2014年02月28日(金) |
どうなる台湾旅行。いかれたパソコン。そして読んだ本とか。 |
娘から「台湾旅行の初日と、高校のオリエンテーションが重なってしまった」との連絡が来た。ええっ、そんなことありですか。こっちは前から仕事も調整し親のショートステイも取り、ようやっとチケットも確保したというのに。
「学校を優先したい」ということで、それはまあ当然の思いですが…。何とかならんかな。娘が不参加だったら、弟と二人旅という当初の趣旨から外れまくったとても不毛な旅になってしまうのだが。
今日仕事から帰って、パソコンを立ち上げようとしたらなんとログインできなかった。パスワードを変えてもいないし、これは困った。というわけで、いろいろ調べてセーフモードから何とかログインに成功したが、なぜか一部のデータが消えていた。涙。
まあ、大事なデータは全てクラウドに入れているので実害はあまりないのだが、なんとも消化し切らない気持ちだけが残った。消えたデータを復旧する気にもならず、てめえはこんな駄文を書いている。もうウィンドウズ嫌いじゃ。
そんなわけで、さっさとやけ酒でも飲んだろかと思ったが、思い直して昨日届いた医学書を読み始めたら、すっかりはまってしまった。久しぶりに勉強する楽しさを感じたが、同時にやっぱり自分は臨床が好きなんだということを実感した。問題なのは環境のみだね。
それとは矛盾するようだが、昨日読んだ「研修医山田(じゃまだ)君・トリロジー」も衝撃だった。
研修医や今の医師の置かれている立場がいかに悲惨かということを描いているのだが、これが猛毒。あまりに黒い内容に、初めに連載していた医学雑誌で連載が中止されたくらい。しかし現場を知っている人は、正直涙なしでは読めないレベル。ほんまに現場は悲惨なのです。
目取真俊の「風音」読了。一部わかりにくい点があると思うが、この人の構成力と表現力は面白いと思う。いろいろ思うところはあるが、なんだか今日は娘のこととパソコンのことで疲れてしまったのでこの辺で。ビットコインとかウクライナ情勢とかてめえの花粉症が再燃してきたこととかいろいろあるけどね。
2014年02月26日(水) |
ある研修病院の一頁 其の弐 |
て「で、結果は? 陰性やったやろ」
A「はい、陰性でした…。」
て「よし、もうインフルエンザのことは忘れよう。2回も検査しているので、まず否定できるわな。じゃあもう一度、考えられる疾患と、今後のプランについて議論しようか」
A「考えられる疾患としては、咽頭炎ですね。細菌性とウィルス性があって、後者の場合は伝染性単核球症の可能性もあります」
て「そうやね。細菌性やとまずは溶連菌やね。昔はジフテリアもあったらしいけど、今やほとんど見ないし頭の片隅にとどめておくくらいでいいと思う。溶連菌やったら、繰り返している人も多いし、過去に溶連菌感染がなかったかどうか確認した方がいいね。あまりに感染を繰り返すようなら扁桃摘出術の適応にもなるしね。ちなみに手術適応はどうなっている?」
A「ええと、年に1回は罹る場合でしたっけ?」
て「それやとかなり対象者が多くなるね。Bさんは?」
B「年に3-4回だったと思います」
て「そうやね。それくらいになるともう日常生活に支障を来すレベルやし、手術した方がメリットがあるよね。さて話を戻して、ウィルス性の場合は伝染性単核球症もあるけど、多いのはアデノウィルスやね。他に忘れたらあかんのがヘルペス。ヘルペスは他のウィルスと違って治療薬があるので、忘れたらあかん。他は?」
A「ええと、真菌もありますかね」
て「免疫不全状態とか、免疫抑制剤を飲んでいる場合などは考えた方がいいやろね。この方の場合はどうやろ」
A「若いし既往歴もなく、免疫抑制剤も飲んでいないとのことであまり考えなくていいと思います。」
て「せやね。まあ可能性としてはだいぶ下の方やな。他は?」
C「癌の転移とかはありますか?」
て「ないことはないやろうけど、それこそ可能性としてはだいぶ下の方やな。そもそも転移やったら原発の症状があるやろうし、25才で癌はかなり考えにくいんちゃうかな。転移考えるんやったら、むしろ原発性の咽頭癌などをまず考えた方がいいと思うけど、これまた年齢的に考えにくいね。他は?」
B「稀な病気でもいいですか? 菊池病とかも考えられるかと思います」
て「おっ、いい意見が出たね。菊池病は知られていないだけで、意外と稀じゃない。若い人にも多いので、頭の片隅に入れておいた方がいいね。よく知ってたね。今は学校で習うの?」
B「いえ、以前にリンパ節の腫れた患者さんの鑑別に上がっていたことがあったので、その時に勉強しました。」
て「ぜひ覚えておいてね。知らんとそもそも診断できないからね。まあとりあえずはこんなものかな。で、プランは?」
A「溶連菌かどうかですね。」
て「その通り。溶連菌だったら、溶連菌の治療を行う。溶連菌検査が陰性だったら、他の原因を探しに行かないといけないね。で、溶連菌の検査はどうだった?」
A「それが検査しなかったんです…」
て「あきさみよー! 2回目の来院時も検査しなかったのね。で、どうしたの」
A「採血をとりました。」
て「なるほど、まあいいけど、今度からは溶連菌の検査してね。喉こするだけや市、結果は10分くらいで出るし。で、結果は?」
A「炎症反応は余り上がっておらず、白血球も軽度上昇くらいで左方移動は認めませんでした。異型リンパ球は認めませんでした。肝機能障害がありました。その他大きな異常を認めませんでした。」
て「どう解釈しようか」
A「ちょっと判断に困りました。典型的には細菌性ではないし、伝染性単核球症も否定できないし…」
B「炎症反応はタイムラグがあるときがありますよね。だから細菌性ではないとは考えないです。でも、肝機能障害があるのなら、まずは伝染性単核球症から考えたいですね」
C「私は普通にウィルス性で良いと思います。伝染性単核球症だと典型的には異型リンパ球出ますよね。肝障害はまた別で調べて行った方が良いのではないかと思います」
て「ふむ。いろんな意見が出たね。さて、この採血が2回目の来院時ということを考えると、タイムラグは考えなくていいと思うよ。症状が出てすぐだったらまだしもね。しつこいけど、溶連菌の検査をしていればはっきりするんだけど、していないのだからしょうがないよね。しかしこの結果からは細菌性の香りがしないね。なので、ウィルス性を考えたいね。伝染性単核球症の場合、異型リンパ球が出ることが多いけど、後から出てくることもあるので否定はできないね。ちょっと時間はかかるけど、ウィルスの抗体検査をするとはっきりするので検査は出しておいた方がいいな。で、どうしたの?」
A「咽頭痛と嚥下痛がつよく、食事もとれないと言うことで入院としました。追加でウィルス抗体も提出しました。」
て「そうだね。ウィルス性だと治療もないけど、咽頭痛が強かったら水も飲めないし入院して補液する必要があるよね。」
A「で、細菌性も否定できないと考えて、ペニシリン系の抗生剤も念のために投与を開始しました」
て「な、な、なんだってー! あきさみよー!」
てめえ(以下て)「じゃ、はじめよか。」
A「宜しくお願いします。喉の痛みと発熱を訴えて来られた方ですが…」
て「はい、いったんストップ。そんなプレゼンテーション教えた記憶はないで。何度も言うけど、症例提示するときはまずは年齢。次に性別。そして主訴。その後に現症。ええ加減覚えようね。これは世界共通やで。どの医学雑誌見ても、そうなってるんや。理想的にはNew England Journal of Medicineのプレゼンが理想的なので参考にしてね。はいやり直し。」
A「すみません…。患者さんは25歳女性、咽頭痛と発熱を主訴に来院されました」
て「うん、それでいいんやで。…で、ここでいったん止めようか。ここまでで何考える?」
B「答えていいですか? 発熱は何度か知りませんが、発熱と咽頭痛と言えば、まずは溶連菌ですよね。なので、Centor's criteriaに基づいて発熱の有無、咽頭所見、頚部リンパ節所見、咳があるのかどうかを知りたいですね」
て「うん、いいね。よく勉強してるね。Centor's criteriaは"FACT"で覚えると忘れないからいいよ。
F Fever(38.3℃以上) A Absence of cough(咳がない) C Cervical lymphadenopathy(頚部リンパ節腫脹) T Tonsillar exudate(咽頭の滲出物)
4つそろったら、検査は不要で溶連菌確定。2-3だったら溶連菌の検査。1以下だったら溶連菌はまずないので経過観察だったね。実際はどうだったの?」
A「発熱は39℃でした。咳はあったようです。頚部リンパ節の腫脹はありました。咽頭の滲出物は認めませんでした」
て「他の症状は?」
A「気道症状としては、咳は少量で痰も出ていませんでした。鼻水もなし。腹部症状はなく、下痢嘔吐も認めていません。悪寒はあり、全身の関節痛は認めませんでした。膀胱炎の症状も認めませんでした。」
て「オッケー。続けよか」
A「既往歴は特になし。入院や手術歴なしでした。内服中の薬もありません。喫煙もせず、アルコールは機会飲酒です」
て「診察の結果はどうだったやろ」
A「眼瞼結膜に貧血を認めず、眼球結膜に黄疸を認めませんでした。項部硬直はなく、咽頭は発赤しており頚部リンパ節の腫脹と圧痛を認めました。咽頭や扁桃に浸出物を認めませんでした。胸部所見ですが、心音は清、Ⅰ音及びⅡ音は正常で、Ⅲ音とⅣ音は認めませんでした。心雑音は認めませんでした。肺野は清で呼吸音に左右差はなく、肺雑音は認めませんでした。腹部ですが平坦軟で圧痛はなく、腹音は正常でした。Murphy徴候は陰性でした。CVAの叩打痛は認めませんでした。その他皮疹等も認めませんでした」
て「おっいいね! 良いプレゼンテーションやで。診察結果は体の上から下へと言うんだったね。ちゃんとできてるやん、今後もその調子でね。」
て「とすると、上記のcriteriaは二つ満たすのみやな。咽頭痛と発熱やったらまずは咽頭炎として考えて行きたいところやね。とすると次は溶連菌の検査やけど、どうしたの?」
A「溶連菌の検査はしていません…」
て「あれ、なんで?」
A「ご本人がインフルエンザを心配しておられたので、インフルエンザの迅速検査をしました。」
て「…なるほど。でもそれ、医学的適応としてはどうやろ。その時点でインフルエンザを君はどれくらい疑ってたのか、という話や。インフルエンザで頚部リンパ節が腫れるのは一般的やろか?」
A「実は正直な話、溶連菌は全く考えていませんでした。まだ流行している時期やし、インフルエンザをまず考えました。頚部リンパ節の腫脹も、まああってもおかしくないかなあと。」
て「じゃあ、他の人の考えを聞いてみようか。Bさんは、溶連菌を考えていたのだよね」
B「まあ、あとだしじゃんけんですけどね。私もその場にいたらインフルエンザ調べてたかもですね」
て「まあそれはそうかも知れんけどね。他には何考える?」
B「溶連菌かどうかですが、あとはウィルス性の咽頭炎ですかね」
て「他の人は?」
C「…そうですね、私もまずは溶連菌ですが、あとは伝染性単核球症を考えたいですね。」
て「おっ、いい意見が出たね。まあウィルス性やけど、伝染性単核球症は考えないといかんよね。じゃあ、溶連菌か伝染性単核球症か、君ならどう診断するの?」
C「まずはよく話を聞きますね。そして、伝染性単核球症なら肝障害が多いので血液検査します」
て「よく話を聞くって、どういう話を聞くの? あと、肝障害は血液検査も必要やけど、そのまえにすることあるんとちゃうの?」
C「話は…聞きにくいけど性的接触ですね。初めてのキスでうつるんですよね? 血液検査の前にすることって…分かりません」
て「伝染性単核球症の原因はなんや? あと、肝障害がひどいと白い便が出るのやけど、そう言うことも聞かんといかんよな。ええか、患者さんの話をよく聞くことで9割の病気は診断できるのやで。話をよく聞かへんかったら検査費用は患者さん持ちやで。」
C「原因は…EBウィルスですよね。たまにサイトメガロウィルスと習いました」
て「そんだけか? 忘れたらいかんのがあるやろ」
C「…なんでしたっけ?」
て「HIVやんけ。ええか、伝染性単核球症疑ったら絶対にHIV調べろよ。そういう話もきけ。でも、性的な話は信頼関係がないとなかなか言ってくれないから、本人が絶対ない、って言っても、念のため調べましょうと説得して調べる。話を聞く時は、「異性と付き合い始めた時に伝染ってしまうことがあるのですが、最近お付き合いを始めた方はいますか?」って聞くとうまく聞けるかもしれんよ。」
C「なるほど…!」
て「身体診察としては肝障害と脾腫だよな。脾腫は体触ればわかるやろ。最近はろくに診察もしないですぐに検査に走るきらいがあるけど、そうなる前に患者の体は怪しいところはしっかり触る。「手当て」って言葉があるやろ? 医師が手をあてることで、患者は快癒するねんで。触りもしない医者はそもそも信頼されへんからな。かといって、変なところ触るなよ! で話戻るけどA君、脾腫はあったの?」
A「診てません…」
て「診ないとね。これは後から検証しようね。さて、話は元に戻ろうか。インフルエンザ調べてどうやった」
A「陰性でした」
て「だろうね。今までの話でインフルエンザらしい話ないもんな。正直無駄な検査やったかもな。で、どうしたの?」
A「その時は、インフルエンザは陰性なので様子見ましょうとお話しして解熱剤だけ出して帰宅させました」
て「溶連菌は調べなかったわけね。」
A「はい…。まずかったですかね」
て「まずいで。溶連菌やったらどうすんの。リウマチ熱、急性糸球体腎炎のような合併症あるで? あと、他の病気を考えなかったのはまずいんちゃうか? 自然治癒したらいいけどな。ほんで、どうなったの?」
A「翌日に、発熱も下がらない、喉の痛みも強くなるということで再度来院されました。」
て「だろうね。で? どうしたの?」
A「もう一回インフルエンザを調べました…」
て「あきさみよー!」
2014年02月24日(月) |
京都の公立高校受験。 |
高校を卒業してから、当たり前だが高校の受験制度なんて全く興味がなかった。のだが、今回てめえの娘が受験すると言うことでちょっとどうなっているのかを調べてみたらなんとも複雑怪奇な事になっていた。正直まともに理解できるまでかなりの時間を要したぞ。
ちなみにてめえの時は総合選抜だった。つまり、学校ではなく「公立高校」を受験する。定員の一部は希望が通るが、その一部の優秀な生徒以外は、学区全体で合格を決定した後適当に定員ごとに学区内の高校に振り分けられるのだ。つまり、どの高校に通うようになるのかは、合格発表の日まで分からない。
合格発表の日には、番号の後ろに高校名が書いてあった。ほぼ合格する試験だったので、どの高校に通うことになるのかが一番の興味であった。そんなわけで、行きたい高校に合格したら大喜びし、全く興味のない高校に合格したら、合格したにもかかわらず号泣する子もいた。
このやり方だと、高校自体に不合格になる生徒の数は圧倒的に少なくなるが、高校自体を選べない。
そんなわけで、公立高校の人気は年々降下の一途を辿り、優秀な子はみな私立学校に進学した。京都市内では特にその傾向が顕著だったようだが、てめえの育った田舎ではそもそもあまり選択肢はなかった。
これではまずいと思ったのだろう、その後公立高校はどんどん制度改革をすすめたようだ。まずは京都市立高校が差別化を図り、これが見事に成功した。てめえが高校生の頃は地元の子ばかりが通う普通の高校だった堀川高校は、今やとんでもない進学校になっている。
現在の制度を調べてみたが、もう正直わけがわからない。また今年から制度が大幅に変わったようだ。
細かいことは置いといて、簡単にまとめると、大きく普通科と商業科などの専門科に分かれる。
受験機会は3回で、前期・中期・後期に分かれる。
前期では、通常(これまた学校ごとに細かく違っているのがややこしい)は、普通科は定員の30%を選択する。専門科は100%なので、専門科はほぼ一発勝負と言えそうだ。普通科は、一校を選んで学校ごとに受験する。
中期では、普通科は定員の70%を選択。ここでは第一希望と第二希望が出せるようだ。
後期は、正直定員割れの学校の再募集となっているようだ。
ごく簡単にまとめると上記のようになる。予想通りと言うか、公立高校を志望する子はほぼみな前期に出願しており、結構とんでもない倍率になっている。ここで合格するのはかなり成績が良くないと難しそうだ。実際は第二希望まで出せる中期が本当の試験になると思われる。
そんなわけで、本日は前期の合格発表。不合格でもまあ本番は中期やで! と激励するつもりだったが、予想外に無事合格したらしい。おめでとうね。本番に強いところは父ちゃんに似たのかな。そうだとすると素直に嬉しいぜ。
あまりに嬉しくて、仕事の帰りにめったに買わない泡なぞ買ってしまった。実は今年から、夜の10時までは飲酒せずに勉強したり読書したり文章を書いたりすると言う誓いを密かに立てていたのだが、今日は誓いを忘れて今から飲んでやるぜ。やっほー。
そろそろオリンピックも終わりに近付いてしまった。始まるまでは全くとは言わないまでもそれなりに興味はないのだが、実際に始まってしまうとやはり釘付けになってしまうのですね。
今回最も興味深かったのは、スケボーの回転、及び大回転。大回転で竹内さんが銀メダルをとったのはもちろん素晴らしかったが、予選から見続けて、てめえはビックワイルドさんとその嫁さんに夢中になってしまった。
もともとアメリカで生まれ育ったワイルド氏。そんな彼は、ロシアの選手である嫁さんを愛してしまい、国籍を放棄してまで彼女に殉じた。
「地元ロシアのワイルド!」という実況が、とても空しく響く。彼はロシア人になって間もないと言うのに。
大回転では、彼は圧倒的な早さで金メダルを得た。決勝戦では、1回目で大きなミスをしたが、2回目で神がかった早さで逆転し、メダルを得た。女性の部では嫁さんも銅メダル。観てて涙が出たのは歳のせいでしょうね。
そして回転。彼は準決勝1回目で再度あり得ないミスをしてとんでもない差が出た。これは奇跡でも生じないと挽回は難しいのではないか、というてめえの素人な予想を嘲笑うかのように、彼はあっさりとその差を挽回し二つ目の金メダルを得た。
観ていて強く思った。アメリカでは何物でもなかった彼。ロシアでその実力が花開いたと言うのは簡単だと思うが、彼はおそらく妻の待つゴールに、誰よりも早く着きたかったのだ。愛する妻の待つ場所へ、一刻も早く着きたかった。
アメリカ国籍を放棄して、ロシア人の「ワイルド」としてまで参加したオリンピックで、彼は国のためでもなく名誉のためでもなく、愛する妻の待つゴールへ他の誰よりも早く着きたかったのだ。そう強く感じた。
どうでも良いが、てめえはスポーツ観戦が大好き。自分は大したことは出来ないのにもかかわらず。
小学生の時に、サッカーをしていたことがある。キック力もなくフィジカルも強くなかったてめえは、なぜかゴールキーパーをさせられることが多かった。こてはある意味天職で、楽しく練習していたのだが、練習はあまりにも過酷だった。当時は練習中に水も飲ませてもらえず、ミスをするとあり得ない罰ゲームが待っていた。てめえはそう言った理不尽な練習に耐えきれず途中でやめてしまった。
その少年サッカーからJリーガーも出たし、高校サッカーで活躍する選手もたくさん出たのだが、その時の選択は全く後悔していない。我慢できた奴はそれなりだったのだろうが、あれは未だに理解できないし、したくない。
野球もちょっとかじった、というか、日本の少年であれば普通は野球を齧ったことのない少年はいないはず。
てめえはなぜか投手をさせられた。速い球を投げることはできたのだが、残念なことにメンタルがだめだった。打たれると途端にストライクが入らなくなる。てめえの野球人生は短かった。
時は流れて高校生になった。てめえの通っていたクソ学校は体育系のコースもあったため、やたらと体育系の授業が充実していた。
例えば冬の体育であるが、連日の長距離走に加えて、週一回3kmのタイムトライアルがあり、その結果は学年ごとに20位まで、タイムとクラス、所属クラブを明記され学校の入口に張り出された。
そんなてめえは長距離走が実は得意であった。クラブ活動は全くしていなかったが、体力作りのためと言うわけではないが健康と美容のために毎日走り込みをしていたのだ。
そんなわけで、毎週のタイムトライアル。てめえは3kmは9分台で走れたので、学年でいつも10位以内に入っており、ために毎回入口に名前が張り出されていた。てめえは「帰宅部」だったので、てめえのところだけ所属クラブが空白であった。ちなみにてめえより上の連中の所属部は、多くがサッカー部で、稀にラグビー部。陸上部は一人もいなかった。
2年生の時に、陸上部からリクルートがあった。素直ではないてめえは「ええ! てめえより早い人がいないのに入部してなんかいいことがあるのか?」と入部を拒否した。帰宅部のくせに陸上部よりも早いことをかっこいいと思っていた節もある、そんな恥ずかしい若い日々。
今思うと、帰宅部をするよりも、陸上部で青春を燃やしても良かったような気がするが、全て後の祭りである。しかし陸上部も陸上部で、あっさりと説得を辞めたのはてめえに全くその気がないと思われたのだろう。ていうか本当は誘いたくなかったのだろうな。
3年冬のマラソン大会。てめえの学校はアホ校でスポーツ馬鹿の集う学校だったので、校内マラソン大会は25kmで争われた。もしかすると28kmだったかもしれない。どちらにしても校内マラソンの距離ではない。ちなみに女子は21kmであった。こんなことしているから志願者が減るのだと思うのはてめえだけだろうか。
そんなマラソン大会で、プラスティック工場で働くことになるてめえはまじめに走った結果、見事入賞してメダルを頂いた。20km地点くらいで、ばてばての陸上部やサッカー部をざくざくと抜いたのが気持ち良かったが、まあどうでよいわ。
驚いたのは、ゴール地点にヤンキー(死語)の女がたくさん待っていたこと。文化祭でブルーハーツを熱唱したのが悪かったのか。笑。黄色い歓声は君たちか。「おめでとー」「大丈夫?」とゴールと共に囲まれたが、てめえは余力を残してゴールしたので「全然大丈夫! ありがとう!」などとお茶を濁した。
運動会を見ているとそう言ったことを思い出す。てめえも全力で陸上に励んだ方が良かったのだろうか、などとも思うが、全力で取り組んでもものになっていなかっただろうなと思う。
映画「リンダリンダリンダ」を観た。いやあ、若いっていいね。高校生の頃なんて恥ずかしいだけだし戻りたいとは全く思わないけど、いつまでも懐かしい。若気の至りもすべて含めて。
てめえが高校三年生の時。てめえの学校はとびっきりのアホ学校だった(今はさらに磨きがかかっている)にもかかわらず、三年生は「受験に差し障るから」という極めて下らない理由で文化祭は不参加だった。
正直な話、文化祭なんて下らないと思っていたのだが、上記の理由で参加しないというのには全く納得できなかった。そもそも受験する人数がどれだけいるっちゅうねんアホ校。だいたい、アホな学校こそそう言った余計な事をしたがる嫌いがあると思う。いわゆる進学校は、そういう行事も全力で楽しむよ。そういうアホ校の必死さはちょっと残念だし、自分の子供には同じ思いをさせたくないのでアホ校に入ってほしくないのはこれ本音。
同様の理由で修学旅行は1年生で行われたが、こちらもアホらしくててめえは参加せず、積み立てていた旅費が帰って来た母は「まあ好きにしなさい」と言いつつ少し喜んだ。もちろん母を喜ばすために不参加したわけでは決してない。修学旅行に参加しなかったのは、それがスキー旅行だったからということも関係していたが、それはまた別の話。
そんなわけで、てめえは文化祭に個人参加することになった。てめえの友人も同様の理由で個人参加した。彼は何人か友人を集めて自分で脚本を書き、たいそう面白い演劇を演じた。そんな彼は、その後そのメンバーで劇団を立ち上げたりとかその他いろいろあって今は売れない映画監督をしている。
てめえは他の人を集める才覚もなく、一人で参加することにした。簡単なオーディションもあったような気もするが、容易に通ったところを見ると形だけだったのだろう。
文化祭の当日。てめえはこの日のため(と言うのは嘘で、実はたまたま別の賭けに敗れて頭を丸めた笑)にきれいに髪を剃り上げ、愛用のK.Yairiのギターを持って学校に向かった。
それまではどちらかと言うと長髪で、長い髪を頭のてっぺんで結んで「パイナップルヘッド!」などと若気の至りでは済まないくらいのアホな事をしていたてめえが頭をつるんつるんに剃ったのを見てクラスメートたちはみな等しく驚いていたが、そんなことはどうでも良い。
三年生は文化祭に不参加ではあるが、なぜか登校して教室での待機となっていた。アホ校なので当然勉強しているものなど居らず、みんな退屈そうにマンガを読んだりしていた。どう見ても人生の無駄遣いだった。
クラスで一人だけ個人参加を決めたてめえにクラスメートは冷たかった。まあそんなこともどうでも良い。
実は「クラスで文化祭に参加しようや、内容は何でもいいやん。受験のために不参加ってアホすぎるやろ」という声をささやかながら上げてはみたのだが、さすがアホ校。今思うと単なるうざい奴だったのだろう、クラス会で散々罵倒された揚句、賛成2・反対45の圧倒的大差で否決された。ちなみにてめえ以外の賛成票が誰だったのかは知らないし、今後も知ることはないだろうと思う。
時間になり、てめえはステージに上った。どうせ誰も来ねえだろう、それもパンクロックらしくていいや、なんて思っていたのだが、実際はあり得ないくらいの観客がステージ前に集まっており、てめえの登場と共に一斉に歓声を上がった。
ステージ前に入りきらなかった高校生は渡り廊下にも溢れ、てめえがステージに上がった瞬間にたちまち渡り廊下にウエーブが生まれ、てめえの下の名前を呼ぶ黄色い歓声が上がった。これは本当に本当の話。学校では個性的過ぎたのか全く孤立していてクソ面白くなかったてめえの高校生活の最後に奇跡が起きたのだ。ちなみにその後奇跡が持続しなかったのはこれまた別の話。
ステージを始める前にふと空を見上げた。澄み渡った秋の空は、どこまでも青かった。
てめえは一呼吸して「A」のコードを押さえ、一気にギターの弦を弾いた。
2014年02月20日(木) |
久しぶりに株日記とか。 |
20歳になるまでに、共産主義に夢を見ない人は愚かである。 20歳を過ぎても、共産主義に夢を見ている人は愚かである。
という、誰が言ったか知らない名言がある。とするとてめえの周りは愚か者ばかりですね。笑 そんなわけで日常生活では株の話など出来ず。こっそり空き時間にあいぽんで取引しているが、本当に便利な時代になったと思う。
株価は最近乱高下が続くが、てめえはただ静観するのみ。キヤノンが安くなったら買い増す。
キヤノン。いくらなんでも安すぎでしょう。今日も53円下げて3087円。一株当たりの配当が130円で、この会社は配当指向性が高いので、今の業績が続く限り130円以下の配当は考えられない。有利子負債もほとんどなく、むしろ利益剰余金がたんまりあるので仮に赤が出たとしても配当を削るとも考えられない。
しかも、キヤノンが赤を出すなんて考えられない。いくらスマホで写真が撮れると言っても、一眼レフを持っているような層はキヤノンやニコンなどのカメラを今までと変わらず買うだろう。
ちょっと計算してみる。今日の株価で計算すると、配当が130円として年利4.2%に相当する。4.2%ですよ奥さん。銀行にほぼゼロ金利で預けているくらいならキヤノン買ったらどうですか?
しかも昨日、キヤノンは自社株買いを発表した。つまり、てめえでてめえの株を買うということだ。これが材料視されて昨日は株価が上昇したが、今日は元に戻ってしまった。何でみんな買わないのか不思議だ。
てめえは先日、キヤノンが2900円近くまで下げた時に全力で買いに行ったが、ちょっとした手違いで買えなかった。今思っても残念だが、今後さらに相場が悪化してまた下げるようなら全力で買いに行くつもり。
相場が下がるとあたふたする人が多いが、基本的に「買って持っているだけ、あとは配当と株主優待を楽しむ」てめえは、むしろ下げたときの方がわくわくする。だって、安くで買えるのに。株価が下がったからと言って、それが相場に連動しているだけやったら配当は下がらんで。短期的な思惑で売り買いしている人の動きに惑わされたらあかんな。
森さん、失言と言うレベルではなくもうこの人、日本国の害でしかないと思う。さっさと引っこんでほしい。
今日は午後から学生の相手。この学生さんは彼が入学当時からの付き合いがあり、今までは飲みに行ったりしたことはあったがてめえが働いているところを見てもらうのは初めて。「アツいですね!」と言う有り難い感想を頂いたが、そうだろうか。単に遊んでいる時と仕事している時のギャップだと思うよ。しかし母校の話を聞かせてもらったのは面白かった。久しぶりにパワーを頂いたような気がするぜ。
2014年02月19日(水) |
ファングーラオ午後10時 |
ベトナム・ホーチミン市にあるファングーラオ通り近くの安宿に部屋をとった私は、とりあえず腹を満たすために外に出た。そう言えば、格安航空会社のチケットを握りしめて日本を発ってから、全く何も口にしていなかったのだ。
外に出ると亜熱帯特有の臭気を含んだ生暖かい空気が体に纏う。さっきも同じ道を通ってこの宿に来たはずなのだが、いくら安宿と言っても申し訳程度の空調もあり、いったんシャワーを浴びてさっぱりした身にはほとんど時間が経っていないとはいえこの生暖かい空気は懐かしく感じられた。宿の前で雄一と落ち合い、二人で歩き始めた。
通りを歩く。通りの歩道の端に、何人かの老人がぽつりぽつりと座っていた。よく見ると、彼らのほとんどは体の一部が欠けていた。両側の大腿から先が欠損している者、片方の腕が肩関節部分から欠損している者。
共通しているのはみな一様に汚れた衣を体に着け、自分の座っている場所の前に、無造作に汚れた帽子を逆さまに置いていることだった。
「彼らはベトナム戦争で戦った傷痍軍人やねん」
と、雄一がひとり言のように呟いた。彼とはタンソンニャット空港のバス乗り場で知り合ったばかりだったが、バスを待つ間に少し話をしてみて、私は彼とはウマが合いそうだと勝手に感じていた。私は初めてのベトナムだったが、彼はベトナムが好きで休暇の度にベトナムに来ているらしい。彼の生まれ育った大阪にも似た猥雑なサイゴンが好きなのだと、彼は知り合ったばかりの空港で私にはにかみながら言った。
「国の政策として、傷痍軍人は保護されているはずやねんけどな。もしかしたらアメリカについた南ベトナム軍の軍人は、全く保護がないのかもしれんな。そうか、きっとそうやわ。今までこんな簡単な事にも気が付かへんかったわ」
と、彼は私の方を見ずに、再びひとり言のように呟いた。
傷痍軍人の横では、米軍兵がベトナムに残して言ったというZIPPOを売る少年がいた。ホンマかいな、そんな前のものが残っているはずはないんや、でもそう言って売った方が間違いなく売れるからな、ところであっち側にあるあの屋台どうや、ビールもあるみたいやしあっこに入ろうや、と彼は言った。
屋台と言っても小さなガスコンロが一つ二つあるだけの店で、歩道から車道にはみ出すような形でプラスチックのテーブルと椅子が無造作に並べられているだけだった。店の前にはいろんな種類の貝が並べられており、その貝を茹でているだけの店のようだった。
空いた椅子に座り、ガスコンロでせっせと貝を茹でている主人に、ビアプリーズと雄一は叫んだ。ずっとコンロに乗った鍋で貝の茹で具合を見極めるのに忙しそうだった主人は、一瞬だけこちらを向き、虫歯だらけの歯を見せてにっと笑った。
ついでに皿の上に乗った貝を適当に選び、主人に渡す。注文を終えた私たちは、すぐに運ばれてきたビールで乾杯した。ビールの中にはやや大ぶりな氷がいくつか沈んでいた。
「ストリートには冷蔵庫あらへんからな。これ、ベトナムの水道の水やで、腹壊さんように気ぃ付けや」 と雄一は笑った。気をつけるのなら飲まないに越したことはないが、そう言う話ではないよな、と私は笑って中途半端に冷えた、生ぬるいビールを一気に喉に流し込んだ。
ベトナムでの初日の夜が始まった。
目取真俊の「水滴」を読んだ。
この小説は、出てすぐのてめえが大学生の頃に一度読んだことがある。その時は「まあ面白いかな」くらいの感想しか持たなかったのだが、今回読み返してかつての自分を恥じた。正直、人生の中で、短編としては三本の指に入るくらい感銘を受けた。
これは「沖縄」を経験したからということもあるのだろうと思う。「呆気(あっき)さみよー!」という言葉の意味がこれほど深く入ってくるとは。そして物語の深さ。本当に、こんな小説が書けたらいいね。
「舟を編む」を映画でみた。正直detailがいまいち。原作を読んだらまた違う感想になるのかもしれないが、映画としては脚本が圧倒的に駄目だと思う。ただし音楽は素晴らしかった。あと、辞書を扱うと言うのも着眼点としては面白いと思った。なんて上から目線ですみません。
どうでもいいがてめえの好きな辞書は「新明解」でございます。辞書とは思えないこの切れ味が素晴らしい。
れんあい【恋愛】 特定の異性に特別の愛情をいだいて、二人だけで一緒に居たい、出来るなら合体したいという気持ちを持ちながら、それが、常にはかなえられないで、ひどく心を苦しめる・(まれにかなえられて歓喜する)状態 (第4版)
「台北の朝、僕は恋をする(一頁台北)」を映画でみた。台湾行きが決まってまあ正直、タイトルだけで観てしまった。「台湾人気質」を上手く表現していたのと、郭采潔演じる女の子の一途さが印象に残った。
台湾の中国人は、大陸の中国人とは異なり殺伐さがなく、まったりしているのは、日本であった時代があったことと無関係ではないと思う。
既視感を久しぶりに感じた。
かつて「青い影」で感じた、あの既視感。
立命館大学広小路キャンパス、河原町荒神口にあったジャズ喫茶「しあんくれーる」。てめえは間違いなくそこにいたような気がする。
友人NO氏と晩御飯。この日のために、あらかじめ親父を預ける予定を入れ晩御飯に行った。
彼はこの春から東京に栄転する。一般的に言う「出世」であり、おそらく今後京都に帰ってくることはないだろうと思う。是非彼には日本のために偉くなってほしいと願う。てめえとは違って。
そんなわけで、東京に行く前に是非晩御飯を食べようと言う話になったのだが、彼の希望でスッポン料理を食べに行くことになった。その店には彼は以前に食べに行ったことがあり、そしてとんでもなく旨かったらしい。
事前に予約して店に向かった。まずはビールで乾杯し、日本酒でスッポンを頂いた。刺身から始まりまる鍋、そして雑炊まで本当に堪能しました。
飲み物メニューの中に「にがたま酒」と言うのがあった。これなんですか? と訪ねたところ、スッポンの胆嚢を焼酎に漬け込んだ酒で、苦すぎておすすめしません笑と言われた。「正直、罰ゲームレベルですわ」と店の主人は笑って言った。
雑炊を食べ終わる頃、彼は言った。「アレ、行ってみませんか?」と。そう、アレと言えば罰ゲームレベルの酒しかないわけで、さっそく注文。店の方も「まじですか! 行っときますか!」などと言いながら嬉々としてお酒を運んでくる。
お酒の見た目は真っ黒で、中には本物のすっぽんの胆嚢が一つ沈んでいる。胆嚢は絶対に噛んだらあきまへんえ、そのままごくりと飲み込んでおくれやす、と語ったお店の方の京都弁は、やたらと生々しく感じた。
さっそく彼から飲む。と言うより舐める。苦っ、と彼は顔を顰めた。確かにこれは罰ゲームやわと彼は笑う。次はもちろんてめえの番で、ちみりと口に含むと確かに苦いが思ったほどではないか。こちらが構えすぎたきらいはあるだろう。
これ飲んだら二日酔いしまへんのえ。朝も目覚ましより早く起きて、体が朝からぽかぽかですわ、と店の方は笑った。
さて胆嚢だけ残ってしまった。これはもちろんてめえに行けということなので、躊躇わずてめえは胆嚢を口に含んだ。絶対に噛んだらあきまへんえ! と言う店の方の期待通り、てめえはそれをがりりと噛んだ。
最後のデザートも頂き、店の前まで丁寧に送って頂き、とてもいい気分で二人京の街を歩いた。
とてもいい気分だったのはほんの少しだった。店を出て数歩、突然の嘔気がてめえを襲い、我慢する間もなくてめえは嘔吐した。道端の排水溝に、震えるはらわたからありったけの内容物を吐瀉した。
正直恥ずかしくて涙が出た。腸炎以外で、食事後に嘔吐するなんて何年振りだろうか。酒飲みとして最も恥ずべき行為とは認識していたが、生理現象としては止まらない。胃の中が空っぽになるまでてめえは憚ることなく吐き続けた。
気が付くと、友人がてめえにタオルを差し出していた。なんということでしょう。てめえがまるでこうなることを予想していたかのように、タオルが差し出されたのだ。何でそんなものを持っているのか、とてめえは尋ねたが、私にもわかりませんが、なぜかかばんの中に入っていましたと彼は言った。
てめえの嘔吐が落ち着いてから、二人で再び京の街を歩いた。
「胆嚢じゃないですかね」と、突然彼は言った。同じものを食べて片方だけ嘔吐すると言うことは。食べた物の違いと言えば。
なるほど、そうかもしれんね。きっとてめえのはらわたは、スッポンの胆嚢を拒否したんだろうね。吐くだけ吐いてすっきりしたてめえはそう言って笑った。
2014年02月15日(土) |
台湾旅行の思い出其の二。 |
初めて台湾に行った時は、まだ台湾は戒厳令下だった。
「絶対に、共産党の話とあのハゲ(蒋介石のことで、台湾人はみな彼のことを「あのハゲ」と言う。名前も口にしたくないらしい)の悪口は言うな」 と台湾渡航前にいろんな人に言われていたが、小学生がそんな類の話をするはずもなかったので、実際のところはあまり自分とは関係ないかと思っていた。
ただ、実際に台北市内を車で移動していると「反共」とか「打倒共産党」みたいなスローガンが壁に描かれていたりして、ああ国民党の支配する島に来たのだなあという感慨に耽った。
とはいえ、実際に軍隊が街角に立っている、というわけでもなく、人々は平和に生活を過ごしていたのだ。そして国民党と共産党の戦争が実質終了して長い間が経ち有名無実化していた戒厳令は、私が台湾に渡った翌年に解除された。
ただし、祖父母からは強く言われていた。 「絶対に一人で外を出歩くな」と。 「日本と違って、悪いことを考えている人がたくさんいるからな。それに日本人だと分かると何されるかわからんぞ」 と言われていたが、そんなに治安が悪いのかな、くらいにしか思っていなかった節があった。ただし、小学生の自分にも、台湾は以前は日本の一部であったこと、日本が占領していたことに快く思っていない人がいるだろうと言うことは容易に理解できた。
そんなある日。祖父母は祖父の弟とどこかへ出かけており、私は一人家の軒先でのんびりと西瓜の種を噛んでいた。空はどこまでも蒼く澄み渡っており、通りの向こうの方では自分よりも少しだけ幼い子供たちが知らない遊びを楽しんでいた。
ふと、どこかに出かけたくなった。といっても、ほんのすぐそこまで。さすがに父祖の地とはいえ異国の地であり、祖父母の言葉も頭の片隅に残っていた。
ふらふらと家の前の通りを歩き始めた。路地を歩き、次の辻で右に曲がった。通りはたちまち開けて、人の通りもそこそこあった。なんだか自由になったような気がしたが、僅かな不安もそこに付随していた。
もう少しだけ歩いたら、分からなくなる前に帰ろう。
そう思ったその時、前から歩いてきた50歳くらいの男性に突然呼びとめられた。
彼は地図を広げて、私に何かを尋ねている。時折黙りこみ、そして私の顔を見てまた何やら尋ねてくる。おそらくだれかの家を探しているのではないか。さすがに言葉のわからない私もそれくらいは理解できた。
しかし、これはあくまで単なる想像である。正直なところ、彼が何を言っているのか全く分からなかった。北京語なのか台湾語なのかもわからない。
それ以上に、そのシチュエーションに私は戦慄した。小学生の自分にはどうすればいいのか皆目わからないのだ。
とりあえず、一緒に考え込むふりをして、ほんの僅かだけ時間を稼いだ。ほんの僅かだけ。そして決断の時は近付いていたのだ。
日本人であることはばれてはならない、もしかするとこの人は、私が日本人であると知るとたちまち豹変するかもしれないし怖い思いをするかもしれない、どうしよう、両手を広げて耳が聞こえないふりをしようか、あるいは全力でここから逃げ出そうかでも自分の脚力だったら追いつかれるに違いない、大声で叫ぼうかでも全く逆効果な気がするどうしようどうしようどうしよう一人で外に出てごめんなさい…。
パニックに陥ってしまった私は、自分でも意外な行動に出てしまった。
「わ、わかりませんっ!」
と日本語で叫んでしまったのだ。
私に道を尋ねた彼は一瞬絶句し、次の瞬間に爆笑した。
「あはは、そうかわからんか。そりゃあわからんわな! すまんかったな坊主!」
と、彼は驚くほど流暢な日本語を使い、にこにこと笑いながら私の頭をぽんぽんと叩いた。
そして、にっこり笑い手を挙げながら、彼は去って行った。
ほんの少しの時間の出来事だったにもかかわらず、私には物凄く長い時間が流れていたような気がした。そして、気が付くとびっしりと冷や汗をかいていた。
日本の支配が終わって約40年が経っていたが、あの時代にはまだ日本人として生まれて日本語で教育を受けた方がたくさんいたのだ。
私の名を呼ぶ声でふと我に返った。振り向くと、おばさん(祖父の弟の妻)が驚いたような安心したようなそして少し怒ったような顔をして私の元に近寄って来た。
#実際は、祖父が考えていた以上に台湾の人は親日であった。このことに驚いた私は、台湾に行った時にいろんな人に理由を尋ねたが、みな同じことを言った。
日本人は学校を作ったり病院を作ったり良いことをたくさんしたが、その後に来たあのハゲはそれらを破壊した。ハゲが来てから新しくできた学校はない。私たちは国民党が来た時は、祖国に帰れるのだと一瞬期待したが、彼らは祖国でも何でもなく単なる破壊者だった。だから台湾人はあのハゲが大嫌いなのだと。冷静に考えると、日本時代が台湾人にとって一番いい時代だったと。
日本のあとに「さらにひどい存在が為政者としてやってきた」ので日本を過大評価しているのかとも思ったが、そもそも日本のことはひどい存在としてとらえてられなかったのが意外だった。
歴史を冷静に評価すると全くそうなのだが、世の中には冷静に考えられない人(集団と言ってもいいのか)はたくさんいるのに、台湾の方々は理知的だなあと感動したのを覚えている。
2014年02月14日(金) |
プルシェンコ/弱者と卑屈さについて |
まだ真っ暗な早朝に目が覚めてしまった。
今何時だろう、と寝ぼけた頭で時間を確認しようと思い、ぼんやりとあいぽんを起動する。時間を確認するついでに、いつものようにニュースを確認する。
まだ半分以上眠っている頭で「プルシェンコ、棄権」というニュースのタイトルを見て、てめえはなぜだか涙が止まらなくなってしまった。やっぱり駄目だったんだね。そして、彼はこれで引退するだろうというつよい確信を持った。限界はとっくに超えていた。ソビエトシステム最後の傑作と言われた彼は、最後までソ連的だったと思う。お疲れさまでした。
プルシェンコの五輪参加自体が奇跡に近かったということに関しては、こちらが良くまとまっていると思う。
先日書いていた「ドゥマンギテ」をアマゾンで衝動買いした。昨日CDが届いたのでさっそく聴いてみたが、表題作以外は正直よくある沖縄ポップだった。うーん残念。表題作の出来が良すぎたから特にそう思う。その路線でいけば他との違いを強調できるのに。残念。
しつこく詐欺師の話。てめえがこれほど許せないのは、弱者を騙ったというその一点に尽きると思う。聴力障害の2級は「全聾」で、難聴ではなく聴力の全廃状態なので、聞こえるようになるということ自体がありえない。視力を失った全盲の人が光を取り戻すことがありえないのと同様に。
そして「卑屈さ」について考える。卑屈さについて考え始めると限りなく果てしなくなるので、これまではほとんどしてこなかったのだが、今後は向き合う必要があるのだろうなと思う。
てめえは家庭の事情で、小学2年生の時から新聞配達をしていた。新聞配達自体は全く苦にならなかったし、それなりにいい経験だったのだが、唯一嫌だったのが、配達途中に同級生に遭遇してしまうことだった。
そう言うことがないように真っ暗なうちに起きて配達を始めるのだが、朝からジョギングしている子に会ったりすることもあったし、天気の悪い日は配達に時間がかかってしまい、活動を始めた同級生に会ってしまうこともあった。
今思えば堂々としていればよかったのかもしれないが、小学生当時はなかなかそういうわけにもいかなかった。そして同級生に会うたびに、とても卑屈な気分になったものだ。
小学校高学年になると、夕方からはラーメン屋の手伝いをさせられることになり、さらに卑屈さに磨きがかかった。大人の世界を垣間見ることになったのは良い経験だったが、同級生が食事しに来た時が悲しかった。あちらとこちらの差を痛感し、なんとも卑屈な気分になった。
中学生になり、学校にも行かずに引っ越し屋のバイトをすることになった。もちろん、中学生と正直に言えばどこも雇ってくれないので高校生ということで仕事をしたのだ。バイトを斡旋したのが実の父親というのがこれまた悲しい話だが、この時は仕方がなかったのだ。
引っ越しバイトも割が良かったし、体を動かすことが嫌いではなかったので楽しく働いていた(もちろん、当時でも法律違反ですよ)のだが、その時も同年代の子供がいる家庭の引っ越しの仕事をするのが嫌だった。
同じくらいの年の子供の荷物を「お嬢様の荷物はこちらでよろしいですか?」などと言いながら運ぶ自分に嫌気がさした。もちろん、同じ中学生なのに荷物を運んでもらう側と、年齢を偽りながら貧乏が故に働かなければならないその身分の差にうんざりしたということもある。
弱者であるということは、人間を卑屈にする。そしてマイナスからはマイナスしか生まれない。「それではダメなのだ」ということに、十代の最後で自分で気が付いた自分は偉いと思うし、自分で気が付いたから故に、卑屈さを克服できたのだろうと今になって思うのだ。
だからこそ、弱者を騙る人間は許せないし、加えて騙されないということの大切さも強く感じるのだ。
2014年02月12日(水) |
牛肉麺/ラピアクタ/ヒートテック |
旅情報を集め始めたら止まらなくなってしまった。
思い返すと、台湾旅行は4回目。過去3回で観光名所はほとんど回ってしまったので、その点に関してはあまり興味はない。娘が「千と千尋のところに行きたい」と言っているのでそこは行くことにして、後は白紙。子どもたちの希望を聞いてそこに行こうと思う。
てめえ的には今回は美味しいものが食べられれば良いので、レストラン情報を探しているのだが、気が付くと麺料理ばかりを検索。笑
子どもたちは麺ばかりだといくらなんでもかわいそうなので、普通のレストランにも行こうと思うが、こんな時にミシュランとかあると便利だなあと思ってしまう。台湾版はないんですけどね。まあ無難なところで青葉くらいにしておこうかなあと思う。もちろん鼎泰豐は行きますよ。子どもが喜ぶので。
「インフルエンザの点滴があると聞いたのですが」とやってこられる方が多い。てめえの施設にはもちろん置いていない。てめえは実は薬の採用担当もしているのだが、採用に反対しましたので置いてません。
患者さんに理由を聞かれたら「新薬は思いがけない副作用もあるので、評価が定まるまでは採用しないのが当院のポリシーです」と言っている。これは本当だが、それ以前に抗インフルエンザ薬そのものの必要性の問題がある。
前にも書いたが、インフルエンザなんて寝てたら治るのだ。薬を飲んで、利益があるのは重症化する可能性のある乳児や高齢者、癌患者、免疫抑制状態の患者くらいで、普通の小児~成人は寝てたら治る。薬を飲んだからと言って治癒率に差はない。これは世界の常識で、誰にでも抗インフルエンザ薬を処方している国なんて日本くらいだ。
そう、差はないのだ。ということは、副作用が出るだけ有害ということであり、てめえは仮にインフルエンザにかかっても薬は飲まない。麻黄湯は飲むけどね。家族にも処方しない。
ということも、以前は丁寧に説明していたのだが、それでもみんな薬欲しがるのでもう黙って出すことにした。そらそうや、薬ええわなんていう人はそもそも病院に来ない。副作用はあると言うことをお話して、それはきっちりカルテに書いて。
なのに「点滴もあるんだって」なんてCM打たれたらたまらんですよ。
そもそも不要な薬なのに、点滴が好きな日本人にはドストライクで、製薬会社はそこにつけこんだのだろうなと思う。尾木さんが出演していたCMは、医師からの苦情が殺到したので放送をやめたそうだ。そらそうや。しかしこのニュースを聞いて、日本にはまだ良心的な医師がそれなりにいるのだなあと思った。
「どうしても仕事休めないので、薬ください」って、気持ちわかりますけどそれならワクチン打ちましょうね。
罹って約5日間家で寝込むのが嫌ならば、数分で終わるワクチンを打ちましょう。てめえは毎年打ってますぜ。家族みんなにも強要しているが、これだけは今後も強要し続けるな。
あまりにクソ寒いので、以前にこっそり購入したヒートテックを出してきた。てめえの場合、いったん屋内に入ると体がぽかぽかになることと、あのぴっちりした感じがどうにも受け入れられず、1回履いただけで止めてしまっていたのだが、最近は年のせいか屋内でもぽかぽかにならず冷えたままなのだ。なのでようやっとあきらめて、タンスの奥から引っ張り出してきた。
意を決して再度履いてみたがいわゆる「パッチ」ですやん。ああてめえもおっさんになりましたね。しかしぴっちり感は苦にならず、むしろ暖かい。これは買い増しかな…笑。
2014年02月11日(火) |
台湾行き決定/ドウマンギテ/毛遊び |
弟のパスポートの有効期限はなんと7月だった。というわけで、残存期間が3カ月必要とされる台湾に行くことに支障はなくなったため、当初の予定通り台湾に行くことにした。
普通のチケットはもはやとれず、ピーチ航空でしか取れないことを知っていたので、さっそくピーチ航空で3人分のチケットを確保した。
人生で初めての格安航空会社の利用だが、行きは平日なので一人当たり片道10000円以下ということにまずびっくり。帰りは日曜日なので結構いい値段がしたが、これもまたわかりやすくて良い。次にオプションを選ぶとどんどん値段が上がって行くことにもびっくり。
荷物の量で追加料金、座席指定をすると追加料金。機内食も追加料金がかかるが、正直機内食はビジネス以上か、あるいはめったに経験しない路線(あまり行ったことのない国で、いったい何が出てくるの? 的な楽しみがある場合)じゃないとあまり意味がないと思っているので、これはなくて良い。今は空弁当も充実しているし、そもそも台湾に着いたら夜市でがっつり頂く予定。
今日はチケット以外の手配。ホテルをとり、美味しそうなレストランを探したり。いつもこうして旅の前に「旅のしおり」を作って、旅行前にみんなに配布するのが好き。
たまたまテレビを見ていたら、「きいやま商店」というバンドの「ドウマンギテ」という曲が演奏されていて、これがとてもよかった。ちなみに曲もタイトルの意味だが、沖縄語で驚くことを「ドゥマンギル」という。このきいやま商店さんは八重山の方らしく、八重山訛りで「ドゥマンギテ」と言うらしい。
ラテン系のリズムがなかなか素晴らしかったのだが、歌詞が八重山の言葉なので全く分からない。
そんなわけで、検索。便利な時代になりましたなぁ。
http://blog.goo.ne.jp/amon-ex/e/b09a6812ed929107b90e1a02e895bcb0
上記によると、なんと「毛遊び」をテーマにした歌で、正直てめえは「どぅまんぎった」。沖縄人にとっては爆笑する内容なのだろう。
wikipediaではかなりオブラートに包んだ書き方をしているが、要は若者たちの酒池肉林阿鼻叫喚な楽しみであった(ある)らしい。
今はさらにオブラートに包んで「ビーチパーリー(beach party)」と言うらしいが、県外出身のてめえには「都市伝説」であった。ほんまにそんなことしてるのかな。
2014年02月09日(日) |
雑感とBrain damage |
東京にはとんでもない雪が降ったらしい。
これはとんでもない知事選挙をすることになってしまった、日本人への神の怒りのように思えてならない。舛添氏が当選するのは間違いなさそうだが、彼はスキャンダルに巻き込まれることなく任期を全うできるだろうか。そもそも、自民党に唾を吐いて出て行ったのにその自民党から支持を得て選挙に出るなんて、どっちも全く筋が通っていない。アホの塊だ。
かといって他に適当な候補者がいないのは、今回の選挙の投票率が低いことからも明らかだろう。
オリンピックはいつも、始まるまではあまり興味が湧かないが、いざ始まってしまうと夢中になってしまう。彼らの鍛え上げられた技と、その真摯な姿にいつも感動してしまうのですね。
今回上村愛子選手は残念な結果(それでも4位ってたいがいな成績ではあるが)になってしまったし、彼女には十分メダリストとしての資格はあると思うのだが、それ以上に彼女の「やりきった感」に非常に共感することが出来た。全てをやりきったその笑顔は素晴らしかった。
ミスをしての銀メダルと、全く思い通りに滑っての4位は全く価値が違うのだろう。てめえはもちろん、仮に競技者であったなら後者を望むと思う。自分の中で納得しているかどうかが一番重要だからだ。
詐欺師について、追加。
どうやら共犯の方が今のタイミングで告白したのは、バイオリン弾きの少女と関連しているらしい。
詐欺師は、到底受け入れることのできない要求を少女に求めて決裂したそうだ。普通に考えるならば、10代の少女に要求する「到底受け入れることのできない要求」とは性的なもので、それをすぐに止めさせるという動機なのであれば、共犯者のこのタイミングでの告白は全く理解できる。
それをはっきりと言っていないのは、共犯者なりの少女に対する配慮であろうと思う。「高橋選手がこの曲を用いる前に告白しておきたかった」というのは、おそらく彼なりの「嘘」なのだろう。正直この共犯者は凄い人格者な気がするし、そんな人格者を利用した詐欺師には怒りしかない。
そして、一番の犠牲者は高橋選手だな。彼には是非こんな下らない騒動を乗り越えてほしいと思うし、彼には可能だと信じている。
The lunatic is on the grass The lunatic is on the grass Remembering games and daisy chains and laughs Got to keep the loonies on the path
狂人が芝生の上で踊ってる 狂人が芝生の上で踊ってる 奴らは企んでいるし繋がろうとしているし笑っている 奴らを小道に繋いでおかないと
The lunatic is in the hall The lunatics are in my hall The paper holds their folded faces to the floor And every day the paper boy brings more
狂人が玄関にいる 狂人たちがうちの玄関にいる 新聞に載る彼らのくしゃくしゃになった顔が床に散らばる そして毎日新聞配達の少年がさらに新聞を配達してくるんだ
And if the dam breaks open many years too soon And if there is no room upon the hill And if your head explodes with dark forbodings too I'll see you on the dark side of the moon
もしもダムが思ったよりも早く決壊したとしたら もしも丘の上に自分の場所がなかったなら もしもあなたの頭が嫌な予感でこっぱみじんに砕けたら その時は僕はあなたと月の裏で会おう
The lunatic is in my head The lunatic is in my head You raise the blade, you make the change You rearrange me 'till I'm sane
狂人が頭の中にいる 狂人が頭の中にいる あなたはナイフを上に向け、変化を促す 私が正気である限り
You lock the door And throw away the key There's someone in my head But it's not me
あなたはドアを閉め 鍵を放り投げる 誰かがてめえの頭の中にいるけれども それは決して私自身ではないのだ
And if the cloud bursts, thunder in your ear You shout and no one seems to hear And if the band you're in starts playing different tunes I'll see you on the dark side of the moon
もしも雲が爆発し、雷鳴が轟いても あなたは叫ぶけど誰にも聞こえていない あなたのバンドが全然違う旋律を奏ではじめたら その時は僕はあなたと月の裏で会おう
訳:てめえ。こんなことしてて日本語力がつくのか怪しいが…。
2014年02月08日(土) |
初めての台湾旅行の思い出。 |
てめえが初めての海外旅行で台湾を訪れたのは、小学校六年生の2月だった。祖父の帰郷に付き合ったのだが、祖父は年齢的にもこれが最後の訪台だと考えていたようで、長男の長男である孫のてめえをどうしてもいっしょに連れて帰りたかったようだ。
そもそも当時は海外旅行に行くこと自体があまり一般的ではなかった。てめえの小学校時代、長期休みに海外旅行に行く友人なんて全くいなかった。てめえも、自分が海外に行くなんて夢にも思っていなかった。確か、パスポートも一回きりのものと5年有効のものがあったが、一回きりのパスポートの方が一般的だったと記憶している。なんせ仕事の関係でもない限り、5年に1回以上海外に行くことはなかったのだと思う。
祖父が台湾に帰るのは、てめえの父が大学生の時以来だったので、それ自体が十数年ぶりだった。
「台湾にはな、切れる爪切りがないからな。日本製の爪切りが喜ばれるんや」
と祖父はせっせと土産用の爪切りを購入していた。十数年前ならいざ知らず、さすがに今はそんなことはないのでは、と小学生のてめえは思ったが、嬉しそうに買い物をする祖父にそんなことを言うのは野暮だと思った。
最後の帰国だから、と、祖父は旧正月の帰国を望んだ。しかもラーメン屋も閉じた後だったので、一ヶ月くらいゆっくりしたいとの希望があった。
問題はてめえである。小学6年生の1月から2月、卒業式を目前に控えた状態で一カ月も休みをとることに、学校側は難色を示した。
とはいえ、最終的には「個人というか家庭の事情」が優先されるわけで、結局祖父母と私の3人で台湾を訪問することになった。
これはてめえにとって全くの未知の体験だった。飛行機に乗るのも初めてだし、そもそも国内旅行ですらあまり経験がなかったのだ。
何よりも、小学生にとっては友人たちと離れて大人だけの世界で過ごすということが何よりも怖かった。もうこのまま、自分だけが違う世界に行ったまま帰ってこないのではないか。
しかも両親とこれだけ離れると言う経験もなかった。まあそのあたりのことは正直どうでも良い。
出発の日のことはあまりよく覚えていない。現在と異なり関空はなく、伊丹から旅立った。
3月に、娘と弟と3人で海外旅行に行く計画を立てていたのだが、これがなぜか上手くいかない。問題自体が暗礁に乗り上げてしまった。
そもそもは、娘に海外を経験させたかったのだ。てめえは散々海外に行っているが、娘を連れていく機会が残念ながらなかった。中学を卒業して高校生になるまでの春休みの間に、是非連れて行きたかったのだ。高校生になったら、学校の行事や部活や友人(や恋人?)とのスケジュールが優先になると思われるしね。
海外を経験するというのは、自分にとってとんでもない経験だった。言葉も違えば社会の常識も異なり、空気の匂いも違う。これはとんでもないカルチャーショックであった。
初めての海外旅行は、小学校六年生の時の台湾だった。祖父の里帰りについて行ったのだが、これが凄かった。食べ物も違うし、もちろん言葉も違う。小学生なので英語も知らなかったのだが、この時代の台湾人は、まだ日本語がぺらぺらの人が高齢者を中心に多かった。
この時は約1カ月滞在した。祖父の弟の家に居候。家自体はアパートのような作りになっていて、1階と2階が普通の家のようになっており、3階以上を貸し出しているようだった。この1階と2階も結構広く、我々がしばらく滞在しても全く問題のない広さであった。
夕食後に、後片付けをして家族みんなで麻雀を始めるとか、いろんなカルチャーショックがあった。実は麻雀の出来る小学生だったので、興味本位で参加してみたのだが、牌の数もルールも日本と違うことに衝撃を受けた。
ある時「日本食が恋しいだろう」と言われて日本料理屋に連れて行かれた。実のところは、中華料理が大好きなので全くと言っていいほど恋しくなかったのだが、気を使ってくれたようで嬉しかった。
着いた日本料理屋は、怪しさ満点だった。壁いっぱいに「鰻」「味噌汁」「刺身」など、ほぼ思いつく限りの日本料理の名前を入れた暖簾がぐるりと一面に貼られていた。
好きなものを食べていいよ、と言われたので、てめえは迷わず「鰻」を注文した。そう、日本でもめったに食べなかった「鰻」。てめえはほくほくに焼かれた鰻のかば焼きを想像し、一人興奮した。
しばらくして、料理がやって来た。てめえの前に運んでこられたのは、なぜか「鍋」である。他にも注文していたのだが、はて鍋なんて頼んだっけ? と思ったが、まあいいやと中身を見た。なんか魚? を筒切り? にしたものがごろんと鍋の中に沈んでいた。
とりあえず頂こうかな、と思い、それを取り皿にとって頂いた。一口食べてみたが、なんだか生臭い上に骨だらけで食べにくいことこの上ない。いったいこの料理は何だろうと思い尋ねてみると、隣にいた祖父の弟はにっこり笑ってこう言った。
「君の頼んだ鰻や」
ええっ! 「なんということでしょう」というナレーションはさすがにその時代流れることはなかったが、本当にそう言う感じ。ということは、かば焼きとのご対面はないんだな。てめえの人生の中で、初めてで最後の「鰻の鍋」だった。
いや、そう言う話ではなかった。現実逃避もここに極まれりですね。
話ははじめに戻るが、問題はパスポートであった。弟はパスポート保持。てめえのはとっくに切れていた。そして娘はパスポートを持っていなかった。
そんなわけでてめえはさっさと取り直したが、娘がなかなか時間をとれず。ようやっとパスポートをとって来たので、やっと航空券の手配をしようと(パスポートナンバーがないと、そもそもチケット予約すらできない)思った矢先。なんと弟のパスポートの有効期限が今年4月ということが判明した。ええっ! まじで!
有効期限まで確認していなかったてめえがアホだと言えばアホなのだが、実は台湾に入国するためには3カ月以上の有効期間が必要なのだ。
しかも、現物は今持っていないらしい。母親一家が家を追い出された件で、相手と裁判を起こしているのだが、その関係で弁護士に預けているらしい。ほんまに間の悪いことは重なるものだ。
というわけで、今後の対応として。
1.パスポートを更新する。
台湾に行くのなら、これが一番現実的だが、実はすでにチケットが取りにくいのですね。連休しか行けないので、夜中発の夜中帰りとかの変なチケットしか残っていないのだ。これ以上後にすると、変なチケットすらなくなってしまう。
更新したうえで、行きやすい国に変更するのもありだけど。例えば連休中にもかかわらずチケットが余りまくっている中国とか。しかし今の時期、日本人が旅行するのはデンジャラスな香りがする。
2.有効期限の制限のない国に変更する。
スペインとか。笑 弾丸ツアーになるな。サクラダファミリアだけ見て帰ってくるとか、ネタにはなりそうだけど。笑 しかしこちらも同じ問題(連休という繁忙期)でチケットがないのですね。
周辺国だと香港は、1か月以上の残りがあればOKらしい。というわけで香港かな。香港もチケットないんだけどね。昨日確認したところでは、上海乗り換えだとまだ残っているが、移動がほぼ一日がかりになる。
一番の問題は、有効期限が厳密に判明していないのですね。預けてあるので。今日中に確認すると言っていたが、果たして弁護士事務所は開いているのだろうか? そして有効期限が一カ月を切っていた場合は。もうパスポート更新して中国しかないのでは。てめえはそれでもいいけど、母親などが反対するだろうな。
生搾りのりんごを箱買いした。期間限定なので楽しみに飲んだが、まるでジュースですな。いくらでも飲めそうなのだが、二箱買ったのでしばらくは楽しめるだろう。
てめえがまじめに勉強する気になったのは、高校を出てプラスチック工場でしこしこと働いていた時だった。
それまでは、恥ずかしいことに人生について何一つ真面目に考えていなかった。ただ日々の快楽だけを求めて生きていた。学校の勉強も、数学以外は大嫌いだった。ので、高校を卒業した時は本当に清々したのをよく覚えている。
高校を卒業して、プラスチック工場で働き始めた。当時はまだ週休2日制度は行き渡っておらず、月曜日から土曜日までよく働いた。働き始めた頃は、毎日学校に行かなくても良いというただそれだけが幸せだった。しかも、働いた分だけ給料も頂ける。仕事はつらかったが、自分よりも年上の人たちに囲まれて過ごし、なんだか大人になれたような気がした18の春だった。
なんか違うのではないだろうか? と思い始めたのは夏に差し掛かる頃だったと思う。なんだかよくわからない違和感が常に自分の中に澱のように溜まって行ったのだ。朝早く起きて自転車で職場に行き、夜は真っ暗になっても働く。昼休みと3時の休憩時間以外は、ひたすら機械の前での単純作業に追われていた。
機械の扉を閉めると金型にあつく熱したプラスチックが注ぎ込まれ、それを冷却水で冷やし製品が出来る。てめえはそれをひたすら検品し段ボールの箱に詰めていく。
短い休憩時間には阪神タイガースの成績を憂い、週末の競馬予想に花を咲かせる。そしてどうでもいいゴシップで気を紛らわせる。まあそこら辺は底辺高校にいた時と何ら変わることのない日常ではあったが、てめえには違和感が溜まって行ったのだ。「これでいいのか?」と。
これでいいのか? このまま自分の時間を切り売りして過ごし、気が付けば物好きな女と一緒になり。そもそも物好きな女などいるのか? そして朝早くに家を出て夜遅くに油まみれになって帰ってくる父ちゃんになる。それはそれで一つの形だけれども。
何かに騙されていないだろうか?
そう、てめえがずっと感じてきた「違和感」は、そこだったのだ。そのことに気が付き、てめえは慄然とした。社長に騙されているわけでも工場長に騙されているわけでもなく、会社に騙されているわけでもない。もっと大きな何か、いわば「社会のシステム」というか、そういった社会そのものに騙されているのではないか? と悟ったのだ。
じゃあ何がてめえを騙し、陥れようとしているのか。どこかに詐欺師がいるのか。それを考えたが、答えを得るには自分はアホすぎた。今思うと誰も騙そうとしていなかったのだが、それを理解するにはあまりに脳みそが足りなさすぎたのだ。
とにかく勉強しなければならない。てめえは生まれて初めて心の底からそう思った。知識がないと、何かに騙されていても自分はきっと気が付かないだろう。
てめえはしばらくして工場を辞めた。かなりまじめに働いていたので周囲からは驚かれたが、「やっぱり大学に行って勉強します」と正直に話をしたらみんなに喜ばれた。みなさんお父さんお母さんの気持ちで応援してくれたのだ。
工場を辞めてからはトイレに入っている間も食事の時も勉強した。自分にはあまりに時間がなかった。風呂に入る時には、問題を暗記して、風呂に入って考えた。とにかく寝る時間以外は全て勉強にあてた。一度悟りを開いた人間は強い。
そんなわけで、予備校にも通わずひたすら独学を通し、翌年の春にてめえは無事大学生になった。
さて、何が言いたいのかというと、知識がなければ人間は容易く「何かに」騙される、ということだ。自分は悟りを開いたのでその点はよく理解しているつもりだ。そして人は、時には知識のない人を騙そうとするし、知識がなければ容易に騙されることがある。
ようやく本題に入るが、昨日のニュースにあった、音楽のゴーストライター話の件である。
てめえは音楽が好きなので、彼のことはどこかで知っていた。ただし、初めてその存在を知った時から「かなり胡散臭い」と思っていたのだ。自分が知識のない人間だったら、いとも容易く騙されたのだろうと思う。また、本題からは外れるが彼の持つ「卑屈さ」も、てめえは理解できる。
初めて彼の話を聞いた時の印象は「この話が本当だったら、本当にかわいそうな話だが、はたしてほんまか?」であった。
その一。「被爆二世」を語っている時点で胡散臭さ満点である。なぜなら、「被爆者の子には、放射線の影響は全くない」というのが医学界の常識だからだ。そういった研究がしっかり存在している。被爆二世は、被曝と全く関係ない人と比べて、あらゆる疾患の有病率が全く同じであった(厳密に言うと、有意差はなかった)。ということは、放射線は被爆者のDNAを傷つけないということである。これはこれで医学上の意義があるが、それはまた別の話になるのでここでは述べない。
なので被爆二世は医学上特別扱いされることもないし、そもそもそのことをあえて暴露する必要がない。メリットもない。
それをあえて押し出すという時点で、正直胡散臭さ満点である。
その二。「激しい頭痛とめまいと耳鳴を生じ、難聴に至る病気」は、ない。少なくとも典型的には存在しない。
最も近い症状の病気とすれば「メニエール病」だが、これは耳の病気なので頭痛は単なる随伴症状である。また、耳の機能が完全に破壊されれば症状は消失する。
したがって、難聴になれば、耳が聞こえなくなれば症状は軽減するはずである。だから、メニエール病の治療の選択肢の中に「耳を破壊する」という治療法があるのだ。
腎臓からたんぱく質が大量に漏れていく「ネフローゼ症候群」という病気もあるが、これも腎機能が廃絶されればたんぱくは漏れなくなるので「治癒」する。これと同じである。
そもそも後天的に難聴になること自体あまりないし、あってもそのほとんどは薬剤性である。てめえが診てきた難聴の多くは薬剤性、もっとはっきり書けば「ストレプトマイシンによる難聴」である。また、本物のメニエール病も実際はほとんど存在しない。自分で「私はメニエール病」という人はよく来るが、本物はほとんどいない。その多くはBPPV(良性発作性頭位めまい症)である。
この二点でてめえは胡散臭さを感じたのだ。
今回のニュースを聴いた時も「ああやっぱり詐欺師だったか」とはっきりと思った。おそらく耳が聞こえないのも嘘なんだろう。
そこまでして認められたかった、その「卑屈さ」は、私にはよく理解できる。ただし現状はあまりにもてめえと彼とは差ができた。
もしかすると、難聴を訴えていた「彼」は、かつての私自身だったかもしれない。工場の中で悟りを開くのが遅ければ。そして教育の機会を得ることがなく、誰かに何かを認められたいと思ったならば。繰り返すニュースを見ながら、てめえはそう思った。
城陽市に「俺のラーメン あっぱれ屋」というラーメン屋がある。
本当に他に何もないようなド田舎の山の中にポツンと幻のように存在しているラーメン屋なのだ。営業時間が昼間のみで日曜休みという、やる気のまるで感じられない営業形態かつとんでもない立地にもかかわらず、連日行列が絶えない。
食べに行った人のレビューも絶賛の嵐で、かの食べログでもラーメン屋全国一位になったこともある。京都だけでみると、たしか5年連続1位だ。
「正直ほんまに旨いんかいな、その特異な営業形態のために旨く感じているだけなのじゃないのか」などとてめえも懐疑的だったのだが、一度食べに行って、あまりの旨さに衝撃を受けた。一時間以上行列したが、それだけの価値はあるだろうと思う。スープも麺も非凡だったが、てめえが感動したのはしっかり仕事された「具」であった。詳細を書くとそれだけでいくらでも書けてしまうので、ここには記さない。
その「あっぱれ屋」が、2月3日から「第二章」として「塩とんこつ魚介ラーメン専門店」として生まれ変わったそうだ。てめえはこのニュースを聞いて本当に驚愕した。今までの名声をかなぐり捨てて、新たな挑戦を始められるということ。これは本当にすごいと思う。そして、やはりあっぱれ屋が並の店ではないことを確信した。
どうでもいいが、去年の年末だったか偶然にてめえの過去の日記を発見してしまった。自分的には「黒歴史」そのもの(特に前半は)だが、今思うと貴重な記録でもあったと思う。
そして、その中でてめえは「これはビンボー学生のサクセスストーリーである」と記していた。そして、確かにそれはある程度達成されたと思う。
てめえはビンボー学生ではなくなり、今は食べたいものを食べられる、読みたい本をいつでも買えるという幸せがある。物欲はあまりないのでこれで良いのだ。
そんなてめえは、ここにサクセスストーリー第二章を記すことを宣言します。読んでいる人はほとんどいないけど。まあ何を書くというわけではないのだが、どこかに書いておかないと達成できないような気がする。今までちまちまと書いてきた駄文と、好きな歌詞の自分なりの訳文が何がしかのトレーニングになってくれると信じている。
「まだ本気を出していないだけ」などと恥ずかしいことを言わないように、しばらく生みの苦しみと喜びを感じてみたい。
初日。
いつものように職場に向かった火曜日の朝。
てめえの仕事は月曜日と火曜日に苛酷な仕事が集中しており、ために火曜日の朝はとても調子が悪い。実のところは、こっちで仕事をするようになってすぐは火曜日の方が過酷であり、しかも火曜日は一日の仕事を終えた後そのまま当直に突入していたので、火曜日の朝は学校嫌いな子供のようにお腹が痛くなり下痢を繰り返していた。
今はどちらかというと月曜日の方が過酷なのだが、火曜日がしんどいことは変わりがない。というわけで、気力を振り絞って職場に向かった。
この日は初めての患者さんが来ていた。初めての方にはとても気を使う。まずは前医からの手紙を舐めるように読み、問題点を抽出するところから始める。
今回の新患は、若いころから糖尿病を患わっており、その影響で腎臓が悪くなってしまった。インスリン注射などで前医で長く治療してきたが、よりよい治療を求め当院に転院してきたとのことだった。ということは先方の期待値も高めであるということで、てめえの中にちょっと緊張が走る。
それ以外に、肺に持病があるとの記載があった。こちらは別に呼吸器の専門医に診てもらっていたが、近く大学病院で診てもらうことになっていると記されていた。肺の状態はかなり悪く、常に酸素吸入が必要なので在宅酸素療法までされていた。紹介状を舐めるように読んだが、この方は年齢的には40代前半であり、その苛酷な人生を思いてめえは気分が重くなった。
一通りの情報を頭の中に入れて、てめえは患者のもとに向かった。なんだがすでに顔色が悪く、呼吸も荒い。まずは一通りのあいさつを済ませて、てめえは尋ねた。
「どうしましたか? なんだか顔色が悪そうですが」 「…娘に風邪をうつされたと思うんですね。夜から咳が止まらなくて息も苦しくてね」 「しんどいのはいつからですか?」 「昨日の晩からですわ。それまではいつも通りだったんですけどね」 「夜は咳で眠れなかったのではないですか?」 「そうですね。一睡もしてませんし、横になるとしんどいのでずっと座ってましたわ」
と言いながら、彼は苦しそうに痰絡みの咳をした。
今までの話からすると、最後の話はまんま「起坐呼吸」である。基本的に心不全の時の症状であり、原疾患のことも考えてめえは心不全を疑った。ただし、娘さんから風邪をうつされて、もともと悪かった肺の状態がさらに悪化した可能性も否定しきれない。自宅では毎分2Lの酸素吸入を行っているとのことだったが、てめえが診察に行った時には、すでに看護師の判断で4Lにまで酸素量は増やされていた。
「じゃあ、ちょっと診てみましょうね」
と、てめえは沖縄時代と変わらない言葉で診察を始めた。
心不全なら、隆々と浮き上がった頚静脈や、あるいは著明な下肢の浮腫が見られるはずなので、目で頚部を観察しながら両足に手を伸ばす。座った状態で頚静脈が浮き上がっていたら明らかに異常であるが、その症状はなかった。また、下肢に浮腫はあったが著明ではなかった。
ということは心不全ではないのか。頭を下げて頚静脈を観察するともっと多くのことが分かるが、あまりに苦しそうだったので、より苦しい症状を誘発する体位をとるのはやめた。
次に聴診器を取り出し、膜の部分を掌で包んで温める。朝一番の聴診器は冷えていることが多く、いきなり冷たい聴診器を直接肌にあてることは避けたいところである。
そして聴診器をあてた。まずは心音を聴く。心不全に特徴的な心音は聞こえなかった。その後に肺の音を聴くが、ここでも心不全に特徴的な音も、肺炎に特徴的な音も聞こえなかった。
この時点での、てめえの結論は「心不全は否定できないが、どちらかというともらった風邪が肺の疾患を悪化させている」であった。正直、これは困ったことになったと思った。というのは、前者は治療可能であるが、後者の場合はあまりよくない結論になることが多いからだ。
ここまで一瞬で考えて、にっこりとてめえはさっきの結論と反対のことを口にした。
「心不全の可能性があります。まずは心不全の治療をしましょう。ただし、娘さんにもらった風邪で肺の疾患が悪化している可能性もあります。心不全の治療に反応しなければ、そちらの可能性も考えましょうか」
わかりました、宜しくお願いしますと彼も笑った。
さっそく看護師に指示を出し、てめえは別の患者の診察に向かった。
他患の診察を終えて、彼のもとに向かった。どうですか? と尋ねてみた。ちょっとは良くなったような気がする、という彼の言葉とは裏腹に、顔色は全く改善していない。心不全であれば治療にそろそろ反応する時間でもあった。反応していれば、吸入している酸素量は減ってくるはずだ。
これは、心不全ではないな…。
とすると、この状態であれば入院が必要である。あと少し様子を見て、改善がなければベッドの手配をしないといけないなとてめえは考えた。
午前中の診察を終えて、再度彼のもとに向かった。残念なことに、やはり症状の改善はなかった。
心不全と考えて治療したけれども、治療に反応していない。ということは、肺の状態が悪化しているということになります。いずれにせよ今の状態では家に帰れないので、入院しましょうとてめえは言った。彼は静かに頷いた。
午後からは入院が可能な病院の勤務だったので、さっそくベッドを手配する。とても状態が悪いので、集中治療室を開けておいてほしいとてめえはお願いし、一足先に病院に向かうことにした。申し訳ないけど、先に病院で待ってますね、とてめえは彼に告げ、病院へ向かった。
病院に着いてからしばらくして、看護師同乗の上、彼は当院に搬送されてきた。まずは朝の診療所で出来なかった検査を行う。心不全はもうこの時点ではほぼ否定的だったので、肺の検査を集中的に入れた。検査をした結果、肺の状態は思った以上に悪化していた。
救急室からすぐに集中治療室に移動し、肺病に対する治療を開始した。正直、ここまでの時間のロスはほとんどなかった。午後に病院での勤務であり、そのまま治療を継続できたということが大きかったと思う。これが全く別の病院であれば、おそらく一から検査や病歴聴取を行い、治療開始はさらに遅れていただろう。
その日は彼に対する処置で一日が終わった。てめえが帰宅する時間になっても、彼の病は治療に全く反応していなかった。
二日目。
水曜日は、いつもはのんびり仕事が出来ることが多いのだが、この日は朝出勤した時から彼のベッドサイドから離れることが出来なかった。そう、状況は前日よりさらに悪化していたのだ。吸入する酸素量は、徐々に増やされて6Lになっていた。
どうですか、と、てめえは答えの分かり切った質問をした。うん、しんどいわ、と彼は力弱く笑った。その吐く息は荒く、寝返りを打つだけで呼吸が乱れていた。
その日も別の治療を加えてみたが、改善する兆しはなかった。病勢はますます強くなっている。正直、もう打つ手はなかった。
情報化の進んだ現代において、病院間での治療の差は今やほとんどない。最新の治療法はたちまち世界中に広まるし、インターネットを使うと一瞬で最新の情報にアクセスできる。逆に言うと、旧態依然の治療をしていると、それはたちまち患者側に批判されてしまうし、治療が上手く行かずに裁判に持ち込まれると負ける。患者側もその気になれば情報にアクセスできるのだ。
あとは、評価の定まっていない治療法を試すか? しかしそれは「バクチ」にしか過ぎない。我々が心掛けなければいけないのは"first, do not harm"である。患者の得る利益を超えた害悪が予想されるのであれば、それは避けなければいけない。不要な薬は出してはいけないし、切ってはいけないところを切り刻んでもいけないのだ。
昼前に、彼の妻がやってきた。一生懸命に治療していただいているのはよくわかるのだが、状態も改善しない。近くの大学病院に転院して治療を行うことはできないか? と相談された。
彼の妻の気持ちもよくわかる。しかし、大量の酸素吸入を行っており、寝返りを打つだけで呼吸が乱れるような状態の人を搬送すること自体が危険であると、てめえは説明した。せめて少しは改善してから動かした方が良い。そう言いながら、今までの状態を考えると改善を期待すること自体が難しいのではないかという考えもちらりと頭をかすめた。
ただし、治療はまだ始めたばかりである。あと数日は経過を見てはどうだろうか? それでも改善なければ、一か八かになるが大学に運びます。そうてめえは言った。
「…分かりました」と、少し納得しない顔で彼女は頷いた。
結局この日も彼のそばを離れることはできなかった。その中で、彼といろいろ話をした。
続きはまた今度。
2014年02月03日(月) |
ホテル・カリフォルニア |
On a dark desert highway, Cool wind in my hair, Warm smell of “colitas” Rising up through the air, Up ahead in the distance I saw a shimmering light, My head grew heavy and my sight grew dim, I had to stop for the night.
闇の中、砂漠のハイウェイを走ると、冷たい風が髪を撫でる。 マリファナの柔らかい臭いが私を包み、闇の中を立ち上る。 ふと前の方を見ると、彼方に光が揺らめくのが見えた。 閃輝暗点が現れ、偏頭痛が私を襲う。 今晩はこの辺で休むことにしよう。
There she stood in the doorway, I heard the mission bell And I was thinkin’ to myself : “This could be heaven and this could be hell” Then she lit up a candle, And she showed me the way, There were voices down the corridor, I thought I heard them say
彼女は玄関に佇んでいた。 教会の鐘の音が幻のように聞こえ、私はつい自問自答した 「ここは天国だろうか、もしや地獄ではないか?」 彼女は蝋燭に火を灯し、私を導いた。 たちまち廊下に声が響き渡り 私はその声を聞いた
Welcome to the Hotel California, Such a lovely place, (Such a lovely place) Such a lovely face Plenty of room at the Hotel California, Any time of year, (Any time of year) You can find it here
ようこそホテルカリフォルニアへ とっても素敵なところで 見た目も素敵でしょ ホテルカリフォルニアにはたくさんの部屋があり 年中通して、ここでは素敵なものが見つかるでしょう。
Her mind is Tiffany-twisted, She got the Mercedes Bends, She got a lot of pretty, pretty boys she calls friends How they dance in the courtyard, Sweet summer sweat Some dance to remember, Some dance to forget
彼女の心はティファニーのように捻れ メルセデスベンツも手に入れた 可愛い少年をたくさん侍らせている 友人たちを呼び 中庭で、甘美な夏日の汗を滴らせ踊るのだ あるものは忘れないために踊り あるものは忘れるために踊る。
So I called up the Captain “Please bring me my wine” He said, “We haven’t had that spirit here Since nineteen sixty-nine” And still those voices are calling from far away, Wake you up in the middle of the night Just to hear them say:
私は給仕長を呼びつけた。 「私のワインを持ってきてくれ」 「残念ながら、1969年以降その酒は置いていないのです」 遠くからのその声が余韻を残す。 夜中に目が覚めて 彼らの言葉が聞こえた。
Welcome to the Hotel California, Such a lovely place, (Such a lovely place) Such a lovely face They’re livin’ it up at the Hotel California, What a nice surprise, (What a nice surprise) Bring your alibis
ようこそホテルカリフォルニアへ とっても素敵なところで 見た目も素敵でしょ 彼らもホテルカリフォルニアに住んでいて びっくりしたでしょ アリバイを差し上げましょう
Mirrors on the ceiling, The pink champagne on ice, and she said: “We are all just prisoners here, Of our own device” And in the master’s chambers They gathered for the feast, They stabbed it with their steely knives, But they just can’t kill the beast
Last thing I remember, I was running for the door, I had to find the passage back to the place I was before, “Relax,” said the night man, “We are programmed to receive, You can check out anytime you like… but you can never leave”
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