日記でもなく、手紙でもなく
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買い物へ出かけた時に、そこかしこに漂っている金木犀の花の香りが、今年は一段と強く感じました。一斉に花をつけたような..... 花といってもその形や色は、決して華麗な、あるいは清楚というような表現もあてはまらない、極めて地味な部類にはいるもので、見ているだけだと、決して感興が湧いてくる代物ではありません。それに対して、また色かたちがそうであるだけに、この香りと秋の季節というのは、私にはなかなか切り離せないところもあります。
金木犀の花の香りは、秋の夜道などを歩いていると、どこからともなく湧き上がってくるような香り、というイメージが私には強かったのですが、恐らくそのイメージは、昼間の時間、あまり家にいなかったり、家の周囲を回ったりすることなどが、やはり少ないからなのでしょう。
この夜の篠つく雨で、花が落ちてしまうと、その香りも薄まってしまうのかもしれませんが、この香りが漂ってくると、少し冷たくなった空気の中で、いつも深まった秋の季節を感じさせてくれるように思います。
東京都現代美術館で開催中の「20世紀イタリア美術展」を見た後、美術館前を通るバスの時間を見ると、錦糸町駅行きのバスが5分程度でくることを確認しました。 考えてみると、今まで錦糸町の駅前に降り立ったことはありません。ただ、錦糸町といえば、歓楽街的なイメージもそこそこ強く持たれているようなところもあります。 錦糸町に着くと、ややさびれたような<楽天地>と表示された赤のネオンが駅前ビルの上方に灯っており、駅南口正面にはマルイが鎮座し、駅ビルのテルミナの1〜3Fには、ヨドバシカメラが占拠している−−というのが、まず目立ちました。 バスを降りたところから、駅ビルに向かって、ほんの僅かな距離を歩く間に、飲み屋の客引きのお姉さん3人から、次々に声をかけられました。今や客引きのお姉さんというのは、銀座の7丁目や8丁目界隈でも、かなり多く見られるので、別に錦糸町だから、ということでもないのですが、「30分3000円」というところをきちんと伝えるところ、新宿あたりの感覚に近いようにも思ったりしたところです。ただ、新宿などよりも、そこは下町感覚がかなり強く出てきている雰囲気もありました。
駅ビルの上ほうのフロアにある飲食店で、少し何か食べて帰ろうと思い、1Fのヨドバシカメラに入り、エスカレーターで2F、3Fと上がっていきました。時計やブランドものバッグなどを置いているところは、まさに新橋駅前のキムラヤと似てはいます。ただ、新橋駅前にあるキムラヤ(駅から見ると機関車の裏側にあたるビル)などは、今や店舗内の雰囲気もかなり考えて、ゆったりした商品展示をしているのに対し、このヨドバシカメラというのは、数年前に行った中国・昆明の(結構夜遅くまで営業していた)百貨店を思い起こさせました。 おそらく、商品を隙間なく並べていたり、蛍光灯の光がなんとなく青っぽい感じから、そんな印象を受けてしまったのかもしれません。東京の中でも、殊更アジア的なディスカウント・ストアのような、あるいはかなり昔の日本を少し感じさせるようなところがあったことは否めません。
中華料理店で、オススメらしい麻婆茄子麺などを食べようとすると、つゆは、醤油と白湯があるというので、醤油スープのものを注文。さほど期待はしていなかったのですが、このスープがくどくなく、なかなか良い出汁が出ていて結構美味しく一気に食べてしまいました。少し温度が下がってきた時だっただけに、温かい麺が美味しかったというのもあるかもしれません。
ここ数日、夜中の温度がかなり下がる。特に先週の土曜日の夜などは、結構肌寒い感じがした。 今日は昼間の温度もかなり上昇。例年どおりの9月というような雰囲気。
先週いっぱい、下がりつづけた米国の株式は月曜日の時点でやっといくらか戻すことになった。 日本のほうは、上がったり下がったりで、安定感に欠ける。
テロへの報復は27〜28日にかけて、<Operation Enduring Freedom>という作戦名で開始される模様。どのような作戦か、蓋を開けてみないとわからないが、米国民対象の世論調査では、長引くと考えている人がかなり多いという記事も見かけた。 テロへの報復→ゲリラ戦→地の利の悪さ→ベトナム戦争、というような連想からか。
たまたま、経済評論家としてかなり著名な人の話を聞いたら、今の経済状態というのは、まさにデフレであり、この状態が当分続くという。 日本は、第二次大戦後ずっとインフレ政策の中で、それが世界経済の動きの中で、まんまとうまく乗って高度経済成長を遂げたものの、ここ10年世界経済全体はデフレの動きを示し、欧米各国はその動きと今連動しているが、日本はデフレの動きに乗り切れず現在に至っているらしい。
小泉氏はこのことがよくわかっていて、あえて構造改革をしようとしているのだ、ということも。 モノを買ったりサービスを利用したりする側からいえば、価格は実質的に安くなっていくので、同じ年収でも生活はラクになる面が大きい。
ただし、この話には一つだけ落とし穴があって、収入を維持できるかどうか、ということそのものが大きな問題。 収入が減るような人もかなり増えることになるし、少し減る程度ならまだしも、仕事がなくなって大きく収入が減ってしまう人もかなり増えるかもしれない。
やはり、ここは一つ、ケチに徹することも必要か、などとも思ったりするが、むしろ新たに何らかの技術やスキルを獲得するために、お金を使っていくことが自分にとって重要になる時代になってきている。
2001年09月23日(日) |
<The Voice> |
ラッセル・ワトソン(英)の<The Voice>を聴く(Decca)。モリコーネの曲や、カンツォーネ(フニクリ・フニクラ、Non ti scrodar di meなど)、サイモンとガーファンクルの曲から、更にヴェルディやプッチーニのアリアまで幅広い選曲がなされており、しかも、ロイヤル・フィルのオーケストラのバックで歌われている。
下手をするとこの手の盤は陳腐になりかねないが、大半の曲がゆったりした曲調のものが多く、ワトソンの声質と相まって、とても気持ちよく聴ける。 ゆっくりした時間の流れに身を任せたいような、そんな時にぴったりのアルバム。
ラッセルの声質そのものは、比較的柔らかなテノールだが、力感がないということもなく、美声の類に入る。
昨日から、急に温度が下がる。 再開後のNYの株式市場も、ダウは下げ続けている。 その余波で、日本の株式、日経平均も下がってきている。 あちこちで冷え込みが強くなり、人も企業も体調が悪化してしまうようだ。
そのNY市場のほうだが、月〜木の4日間で、ダウは累計で1229ドル下がっているという。結局下げ幅は1000ドルを越してしまった。 一週間で10%以上下がると、やはりいろいろな影響を及ぼすことにもなる。それで、更にテロへの報復行動だ、というと、先行きは一層不透明になってくる。
円に対するドルの下がり方は、まだそこまで行っていないものの、円高傾向はやや強まり、デフレも加速化しそう。 今日の空模様と同様、冴えない。
上野の東京都美術館で、イームズ・デザインの展覧会が行われていて、結構人気が高いという。 この展覧会ばかりは、年配の人ではなくて、やってくる人の年齢構成は、若い人にえらく片寄っているらしい。
型をつくって、カラフルなプラスチックによる大量生産品としての椅子などのことを、すぐ思い出してしまう人ではあるが、その活動そのものは、もっと多様で深かったに違いない。 まさに機能美の追求、機能に合致するフォルムとその美しさを追求していった、とも言われているようだ。まさに、そこにこそ<モダン>の本質があるはずだ。
果たして、イームズ以降での、<ポスト・モダン>というのは出たのだろうか、と思ったりもする。
2001年09月13日(木) |
世界貿易センタービル崩壊 |
朝、急に強い雨が降ってきた音で目がさめる。
昨日の深夜からTV各局とも、また各紙朝刊は1面ぶちぬきで、日本時間では昨日夜、米国では昨日午前に起こった同時多発テロのニュースで埋められた。
高くその偉容を誇っていた世界貿易センタービルは、既に崩壊して今は瓦礫となってしまっている。 その近くの第3番目の四十数階建てビルも火事により崩壊。 マンハッタンの南、スタッテン島のほうから見ると、見慣れた風景が数時間で大きく変わってしまったことになる。
米国の株式取引は停止となり、それを受けた今日の日経平均株価は、簡単に1万円割れ。しかも、前日比でマイナス6.6%と大幅安でひけている。
戦争突入前の状況のようなきな臭い感じに包まれ始めているような世界だ。
NYのほうでは、遺体捜索や瓦礫の山を片付けるのに1ヶ月ほどかかるような見通しもあるらしい。 ある会社のNY事務所の状況についてたまたま聞いたところ、当分仕事になりそうもないようで、早くて1週間くらいの見通し。 マンハッタンの外から中のほうには入りにくくなっているようで、その関連で生活必需品などの物資がかなり少なくなり始めているとも聞く。
テロという人的災害によって、被害はまだまだ尾をひいている。
2001年09月12日(水) |
世界貿易センタービルの穴 |
今ちょうど、NYの世界貿易センタービルに、飛行機が2機つっこんで、大きな穴が開き、黒い煙がもくもく出ている映像がTVで流れている。理由は不明。
NYは朝の9時過ぎで、たぶん人が結構いたのではないかと思われる。PLOが犯行声明を出したらしいのだが。 テロとするととんでもない話になる。 TVの生の映像は、まるで特撮の映画を見ているようで、全く実感に乏しい。今晩一晩はおそらくこのニュースが続き、明日以降も更に続いていくことになるだろう。
NY貿易センタービルというと、エンパイアやクライスラーとともに、NYを象徴するビルだけに、このビルの飛行機事故の穴はどうするのだろう、などとあらぬことすら考えてしまう。
台風の影響らしく、朝から断続的な雨。
午後6時30分過ぎ、銀座5丁目に新しくできた<加賀屋>の前を通る。 今日から開店のはずで、地下1Fにある店なので、そこへの階段の入り口のところあたりにでも、メニューの内容が出ているか、などと考えていたら、メニューどころか、和服の女将が入り口の前にいた。
開店のご挨拶をさせていただいています、ということを言っていた。開店の日に女将が店の前で挨拶している、というような店は珍しいなぁ、などと思っていた。 すぐ誰かと話し始めたのだが、それを何気なく聞いていると、和倉温泉にある宿の<加賀屋>で、そこが銀座に出した店らしい。
入り口には、長嶋はじめ、他にも野球選手など、なかなかの有名人から贈られたかなりの数の生花が、麗々しく飾られており、画廊の開店のような、あるいは、和服の女将がいるような店といえば、過去には良く見られた、銀座高級クラブのような雰囲気もある。 そういう意味では、なかなか敷居が高そうな気配。
特に、和倉温泉の宿のほうにきてもらっているような東京の常連客へのサービスとして、もし開店しているということなら、私などは全然お呼びでない人種になってしまう。上得意へのサービスということで、それをやり続けられるのであれば、それはそれで決して悪いことではないとも思うのだが。 ただ、それだけではあまり客は入らないような気がしないでもない。
2001年09月02日(日) |
新宿雑居ビル火災、死者44名 |
1日未明、歌舞伎町の雑居ビル(ペンシル型ビル)の火事で亡くなった人は44名。一酸化炭素中毒が原因とされている。
雑居ビルのいいかげんな管理の問題は別として、亡くなった人の数が多い火事というのを調べてみると、70年代に入った時期、72年の大阪・千日デパートビルの118人を筆頭に、翌年熊本・大洋デパートの103名、55年神奈川・カトリック修道院99名、80年栃木・川治温泉・川治プリンスホテル雅苑の45名。 いろいろな意味で話題になってしまったホテル・ニュージャパンの火事で亡くなった人は33名(82年)。
このあたりのことを考えると、今回の火事で亡くなった人の数は(戦後)歴代の上位に食い込んでしまう惨事となってしまった。
つまり、川治プリンスホテル以降、40名を越える死者が出た火災は、この20年間なかったようなのだ。 つまり、このことは、非常時を想定した非常階段や、消火装置などが、大規模建造物では的確に組み込まれ準備され、またいざという時に適切な安全誘導がなされてきた、そういう賜物ではないかとも思う。
今回の雑居ビルの汚点というのは、結構大きな意味をもっているようだ。
2001年09月01日(土) |
青龍(小田急百貨店内中華料理店) |
昨日、富士美術館の後、新宿まで出て小田急美術館へも寄った。
少しお腹が空いたので、美術館のあるフロアの1F上にある「青龍」という中華料理の店で、五目焼きそばを食べたら、大変美味しかった。 一口食べてわかるのが、使っている油が良いこと。変な中華料理店に入って後悔するのは、油が悪かったりすること。最近はさすがに減ってきたものの、それでも結構しつこい油感の残るところはまだ多い。 少し食べていると更にわかるのが、味付けの良さ、後味の良さなど。かなりレベルは高いのではないかと思う。蒸し餃子2種を追加で頼んだら、これも悪くなかったので、たぶん2〜3人向けのコースなども、かなりお得な内容になっていることが想定できる。
決して値の張る店ではなく、ちょっと寄って食べるには、なかなか良さそうな店のようにも思える。
ところで、小田急美術館も、閉館してしまうらしい。東武美術館も今年閉館したが、やはり時代が変わってきているのだろうか。
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