日々だた生きることによって自分が犯す間違いが、 両肩にずっしりとのしかかっていることが、 無視できない時期があって、 丁度今がそれで。
誰かに「正しい」と言われるのを求めつづけて、 そんな自分の弱さにすら嫌気がさす時期があって、 丁度今がそれで。
こんな時は、 深く深く眠りましょう。
眠りましょう。
先日、新居にはじめて両親が泊まりにきた。
随分と母との仲を修正できたような気がしてたけれど、 やはり彼女と長時間一緒にいると衝突してきた昔のことが、 些細なことをきっかけにフラッシュバックしてしまう。
PCを見せると勝手にいじりはじめて家計簿を開いた彼女。 「それはみないでよ」といっても手をとめない。
かなりイライラして「嫌だっていってるでしょう?!」と言うと、 「どうして嫌なのかを教えてくれたら直ぐ止めるのに。昔から理由を言わないよね」といわれた。
彼女は今も昔も私がすることなすこと全てに理由を求め、 幼い私が一生懸命説明した内容全てを「屁理屈」で終わらせた。 嫌な理由すら母に告げられなくなった私にしたのは自分なのに。
「今度からたまに遊びにくるから、居留守は使わないでね」と言う。 「連絡してから来てよ」と私が言うと、 「できるだけするけど、できない時もあるかも」と答える。
私の都合はお構いなし。 彼女の脳内に私が断るという設定は入っていないのだ。 そんなんだから私に居留守を使われるのに。
お願いだからなるべく私に関わらないで。 これ以上私を蝕まないで。
親不孝にならない程度の義務を果たすだけで、 今の私には精一杯。
近頃ニュースを見ていると、 犯罪者の親や親戚などのインタビューが流れることが多い。
そんな時、ふと疑問に感じることがある。 「守る」ってどういうことなんだろうと。
ある未成年の犯罪者の親戚はこう言った。
「こんなに大騒ぎすることですか?」
別の犯罪者の肉親はこう言った。
「こんなことになってあの子がかわいそうだ」
身内を信じたり擁護したり、 確かにそれは「守る」ということかもしれない。 そしてそちらの方が簡単だとも思う。
でも身内の罪をしっかり認識して、 一緒に頭を下げるという守り方もあるということ。
案外、気がついていない人が多い気がする。
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