| 2001年09月28日(金) |
感情を昇華させてやること |
実は今週末、ダンナ一族(大人10人子供1人)と一泊温泉旅行があり、 産婦人科の先生にも無理しなければいってもいいよね?と確認し お義母さまに「お背中洗いましょうか?」っていうタイミングはどうしようとか 義理姉夫婦 義理兄夫婦 との部屋割りに周囲がめっちゃ気をつかってくれて 新婚夫婦(あたいたち)は別に一部屋とるよっていってくれてるのを 「え〜 みんな一緒でいいですよ〜 枕投げしたいし〜」とかいって あきれられたりとか 義理姉 兄 その配偶者 誰と比べても末っ子の嫁であるあたしが一番年上で(笑) 年くってるくせに若いふりもなかなか大変とか
まぁ 結構旅行を楽しみにしてたですよ。
で、こないだはじめて産婦人科行った翌日にですね 朝 自分の足の間を液体がつつっとつたわるので目覚めたわけで。
慌てるな 慌てるなあたし と言い聞かせ なぜか洗濯をはじめ 出血量を確認して 再度妊娠検査薬つかったら 陽性が。 「まだ 生きてる」 でも 基礎体温ががくんと下がってしまいやがりましてね。 何がなんだかわからなくなってんだけど とにかく慌てるなあたし の連呼ですよ。
病院に電話して 状況を説明したらすぐ来いってことだったんですけど 大きな病院だから すごく混んでて 2時間くらい 待合室で妊婦にまみれて本読んでました。
あ、その時読んでたのが 湯本 香樹美の「ポプラの秋」っていう文庫本なんですけどね 待ってる間に読みきっちゃって それがまたいい内容でね 映画の「ニューシネマパラダイス」をわたしは思い出したんだけど ぼっろぼろに泣けてきちゃってね その時の自分の精神状態も不安定だったんだとおもうんだけど でも あの本がそばにいれくれたから ことのほかしっかりしていれた気がします。
診察は 昨日とは違う先生で 結果的にはエコーでは見えないのは まだ見えるほどに育ってないからか、もう見えないと言う意味で育ってないからか よくわからなくて やっぱ来週になんないとわからんですと。
だだ、2分くらいの診察の間に「流産かもねー」って言葉を10回くらい言われまして まだ わかんねーべ って思いながら 覚悟しましたですね。
で、止血剤をもらって今は絶対安静状態なので これも布団の中で書いてます。
昨日 病院の帰り 隅田川の水上バスのりばのベンチに座って ぼーっとしてたら 自分が感情を閉じ込めているのに気がつきましてね まだ 何もわからないのだからそれは至極当然なのですが うまく悲しめないっていいかた へんですね。篭っている感じ でした。
朝 出血したときは ダンナさんは前日の夕方から夜勤でいなかったので 携帯の留守電に事情をいれておいたんだけど 病院をでて 歩いてたらまた出血しているのに気付いて心細くなって また留守電に メッセージいれてたんですね。
水上バスのりばをようやく立ちあがって歩き出したら 隅田川の橋の上を 必死に自転車こいでるダンナさんが見えました。 きっとメッセージを聞いて あわてて帰ってくところだ と思ったら なんか安心感がわいてきて、うん 慌ててくれる人がいる という安堵感でしょうか。
出血はしても腹痛がないので大丈夫かな とか でも出血とともに基礎体温が下がったこととか (それを医者に言ったら「あ〜それなら流産の可能性高いですね〜」と念押しされた) その日の夜中 こわごわ3度目の妊娠検査したら とても儚い色なんだけど うすーく+の反応がでて せめてちゃんと結果が出るまでは 信じて体をいたわろうと 今に至ってます。
あのね もし 今回ダメでもまだ赤ちゃんは何ミリのもんだし 8ヶ月9ヶ月お腹の中で育って 稽留流産することと比べたら 子供に対して思い入れも少なくて 身体のダメージも少なくて だからいいんだよ
っていう 不幸比べしてなぐさめるのって この場合役立たずなのですよ。 その通りだと 思うんですけどね。 出産予定日に 赤ちゃんの心音が聞こえなくなって 人工的に陣痛起こして それはそれはのたうちまわる苦しみで死んだ赤ん坊を 無理やり産み落として で産道をうまく降りてこなければ赤ん坊の首を切断する なんてことにも術前に承諾せざるえなくて 精神的に壊れた人知ってます。
その人と比べたら 確かに そうです。
じゃ その人に対して 「まだ胎児の時でよかったよね。うちなんて産まれて2歳半で亡くなったんだよ」 こう言われたら 不幸比べされたら 言われた人はもううまく悲しめなくなるのですよ。そんな大変な人の前で 悲しいなんていうのは甘えている なんて歪んだ風潮がある気がします。
いや 思うのは勝手だし 実際そうでも 本人にいっちゃぁいけません。 悲しい人は おもいきり悲しませてあげることです。
亡くなった年齢じゃないんですから。命に対する思い入れなんですから。
なんか 死んだ話しばっかですね(笑) 予防線はってるのかなやっぱ。
ということで 結果待ちの今日この頃。
旅行も 今月いっぱいで期限のポンペイ展(東京江戸博物館)も 行けなくなりました。せっかくチケット買ったのに。
会社を辞めて1年経った。
電気が消えないので夜でも昼のような会社と言われ、夜の11時を過ぎても 会社の前には客待ちのタクシーが並ぶ。 最終のポートライナーに乗り損ねた社員目当て。
最近、そこが長年の時間外勤務の実態調査をうけ 労基監督所から「あんさんとこ、あきまへんで」とご注意を受けたと 新聞に載っていた。
わたしが社員だった頃から内偵調査をされていて、ハナから残業手当など つかなかったが 正確な退社時刻を書いていた勤務表に どんなに遅くなろうとも就業時刻は17時半と申告しろ とお達しがあった。 こりゃ ちかいうちに何かあるな と思った。
手当てはつかないとはいえ、給与には「みなし残業」として月24時間残業したと 仮定した金額を加算されており 反対にいえば定時通りに帰りにくい環境が あったともいえる。しかしみなしをはるかに超える残業の実態。
勤務表を書き換えろ伝達のあったあたりから、社内の再構築が進み 社員の間にもモチベーションの差がかなりひらいていた。
どこぞの部署の家族が社長に「帰りが遅すぎる」という嘆願をしたとか 社員の祖母が労働基準監督所に密告したとか まことしやかに囁かれる。 みんな必死だったころは そんなことありえなかったことなのに、な。
そうこうしているうちに 人事部のバリバリのリーダーが自宅の風呂場で 眠るように亡くなった。誰もが過労死と思った。とても慕われていた人で 会社中に暗いショックが重い霧のように漂いなかなか消えなかった。
そしてお上からの注意と改善勧告 新聞報道と相成ったわけだが 報道に対して対応した人事部長のコメントにひっくりかえった。 「そんなに残業しているなんて知らなかった」
まぁ 会社ですからね、そういいますわね。 とっくの昔に知っているから1年以上前から証拠物件の勤務表に虚偽申告を 命じてたのに。部長ご自身もめっちゃ残業してはったやん(^^) 残業もやらされている(と感じてる人)より 理由はさておき自らしている人 ばかりだったと思う。
で、今は といえば夜8時以降の残業は原則的禁止らしい。 最終電車より遅く帰って仕上げた仕事は どうなっているんでしょう。 あれは なんだったんでしょう。
あらたな事業計画修正が上向きに発表されていた。 未払い残業分は本社社員分だけで 12億5千万(!)支払われるらしい。 いつの頃からさかのぼっているんだろう。 ち、わたしの未払い分もくれよん。 2000人の本社社員だけでそうだから、グループ社員分を合算すると・・・
それでもなお上方修正とはこれいかに。
さて その会社からひさしぶりに連絡があったのがひと月ほど前。 わたしがしていた仕事を 「首都圏でやってくれる人間を探している。 かといって正社員のように仕事があるわけではないのだが、どうだ」
わたしがこの1年仕事をしてこなかったのは 新しい生活に慣れて 子供作りに専念したかったから。 ゆっくり身体を休めたかったし。 産める年齢のタイムリミットも近づいているし 今が決して豊かなわけではないけれど 私がどうしても働かなければいけない事情もなかった。
ところが 専業主婦というのが どうにも暇を持て余しているように周囲は見えるらしく いったい家で何してるのぢゃの 何もしないで家にいるぢゃのとか言うのが 聞こえてしまい 「あはは〜 家事してま〜す」って言える器でないわたしはドツボにはまり 次は 引きこもりになるよ、鬱になるよとか言われてさらにきーっとなっていった 仕事しないの?単なる素朴な相手の質問すら それがストレスだった。
実はこれはダンナさんが「何もしないで家にいるんじゃないでしょ?」の たったひとことで解消することになる。
根は「働かざるもの食うべからず」の教えがインプットされているからなのと 人に認知されてないという思いこみが 自分を追い込んでいったわけですがね。 「あなたは 本当によくやってくれるよ?Yシャツを10日続けて着なくても いい生活なんて天国だよ。毎日新しいものが着れるんだよ?」 この話し自体とても問題だが この場合まぁそれは無視しよう。 私の努力を 誰もわかんなくてもあんたがわかっててくれてたらそれでいい。
ちなみに日頃から 必ず「ありがとう」を言っている私達ですらこうなんだ。 口数少ない男性陣よ、ぜひ妻には感謝の気持ちを「ことば」にしておくれ。
かなり話しがそれました。 で、くだんの人事部長にお会いすることになり お互いの利益を重ね合わせて ひとまずパートタイムにお仕事をすることに。 この秋から本格的に動きだす。 わたし自身この仕事を極めていつか将来再開したいと思っていたし ちょっと環境をかえたほうがいいかな と思ったから。
ところが 今まで何かをはじめようとすると他の何かが変化するのが今までの常。 例えばお見合いしてそろそろ身を固めようという気になったとたん チャンスな仕事をもらい恋愛どころじゃなくなったり。 新しい恋がはじまった途端、仕事量が3倍になったり。
で、今回もなにかあるかなー、あるだろーなー、と思ってたら 思ってもいなかったことがありました。
妊娠検査薬で 2回 陽性。 もう間違いなし。 そして病院で検査。 ワクワク(^。^) ドキドキ(>_<) ハラハラ(*_*) そして今回わかったこと。
『子宮筋腫』・・・
そうきたか。
詳細は来週にならないとわかりませんが 世間に珍しい話しではないし ただ、今まで毎年していた検査では まったく異常なしだったし それに筋腫の検診をしたわけじゃなかったんで 不意打ちくらい の心境。
| 2001年09月24日(月) |
夫はケントデリカット |
独身の時は、あれほど「来いっ 来いよっ 絶対来いっ」と祈っていたのに 結婚したら「来るなっ 来るなっ んなぁああ 来たぁ・・・」とうな垂れる。 こうも正反対の反応をさせるもの。
―生理―
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わたしのホームページをダンナさんは ほとんど見ない。 だから好き放題にここにも書いてきたが 今日何気に「ちょっと見せて」と わたしのノートパソコン前に割り込んできて この目口覚書を つらっと眺めていた。
・・・・・・・ ほっぺた ふくらんでる。 「これってさー、俺、すんごく バカみたいに見えない? 寝て食ってゲームしてるだけのオロナイン好きのデブって 思われてるよぉ」 (お、自覚しましたか。)
「そんなことないよ。 きっといい人度UPだよ〜」
一応そう答えておきました。 だって、毎日喋る相手って ダンナさんがほとんどだし 話題が彼に集中してしまうのは 情けないけど仕方ないし 観察すればするほど面白い題材でもあるのだ。
今はフレッシュな話題も、来年の同じ日には「こんなことあったねー」と 笑える言葉のアルバムにする所存だ。だからenpitu頑張れ。無くなるな。
あ、でも昨日のカレーに『ほどからなんばん』を入れていたのが バレてしまった。 「ひっどいねー、ひっどいよー」とケントデリカットになったダンナさんであった。
| 2001年09月23日(日) |
ほどからなんばん後日談 |
カレーをつくった。
冷蔵庫の中に、数日前につくって容器に入れたままだった 『ほどからなんばん煮(激辛版)』が あったっけ。 あれを細かーく刻んで カレーに入れたらスパイシーちゃうのん♪ と またいいアイデアを思いつく
で、この間の失敗を反省して2本だけ取り出し細かく細かく刻む。 バケツ一杯のカレーに 2本だもん、ダイジョブダイジョブまいふれんど♪
と・・
と、・・とと・・・っ 痛ぅっ!
激痛が指先に走る。 何度かこの覚書にも書いたが 私の指先はデリケートだ。 指紋は溶け おまけに今 親指と人差し指のさきっちょが炎症を起こして 通院までしているところだといふのに その該当指で『ほどからなんばん』を つまんでしまった。 いや つまんだだけだった。
しみるとか痛いを通り越して、熱湯を浴びたような感覚。 みるみるうちに、薄い皮で覆われていたマイ らぶりーフィンガーが 割れ、血が滲んできた。 ヤケドしたわけでないのに流水にずーっとさらしておかないと じんじんする。
ぱくっと指をくわえたら口の中 激辛(>_<)! 洗う洗う。ラスカルのように。 洗ってる最中は大丈夫だが、水から離すとまたまた激痛。なんぢゃいこら。 洗っても洗っても 舐めたら激辛。なんでやねんな。
食事中も左指先は氷で冷したまま。 (ホント火傷と同じだ。傷に塩というが、もともと切れてもただれても いなかった指なのに、大きな刺激を受けるとこんなことになるのね(T_T)) でも、家人には「アレ」を入れようとしてこうなったなんて内緒に しておく。そんなもの入れたのくわっ と怒って食べてくれなかったら それこそイタイ。バケツ一杯あるのに。 スパイス触ったら こないなってーん と言い訳しておいた。
「かわいそだねー。あとでオロナイン塗ってあげるねー」 そういって、食事中 薬箱を探しに立つダンナさん。 なんでもオロナインで治ると信じている男である。 タイガーバームを信仰する香港人のようだ。
ニンニクたっぷりなすりつけ 片栗粉まぶして焼いた茄子をたっぷり トッピングしたカレーは ことのほかおいしいし 特に辛くない(ほっ) 大盛おかわりして再び食卓についた彼、しばらくして 「うっ をっ んがっつつ!」 ・・・・・ ? ? え あ!
『ほどからなんばん』をカレーに入れようとして激痛に襲われたので そのまま塊でトポンと鍋に入り、混ぜてもすくっても そのみじん切りの塊は離れることを拒んだまま彼の皿に盛られたようだ。
「あれ〜 そんなに辛いぃ? やっぱカレーやねぇ」 わけのわからんフォローして、こめかみを両手で押さえるダンナさんを 見つめる。
あぁ恐るべし『ほどからなんばん』 あぁ恐るべき 反省のない台所人生。 もうしません。ごめんなさい。
| 2001年09月22日(土) |
キャラメルボックスでぃ♪ |
雨が降ってる。 出掛けるタイミングを見計らって 小降りになるのを待とう・・・
と ポストをのぞいたら うおっぉぉおっ
この間のサンシャイン劇場で生中継したキャラメルボックスの 『ミスタームーンライト』のビデオでは あーりませんくわっ! んぎゃーーーーー 『また逢おうと竜馬はいった』もあるぅううう
んなもん 出掛けておれるかいっ 中止じゃいっ 中止っ
PS:のりこ ありがとよっ
| 2001年09月21日(金) |
体内時計 七転び八起き |
家人の仕事のシフトの関係で、夜勤が続くと 朝6時就寝 昼3時起床 夕方5時出勤 が調子づいてくる。
彼はその後、20時間連続勤務して帰ってきて、使い終わったサランラップみたいに くちゃくちゃになって寝る。
ところが、今週はずっと昼勤務だ。 朝7時起床という 世間様では至極当り前の時間が連続する。 『目覚ましテレビ』で寝てたのが『ズームイン!』で起きるのだ。
それまで夜11時に寝てた人が、12時に起きて仕事いかなきゃならん みたいなもんじゃないか。 何に対してかはわからんが、何だかわたしは怒っている。
短時間に朝食と弁当を作り終えないといけないわたしは ぼさぼさのアタマ ばんばんにむくんだ顔 腫れた目にメガネをかけ 竹村健一が主婦になったような有様で 米を研ぐ。
今でこそ それだけ(だけ?)で済んでいるが 当初は、まとわりつかれでもしたら包丁片手に「何やねん!」と 殺気だって振り返ってた。余裕がないない。
それでも弁当箱に詰め終わる頃には平常心がやってきて ダンナさんの横にぺたんと座り、コーヒーを ずずとすする。
日常と非日常の境目がぼやけている我が家は 4日も続けてダンナさんが夜帰ってくる なんてはじめてじゃなかろうか。
だからって何もかわらないが 早起きも、誰かがいるっていうことも たまにあるから なかなかいいものだ。 一緒にいる分ケンカの数も増えるが 仲直りも同じ数だけ増える。 (今のところは、ね)
今日は洗濯もできそうにないので両国へおでかけ。 それも早起きのおかげ。
| 2001年09月19日(水) |
花嫁はお花に包まれて |
アンナちゃんが結婚披露宴をしたとかで、その時のブライダルブーケを 手造りした過程を深夜番組でやっている。 ・ お花はウエディングシーンには欠かせないアイテム。 わたしのようなロマンも記憶力もない女は ついさっきみたはずの 花嫁のブーケも、花の種類が思い出せない。 それより、葉っぱが青々しててきれいだった、とか 持ちにくいやろなーそのブーケ、とか どうでもいい余計なお世話な ことを思っていた。 ・ 花嫁は その花選びの段階からそれはそれは真剣に悩まれる方も いるが、ある披露宴に招かれたわたしの友人Yはすごかった。 その披露宴には私も出席しており、彼女の友人でフラワーアレンジメントを 生業としている女性も出席するという。 ・ せっかくだから、ナマのお花をコサージュににしなさいよ、わたしが アレンジしてあげるし、とそのアレンジャーさんがおっしゃった。 お花もその人が調達してくるから、Yさんはサイドに添える緑のもの、 そーねー、アイビーとかそのあたりでいいわ、お庭にあるでしょ?それを もっていらしてねっちぅことだった。 ・ かくして、披露宴出席のためにバタバタを準備をし、気がつけばもう 電車に乗る時間! Yは、アイビーなんぞをもぎとる時間がなく それにかわる緑のはっぱを 手に結婚式場に現れた。 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ それは パセリ ・ ・ 「あんたは、なんでこのごにおよんでそんな笑いをとろうとするねん!」腹よじれすぎ 「いや あたしは真剣よっ。これも緑じゃけん!」(Yは松山の女) スーパーでパックされたビニールで包まれたままのパセリ一束100円。 アレンジャーは、「わたしは薔薇を持ってきたのよ。なんで薔薇とパセリなのよっ」 と叫んでいる。 ・ そのあと、いくらなんでもパセリじゃぁということになり、どこかでかすみ草でも 拝借してくっつけた。 今でも 生花のコサージュというと Yを思い出す。 ・ それよりも この話題を書いてすぐに、WEDDING MCのネタにすればよかったと悔やむわたし。 ・ ・ ・ Tank 更新しました。↓のHOMEPAGEからお入りください。 京都祇園のお茶屋話です。
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