2002年、お疲れ様。 - 2002年12月28日(土) 今日で2002年最後の更新となります“speak like a child”、 最後までよろしくお付き合い下さいませ。 【ポータブルCDプレイヤー】 車載用にCDプレイヤーを買った。 MDプレイヤーは高2のときから使っているもので、 音飛びがひどくバッテリーの消耗も激しい。 それにもともと僕はMDをあまり好まないので バイト代が入ったら買おうと思っていた。 商品を決め、噂に聞いていた大型量販店での“値切り”を敢行してみる。 結果は、ちょい引き&単3型乾電池4本サービス。 失敗。うまくいなされた気がする。 【CD】 先日のCD屋巡りがいけなかったらしく、 抑えていた欲望はあっさり解放されてしまった。 HMVにてアルバムを2枚買った。 あとCD20枚とプレイヤーが収まるケースも買った。 ポイントカードはついに100ポイント貯まった。 1月から買って、1000円につき1ポイント、 あまり細かいことは考えないでおこう・・・。 【たけかんむり】 菅原(すがわら)、菅野(すがの)の“菅”の部首は“くさかんむり”であって、 “たけかんむり”の“管”で書かれているのはまず間違いなく誤植である。 ただ、「かんの」に関してはそうとは言い切れず、“菅野”・“管野”の二通りが存在する。 今まで未確認だった“たけかんむり”の管野(かんの)さんに初めて出会った。 「ええ、珍種ですよ。」 自らそう言っていた。今年最大の発見と言っても過言ではない。 【ディオファントス】 数年前に証明された「フェルマーの最終定理」はディオファントスの 『数論』の本の余白に書き込まれていたという。 古代ギリシアの数学者ディオファントスの墓碑には このようなことが刻まれている。 「ディオファントスは一生の六分の一を少年として過ごし、 その後、一生の十二分の一経ってから髭を伸ばした。 さらに、一生の七分の一経って結婚し、その五年後に子供が生まれた。 この子供は父の一生の半分だけ生き、父より四年前にこの世を去った。」 原文はギリシア詩華集参照となっている。 さて、ディオファントスは何年生きただろう? 僕もこんな小洒落た墓碑にしようか。 【年賀状】 ようやく年賀状の印刷が終わった。来年は年男だ。 せっかくのヒツジなのだから凝った絵柄にしようかと思ったが、 あまり思い浮かばずネットから素材をもらってきてしまってちょっと悔しい。 今年は用意した70枚全て刷ってしまい、補充すべくコンビニに行ったら 無地の年賀はがきはとっくに売り切れたそうな。仕方ない。 予期せぬヒトから来たら既製品で我慢するか。 【新年会】 これを書きながらも高校の同期の新年会の日程調整に追われている。 元はと言えば企画・連絡が遅れた僕のせいなのだが、 高校を卒業して5年、毎年幹事をやっているとさすがに疲れる。 携帯のメアドが変更されて連絡が取れないヒトもいるし。 2002年はクラス40人中30人強集まるという盛大なものだったが、 2003年は少しおとなしくいこう。んで、3日なの? 4日がいいの? 【ジョージ・ロイ・ヒル】 映画監督ジョージ・ロイ・ヒルが亡くなった。 と言っても彼の名前を知っていたわけではなく、 ただ、彼の作品『STING』が好きだっただけだ。 劇中曲「The Entertainer」も知らぬ人はいないほど有名だ。 余計なものが増えすぎて本当に映画を作りにくい時代になったと思う。 だからこそそれを乗り越えて世の中に作品を送り出す映画監督には 敬意を表するが、その存在も古き良き時代の作品があればこそだと思う。 Let me entertain you... 【R.I.P.】 ラテン語の「requiescant in pace」から転じて英語では「rest in peace」、 「安らかに眠り給へ」という意味である。 今年もまた人が去った。 毎年誰かがいなくなる。 輪廻転生が真なら再び貴方に巡り会いたい。 僕の暦は五分の二に差し掛からんとしている。 【2002年】 今年の1月は死んでいたと思う。呼吸の仕方も分からず、ただもがいていた。 周りのものに引きずられながら自分が加速し始めた7月になるまで、 僕はいろんな人に支えられてきたと思う。 優に半年。膨大な時間を僕は何に費やしてきたのだろうか。 貴方から見て、どこか変わったと言うならば、それは有意義なものだったろう。 でも僕は自分の形を自分で求めるから、貴方は答えをしまっておいて欲しい。 いつか、思い出したように、墓碑に刻んでくれればいい。 【Enpitu】 自らの写し身でありながら、極力外部との接触を断っていたこのEnpituで、 メールや掲示板など双方向のコミュニケーションを図るようになったのは 6月のことであった。自分が一番落ち込んでいる時期だった。 最初にメールをくれたのは僕がMY登録していた女性で、 緩やかでいて深みのある、叙情的な描写の美しい文章を書く人だった。 最初にMY登録の範疇を越えて相手から突然登録されたのは同い年の男性で、 自分を見つけてくれた感謝以上に彼に共感する部分が多く、巡り会いの妙を知った。 浮き沈みが激しく、途中で休んだことも何度かあったが、ここまでやってこれた。 新たな世界を見せてくれた方々に此処で御礼申し上げる。 【ロタティオン】 映画『千年女優』より / 作詞・作曲 平沢進 黄金の月 草の露に幾万の昇り 唯一に来る夜の牢で打たれるキミの夢に咲く 瞬く間にも数千の朝よ訪れよ パラレルに行く船団に全てのキミの日を乗せて ランダムに行く雲のように生まれてたはずと 千年を知るキミの声が全ての月に木霊する 咲け輪廻の OH 咲けロータスの OH 響け千年よ OH 響け毎秒に OH 遙かな過去 遙かな今日 明日さえもここに 黄金の日は一度に有る 忘れたキミが目覚めれば パラレルに行く星の今を隠喩のように映す ランダムに咲く花の野辺に 全てのキミは記されて 咲け輪廻の OH 咲けロータスの OH 響け千年よ OH 響け毎秒に OH 【2003年】 年が明けて1月と3月に、数々の別離を迎える。 その他の友人とも最後の年になるであろう。 4月で仙台に来て6年目に突入する。 新しい生活は忙しい日々になるだろうから自分のペースを無くさないでいたいが、 一方でその腐りきった平穏を打ち破る因子の出現にも期待する。 一見、堅実に見えるが「石橋を壊して渡る」性格なのだと言う。 勝ち目の薄いギャンブルが好きなのだ。いずれ身を滅ぼす。 これについてはまた来年。 BGM : ♪〜『Future Shock』 / Herbie Hancock ♪〜『CG3+2』 / Carifornia Guitar Trio With Tony Levin & Pat Mastelotto 雪が降る街 - 2002年12月26日(木) ない。 ない。 ない。 あー、もう。 HMVとタワレコと新星堂とヴァージンメガストア、 仙台の主要なCD屋さんを全部まわりましたよ。 どこにも置いてないってどういうことですか。 求めるジャンルにもよるけどいつもは上記の順でお店を巡り、 たいがい新星堂でケリがつくんです。それなのに今回は大苦戦。 メモに“カリフォルニア”って書いてるからって迷わず“R”の棚を 目指した店員には危うくケリを入れるとこでした。 「ああ、クリムゾンのとこのアレですね?」って即答したアナタが 今日のベスト店員に決定。別のタイトルはあったのになぁ。 かな〜り惜しかった。 あんまり見つからないもんでついついフランク・ザッパに 手を出しそうになっちまったよ・・・。 仕方ない、年明けに注文すっか。 そういや、昨日の仙台は夕方から雪が降りました。 夜になって案の定、青葉山のキャンパスが凍ったようで、 学校にこもってた友人から救援要請があったので車で行ってきました。 雪に彩られた街路樹がきれいで、街灯に照らされて 幻想的な雰囲気を醸し出していました。 さっそく現像してきたのでドーゾ。 ・交差点 ・歩道 似たような色調の二点ですネ。 白色灯の写真は緑や青みがかかってて別の良さがありましたが、 構図がよろしくないのでアップは控えておきます。 BGM : 「ロタティオン」(LOTUS-2) / 千年女優 Many 苦シミマス。 - 2002年12月24日(火) 早起きして依頼された年賀状の作成に勤しんでるnutsです。 依頼されたのは一ヶ月以上前だったのにこの怠慢ブリ。 デザインを4パターンくらい作ったので許してもらうとして。 問題はオレの年賀状のネタがなくなったことかな。 今日中に送るべく今必死で印刷中なんですが、 プリンタの反作用でパソコンデスクが揺れます。 揺れながらコレ書いてるnutsです。 先日のラジオ『bon to be mild』にて 当サイト“speak like a child”の略称が「すぴ」に決定しましたので 謹んでご報告申し上げます。ぼんちゃんリョーちゃんありがとう。 そんじゃまた今夜にでも。 BGM : 「Merry Christmas Mr.Lawrence」 / 坂本龍一 WE6FEが面白い。 - 2002年12月22日(日) 気が付けば22日の朝5時ってとこです。 こんなに書いてなかったんだね、オレ。 某所にて公開されているオレの肉声が そのまま遺言になってしまっては困るので とりあえず生きてることを主張してみます。 コンビニで弁当を買おうとしたんですが、 「お箸をおつけしますか?」 「あ、お願いします。」 「何故ですか?」 ・・・は? 「箸もらうのに理由がいるんですか?」 と思っていたら「何膳ですか?」の聞き間違いでした。 あ〜、膝痒い。 今日は午後から今年最後の仙台スタジアムに行ってきます。 【天皇杯4回戦】ベガルタ仙台vsジェフ市原の試合です。 寒そうだなぁ。 つか、いつ寝よう・・・。 BGM : 『bon to be mild』 / bon to be wild Living On My Own - 2002年12月17日(火) 街を走った。 将監のトンネルを抜けた。 Freddie Mercuryを聴いていた。 QUEENではなく、ソロとしての彼もまた美しい。 夜の講義は厚着が仇となり度々睡魔に襲われた。 寝てしまうくらいなら稽古に行けば良かったと後悔する。 時折、民事訴訟に関する話題に触れることがある。 「権利の上に眠る者、法はこれを保護せず」というのは法律に於いて有名な格言だが、 一般に言う「沈黙は金、雄弁は銀」に対し、此処に於いては「沈黙は禁」なのだそうだ。 禁、か。 一昔前なら重くのしかかっていただろう。 この頃は無駄に感傷的になっていけない。 君が思い出になる前に - 2002年12月16日(月) 「どうやら1月いっぱいで日本を離れるみたいだよ。」 はぅっ!( ̄□ ̄;)”!! まことか。 とは言っても全然知らなかったわけじゃない。 入社当初は3年くらい勤めてからと言ってたのが 夏頃には来春くらいになるかもと修正されたのだった。 ところが、また最近になって急展開したらしく、 まさか1月になるとは思いもよらなかった。 心境の変化もあるだろう。 落ち着ける環境でじっくり腰を据えたいと考えるのは皆同じだ。 しかし、 しかしだ。 あと2週間足らずでこの体をどこまで鍛え直せるだろうか。 全盛時ですらヒラの俺に対して、彼は国体選手であり、 National Teamにも選抜され常に第一線で戦ってきたのだ。 もはや靱帯炎やヘルニアの痛みにかまけている暇はない。 ここで逃がしてたまるか。 忘れられない思い出を刻んであげよう。 それが君への手向けだ。 BGM : 『Crispy!』 / spitz 何処ヘ続クノカ? - 2002年12月15日(日) 車にポータブルのMDプレーヤーを積むことにした。 高校2年のときから使っているものだからサイズは大きいし、 バッテリーも劣化が激しく持続時間が半減しているのだが、 編集に強く、MD同士のダビングにも使えるのでいまだに重宝している。 車にはいずれCDプレーヤーを買おうと考えているので それまでの間に合わせといったところだ。 部屋のMDを整理してみた。 いつからかラベルを作るのが面倒になり、 曲名すら登録していないのが増えてしまったので、 どれがどれだか分からなくなってしまっている。 『Led Zeppelin / Remasters �機戮判颪�れたのが出てきたが、 確かこれはいらなくなって何度か上書きしたはずだったので、 試しに聴いてみると全然知らないアルバムだった。 先に送ってみて3曲目のイントロでようやく判明した。 “夢の続きを 見れずにいるんだ” なるほど。 キミは此処にいたのか。 BGM : 「WILD FLOWER」 / WINO 電話な一日。 - 2002年12月14日(土) 飲んで帰ってきて4時くらいに寝たのだが、 10時にエドの電話で起こされた。 「調べ物してほしいんだけど・・・」 「ん・・・なに・・・?」 「ルパン三世の緑の本がさぁ・・・」 ・・・オイ。 仕事で忙殺されて瀕死なのよりはずっといいけどさ。 朝からプレステかよ。 と言いつつも、11時から稽古だったので起きるにはちょうど良かった。 コンタクトを着けて準備して道場に行ったら集まったのは4人。 ミュウさんは朝5時半まで飲んでいたそうな。上には上がいる。 3次会の最中、2時くらいに着信があったのはそういうことか。 あな恐ろしや。 昼過ぎにお金を下ろしに行った。 カードを入れた次の瞬間、 「故障中につき、このカードはお預かりします。」 ・・・オイ。 初めて備え付けの電話を使ったヨ。 何とかカードは吐き出してもらって事なきを得たけど、 さらに帰ろうとしたときに誰かのカードを拾ったので交番へ。 昼飯にありつくのにこんなに時間がかかるとは思わなかった。 夜。 用があって実家に電話したが誰も出ない。 あ。 そういや母ちゃんが神戸に行ってルミナリエを観て、 そのあと大阪でUSJ寄ってくるって言ってたな。 留守電に切り替わって思い出したヨ。 あれ今日だったんか。やれやれ。 三タテに乾杯。 - 2002年12月13日(金) 忘年会に行ってきました。 飲みました。 めっきり酒に弱くなったと思います。 つか、熱燗ばっかりてどういうことですか? 楽しかったス。 仙台ではここが最も安らげる場所であり、 最も楽しめる空間なんだろうと思います。 水の女、火の男。 - 2002年12月12日(木) 昨夜のレイトで『水の女』を観てきた。 UAの存在感と菅野よう子の音楽に惹かれたのだ。 浅野忠信は相変わらず不敵に素敵だった。 前から言ってるが廣山望と彼は似ていると思う。 そんなことはどうでもよくて。YUKIは大好きだが、 劇中のあのセリフだけは好きになれなかった。 映画館を出ると雪が降っていた。 雨だったら良かったのにと呟いた。 【得ようと思ったら先ず与えよ − Goethe】 るり子さんに「でしょ?」と言われてしまった。 「うんうん、そうね。」と頷くには今の自分が掴めなくて悩む。 僕は欲張りだから欲しい物が多すぎるのだ。 でも、もし、万が一にも、得られたならば、 確かにそれで完結するかもしれない。 とにかく、それは未知の世界。 ボタンの向こうにある一言に打ちのめされる。 求めすぎて自ら視野を狭くしているから危険だと、 以前誰かにそう忠告されたことを思い出した。 強迫にも似た制限を課することで いつの間にか己を限定してしまいがちになる。 昔の、ある一時だけは、 そうじゃなくてもやっていけたのに、と顧みる。 なんだか遠い過去のことのようだ。 ぶつかり合うことを畏れている。 自分の弱さから逃げている。 気が付けば再び殻にこもりつつある。 幸せが痛い。 - 2002年12月11日(水) 毎日のように気分が変わる。 浮き沈みが激しいわけではなく、 もともとペシミストの傾向が強いから まさに憂き沈みばかりといったところか。 明かりを消して眠りに就く前に浅ましくも思う。 次に目覚めたとき、 この想いが心のうちからすっかり消え失せていたら、 いっそ貴方のことも記憶から全て抜け落ちていたなら、 それはどんなに楽なことだろう。 重荷を背負わせて貴方の笑顔を曇らせることもないだろう。 己が生み出す黒き炎に我が身を焦がすこともないのだろう。 そしたら、うまくいく。 たぶん、みんな、うまくいく。 そう思うのだけど、 迎える朝はいつもと変わらない。 何一つ変わらない。 いつもと同じ朝に、 いつもと同じ切なさと苦しさが襲ってくる。 その一方で、 忘れたかったはずのその笑顔と声が、 わずかばかりの幸せを運ぶ。 そして再び己は斬り刻まれる。 FLASHPOINT - 2002年12月10日(火) 今日はずいぶん雪が降りました。 昨日はうっすらと積もっただけだったのですぐ消えたのですが、 まだ寒波が続いていたんですね。 東北地方とは言っても仙台は雪国ではないので、 つまりは人や車、街そのものが雪国仕様じゃないのです。 道路は平気で凍るし雪道の運転が苦手などころか 夏タイヤのまま走ってる車もいる始末なのです。 火曜だったので夜間講義に行ってきましたが、 帰り道が凍ってて滑って大変でした。 ひかないよう、ひかれないよう気をつけます。 ROLLING STONESの来日公演の概要がいよいよ発表されました。 以前にRSFCから連絡を受けていた日程より早まったようです。 東京公演は3月15,16日で気になるチケットは13200円(S席)/11000円(A席)でした。 「ポール・マッカートニーのチケットより安いダロ?」なんてキースが言ってましたっけ。 昨年のクラプトンの9000円(S席)に始まり、 今年のFIFAワールドカップ(ゴール裏)及びプリンス(オールスタンディング)が12000円と、 チケット代最高額の更新は止まらないようです。嬉しい悲鳴をあげすぎてのどが痛いです。 どれもこれもあまり二度目が期待できないヤツばかりだから仕方ないんですけどね。 ストーンズも、次は望めないだろうなぁ。 来れれば来るかもしれんし、それは大歓迎なんだけど。 やっぱ今行かねば。 さて〜、チケットどうすっか。 全然つながらんし。 東京は二日間とも行こうか。 国内旅行しながら大阪で行くのもアリかな。 とにかく早めに計画立てんとなー。 興味ある人はドーゾ。 もし行きたいヒトは一声かけとくれ。 http://www.udo.co.jp/opening.html 日曜日だもの。 - 2002年12月08日(日) ジュンと『MEAN MACHINE』を観てきました。 公開直後の日曜なので混むかなと思って 11時に行って発券してもらったら整理番号1,2番でして、 15時50分の上映開始直前に悠々とフォーラム入りできました。 6日にも書いた通り、ガイ・リッチー監督作品は今回で3つ目で、 最初はシリアスな展開でなかなか笑いどころがなかったのですが、 後半はしっかりやらかしてくれました。 adidasの小ネタとモンクがサイコーでした。 作品としてはいまいち物足りないです。 『LOCK STOCK』や『snatch』とはかなり違っているので 先入観がなければもっと楽しめるのだろうけど、 欲を言えばもっと他のキャラを立たせて欲しかったと思います。 90分ではあれが限度なのでしょう。 夜はうちで宴会でした。 当初は4人の予定が結果的に8人になり、8畳とは言っても物だらけの 狭い部屋でひしめき合いながらWE6(PS2)やマリオブラザーズ(SFC)で燃えたあと、 パルマvsレッジーナのつまらない試合を観てました。 今日でつまみのレパートリーは出尽くしました。もともと多くないけどね。 調理酒の味見と言いつつ、日本酒をグラスで飲み干すのは少し控えようと思います。 BRIGHT SIDE - 2002年12月07日(土) Frankie Goes To Hollywoodの「Relax」が最近やたら流れていますが、 レモリアがけっこう好きでした。学食行くとよく飲んでいます。 CM音楽と言えばNIKEのCMはいつも印象的な音楽が流れていますね。 出演者も豪華と言えばそうなんですが、Sergio Mendesの「Mais Que Nada」や Quincy Jonesの「Soul Bossa Nova」などあまり派手さはないながらも 着実に人々の記憶に刻みつけられていると思います。 現在のNIKEのCMはご存じですか? シュートを外してしまうルート・ファン・ニステルローイや 手術の痕跡が痛々しいロナウドが逆境にめげずに口笛を吹いているヤツです。 ピッチの録音機能を使って着メロにしてしまいました。 変換プラグがなくてLINE録りをあきらめたために 雑音がひどくなったけど、かなりお気に入りです。 ついでに自分の口笛も録音されてます。( ̄ー ̄♪) そういえば、着メロを変えたのは久々です。 先日、「オススメの着メロない?」と聞かれたときは 返答に困ってしまったけれど、今ならこれを薦めます。 さあさ、皆さんご一緒に♪ Always Look On The Bright Side Of Life♪ 海外への野望は未だ潰えず。 - 2002年12月06日(金) 風邪で休んでいたら大事な掲示を見逃していました。 う〜ん、かな〜りクリティカル。(--;) 毎年この時期に来るのは分かっていたのだけど、 掲示のタイミング遅すぎっ!間隔狭すぎっ!! どうすんべか。 気を取り直して、今日は短期留学の説明会に行ってきました。 オーストラリアのメルボルンで3週間ほどホームステイしながら 大学で語学研修するプログラムです。 すごく魅力的なのですが、時期がちと問題で来年の3月なのです。 そうです。 ばっちりかぶってます。 ROLLING STONESの東京公演。 高校受験だった95年は日程的に問題なかったので行ったんですが、 98年は大学受験があって、さすがにそんな余裕はありませんでした。 んー。 今回逃したら次あると限らんからなぁ。 どうすっかな。 別案で2月にイタリアに行こうかとも考えてます。 最近、イタリア人女性とちょっとした縁ができまして、 彼女は今日仙台を発って京都へ行ったんですが、 イタリアに戻ったらベネツィアにいるとのこと。 そしてベネツィアで2月と言えばカーニバル! 彼女がベネツィアにいるのは来年限りだそうで、 ついでにセリエAなんかも見てきたいなあと思うわけです。 とにかく。 年明けはどっか海外に行きます。これ決定。 と、その前にまずはパスポート取らなきゃ。 (実はまだ海外行ったことないんよねぇ。) 夜は仙台フォーラムで『パコダテ人』を観てきました。 最近は映画を見に行くペースがすっかり落ちてます。 先月なんて『千年女優』を観たくらいですから。 主演の宮崎あおいはドコモ東北や緑水のCMでお馴染みです。 田中麗奈もそうですけど、やっぱり映画女優が好きですね。 『害虫』や『EUREKA』も早く観たいなぁ。 あ、日曜はガイ・リッチーの新作『MEAN MACHINE』を観に行きます。 今回はヴィニーがやらかしてくれるみたいなのでとても楽しみです。 ガイ・リッチーを知らないヒトは『LOCK STOCK』や『snatch』をドーゾ。 MEAN MACHINEと聞いて、女性5人組のバンドを思い浮かべたアナタは 岩井俊二の『Swallowtail Butterfly』なんかいかがですか?(^m^) BGM : 『ハチミツ』 / spitz 足乎。 - 2002年12月05日(木) 今日は親父の誕生日でした。 親父は歳のわりに老けて見えると言われ、 母親は歳のわりに若く見えると言われます。 いつだったか、家族三人で歩いてたときに 母親が娘に間違われたことがありました。 親父、姉、弟に見えたらしいです。 両親は同い年なんですがね。 親父には今年も服を贈りました。 一昨年は真っ赤なカーディガンを贈ったら本当に悲鳴をあげていたので 今年は無難な色で妥協しました。着てくれないんじゃ意味ないしね。 どうやら今日は仕事だったらしいので明日にでも電話するとします。 これにて息子的年中行事は終了です。 5月に母の日、6月に父の日とあって、 半年ずれた11月に母の誕生日、12月に父の誕生日ですから、 息子の経済に負担をかけないような均等な日程になってると思いませんか? サスガです。 そう言えば以前、 母親の誕生日にあげた物をやたらうらやましがるので、 11月にまとめて二人分贈ったことがあったんですよ。 毎年同じ時期に贈ると季節感が同じものしかあげられないから いいかなと思ったんですが、なんかありがたみがないとか、 誕生日な気がしないとか言われました。 己は朝三暮四かと。 足ルカト。 さ〜て、来年はまた奇抜な配色のヤツにしよっと♪ BGM : 『GUITARS』 / ゴンチチ thrown away... - 2002年12月04日(水) 始まったときは何も言わなかったくせに 終わったときだけ報告してくるアナタの その性格が嫌い。 つい許してしまいそうになる己の甘さが もっと嫌い。 明日はゴミの日。 この段ボールの箱を何とかほごして捨ててしまいたいと思うのだけれど、 たぶんゴミが散らばって掃除機をかけなきゃいけなくなるからメンドイ。 この鬱積した気持ちもひもで縛って捨ててしまいたいと思うのだけれど、 たぶんいろんな汁が飛び散って収拾がつかなくなるからイヤだな。 郵便受けにあるチラシもゴミだ。 またマンションのチラシかなと思ったら女性下着専門店のヤツでした。 こんなのは初めてです。正しいブラの選び方が書いてありました。 んーと、オレのサイズはっと。 ・・・これは萌えるゴミで。(ぼんさん推奨新リサイクル法移行済み) BGM : 『GUNSLINGERS』 / 東京スカパラダイスオーケストラ what's goin' on - 2002年12月03日(火) 昼飯を食ってたら舌を噛みました。 あまりの痛さにそこらへんのバッグを蹴飛ばしてのたうち回ってみましたが、 痛みがおさまってくると今度は変な味がします。 血ですか。 別に口封じで自決する草じゃないんだから、そこまで噛まなくても。ねぇ。 今日は若干昨日の続きの話です。 つーか、昨日書いてたら長すぎたので途中で切っただけなんですけど。 ここで教員免許取得用件について少し触れますと、「教職に関する単位」と 「専門教科に関する単位」を所定の数だけ取得しなければなりません。 前者は「教育心理学」や「人間関係論」など教師としての人格に関わるような単位で、 後者は専門が数学であれば「解析学」や「代数学」、「幾何学」などを何種類かと、 あと「数学科教育法」なんてのもあります。 それともう一つ、肝心な単位があります。 「教育実習」 自分の学校に教育実習生が来たという経験をされた方も多いかと思います。 僕も昨年、自分の出身高校に2週間ほどお世話になってきました。 最初は不安と緊張でいっぱいでしたが、始まってみると忙しいながらも楽しくて、 充実した日々から貴重な経験を積むことができました。 「教師になりたい」という意欲を掻き立てる日々だったと記憶しています。 ただ一つだけ、つまらないことがありました。 厳密に言えば学校の外でのことでしたが、僕には少しショックでした。 実習が始まって4、5日目だったでしょうか。 帰り際、学校の下のコンビニである先生に会いました。 この先生は僕が高校2年のときの数学の先生で、 そのときはすでに別の高校に赴任なさっていました。 「あ、お久しぶりです。」 「ん? あ、ああ。nutsか。どうしたの?」 「今、教育実習で高校にお世話になってます。」 「ああ、もうそんな学年になったのか。あ、でも教師にはならないんダロ?」 ・・・ん? まるで教師にはなってくれるなと言わんばかりのニュアンスです。 確かに“一応免許取っておくか”みたいな風潮の学生は多いですが、 今将に実習中の学生に投げかける言葉がそれですか? 理解に苦しみます。 しかし、語尾の「・・・ダロ?」で思い出しました。 この先生は高校時代、僕のことをあまり好ましく思っていなかったのです。 確かに僕の態度は悪かったかもしれません。 うちの高校は65分授業でした。午前に3コマで午後に2コマ。 ですから、20分寝て、1〜2分寝ぼけて、また20分寝て、1〜2分寝ぼけて、さらに20分寝る。 当時は部活メインの生活で、それが65分の正しい使い方だと思ってましたし、 3限の途中で学校を抜け出してお好み焼きを食いに行ったりして、 昼休みが終わるまでに戻ってくる。そして午後からはひたすら昼寝をする。 5限は気が乗らなかったらサボる。そんな毎日でした。 まあ、そんなわけで、この先生の印象が悪いのもうなずけるなと。 でも、僕もこの先生の印象悪いんですよ。 授業はうまくないし、一人で勝手に先に進んでるとこっちに注目しろとか言うし。 先に進んでていいのはジモンだけだったんですかね。 数学で僕に「4」をくれたのも彼以外思い当たりません。 じゃあ、何でそんな先生に話しかけたのかって? 癖ですかね。 基本的に学校は好きなんすよ。 校舎の雰囲気とか空気とか。 そこに集まる仲間がサイコーで、 先生方も大好きでした。 別にこの先生が嫌いだったというわけではないのです。 一応慕っていたつもりだったので、わずかな期待があったんだと思います。 教師として、先輩として、ねぎらいの言葉をくれるんじゃないかっていうわずかな期待が。 甘かったみたいですね。 もしかすれば、いつかは自分がその立場に立っている可能性もあるわけで、 あの日の自分の気持ちを汲んであげられる自信はまだありません。 教師って難しいなぁ。 今年は友人が幾人か採用試験に合格したみたいです。 現在確認できているのは一発合格が2人、二度目で受かったのが1人、四度目だったのが1人。 おめでとう。 人生って難しいねぇ。 guffaw, giggle or sneer? - 2002年12月02日(月) 家庭教師に行ってきました。 原チャで12キロほどのところにありまして、 「あ〜い・あむぁ〜・あんちくらいすとっ!」と SEX PISTOLSを熱唱しながら爆走してたら 道行くヒトに振り向かれたのは内緒です。 生徒は中3の男の子で、英語と数学を見てますが、最初の打ち合わせのとき 「使ってる教科書と辞書を見せて。」と言ったら「辞書って何?」という返答が 飛んできましたし、今日は今日で“80÷5”の答えが130になりました。 かわいくて憎めないヤツです。 えっと、まだ怒ったりはしてません。 寛容と忍耐と。 この情熱がどこまで持続するかが教師の資質なのかなぁと勝手に思ってます。 そもそも数学科に入ったのは、教師になるためというのは既述の通りです。 うちの大学の教育学部は教員養成を主眼としていませんし、 理学部を選んだのはもうちょっと数学に重点を置きたいと考えたからでした。 数学の教師としての力量を高めたいならば数学科の院に行くべきであって、 進学先の院は全く畑違いであるというご指摘は確かにその通りだと思います。 ただ、自分の人生として考えた場合、いろんな分野を見てみたい、 自分の可能性を広げてみたいという意識は常に持っていますし、 採用されて学校という閉塞した環境で長い年月を過ごすのなら、 その前に別の世界を見てきた方が生徒の指導にも自分の成長にも 役立つのではないだろうかと思うのです。 おかげで親には人生を甘くみていると罵られっぱなしですが、 一所に長く留まるのを嫌うのが僕の性でもありますし、 しばらくは自分の思うようにやってみたいと思うのです。 そんなわけでもう2年で院を卒業したら、どこかに就職してるかもしれません。 10年後はまだその職に留まっているかもしれませんし、他の職に就いているかもしれません。 教師になっているかもしれませんし、教師になろうと転機を迎えているところかも。 鬼が笑いそうなのでこれくらいにしておきましょう。 そういえば明日は教員免許の申請について当局に電話をしなければならないのでした。 BGM : 『LIVE』 / DONNY HATHAWAY 悲しさと悔しさと怒りと。 - 2002年12月01日(日) ご無沙汰してました。 体調の方はもうほとんど良いのです。 普通に宴会などを連続でこなしたりしてますので。 ただ、やっぱり土曜日も血痰が出ましてちと不安です。 ただの風邪の方がどんだけマシかと思います。 とりあえず生きてます。 ご心配をおかけしました。 この日ばかりは“生きてます”という言葉が重くのしかかります。 日中、事務的な連絡で実家と何本か電話の往来がありましたが、 夜になって再びかかって来ました。 先輩が亡くなったそうです。 亡くなったのは6月。 うちの親は先週喪中の葉書を受け取って知ったのですが、 この一週間、体調の悪い僕を気遣って言い出せなかったとのことでした。 半年も前のことなのに何故今まで伝わってこなかったか。 それは隠されていたからであって、同時にある種の予感が過ぎります。 ところが、心の準備とともに投げかけた「何故?」という問いに、 返ってきたのはまったく噛み合わない答えでした。 あいにく、 人間の死を穢すような下卑た邪推を聞く耳は持ち合わせていないので、 すぐさま会話を遮ってしまいましたが、とにかく、自殺ということでした。 いろんな感情が錯綜して、うまくまとめられないでいます。 何で今なのでしょう。 死因が自殺だと周囲に公表しづらいものなのでしょうか。 それが世間体というものなのでしょうか。 そして、何でそんな口がきけるのでしょう。 それが悼むべき死者に捧げる言葉なのでしょうか。 しかし、一番疑うべきは、何故自らの手で命を断ったかであって、 事実を自然に受け入れてしまうことができる僕も同罪ですか? あなたと過ごした4年間。毎日競い合って稽古しましたね。 先生の持ってくるあの青いバッグが窓から見えたときはとても怖くて、 壁にマットを張り巡らした道場を泣いて転げ回ったのも昨日のことのようです。 特に春と秋は毎週のようにいろんな大会に出ましたね。 個人戦の準決勝で顔を合わせたこともあったし、 最後には念願の全国大会にも行ったじゃないですか。 あのとき僕のせいで負けたのがいまだに悔しいです。ゴメンナサイ。 あなたは、 尊敬すべき先輩であり、 倒すべきライバルであり、 心強いチームメイトでした。 いつかまた、 みんなで稽古する日を、 勝負する日を夢見ていました。 それはもう届かないのですね。 素晴らしい日々をありがとうございました。 安らかに眠ってください。 僕はまだ、 何だかわけの分からないまま、 生きてます。 とりあえず元気です。
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