を覚えて「いつもありがとうございます」ぐらい、言えないのか?

“そこに行けば誰かがいるから、そいつを乗せればいい”
その程度の仕事しかしていないんだよね。 ┐(  ̄〜 ̄)┌



で、病院に着くまでの間、ずっとそのことを考えていた。

到着後、障害者手帳を提示したら、割引の計算をしてくれたのを見ていて、
昨日の運転手が割引をしてくれなかったことを思い出した。

「昨日は引いてもらえなかったんですけど」

「障害者手帳は出したんですか?」

「出しましたよ」

「それなら引くはずなんだけどな・・・」

この運転手は規定通りにやっているので、
私が一方的な八つ当たりをしてしまったことに申し訳なく思ったが、
それにしても、同僚への苦情について
『申し訳ございませんでした』の一言があっても良いだろう。

その対応で『やっぱり、もう、ここの会社のタクシーを使うのは辞めよう』と決めた。




 * * * * *




病院からの帰り。

今度は別のタクシー会社の車が待機していた。

合図をして呼び寄せると、後ろのドアが自動で開いた。

私は車椅子の母を座席に近づけて「車椅子、お願いします」と運転手に言った。

運転手は「車椅子? 載せるの?」と言い、トランクルームを開けた。

私は、母が乗り込むのを介助していたが、
運転手は、その様子を運転席から振り返って見ているだけで、車から降りて来なかった。

ヾ( ̄。 ̄;)あのぅ・・・車椅子。 積むんだけど? 

・・・もしかして私にやれって? うっそぉ〜 ヽ( ′ー`)ノ

京都の太秦の運転手は態度が悪かったけど、嫌々でも降りてきてやっていたからねぇ。

この運転手は、決して嫌そうではないのに、降りてきてやろうとしない。

・・・つまり、自分がやるっていう意識をまったく持っていないらしかった。



どいつもこいつも、っとにぃ。

いったい、社員教育はどうなってるんだ?

病院で待機するってことは、車椅子や障害者も当然いるわけで、
そういうことを頭に入れて、何をすべきか考えてちょうだいよ。

上にも書いたけど、
「そこに行って、そこにいる人を乗せれば良い」って言うんじゃ、お話しにならない。
ガキの遣いじゃあるまいし。

『当社をご利用いただくために』というサービス精神がなくてはダメでしょ。



 * * * * *



お茶しての帰り。

別のタクシー会社から、電話で呼び寄せる。

電話でも、こちらの名前を確認しなかったし、
到着したタクシーも、呼び出したのが私たちかどうかを確かめようともしない。

『お電話いただいたALLURE さんですか? お待たせいたしました。
 ご利用ありがとうございます。』 とか、言えれば、他者とは格段の差が付くだろうに。


それでもこの運転手は、
母の乗り込むのを介助している間に、車椅子をトランクに詰め込んでくれた。


しかし・・・

清算の時になって、1割引の計算が違っていた。

わずか数十円のことであるし、
車椅子の積み下ろしの手間もあるから何も言わなかったけど、
ホント、どうなってるんでしょうかね? ヽ( ′ー`)ノ

しかも、身障者手帳の番号や名前を控えているのは、
書いたことを忘れてしまうような紙の裏側。

運転手によっては控えをとらない人もいるので、
どれほど重要なものであるのか、対応に疑問が残る。


2002年10月11日(金) 具合が悪くても付き添い

頭、痛いです。

熱、7度近くです。

相変わらず母の眠りは浅く、深夜も数回トイレに立ちます。

その度に2,30分はうなってます。

眠くて眠くて仕方がないのに、その声で起こされます。

朝も、です。

そうそ、起床時に飲ませる薬・・・

絹江の寝起きが悪いので、起きるのを確認してからまた寝たけど。

でも、やっぱりうなりっぱなしです。

本人も辛いでしょうが、こちらも同じです。

雑音の中、ウトウトして10時半。




今日も整形外科の検診に連れて行かなくてはならない。

寝ていたいです。

でも、たぶん、あの調子でうなり声を出されているのでは、寝ていられないでしょう。

誰か、代わって。




今日は昨日よりも良いお天気になった。

お洗濯をしなくては・・・

誰か、やっといて。




昨日帰宅してみると、庭の雑草が刈り込んであった。

おそらく、お祭りが近いので、大家さんがやってくれたんだと思うけど、
その雑草の始末をしなきゃいけない。

誰か、やって。



誰か、買い物に行って来て。

誰か、ゴミを捨てて来て。

誰か、薬を取って来て。

誰か、ご飯を作って。

誰か、母をお散歩に連れて行って。


2002年10月10日(木) 入院しないワケ

今日のタクシーの運転手は、前回と同じ人だった。

今日は帰りに寄り道することを考えて、自分の車椅子を持って行くことにした。
頼む時に、事前にそのことを申し出ておいた。
S運転手は穏やかにトランクに積み込んでくれて、言葉は少ないがいい感じだと思った。

・・・ところが。

なぜか、病院に到着した時に、
身障者手帳を提示したにもかかわらず、1割引にしてくれなかった。
車椅子を積み込む手間など考えると申し訳なくて、
身障者手帳の提示も躊躇してしまうのだが、これには少し驚いた。
料金とは別に、運転手さん個人に少しでもお礼をしようと思ったけど、辞めた(-_-;)

次回こんなことがあれば、苦情を申し立てるつもり。

人間の感情なんて不思議。
ホンの少しのことで感動もするけど、ホンの少しで幻滅もする。まさに紙一重だ。


 * * * * *


今日は私も診てもらうことにした。

私の方が先に呼ばれた。

レフティーの風邪が伝染ったのか、自律神経失調症か?
微熱や頭痛が7月から不規則に続いている。
一昨日は鼻水がひどかった。
まるで仮病のように、友達と出かける時にはなぜか調子が良い。
前にいただいた更年期障害の薬と言うのは、あまり効かないみたいだ。
薬を飲み続けるのは嫌いなので、頭痛が起きた時だけの薬を出してもらうことにした。
一昨日の夜には、何か固い物を丸呑みしたかのような胸つかえ?があったので、
胃が弱っているのだろうと、頭痛薬と一緒に飲む胃薬も処方された。


 * * * * *


私の診察が終わってから、母を呼ぶ前に少し主治医に質問をした。

「先日、夜間救急外来を利用しまして・・・」

「あぁ、そうそう」

「セキがひどかったものですから。
 せっかく、ステロイドを減らしているところなのに・・・点滴を受けました」

カルテを見て

「う〜ん、これだけひどいと仕方ないね。入院はしなかった?」

「はい、しませんでした。(え? 入院するようなことだったの?)
 あ、先生。
 『去年ならとっくに入院していたのに』今年は入院しなくて良いという理由はなんでしょう?
 私が同居しているからですか?」

「いや、去年の場合は、感染が起きていましたからね。今年はそれがないので」

「で、今回は『入院して特別な治療をする必要がない』ということでしょうか?」

「そういうことです」


・・・ ホント?




深夜の救急外来で点滴中、カルテの血液検査の結果をデジカメで激写して来た私は、
去年の8月20日、11月20日、今年の7月1日のデータを一覧に書き出してみたけど、
改善されて標準値以内になったのが4項目(ALP、CRE、T−CHO、GLU)
逆にさらに悪くなったものが4項目(GOT、GPT、γーGTP、CRP)

血液検査の結果は、カルテに糊付けしてあり、
検査項目2種(赤・青)のうち、一番上に貼ってあった青い方だけしか全面を見ることができない。
赤い紙の方は検査項目の英文字が半分しか見えないのだ。

そのほかに、今回初めてのデータで標準値に満たないものが2項目(ALB、A/G)

そういえば、カルテに去年5月の血液検査の結果が貼ってなかったな・・・




ひどいセキはここ数日ないけれど、
今回は、減らしていたステロイドを少し増やすことになった。
1日おきに2錠(5×2)だったのを、3錠に。



明日は整形外科が午後1時の予約。
はぁ。
1日で終わってくれると助かるんだけどな・・・



 * * * * *


のんたのお母さん。
あれからのんたにメールしてみたところ、
痛みがひどくて話をするのも苦痛だと言うので、面会はしませんでした。

そうか、お手紙ぐらい、看護婦さんに預けてくれば良かったな・・・


2002年10月09日(水) 明日は検診。

早いですね、もう2週間。

先日の深夜の救急外来の代金の清算、まだしてませんでした(^^ゞ

5000円の預け金を置いてきたのですが、それで足りればお釣りを返してもらえるけど
足りなければ不足分を払わなくては・・・

「できれば5日までに来て下さい」って言われてたんだけど、なにせ遠いもんで。

明日は、内科だけ、10:30の予約。

あら? のんたからメール。
お母さんが入院したって。ば〜ちゃんと同じ病院。
明日、さっそく寄ってみるよ。


2002年10月07日(月) 協力

例えば私の体調が悪い時。
一人暮らしの人には叱られそうだけど。

母とふたりきりではどうにもならない。

「熱があるから寝る」と言ったところで
アイスノンや冷たいタオルを持って来てくれるとか
適当な時間には窓を閉めてくれるとか、飲み物を用意してくれるとか
いくら私の母親だからと言っても、今では気が付くだけのチカラはないし
自主的に家事を手伝ってくれるわけではない。
ましてや、転んでケガをしては元も子もないので
ゴミ出しや洗濯物の取り込みなどをしてもらうワケにもいかない。

寝ていたくてもいつ誰が突然やってくるかも知れず
「夕方だから洗濯物を取り込まなくっちゃ」とか
「お風呂を沸かさなくちゃ」「お米を研がなくちゃ」とかが気に掛かり
母がボ〜ッと過ごすのは良くないから「何かをさせなくては」とか
食事を用意してあげなくては、と気の休む暇がない。
おなかが空いたら自分で用意する・・・それさえ今の母にはできない。

仮に母が自分で行動していた場合には、その物音に聞き耳を立てて
「トースターにパンを入れたまま忘れるんじゃないだろうか」とか
「火を使わないだろうか」などと注意している。

セキが出始めても止めるすべを知らずに、延々と咳き込んでいる。
その「エホエホ」という快適ではない音が継続する中で、私はウトウトしている。

集金等、誰が来ても、母が出てくれるわけではない。
私が布団の中から力なく何かを言ったところで、耳の遠い母には聞こえるはずもない。

帰宅した絹江にすぐさま指示を出し、洗濯物を入れさせる。
文句を言いながらも、やってはくれる。

家族は、他所とは比べようもないくらい娘もダンナも動いてくれるけど
「おなかが空いたから何かを自分で作って食べる」といったレベルで
私は寝ていながらも「薬は持って行ってくれたか?」とか
「キチンと飲んだかどうかを確認したか?」とか、気になって仕方がない。

家族に対する不満を言いたくなった時
「いいじゃない、自分のことだけでもやってくれるのなら。うちなんか・・・」
という声が聞こえてきそうで
これ以上家族に望んではいけないような気持ちになってしまう。

家は、家族にとって外でのストレスを抱えて帰り、癒されたい場所である。
そこで、家にいる者に気を使えというのも、申し訳ないような気がする。
まだ中学生の子供に負担を掛けるのは良くない、と言った人もいた。
だから何も言えなくなるし、寝ていられずに起きてくる。

例え自分で動かないにしても、指示を出す必要があるのだ。


2002年10月06日(日) 突然の訪問に

今日は寝坊しても良い日だったので目覚ましをかけておらず、
レフティーが起きたのも知らずに爆睡していた。

起きたら10時半だった。

ん〜、もう少し寝ようかな・・・なんて思っていたが、
そうだ、今日は友達とランチ、11時半の約束だったっけ。�堯福陰Α院叩叩�

あわてて起きて、洗濯を開始。
母の様子をチェックして、とりあえず洋服に着替えて新聞を取り込み、
顔を洗っていたところ・・・「ピンポ〜ン」 (@_@;)

「ありゅちゃん、私。
 何度か電話したんだけどね、お母さんの方の電話、通じなくって。
 それで、直接来ちゃったのよ〜」(^_^;)

母の同郷のお友達のIさんと、Kさんだった。

ありゃりゃ・・・参ったな。
私、これから出かけるんだけどな・・・ってか、私、まだ顔、洗いかけだし(T_T)
うちの電話番号だって知ってるじゃん?

「あら、Iさん。いらっしゃい、どうぞ、上がってください」とだけ言って

あわてて、生え際に残った泡を流す私。

絹江はパジャマのまま。

ば〜ちゃんはパンを食べてるところ。


突撃だけはお願いだから辞めて〜と言いたいところだけど、
Iさんいわく「年寄りはさぁ、その日にならなきゃわからないのよね、体調とか天気とか」
はい、確かにそうですね、私もそう思います。

私がやり取りをしている間に、絹江が麦茶を淹れてくれた。


 * * * * * 


せっかくなので、狭い母の部屋で3人の会話をビデオに撮ることにした。

写真も前回好評だったので、今回も撮ることにした。
「はい、撮りますよ〜 はい、ポーズ♪」

しかし、Iさんが「証明写真」を作ってくれと言い出したのには参った。(-_-;)

「あら? 1枚だけ? 3枚ぐらいあれば」 �堯福陰Α院叩叩�

はいはい、承知いたしました。(T_T)


 * * * * *


突然の訪問者用に買っておいた「あんみつ」の缶詰でおやつ。
でも、ホントならお昼を出さなきゃいけないんだろうな。
いや、でも、こちらにも都合が・・・ ま、いいか。

で、1時過ぎにお帰りになりました。


2002年10月05日(土) 鎌倉日帰り

例によって、書きたいことがたくさんあります(^_^;)

こちらの日記では読みにくいので、普通の日記に小分けしてUPします。




 * * * * *




母がデイサービスに行っている間、母のベッドで昼寝をしていたら、母が亡くなった夢を見た。

そのことに、さっき気付いた。

夢の中で私は大声で泣いていた。


2002年10月04日(金) 昨日は鎌倉に。

お天気と体調と気分で、鎌倉に突撃をかけました。( ̄ー ̄)

電車の乗り降りでは、ずいぶんとたくさんの人にお世話になりました。m(_ _)m


歩いた歩いた。
バスも江ノ電も使わずに・・・

疲れたので、詳しくは明日。 今日は写真をどうぞ。



鎌倉

由比ガ浜

雷神堂(手焼きせんべい)

長谷寺

高徳院の大仏

峰本(昼食)

鶴が丘八幡宮

いも吉庵(紫芋の羊羹と紫芋のソフトクリーム)

ラルフローレン(レフティーのお誕生日祝いのつもりのベルト)

豊島屋(おなじみの鳩サブレ)




今回はビデオもたくさん撮ってきました。

帰りの電車の中で再生して楽しみ、ご丁寧に巻き戻しておいたのを忘れて、
帰宅直後に、レフティーの画像(誕生日プレゼントを開けている様子)を撮ってしまい、
約3分間、鎌倉の大仏の画像の上にかぶってしまいました。 大失敗(T_T)


2002年10月03日(木) 古賀メロディー

今日、ドラッグストアに寄った時、CDやカセットテープを売っているのを見つけた。

探したら、母の好きな古い曲があったので、即決。(b^ー゜)♪

古い、って言ったって、半端じゃないんだよ。

五木ひろしや北島三郎、美空ひばりなんて、まだまだ。ヽ( ′ー`)ノ
この間までは、石原裕次郎と美川憲一と大川栄作を聴いていたんだけどね。

『古賀メロディー』の中には、30年も前のレコードに入っている曲がいろいろあった。

「酒は涙か溜息か」 とか、 「人生劇場」 とかって、知らないでしょう?(笑)
私、歌えるんだよ(爆)

いつもは「懐メロ」って探すから、見つからなかったんだね。
歌手の名前で探しても、ないねぇ、ちっとも。

CDショップには、あれだけたくさんのジャンルがあるのに、
それでもなかったもんねぇ。



デイサービスから帰宅したところで、さっそくテープをかけてあげたら、
すっごく喜んでくれた。(^▽^)v

しかぁし!!!

なんと、曲だけで、歌が入ってなかったよぉ〜 そんなこと、書いてあったっけ?(^_^;)
歌詞カードが付いているだけ、マシだけど・・・

だけど、ステレオがなくてレコードを聴く機会がなくなってから20数年経っているはずなのに
やっぱり覚えているものだね〜
ところどころ、思い出しては歌っていたもの。



私が歳をとった時には、何を聴きたいかな?

ユーミン、オフコース?
新御三家とか? ← わかる人は、それなりの年齢です(笑)
フィンガー5にキャンディーズ、ピンクレディーとか(^^ゞ

私のイメージが・・・歳が・・・ このくらいにしておきます♪〜( ̄ε ̄;)


2002年10月02日(水) 浅い眠り

深夜1時も近くなり、私もパソコンを閉じて寝ようとしていたら、
何やらガサゴソと聞こえてくる。

さては絹江、まだ起きていたのか?と思って見に行くと、母だった。



母は、こちらから洩れる明かりだけの薄暗い中で、
タオルをビニールの袋に入れて、施設に行く時に持って行くバッグに詰めていた。



眠る前、絹江が
『明日は○○○○○(デイサービス)だからね、早く寝ないと起きれないよ』
と言ったのがイケなかったらしい。
翌日出かけるなどと言うと、興奮して寝付けないようなのだ。

どうもそのような傾向があるので、
私は京都の時も当日の朝まで母には一言も言わずにいたのだが・・・


施設でのデイサービスにタオルは必要ないのだが、
ここ数回、出かける前に自分でタオルを詰め込むようになった。

以前は、デイに何しに行くのかが理解できていなかったので、
手荷物を気にしたことはなかったのだが、私が
“毎週水曜と土曜は8:30〜15:30、○○○○○にてお風呂と昼食とゲーム”
というメモを掲示するようにしたので、
“デイに行ったらお風呂に入る”という認識ができてきたということだ。

メモは作り直し。
『タオルは施設にあるので要りません』を追記。




「ママが明日のことを知らない(忘れている)と思って。」 (^_^;)

私のことを頼り切っているのかとばかり思っていたが、
どこかで“自分でやらなきゃ”との気持ちが残っているのだ。
その気持ちは大切にしなくてはならない。

これからは、もっと早い時間に明日の予定を確認して、
一緒に持ち物を準備するようにしよう。

何よりも、毎回デイを楽しみにしていることは当たり前のようだが感謝すべきだろう。



 * * * * *



それにしても、最近特に眠りが浅いようだ。
こまごまと眠るだけで、まとまって数時間は寝ていない様子である。

点滴に行っての睡眠不足も、まったく影響なく過ごしていた。


2002年10月01日(火) 深夜の点滴。

昨夜からのセキは2時間近く続き、その後も断続的に激しいセキが出たことから
レフティーが「病院に連れて行った方がいいんじゃないのか?」と言い出した。



私は、その点、消極的だった。



2週に1度の検診で、
セキの発作や、肋骨の下の痛みや、体重の減少など、あれこれ報告したところで
「ステロイドを減らしている影響でしょう」と言われ、
母の間質性肺炎(BOOP)は治る見込みがなく(現状では肺移植しか道がない)
現状の投薬のほかには対処のしようがない。
経過観察するのみなのである。


しかし“少しでも苦痛を和らげる方法はないのか”と言うレフティーの言葉で、
私は病院に連絡をしてみた。

電話越しに母のセキが聞こえるようにして看護婦に状況説明をした。
主治医は今日の当直ではなく不在だとのことであったが、
念のため、別の内科担当医に診てもらうことにした。

激しいセキだからとは言っても、救急車を呼ぶほどではない。
レフティーが連れて行ってくれるとのことで、したくを始めた。



こんな日に限って、絹江も微熱があったとかで早くに寝てしまった。
絹江にはメモと病院までのタクシー代を置いて、そのまま寝かせておくことにした。



車に乗ると、何故か母のセキは静かになるのだった。
レフティーと私は、先ほどの緊張感から、なんとなく拍子抜けしてしまった。



病院では、車椅子のまま、緊急外来処置室に入った。

3月、腰椎の圧迫骨折の際、緊急外来を利用したのだが、
その時、他の患者への対応を見ていて“感じ悪い”と思っていた医師が今日の当直だった。
私がつけたあだ名は「酔っ払い」 ← 私につけられたくはないだろうが(爆)
いつも赤ら顔で目が据わっている。言葉が少なく動作もゆっくり。
威厳があるというのかコワイというのか、なんとも取っ付きにくいタイプである。



目つきも悪いのだが、実際に視力も良くないらしく、カルテを斜めに近づけて読んでいた。
思った通りN医師は言葉が少ない。
「それじゃ、ステロイドの点滴をしますから」

あの口うるさい看護婦が、この医師に気を使っている様子。
医師の背中越しにおそるおそるカルテをのぞき込んで、
出るであろう指示を先読みし、点滴の準備に取り掛かった。



通常、点滴をする場合の所要時間は薬剤にもよるが20分ぐらいだろうか。
(私は腕の血管が細くて40分かかってしまうのだが)
レフティーが「どのくらいかかりますか?」と聞いた。

「そうですね、1時間半から2時間ぐらいかな?」 �堯福陰Α院叩叩砲─�

今、午前1時前。 となると、帰りは3時かぁ(^_^;)


「あちらで仮眠を取っていただいて結構ですよ」と言われ、
レフティーがソファで休んで待つことにしたものの、
ロビーのエアコンは暖房なのか冷房なのか、肌寒いくらいだった。
こんなところで深夜に2時間も寝転がっていたら、風邪を引いてしまう。
タオルケットなど、借りることはできないのだろうか?


看護婦に聞いてみたが「付き添いの方の布団はないんですよ」と言われた。
今日はまだいい。 しかし、真冬はどうするのだろうと思った。
緊急で駆け込む患者の家族は、そんなことまで考えていないのだから・・・
急患の家族が眠るって言うのも呑気なのかも知れないが、
例え寝ないで付き添っているとしても、じっと待っているのも足元から冷えてくるものだ。
今後のために、
緊急時の持ち物の中に、タオルケットやダウンコート・ストール等を加えておこう。



ここに来る前、母は寝る時間だったので、補聴器をはずしていた。
病院には私が持参していたが、わざとつけさせなかった。
普段の検診で母を前にしては聞きにくいことも、この際聞いておこうと思った。
セカンドオピニオンとも言えるだろうか、医師が違うということもある。
単純にカルテからどのように判断するだろう。

「ガンはない。」

これは、私のひとつの疑問であった。

「間質性肺炎との診断が出ているが
 急性の場合、1週間ほどで亡くなってしまう方もいるし、
 長く生き延びる方もいるが、平均的には5年後に生きている人が半分と言われている。」

これらは、私がネットで得た情報の範囲である。
このような状況であとどのくらい生きられるのだろうか・・・
しかし、それについては結局のところ具体的なことは何もわからない。
いつ急激に悪化して・・・ということもありうる、ということだけだ。

“縁起でもない”と考える人は、平和な人だ。
仕事では、時間がないと思えば必死に取り組むものだ。
弓は矢が多ければそれだけ命中率が下がる。失敗しても次があると思うからだ。
今日、ファッション雑誌の『Domani』で林真理子の文章を読んだ。
“したことの後悔は、日に日に小さくすることができる
 していないことの後悔は、日に日に大きくなる”

私は、今良いと考えたことを実行していくだけだ。



私はデジカメとビデオカメラを病院に持ち込んでいた。

到着時、母のセキは落ち着いていたが、
夜、まだ早い時間にひどかった時の様子をビデオに撮っていたので、
医師や看護婦に診てもらった。

また、点滴の薬液や母の様子もビデオとカメラに収めていた。

看護婦らは怪訝そうな表情で「どうして?」とも聞かれたが、
「先があまり長くないようなので」と答えておいた。

そう言えば、撮影することでわずかながら冷静になれるような気がする。
撮影に気を取られるため、母の病状に対して第三者的に見ることができるようだ。



「お孫さんですか?」と聞かれた(笑) いつものことだけど。
母とは年齢差があるが実の親子である。『似ている』と良く言われる。



まもなく、別の急患が来るとの連絡が入った。
『19歳、喘息の発作』

5分もしないうちに、泣き叫ぶ若い女性の声が響き渡った。

「キャーッ! アアーッ! 助けてー! ヒィー!」
「はいはい、ゆっくり呼吸して! そんなところに座り込まないで!」

ミニスカートにパンプス、ロングの茶髪のその人は泣き叫び続けていた。
「吸って〜 吐いて〜 はい、もっとゆっくり、あぁ、なんでそんなに急ぐの!」

私はカーテンを閉めて仕切った。

セキが落ち着いた母は自分のことはすっかり忘れているように
「喘息? あらぁ、かわいそうにね。 苦しいのよね、あれ。」と彼女を心配していた。



私は、デスクに置かれたままのカルテを手に取って見た。
手書きの部分は英語(今はドイツ語じゃないよね?)および達筆のため、判読不能だった。

私はカメラを撮り出して、検査データを撮影した。
それがイケナイことかどうかは知らないが。
血液検査のデータ、内視鏡画像。

血液検査のデータについての詳しいサイトは、既にチェック済みである。
7月1日の検査結果は控えてあるが、去年との比較がしたかった。

母の場合、CRP、GOT、GPT、γーGTP、LDHが標準値よりもかなり高い。
これと母の肋骨の下部分の痛みを合わせて考えると、肝臓も良くないのかも知れない。
肝臓については、医師から全く話しがないことなので、
勝手に勘繰ってもムダだとは思うが・・・




点滴の途中で、母がトイレに行きたいと言い出した。
ちょうど2本のうち、1本が終わるところだったので、そちらを取り外したが、
その動作がかなり乱暴だったため、すぐに「痛い」と言い出した。

私はトイレからすぐ戻って看護婦を呼ぼうとしたが、
先ほどの喘息の女性に総動員であったので、とりあえず用を足してから診てもらうことにした。

トイレで動いたためか、また激しいセキが始まった。

針を刺した手首部分がやはり腫れてきていた。
看護婦がそれを抜き、今度は手の甲に入れ直した。

すでに1時半を回っていた。
薬液はあと半分残っている。

喘息の女性はやがて落ち着いたようで、帰って行った。




レフティーは、奥行きの狭いソファではとても寝ていられず、何度か起きてきた。
こんな時は、やはり私も免許を取っていれば、と思う。
ハードな仕事の後、着替えただけでボウリングに行き、
10時過ぎて帰宅し、遅い夕飯を食べた後、落ち着くまもなく病院に来た。
そして、朝になれば仕事に行かなくてはならない。
睡眠時間はそれでも何とか5時間を確保。



私は帰宅後にしばらくパソコンと向かい合っていて、3時間程度。
みんなを送り出してから寝ようと思ったが、今日に限って母が元気で起きている(^_^;)

自分から居間にやって来て、私がお茶を淹れている間に自分でテレビをつけた。
『徹子の部屋』や台風情報を見た後、
「1時半から12chで洋画をやるんだよ♪」と言い出した。
はぁ? 新聞も見ていないのに。

あら? 確かにやるらしい。 1973年アメリカ「スコルピオ」

それは、母にとっては超Goodなタイミングで、大好きなアラン・ドロン主演の作品であった。

現在午後3時になろうというところ。
普段なら寝てばかりの母なのに、今日は寝不足のはずなのに疲れたとも言わず、
座ってじっと映画を観ている。
これも点滴のステロイドの影響なのか? (多幸症)

これが終わるまでは、私も寝られないな(^_^;)

雨も強くなってきた。 
「雨戸、入れたほうがいいよ」 とは、母の言葉。


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