みかんのつぶつぶ
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2001年10月31日(水)

寒い。
こんな季節になったのだ。
また、
この季節がやってきたのだなあ…



グリセオールの効果があったらしく、
今日はとてもすっきりとした顔で起きていた。
何か話しかけてくるのだけど、
どうも理解してあげられなくて。
痰がからむ。
なかなか吐ききれない。

痛み止めの座薬は、
痛みがきてから使うということになった。
モルヒネの副作用で、
意識が朦朧としてしまうことを最小限にするために。

食後に服用していた粉薬も、
点滴に入れることになり、無理をして飲まなくてもよくなった。
下剤のラキソ30滴は、様子をみて与えて見る。
固形物のほうが飲みこみやすく、
サラサラとした水分は、逆に飲みこむときに
気管へ入ってしまう危険が高いのだ。

本当は、
もっと早く、
こういう処置をして欲しかった。
もうとっくに、
こういう状態だったのにな…

リハビリの先生が
ベッドサイドまで来てくださって、
手足を柔らかくするマッサージをしてくださる。
先生は新婚の主婦でもあるため、
調理方法についての問いかけをしながら
リラックスをさせてくれる。

焼き魚は先に塩をふって焼くのか、
煮魚はひっくり返すものなのか、

彼はじっと聞いている。
少しだけ表情が変化するので
それが答えになるのだ。


子どもの頃、
彼は「物知りタダシくん」と呼ばれていたと姉達が言っていた。
得意げに答えていたであろう彼の表情が目に浮かぶようだ。
これまでも、
時事問題や歴史のことなどを質問すると、
簡単に噛み砕いた回答をしてくれたものだった。

でも、
彼自身のことを明確にしてくれることは
ほとんどなかった。
自分のことは、
自身のなかで処理をする人なのだ。

そんな彼が、
「辛い」「寂しい」「嫌だ」「欲しい」
あんなにまでも要求をしていた心は
夏の終わりとともに
光を失ってしまったようだ。

病院の敷地内にある木々が落葉する景色を、
1年前の彼を想いながら眺める。
こんな風に、
落ちてゆく木の葉をみつめながら
退院する日を数えていたであろう彼の気持ちを想う。

季節は繰り返す。
あたり前のように巡ってくるんだね。

 

 

 





2001年10月30日(火)

今朝から食事を摂っていないという。
起こすと吐き気がおきてしまうらしく…

生理食塩水が3本に増え、
間にグリセオールが入ることになった。

とうとうこういう状態になってしまったのかと
落っこち気味だ・・・(泣)

それに、
どうも私は抑うつ状態らしく…
どうしても夕方にならないと動けない…と
看護婦さんにちょこっと愚痴ったら

あまりにも辛いようなら
いい先生を紹介するから、と言われた。

はい。お願いします。(T_T)








2001年10月28日(日)

無理やり起こして
食事を口に運んで
言葉をかけても
反応はなし。

笑顔はもちろん
表情を忘れてしまったように。

かすかに動く右手を
左耳に持っていく仕草をする。

痛いのだろうか
痒いのだろうか
わかってあげられない。
聞いても
応えてくれない。

そしてまた
彼は眠りにつく。

生きているのに
死んでいる。
生きようとしているのに
何もしてあげられない。

無情の雨が降る。









2001年10月27日(土)

おとなしく、すやすやと眠る彼は、
いったいどんな夢を見ているのでしょう。

毎日が、ただそっと過ぎて行く。
だいじにだいじに、そっと・・・

このままで、
本当にこのままで、
いいのだろうか?








2001年10月25日(木)

彼の姉達は、泣いていた。
弟が不憫で泣いていた。

彼が生まれた時から彼を知っている人たち。

どんなにか苦しいことだろう。



彼は悟っている。
自分の身体の変化を・・・

最後に
最後に残っている右手までもが
自分の意識から離れていってしまうことを。

鬱々としている様子・・・

話しができないのではなく、
話したくないだけで・・・


あの、
汗を流して必死に動いていた
過ぎ去りし夏の日々は・・・



ただただ
悲しいだけ。


泣いてても、いいよね。










2001年10月23日(火)

何も言わない。
私の目を見ようともしない。
心が閉じてしまったみたいだ。

家の中を見まわすと
がんセンターから持ちかえった荷物が、まだそのまま置いてある。
まるでとても遠い日のことのように感じる。
いまでは半分以下になってしまった病室にある荷物。
彼が欲するものは、何もない・・・

オムツをそのまま棚に並べるのは忍びないので、
そっとPoloの紙袋にしまった。
彼が、カッコ悪いと嫌がっていたことがあったからね。

オムツを見ても傷つくよね。

右手の震えがひどくなってきた。
お箸を持っても、震えがきて動かせないでいる。
そっと、押さえてあげた。
お箸を手放す彼の気持ちを想うと・・・

夕食のおかずに炒め物が出て、
そのお皿をひっぱるから膝の上に乗せてあげた。
お箸を持とうするから、お箸を握らせてあげた。

皿のなかのおかずをかき回している・・・
食べたくてもお箸でつまめないのかと、しばらく様子を見ていると・・・

彼は、お皿のなかにある野菜を炒めていた。
慣れた動作で、お箸を立てて、上手に炒めている・・・

「・・・炒めてるんだ…」
声をかける。
こっくりとうなずいていた。


何も、言葉をかけてあげられなかった。
何を言っても、言い訳にしかならないし、
誤魔化しにしかならないし。


彼の、叫びが聞こえた気がした・・・

 

 







2001年10月21日(日)

また点滴が再開されてしまった…(泣)
尿量が減ってしまったから仕方がないけど。

一昨日から眠りにつくのが遅くなった。
面会時間終了になる頃には痛み止めがきれてきて、
頭痛がはじまってしまう。
そうすると、置いては帰れないのだ。

ナースコールを押すということは、まずありえない。
そうすると、痛みに苦しみながら、
ひたすら看護婦さんが現われるまでベッドの上で待つしかないのだから、困ったものだ。

うーん…
痛み止めが錠剤から座薬に変ったための痛みなのか?

・・・・・・・・・・

末期的な痛みではないとは思うんだけどなあ…(T_T)


お風呂場で足を洗ってあげた。
気持ち良さそうにタライに足をつけていた。
浴槽を横目に見ながら、ちょっと悲しくなった。

 

 







2001年10月19日(金)

泣いていた。
私の前で、結婚してから初めて、
病気になってから初めて、
彼が泣いていた。
ポロポロ涙を落としながら。
ベンチでふたりで泣いていた。

来週、修学旅行で北海道へ旅立つ息子が、
旅立つ前に逢いにくるからと伝えたら、
彼の表情が突然歪んで、泣き始めた。

「いい子だね・・・いい子だね・・・」

息子の頭を撫でるように、
私の頭を撫でながら。

隣りで会話をしていた親子が黙ってしまったけど、おかまいなく泣いた。

泣く元気が、今日は彼にはあった。

ホスピスへ行くことを彼に伝えようかと思案していたが、
彼の涙を見て、言葉にするのはやめた。

優しさより温もりを・・・
どんなに優しい思いやりのある言葉よりも、
今はそっと見守って側にいてあげるほうがいい。
何を言っても言い訳に聞こえ、
ますます彼を傷つけてしまいそうだから。

F先生も、彼のプライドを最も尊重してくれている。

「手術もできない治療もしないで
この古い建物の中にいるのは
あまりにも彼にとってみじめじゃないかと思うんだよね…」

そうなのだ、と思った。
これは、きっと男同士じゃないとわからない気持ちかも知れない。
様々な患者の経過を見ている先生の経験からくるものなのだろう。

彼は廊下でF先生と挨拶をかわしたあとに、

「あの先生は俺と友達なんだ。結構親しいんだよ」

と私に囁くのだ。
先生の心中を知ってか知らずか・・・

男同士、相通ずるものがきっとあるのだな、と思った。


よかったね、先生と出会えて。
運がいいよ、結構。
神さまも捨てたもんじゃないよね。

 










2001年10月18日(木)

雨が降っている。
ベッドの上で眠る彼は、この雨の中歩くことはない。
傘をさし出勤する姿を思い出す。

駐車場に置いてある車を見る。
ベッドの上で眠る彼が、運転席に乗ることはない。
あの日が最後になってしまった。

冷凍庫には、彼が元気になったら処分しようと思っていたカブのお味噌汁が凍っている。
彼が作ったお味噌汁。
3月のあの日の朝、作ってくれた美味しいお味噌汁。
これが最後かも知れないと思い、捨てられなくて・・・


お別れの準備をしようね。
これから、生きていることを大事にしようね。
一緒にいる時間を大切にしようね。
限りある時を、自由に生きようね。
もう、そう考えてもいいでしょ?


彼のお友達から電話があった。
ご夫婦とは高校時代の同級生。
ホスピスへ移ることを伝える。
奥さんが泣いていた。
私に泣いてごめん、と言って泣いていた。
もう煙草を吸いに行っていないと言ったら
もっと泣いていた。
かわいそうに…って泣いてくれた。

ありがとう。

 








2001年10月15日(月)

昨日も前日と同じ状態で・・・(泣)

見舞いに訪れた母も動揺を隠せなかったらしく。

お昼を食べながらもウトウトしている姿は、
もう誰か見舞いにきてくれても応対する気力がなくなってしまったということで。



灯火が、小さくなっていく。





8/21 毎日たいくつだ
     天てき ソリタ3号
  尿の管を入れられる


彼のメモ帳に綴ってあった。
あの頃、しきりにメモ帳とペンを買い集めていた。
買っても忘れてしまい、そしてどこへ入れたのか忘れてしまうからだ。

この日から始まって、この日から綴っていないメモ。

最後の抗がん剤が投入される前日の様子なのだ。
この日は生理食塩水に吐き気止めを入れて、身体に流している。
その点滴の名称がソリタ3号なのだ。

「天敵」ソリタ3号かと思ったよ…一瞬…
まあ、嫌がっていたから、点滴=天敵は本音だね(笑)
しっかりと点滴のラベルを見て書いてるし。
それに「毎日たいくつだ」なんて余裕で書けてるし…
日付けがずれてるかもね(笑)

・・・ちょっと笑えたけど、だいぶ泣けた。
涙は出なかったけど、背中で泣いた。
眠っている顔をながめて放心した。


戻れない時を刻む。

 








2001年10月13日(土)

一日中眠ったまま。
やっと起こしてお昼を食べたけど、またバタンと眠っちゃう。
午後も全然起きる様子もなく・・・

夕食の時は、やっと食べている様子でほとんど朦朧としちゃってるし。

かわいそうで横にしてあげたらそのままスーッと眠りについてしまった。

ただ心配なのは、痰がからんでしまって、
咳き込んでもいまいち力がなくってスッキリしないってこと。

弱ってるのかな。

コンチンを飲みにくいからということで、砕いて持ってきてくれたけれど、
それって良くないと思うのよね。
効き方が変ってしまうのに・・・

ちゃんと身体をたててくれれば飲めるからって、
この間言ったのになあ(泣)

なんだかなあ・・・
もうどうでもいいのかなあ・・・








2001年10月12日(金)

いまの私には過去も将来も関係なく、ただただ目の前の出来事が滞りなく過ぎることだけを願っている。

昨日F先生から先日撮影した脊髄のMRI写真を見せてもらった。
脊髄、とくに頚髄部分の断面図・・・
あんな狭い脊髄内に半分も占拠している腫瘍が。

断面図をわかり易いように裏返してくれた。
頚髄内の左半分が腫瘍で塞がっているように見える。
だから左半身が脱力しているのだ。
脳の場合は反対側に影響がでてくるのだけれど・・・。

彼の様子はどうなのかと、先生から質問された。
食事はできているのか、精神状態ははっきりしているのか。

座っていても姿勢を保っていることはできず、
首も力がなくなって頭がどんどん前へ下がっていく状態だと伝える。
精神状態は落ち着いている…のか、それとも状況を把握する能力や気持ちが、もう喪失しているのか…
計りかねる部分がある。

「こんな汚いところで手術患者と一緒にいるということは、
もう彼には可哀想だと思うんだよね・・・」

いつも感じることなんだけど、
この先生は、どうしてこんなに人情味のある心を持ち合わせた脳外科医なのだろう。

「そろそろそういう時期が来たと思う・・・」

苦渋に満ちた声で先生が言う。

「ホスピスに移ることで、彼がショックを受けてしまうことが心配なんだよね。
まだ意識的には波があっても理解できる部分が多いと…」

患者の家族の心痛をそのまま先生が持っていて、
私のかわりに言葉にしてくれる、いつも。
そして病気のことだけではなくて、彼自身の心理を考えてくれるのだ。

「奥さんがしばらく彼の様子を見て、決めて欲しい。
その時が決まったら知らせて欲しい」


だれか、だれか私のかわりに・・・
私に決めさせないで。

突然呼吸停止に陥る危険性が高いということは、わかっていて欲しいという。

緊急時の人工呼吸器については、その場の判断で医者が処置をするからという言葉で、
私は後ろめたさを感じながらも安堵する気持ちになった。

医者の判断に委ねる・・・
この先生だったら、信頼して任せられる。
彼も、ずっとこのF先生を一番信頼している。

だからこそ、またこの病院を去らなければならないということが、どれだけ彼を傷つけるか。


彼だけをみつめて、
彼のかわりになって、
彼の生きかたを考えて・・・

いったい何が、どれが、「彼のため」なのか?










2001年10月10日(水)

なぜか10月10日だったんだよね(笑)
とにかく早かったような長かったような、そんな1年でした。

で、今日は土砂降りの冷たい雨です。
私の代わりに泣いているようだな…ちょっと詩人になったりして(照)

言葉はみつかりません。

感慨…とはちょっと違います。とても複雑です。

でも、私がこの1年で得た大切なこと、
メールがくるって、こんなに嬉しいものだっていうことと、
BBSで書きこみを見ると、それだけで気分転換になるんだなってこと・・・

ほんとに、ありがとう。

Web上ではいろんな情報が発信されている。
私も、そんななかのひとかけらになれれば、と思う。

天変地異のように訪れた「脳腫瘍」と出会ったことは不運だと素直に認め、
それを受けとめ吸収した私のこれからの人生は、きっと何か違ってくるのだと思う。









2001年10月08日(月)

疲れると歯が痛む。
消炎剤を飲んだら眠くなって思わず爆睡してしまっていた。
気がついたら午後1時半。。。
あらら・・・・・・

腰も痛いし、髪の毛も伸び放題だし、自分の身体が嫌いになりそうだ(笑)

彼は、昨日は割と目覚めている時間が長くって、
おまけに夕食を食べていたらもよおしてきたらしくトイレへ。
座ってもなかなか出てこないから浣腸をしてもらった。

普段はもう差し込み便座で寝たまま浣腸をするのだが、
やっぱりトイレで座ってするっていうのは自然な形だからすっきりと出てくれた。

30分ちかくトイレで格闘していた。
もちろん私も付き添って、身体を支えてあげていたのだ。

腰が痛いのはそのためか・・・

今日は、うつらうつら眠い日のようだ。
でも夕食近くなったら目が覚めて、夕方になると起きるんだねって笑ったら、
そうしているんだ、と憎まれ口をたたいていたし(^^;

食事を全部たいらげて、横にしたらそのまますーっと眠ってしまった。

手がかからないのは良いけれど、
やっぱりちょっと寂しいね。









2001年10月07日(日)

今日は食事以外はずっと眠ったままだ。
食事中も、夢うつつで食べている様子。

なんとか笑顔を彼に向けるのだが、眼中にない様子(T_T)

どうしたんだろう・・・

抗がん剤の治療中ならばいざ知らず、こんなに眠ってしまうのは、ちょっと心配だ。


何をしても何を見ても満たされぬ想いにかられる・・・

亭主元気で留守がいい・・・って、ホントだなって思った。

彼の弟が見舞いに訪れた。
ショックを隠しきれない様子だった。
言葉をかけても眠っていて起きないし・・・

「おふくろが会いたいって言ってたから連れてくるよ」

帰り際に、彼に声をかけていた。

でも彼は、弟が来たことは覚えていない。
「うんうん」って反応していたけれど、それは寝ぼけてたから。


やるせないよ。
やり切れないよ。

帰り際、
病院の長い廊下を歩く彼の姿を想った。
3月に、悲しい想いで見送ったその後姿を思い出す。

こんなにも辛い状況になるなんて・・・

彼が死んだら、この病院へ彼の姿を捜しに来るだろう。
私は、きっと。







2001年10月06日(土)

昨日、がんセンターで同室だった方が転院してきた。
前にある個室の名札に見覚えがある…と思ったら、娘さんが出てきた。

「あれから色々転院先を探したんだけど、みつからなくって・・・
3日前に急に決まったんですよ、ここへ転院できるって・・・」

このIさんも、同じ悪性脳腫瘍でこのK病院で開頭手術をし、
がんセンターへ術後の治療のため転院してきた方だ。

ゴルフが唯一の趣味だったというIさんと、楽しくお話しをした夕食の時間を思い出す・・・
それからまもなく放射線治療の後遺症で、全身発疹と発熱で衰弱してしまい、
個室へ移られていたのだった。

「転院できる可能性は10%もないかもしれないけれど、
奥さんも行ってF先生によくお願いしてきなさいってN先生から言われちゃってサー…
2,3箇所ほかの病院をあたったんだけど全部断られていたし、ホント困っちゃってねえ。
やっと今日午前中にここへ移ってきたんだよー」

奥さんが相変わらず(笑)の困り顔で愚痴っていた(^^;

ああ、また会えたんだな・・・と思って、ちょっと嬉しかった。

お互い声をかけられるものね。

彼は、娘さんの顔を覚えていた。
美人だからね(笑)

さあ、今日も一日、悔いのないように頑張りましょう。








2001年10月05日(金)

ずっと布団にくるまっていたい・・・

背中と腰が痛みはじめた。
何せ狭いベッド周りで動きまわるから、身体をひねったり中腰になったりという動作が多すぎるから(泣)
車椅子に移動するにも、もう私が持ち上げるしかないし・・・

しっかり座っていることもできなくなった。
手足に時々震えがくる。
左手にボールを乗せて握らせても、もうダメだから…と言って握ることもしない。
ちょっとドキッとした。

悟っているんだよね。

やっぱり転院は、彼のなかで、何か区切りがついてしまったのだ。
ショックだったんだよね。
無表情や失見当識のなかでも、正常な認識もしている時間があるなかで、
わずかなその時間のなかで、苦しんでいるんだよね。

もう、そっと過ごさせてあげたほうがいいのかな・・・


去年の昨日は、2回目の開頭手術をした日だった。
体調を崩して入院していた父が、
退院をした足でそのまま様子を見に来てくれたんだった。
手術中の待合室で、痛みのためにソファーへ寝転んでいた父。
気分転換に、喫茶室へみんなでお茶を飲みにいったんだった。
父はホットミルクを注文していた。

私と娘、母とゆみちゃんでサンドイッチを食べた。

あれが、最後の、
永遠に最後の、父との外食になってしまった。

父は、よく外食に連れて行ってくれた。
息子がお腹にいるときには、いつも私は鰻を注文していた。
大きなお腹をして、よく食べる私を呆れた顔で見ていた父に、
きっと玉のような男の子を産むからさ、と言って笑っていたのだ。

息子が産まれたときに、
「お前は、ほんとに玉のような男の子を産んだなあ・・・」
と驚いていたことが懐かしい・・・

だから外食で注文するときに、鰻にしないのか?とニヤニヤして私をひやかすのだ。




いないんだなあ・・・・・・










2001年10月04日(木)

私のジキルとハイドが責め合っている。

昨日の看護婦さんの対応を徹底的に糾弾したほうがいいぞ、と囁く私。
わかっていたことなんだから、そんなにカドを立てる必要がないし、精神的に無駄な消費はしない方が賢いぞ、と囁く私。

許せない。
けれど弱い立場の患者を守るためには沈黙するしかない。
でも弱いからこそ守らなければならない私がいて・・・

こういう心の葛藤が、ものすごく負担になるんだよね。


今日は曇り。
朝の出勤風景をボンヤリ眺めている。

街は動いているんだね。











2001年10月03日(水)

はあ・・・・・
なんとかならないのかねえ…
ここの看護体制っていうか、教育っていうか…
相変わらずなのは十分承知のうえで入院したのだけれど、あんまりだなあ。。。

病室へ入ると、お昼の配膳がされていて、ちょうどロールパンをかじっているところだった。
まあ、それはいいとして。
ひょっとお皿を見ると、付け合わせのアスパラに何やら白い粉が・・・
( ̄〜 ̄;)??むむむ・・・これは薬をふりかけてあるのだろうか・・・
ハタとゴミ箱を見ると、薬の袋がゴミ箱の�爐茲貝�(笑)に落ちている。

拾い上げて見ると、袋のなかにはまだ粉薬が残っている状態で捨てられている。

他の薬の袋はゴミ箱のなかに。

私ははっきりいって、青ざめてしまった。
怒りよりも、血圧がどんどん下がってゆくのを感じた。
一気に心のなかで重い扉が閉まった感じ。

食事を介助しながら、黙々と頭を冷やしていた。
この状況を、どう解釈していったらいいのかと。

薬って、食後のはず。
それを食前に服用させている。
それに、薬を食事に混ぜているなんて、もってのほかだ。

ナースコールを押して説明を求めたいところだったが、
昼食時で忙しいのはこちらも承知なので控えていた。
そこへ他の患者さんの介助に看護婦さんが入ってきたので、そっと質問してみたりした。

「あのー…粉薬って、食事に混ぜているんですか?」

「え?いえー、そんなことないですよ」

「そうですか…ここにお薬がかかっているんですけど」

「どこですか?ああ、いやあ…混ぜるとしてもそこには入れないですよー。
多分お薬をスプーンにのせて飲ませる時に、こぼれちゃったんだと思いますよー」

「・・・そうですか。それにしてもこの薬、袋のなかにまだ残ってるんですけど」

「!・・・・ごめんなさ〜い」

ごめんなさ〜いと言いながら病室を出ていってしまった。

おいおい(-_-メ)
で、どうするのさ、この薬!!!

それに「ごめんなさい」ではないでしょう!
「申し訳ありません」じゃないんですか????

気が狂いそうだった。










2001年10月02日(火)

夜空にポッカリと穴が開いているような、そんなお月さまだ。

今日からセレネースの服用を中止した。
ちょっと不安だったが、夕食後も混乱することなく落ち着いてくれていた。
昼間は熱っぽくて、リハビリはお休みしたのだが、体温調節がいまいち上手くいかないのかな。

ずっと無表情で、笑顔を忘れてしまったような状態だったのだが、
私が帰り際に、やっと笑ってくれた。

「明日は何を持ってくる?何が食べたい?美味しいものなら何でもいいの?」

この問いかけが、彼の脳のどこかを刺激したらしい(笑)
呆れ顔で笑っていた。

彼の上司から電話があった。
ちょうど外へ散歩をしているときだったので、彼が喜ぶと思ったら、
意外にも彼は、電話にでることを拒んだのだ。

もうあまり会話ができなくなっている自分を、すっかり解かっているのだ。
気の利いた言葉も言えなくなっている自分がいることを、すっかり認識しているのだ。

彼自身の状態を、彼はしっかりと認識できている。
精神がどこかへ飛んでいってしまうことも認識しているから苦しんでいるのだ。

身も心も。
燃え尽きている。
もうそんなに動かさないでくれって言われているような気がする。
リハビリもあまり積極的ではなく。

そうなんだなあ・・・
ホント、わかってあげられないねえ・・・

健康な人間のペースで見ていたらいけないのにね。
私の自分勝手さが、あらためて浮き彫りになった日だった。








2001年10月01日(月)

冷たい雨だ。
冷えた空気に漂う金木犀の匂いが、ますます気持ちを痛めつける。

また季節は巡ってきたんだなあ・・・

心も視線も遠くを眺めている。
目の前を見たくないばかりに。

どっぷりと超現実な場面に対応しなければならないギリギリの緊張感。
医者や看護婦の仕事がいかに大変か…と、
同情する。
しかし私は、なにせしがない素人なものだから、なんとも割り切れないやるせない気持ちばかりを引きずるねえ。



ストレッチャーに乗って、シャワーを浴びることができた。
気持ちよさそうだったな。
浴槽に入れないのは、残念だけど・・・

「情けないな・・・」

ポツリとこぼしていたなあ・・・
寝たままお風呂に入るなんて、
我が身を恨みたくなるよね。
いままで看護婦さんに手を煩わせず過ごしてきたこの病院で、
こんなにも何もできなくなった自分の状況が、
なんとなく辛い、という感情がわいてきたのか・・・


帰り道、胃のあたりが熱く感じる。
ここで体調を崩したら、ここでこの緊張の糸を緩めたら、
私自身にもう責任が持てない。
久しぶりに、恐怖を感じた。








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