此処数日、非常に不安定な状態になってしまっていた。 自分は変わった、タフな人間になったのだ、思い込んでいたのが粉砕された。 その思い込みに根拠はなかった。 ただ、あらゆる困難は乗り越えるためにあり、乗り越えることが出来るのだから、状況を楽しめるはずだ、などと考えていたのである。 こんなのは自分じゃない、と、吐きそうになりながら自分に言い聞かせた。 それでも駄目なので、ランディに泣き言を言った。 それは、わたしが自ら望んで招いたことで、ランディに負担をかけて良いことではなかったのに、ランディは黙って聞いてくれ、「しょーがねーだろ。大丈夫だよ。ゆっくりやってこう」と言った。 ああ、そう言えば、この人はこういう人だった。 結婚する少し前、今思えば、あれは、マリッジブルーだったんだな、というような状態にわたしが陥ったときも、「大丈夫だよ」と言って、非常にシンプルに前向きに物事に向かい合っていた。 普段がどんなんでも、わたしがどん底のときに平然としてくれるのは非常にありがたい。 「ありがとう。やっぱ、あなた結構偉いわ」 と言ったら、 「当然だ。そう思うなら、小遣いくれ。五千万くらい」 こういうこと言わなきゃかっこいいとまで思ってやるものを…… 何処にあるんだ、そんな金、というツッコミはしないでおいてやることにした。
広告というのは、インパクトを与えてなんぼなのだろう。 少々、どぎついくらいの方が本質を現した広告なのだろう。 記憶に残っているのは、海外旅行に行く男性が、パスポートで顔を隠していて、「行ってらっしゃい、エイズに気をつけて」というコピーがついていたポスター。 えらい抗議があった、と記憶している。
これは、抗議は受けないだろう。 が、ぞっとした。 上手い、とか、やられた、とかいう感想では表現しきれない。 広告に限らず、ぞっとするということは、そうそうないので貴重だが……しかし、怖い広告だ。
朝起きて、5月18日……5月18日……なんかの日だったよなぁ、と、ふと考えた。 確かに、日付には覚えがある。 が、話題にものぼらなかった。
ふたり揃って、猫にはまっているせいだろう。 結婚記念日忘れるとは重症だ。
猫が来た。 鳴き声は、ぴーぴーとかきゃーきゃーに聞こえるが、猫である。 と、いうことで、ブログをはじめました。
ランディのおばあちゃんの葬儀の際、久々に親戚が大集合した。 わたしとランディの結婚披露宴以来、という人が殆どだった。 はじめて逢う親類というのも何人かいた。 その中のひとりが、二歳児だった。 わたしは、「可愛いねぇ」などと抱かせて貰いながら、微妙な緊張感を抱いていた。 と、いうのは、ランディの叔母さんの子なのか、ランディの従姉妹が産んだ子なのか判断がつかなかったのである。 ランディの従姉妹は、十代に見える。 結婚したとは聞いてないし、会話の端々からまだ学生らしいし、この子の子供じゃなく、弟だよなっ、だよなっ? と、悩んでいるとき、ランディの叔母さんが、
「三人で歩いてると、上の子が母親で、わたしは祖母かって言われるのよっ!失礼なっ!」
同じ間違いをしかけたとは言えず、笑うしかなかった。
で、その二歳児が、元気に走り回るのだが、風邪気味で、ときどき、咳き込んでいたのである。 そのうち、ランディのお兄さんが「なんか、寒気する。風邪ひいたみたいだ」と言い出し、同じ症状を訴える人、数名。
わたしは、葬儀が終わった頃に喉が痛みはじめた。 あー、感染ったかー、と思っている間に熱が出て、咳が出た。 一日遅れでランディに感染し、ふたりで祝日に診療してくれる病院に行って、薬を出して貰った。 しかし、後から罹ったはずのランディが治り、ゴールデンウィークも終わったというのに、わたしの症状は治まらず、咳が止まらないので、ネットで近くの呼吸器科を調べて行ってみた。 肺のレントゲンは異常無し。 恐らく、気管支炎であろうと診断された。 咳がひどくて夜も眠れない、と言ったら、気管支を広げる薬を出してくれた。 十日ほども、まともに寝てないので、それを飲んで寝ようとしたら、死ぬほど眠いはずなのに、寝つけないのである。 処方箋薬局がくれた紙を見てみると、その薬の副作用の欄に、
『眠れなくなる』
とあった。 …………咳は止まるので、楽にはなったが…………
憲法改正論議が盛んになってきているらしい。
憲法前文も、日本の伝統や歴史や、愛国心を盛り込む案があるらしいが、それは必要ないと思う。 伝統や歴史や愛国心が要らないと言っているのではない。
わたしは、憲法前文は完璧だと思う。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
という部分は特に好きだ。
中学の頃だったか、第1条と、第9条は、ひとりずつ暗誦させられた。 当時は、「うげーっ」と思ったものだが、あれは良かったと今は思う。 わたしは、9条は、感動的でさえあると思う。
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
この美しい言葉が変わってしまうのは、余りに惜しいと思う。 詩的でも、華麗でもないが、夢物語のような文章だ。 六十年近く、この条文を憲法とする国があったことは、奇跡のように思える。 出来ることなら、この言葉はこのままにしておいて欲しいが、解釈を変え、意味を捻じ曲げて、スカスカに形骸化てしまうくらいなら、いっそ変えるべきだろう。 が、夢物語が終わった後でやってくるのは、絶望ではなく、成熟であらねばならない。 と、いうか、そうあって欲しい。
参考:国立国会図書館内の憲法条文・重要文書
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