日記でもなく、手紙でもなく
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2003年01月30日(木) |
ルーベンスの絵画:幼児虐殺 |
「幼児虐殺(Massacre of the Innocents)」という絵画のテーマは、聖書に基づくものの一つで、フラ・アンジェリコやブリューゲルなどによる作品も知られている。幼児虐殺という物騒なそのテーマだが、ヘロデ王が、自分に代わって王となるらしい<イエス>を放っておけず、彼がベツレヘムに生まれたと聞き、その町とその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らす殺させた、という話に基づいている。 旧約聖書では、預言者エレミアがこのことに触れており、<エレミアの嘆き>というテーマと、まさにうらはらの関係にあるとも言える。
ところで、この同じテーマで、フランドル派のルーベンスが描いた絵画がある。長年に亙って個人コレクションであったものが、実は昨年4950万ポンド(約97億円弱)で落札され、その絵が3年間ロンドン・ナショナル・ギャラリーに貸与・展示された後、カナダのオンタリオ美術館へ収蔵される――という記事がネット上に掲出されていた。
バブル期ならいざ知らず、今に及んでもこれだけの価格をつける絵というのは、どんなものかとサイトを探してみたら確かに出ていて、PCの画面上で見るだけでも、確かに見事な絵に見えてくる。 落札価格を知って見ると、より感動が大きい、か?
感動はともかく、興味をひくことは事実だろう。
http://holyworld.cool.ne.jp/Rubens14.htm http://art.pro.tok2.com/Bible/BYoung/07Massacre/rubens.jpg
2003年01月26日(日) |
ソースの話:天ぷらにソース、三ツ矢ソースとイカリソースなど |
昨日の日経文化欄に、<食の方言まだ健在>という記事がでていた。天ぷらにソースをかけて食べるかどうか、おでんに何をつけて食べるか、というようなNIKKEI NETによる調査内容をベースに、食事の際の無意識的な行動に、食の方言が隠されている、という内容だった。
特に、天ぷらにソースをかけて食べる比率を5段階にわけて、都道府県別にその程度がわかる日本地図が掲出されていたのが面白かった。天ぷらにソースをかけて食べる(食べていた)という回答が過半数を占めたのが、和歌山を筆頭にして、沖縄、高知、福井、鳥取、鹿児島、愛媛、奈良、徳山など、西日本の県が多いという。 記事では、この背後には、明治期大阪で国産ウスターソースを発売した三ツ矢ソースは、そのソースを洋式醤油こと「洋醤」として販売し、洋式の醤油で天ぷらを食べるのがハイカラである、というようなトレンドがうまれたのではないか、という仮説を提示している。 実際、関西で生まれた私の場合、確かに天ぷらを食べる時、子どもの頃はソースをかけて食べていたような記憶がある。ただ、家族全員がそうであったという記憶はなく、むしろ私1人だけソースをかけて食べていたのではなかったか、とも思う。
「家族の食卓にでる料理には、母親が育った風土や歴史が溶け込んでおり、それが子供へと疑われることなく伝承される。........」くらしき作陽大の小菅桂子教授のコメントも掲出されていたものの、塩や醤油、あるいはソースをかけて食べる食べないというのは、果して母親の風土・歴史だけなのだろうか、と感じたところもある。甘口系、辛口系(あるいはピリ辛?)などという、好みの味に関しての影響はかなり大きいものだと思うし、調味料の多寡というのは、好みの味と関わるのも事実だろうとは思う。 しかし、食卓に置かれる醤油やソースの使われ方というのは、全く同じように捉えて良いのかどうか。そのあたりのことについては、ちょっと首を傾げてしまうところも残される。 有名な、幸島のさつま芋を海水で洗って食べるニホンザル(一匹の若いサルから始まり、若いサルの中で流行し始めた)という例もあることだし。
三ツ矢ソースが出てきたが、かつて子供の頃、わが家ではやはり関西発祥の<イカリ(錨)ソース>が一番好まれていた。私自身が一番好きなソースだったようだ。三ツ矢ソースがその頃まで残っていたかどうかというのは、全く記憶にないが、現在でも関西以西では、スーパーなどにこのイカリソースは残っている。
さて、このソースのブランドであるが、子供の頃に使っていたものを、大人になっても使いつづけている確率は極めて高いようだ。 関東では、このイカリソース、よほどソースの品揃えの多い店にでも行かない限り、まずお目にかかれない。関東なら、どこにでもあるブルドッグは、逆に関西では少なくなる。名古屋はカゴメがかなり強いだろうし。
私の好みは、当然ブルドックではなく、一時期カゴメ中濃だったものの、現在はキッコーマン・ソースに落ち着いている。
ソースの話が出たなら、やはり醤油の話も。 九州で生まれ育った人にとっての醤油も、結構似ているという話を聞く。九州には、それぞれの地元に醤油製造元があったりする。フンドーキンとか、マルキンなどという醤油メーカーがあった。地元だとラジオCMで、良く登場するスポンサーだったように思う。 関東で生まれ育った人なら、千葉県野田のキッコーマンとか、銚子のヤマサなどが多いだろうし、今やこれらのメーカーは、ナショナル・ブランドとなっているので、それを子供の頃から使っているという人は、関東圏に限らずかなり多いのではないかとも思う。
恐らくキッコーマン醤油などを(生まれた時から)使っているような人であれば、九州の地元の醤油を使うとかなり甘ったるく感じるのではないか。ただ、このようなナショナル・ブランドを使っているような人の場合、どこへいっても、地元の醤油が口に合わなければ、探せばキッコーマンもヤマサも見つかるに違いない。 ところが、この逆の場合、えらく困るようだ。キッコーマンもヤマサも、しょっぱすぎて使いたくないという人も多いということも聞く。
やはり、母親の影響が強いというようなことよりも、それも大きな要素だが、むしろ子供の頃の日常環境そのものが、むしろ味覚に影響を与えているのだろう、とそんな気がしている。
よく晴れ上がったものの、風の冷たい日。午後から千葉へ向かう。 午後4時過ぎにJR千葉駅に着く。
ここへ来るのは、考えてみるとこの2年くらいの間に3、4回目になるのだが、降りるといつもなんとも言えない戸惑いがある。 別に、ここへぶらっとやってくるわけではなく、いつもやはり何か目的があってやってくるので、駅を出たときには、さてそこまでどうやって行こうか、という気持ちだけが先走ってしまう。 で、ついタクシー乗り場に向かってしまうことになるのだが、千葉市美術館まではさほど距離がなく、あっという間に着いてしまう。
帰りはだいたいの位置がわかったこともあり、ぶらぶらと駅方面へ歩いていく。 既に5時半を回って暗くなり、昼間よりも一層風が冷たく感じられる。
何かお腹に入れようと思って、店を探していたら、ちょうど千葉PARCOが左にあり、そこの中に入る。 レストランフロアは、土曜日夕方とはいえ、意外に閑散としている。<今日和(=kon'nichi-wa)>というパスタを中心に据えた店があり、ここでピザや前菜なども用意されているので、さほど期待せずに入った。 マルゲリータ、クラムチャウダー、イタリアン・オムレツを頼んだが、さすがに380円のクラムチャウダーはイマイチ。ただ、まずくて食べられなかったというほどのものでもない。オムレツのほうは、チンゲンサイも入っているのに少し呆れたものの、十分イタリアンぽい味で合格。最後のマルゲリータだが、かなり薄いピザ生地を使い、中心部がもう少しパリリと焼きあがっていれば最早何も言うことのない出来だった。ただ、そこが少し柔らかかったのは、ピザソースとチーズがたっぷりかかっていたことによる。 味は変なピザ屋で食べるよりも、圧倒的に美味しくて、少し驚いてしまったくらい。これなら、満足度は高い。
このPARCOは、駅からほんの少し外れたところにあるためか、千葉駅とPARCOを往復する無料バスがある。このバスで、千葉駅まで行く。 このバス、渋谷駅前から東急本店へ行く無料バスに似てはいるが、考えるとその距離よりももう少しあると思うし、千葉PARCOと千葉駅までは、道路が広すぎて、ぶらっと入れる店も少ない感じがしなくもない。
渋谷から東急までは2回ほど、夏のやたら暑い日に限って、その無料バスを使ったことはあるが、東急から戻るときは、考えてみるとその無料バスに乗ったことがない。おそらく、東急まで行ってしまうと、戻りは下り坂だし、途中寄れる店が多いことなどが関係しているかもしれない。
千葉駅に戻ると、総武本線のほうで、始発の東京行きがあって、それに乗るが、電車の中でぐっすりと寝込んでしまう。 やはり、千葉までというのは、横浜へ行くよりも遠い感じだ。
2003年01月23日(木) |
ひょっこりひょうたん島(カラー版)再放送 |
4月以降のNHK教育TVの番組編成が発表された。 この中の目玉が、モーニング娘がリメイクのテーマ曲を歌う、<ひょっこりひょうたん島>。
ひょうたん島は、井上ひさしの脚本で、1964〜67年に放送された人気人形劇。当時この番組はモノクロであったため、いくら面白くても、今見るとモノクロではやはり物足らないに違いない。4/13から毎日曜日の午後7時台に、(サンダーバードとともに)91年に制作したカラーのリメーク版約60本が放送されるという。
当時のNHKの子供番組というのは、原作や脚本などに、今ではなかなか信じられないような作家が関与していた。井上ひさしも、当時だと、これほど有名な作家になる人だとは、誰も思っていなかったに違いない。 SF大御所となってしまった、小松左京や平井和正なども、SFだけではたぶん食べていけない時代だったと思う。その2人が関わっていた子供の時間に放送されていたドラマが、<宇宙人ピピ>だったという記憶も確かにある。やたら馬鹿馬鹿しくて面白い番組だった.....
午後から夕方まで、仕事で出かけていて、午後6時近くに会社に戻ると、湯島にある婦人生活社が自己破産を申告したという話を聞くことになる。
もうかなり前のことになるが、ここの雑誌で編集長(名刺には取締役の肩書きもあった)をやっている人に、話を聞きに行ったことがある。いろいろな話を聞いたのだが、もはやその内容についてはほとんど覚えていないにも関わらず、もう一人一緒に行ったのが、編集長の話の内容にいたく感激していたことだけは、本当に良く覚えている。 あの人は今どうしているのだろう、ふと、そんなことを思った。
かなり前といっても、10年も前のことではなかった。 また一つ、名前が消えていく。
「5年ぶりの(小林紀晴の)長編Asian紀行」と、本の帯に書かれていて、店頭で見てやはりすぐ買って、すぐ読み始めることになった。
小林紀晴、カメラマンではあるが、この人の乾いた孤独を随所に感じさせる文章は、一度読むと虜になってしまう。しかも、このような紀行文にはそれが一番良く似合っていて、この人はずーっとアジアを旅し続けているのではないか、そんな錯覚にも陥るほどだ。
この<遠い国>には、クアラルンプールのインド人たちの祭り<タイプーサム>との、偶然の出会いをきっかけに、縦糸に金子光晴、横糸に東アジア〜東南アジア各地のインド人(街)を絡めながら、終わりのないような旅、そこを旅をしながらも、自分とあまりに隔たり、交わることのない遠い国のことが描かれている。 書かれている文章はつながっていても、それぞれ深く隔てられて、また次の旅へと続いていく。(2002年12月、新潮社・刊)
「・・・・バスターミナルという存在そのものに僕はいつも物足りなさを感じる。何かが足りないと思わせる。日本でも外国でもバスターミナルには何かが足りない。乾いていて、よりどころがなく雑多で落ち着きがない。・・・・」(馬六甲Malacca 120p)
「・・・・ 僕は寺院を出た。 さらにチャイナタウンを先へ歩く。 どこにも僕が目指す行き先などない。 赤と黄の提灯がゆれている。」(馬六甲Malacca 156p)
「・・・・ 僕はその境界線にカメラを向ける。 左側には中国人の老人たちがいて、すぐ右側にはインド人の若者がいる。中国人のほとんどはTシャツかランニングシャツに短パン、ゴム草履といったいでたちだ。インド人は誰もが、襟のついたシャツを着ている。 一つの風景を見ている気がしない。だから僕はここが境界線なのだと強く思う。そして僕はそこに向かって何度もカメラのシャッターを切る。 ・・・・」(新嘉坡Singapole 294p)
一人で旅をしている時に、自分が何処へ行こうとしているのか、その<あて>を見失いながらも、彷徨い続けている時の、なんともいえない感覚。果てまで来たと思ったときに、さらに果てはその先にあると知った時の感覚。あるいは、やっとここまで着いた、そう思いながらも、そこには殆ど人影が失われ、空虚・廃墟となっていることを知ったり、結局通過してきた街と何ら変わりのない街だったりした時の感覚。 心の中心部分に、ぽっかりと空白ができてしまう、そのような瞬間。 戻るところは、そのホテルなのだけれど、そのホテルに戻っても、また旅立つことを急かされるような、そんな時の感覚。 それが、小林の旅であり、その旅に付き合うことで、自分自身とも対面することになる。
米小売業でトップを独走する、というよりも世界最大の小売業、ウォルマートと英スーパー大手であるテスコ(Tesco)が、ジレット社と組んで、在庫をリアルタイムで把握できる<スマート・シェルフ>のテストを実施。導入予定の商品棚(=いわゆる、小売のシェルフ)は、ジレットのシェーバーやカミソリなどの商品(パッケージ?)に組み込まれたチップから出る高周波を感知できる仕組みになっている。並んでいる商品をスキャンして、商品が少なくなったり、盗難を検知すると、その情報がネットを通じて、従業員に通知されることになる――というような記事が、今朝のネット・ニュース(ZDNet)に掲出されていた。
ウォルマートは、バックヤードの在庫をできるだけ持たないように、今世界で最もITを小売業に積極的に導入しているだけに、やはりここまでやろうとしているのか、という感慨を持ってしまう。(ただ、盗難を検知するというのは、別の仕掛けがないと難しそうではあるのも事実だが。)
スーパーなどのセルフ販売では、売上ロスを最小限に食い止めようとすればするほど、店頭のシェルフ・チェックと同時に、その商品発注をこまめに行っていく必要があるが、いつもいつも店員がシェルフをチェックしているわけにはいかない。 結果、特定のシェルフでは一日○回、別のシェルフでは▽回とか、恐らく店別にある程度マニュアル化されている。ただ、このチェック〜発注についても、自動化できれば、一層の売上ロスが防げるだけではなく、チェック〜発注の手間=コストがそれだけ減らせることになり、ウォルマートでいえば、その分商品を安くできる、という意味や、一層の店頭における品揃え効率だけではなく、同じシェルフ数であったとしても、数品揃えの幅を広げることもつながってくるものだろう。 あとは、この(スマート)シェルフや、場合により商品(パッケージ)に別途必要なチップなどの、導入及び維持に係わるコストをどの程度と捉えているか(初期投資をどのくらいのスパンで回収できる、と見ているのか)、なども、少し関心を引くところだ。
午後2時過ぎに家を出て、鎌倉に向かう。 最近鎌倉に行く時は、東京駅から東海道線で大船乗り換えで鎌倉まで行くことがほとんどだ。 鎌倉には午後4時過ぎに着くが、この時間になるとかなり冷え込んでくる感じがする。しかも、かなり風が強い。この時間だと、恐らく浦和などよりも温度が低くなっているのではないかとも思う。
さすがに4日の夕方ともなると、かなり人が少なくなっているだろうと思ったのだが、小町通りなどはかなりの人だし、蕎麦屋のなかむら庵は吹きさらしの中で、席が空くのを10人ほどが列をなして待っていたりする。小町通りには戻らず、鶴ヶ丘八幡の道路中央に作られた参道のほうを通っていく。 八幡宮本殿の階段下に到着するのに、3回のロープ待ち。これでも比較的早く本殿に着けたほうだ。
その後例によって、鎌倉宮と荏柄天神に寄って、それぞれ凶と吉のおみくじを引いたりする。禍福は糾える縄の如し、と嘯いて、蕎麦を食べて帰ろうとなかむら庵の前まで来たら、人影はなく本日売り切れの札が出ていた。やはり凶だった。明日は吉になるだろうと勝手に思い直し、八幡宮に近いところまで戻って、少し高い食事をする。 鎌倉駅でちょうど乗った電車は新宿行き。大崎で降りて、埼京線に乗り換える。
本当は昨日初詣で鎌倉まで行こうかと思っていたのだが、起きて食事をした後、どうも頭痛がして寒気がするわで、また午後から寝てしまうことにした。午後6時過ぎ目が覚めて、再度起き上がって少ししたら、調子は元に戻った。 ほとんど頭痛というのには縁遠いのだが、久々に頭痛で寝込むことになった。やはり風邪が残っているような気がする。 今日は、昼近くから粉雪が舞う空。2003年の初雪。やたらと寒く、初詣は明日に延期する。
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