執着心という名の愛情 -お食事編- |
事の始まり。
まだ若かりし頃、バブルは終局を迎えたが景気は冬の時代を迎えるちょっと前ぐらい。 職場の後輩と「美味しいレストランがどこかに無いか」という話をしていた。 彼女はよく食事にいくらしく結構いろんな情報を持っていた。 対して自分はほとんどゼロに等しいくらい店情報を持っていなかった。 結して外で食事をした事がなかった訳ではないのだが、どこがどう美味しかったのかという記憶をまったく呼び出す事が出来なかったのだ。 美味しいお店はあったはずなのになんで覚えてない、と「???」が胸の内で踊っていたとき、当時の上司が「○○さん(←私の事)は料理に対する執着がないんだよ」と口を挟んできた。
ズバリその通りでしょう!!
核心をつくご見解に天使が舞い降りました。 そうなのよ。そう思えばそのころって全く料理に執着してなかったのだよ。 美味ければラッキーくらいの感じでご飯食べにいってたから、店の名前も料理の味もサラーっと脳みそから垂れ流されて、記憶の彼方の大海原へ旅立ってしまって戻ってこなかったのでしょう。
それから年を重ね、お酒も良く飲み、一回の食事にかける金額も上がって、美味しい料理の重要性も高まってくるにつれ、執着心を持って店選びをするようになった。 そうするとやっぱり記憶に残るわけで、お気に入りの店も出来るのね。 今ではそういったお店でゴロゴロ楽しんでおります。
ま、そんなわけで、あの日上司がくれた「執着」というキーワードは、私にとって基本となる行動理念となったわけですよ。 何事にも臨むなら「執着を持って」。
熱烈歓迎、おたく歓迎。 熱入りすぎてぶち壊れてることもあるから、気をつけろ!
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2004年11月18日(木)
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