uchie◎BASSMAN’s life
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2005年07月13日(水) ■ |
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■ロンドン7日目〜帰国 |
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昨日の夜からからひどく熱が出て寝こんだ。12時間も寝てしまった。 疲れがたまっていたのだ。ロンドンへ出発する前からずっと忙しくて睡眠時間は4時間ぐらいだった。 風邪薬を持ってきて良かった。 何も食べていなかったので、メンバーが買ってきておいてくれたバーガーにかじりついた。日本のバーガーの3倍はある大きさだ。 今日はもう18時の飛行機に乗らなければならなかったので、シャワーを浴びて帰りの仕度を始めた。 テロの影響で交通機関がどうなってるかわからないので、僕らは早めに出かける必要があった。 案の定、閉鎖されているところもあり迂回しヒースローへ向かった。 具合も悪かったので、ハードケースに入れたベースとスーツケースはかなりきつかった。地下鉄の構内の階段で持ち上げるのに苦労した。 随分時間がかかりヒースロー空港に着くと、急いで手続きを済ませた。 すっかり腹が減って、カフェで休憩した。 ここのパニーニがとても美味しかった。ツナがたっぷり詰まったやつを、プレートでぎゅっと押しつけてその場で焼いてくれるのだ。大きさが元の倍ぐらいになって、食べ甲斐があった。 その後、免税店で紅茶と機内で食べるお菓子を買った。イギリスのお菓子は安くて美味しい。特にフレークとドライフルーツを固めたお菓子が好きだ。東京ではなかなか手に入らないので2つ買った。 のんびり買い物をしていたら、登場ぎりぎりの時間になってしまい、僕らは空港内を駆け足でキャセイパシフィックへ向かった。
飛行機がどんどん高度を上げ、ロンドンの街が小さくなって行くのを窓から眺めながら、きっとまた来るぞと心に誓った。
バルト海を越える頃、いろんな出来事を振り返った。
はじめからわかっていた。 これぐらいでは何も変らないし、何も満足できない。 どこへ行こうと、どこでやろうと音楽も僕もは変りはしないのだ。 それが間違いではないことを、今回自分で確認することが出来た。
心の中の世界を広げていけば、現実となって目の前に現われてくる。 それを受けとめることが出来れば、世界は自分を受け入れてくれるだろう。
成田空港に着き、息を吸いこむと 日本の空気は生ぬるかった。
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2005年07月12日(火) ■ |
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■ロンドン6日目 |
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カーナビ−ストリートへ買い物に出かけた。 本屋に立ち寄るとUKロック関係の本がたくさん売っていて、スモール・フェイセスの本はないかと探してみたが、 スティーブ・マリオットの最近出た伝記があるだけだった。分厚い本で自分で翻訳するのは大変だろうから買うのはやめといた。
ストリートへ入ってすぐ、ランブレッタ・クロージングがある。小さい店だがオリジナルの服やバッグを売っている。 その近くにTHE FACEというモッズな洋服屋がある。 ここも小さい店だが、いろいろなモッズブランドを扱っていて、スーツも置いていた。店長は気さくなおじさんでいろいろ話しかけて来た。 僕がスティーブ・マリオットのカレンダーを買うと、 「スモール・フェイセスが好きなのかい?この前イアン・マクレガンとケニー・ジョーンズがここ来て、サインを書いてくれたんだよ」 と言い、僕の背後の壁に貼ってあるポスターを指差した。 振り返って見てみると、僕の部屋に張ってあるスモール・フェイセスのポスターと同じものに金色のペンで二人のサインが! 感動して体が震えた。60年代は自分が生まれる前のリアリティーのないものだが、スモール・フェイセスは今も生きていて、ついこの前ここに立っていたんだ。彼らが歩いているストリートを僕も歩いているのだ。 この店にはモッズを愛するミュージシャンがよく訪れるそうだ。 オーシャン・カラー・シーンのギタリストが来たときは帽子を買っていったそうだ。アルバムのジャケットで被っているものがそうである。その帽子と同じ物を試着してみた。かなり気に入ったがちょっと予算が足りなくて買えなかった。 僕らもバンドをやっていてライブをやるためにロンドンへ来たことを伝えると、それならサインを書いてくれと頼まれた。スモール・フェイセスのメンバーのサインと一緒に店内に自分のサインが飾られることになるとは、なんて光栄なことだろう。 またロンドンへ来たらこの店に立ち寄ろうと思った。
少し歩くとMERCがある。新しいステージ用の服を提供してくれると言っていたので、立ち寄った。まだバンドのポスターを貼ってくれているし、ここがホームグラウンドのひとつに感じられてなんだかほっとする。欲しい服がたくさんあったので迷ってしまった。メンバーみんな一着ずつシャツやジャージを貰った。東京へ返って着るのが楽しみだ。店員のみんなに僕らは明日発つのでさよならを告げると、彼らは僕らが見えなくなるまで手を振ってくれた。彼らのサポートがなければ今回の成功はなかっただろう。
その後、ビートルズの聖地、アビーロードへ。 アルバムジャケットで使われたあの横断歩道がある通り。『アビーロード』は中学1年生のときに買って何度も繰り返し聞いてきた特別思い入れのあるアルバムだ。 バスを降りると、煉瓦の塀にはびっしりとファンが書いたメッセージがあった。それには特に参加せずに、世界中からファンが来ているんだという事実を自分もバンドをやっている者として眺めた。アビーロードの曲を思い出すと、やはり並大抵ではないことをその場で感じる。 この横断歩道を彼らが歩いている姿を想像してみた。少しビートルズが身近になった気がする。
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2005年07月11日(月) ■ |
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■ロンドン5日目 |
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せっかく憧れのロンドンまで来たので写真撮影をした。 結構日差しが強く、撮影日よりだ。珍しくここ数日間晴れ渡っている。ロンドンの若者は日光浴に出かける者が多い。 カメラマンはPICZOさん。 まずはクラッパムコモンで最初に朝食をとった店で、イングリッシュブレークファーストを食べながら生活感のある感じで撮った。 そのあと近くの公園で。昭和記念公園のような感じの広々としたところだ。暑いけど、空気が乾いてるので爽やかな気分。芝生の座ったり、寝転がったり、歩いてるところを撮った。
次はカーナビーストリートのMERCへ。地下鉄で移動した。 店内での撮影をお願いすると、“どこでも好きなように使っていいよ!”と歓迎してくれた。 店内は広くてきれいだ。ソファに座っているところや、気に入った服を借りて鏡の前でポーズをとったり、スモールフェイセスも昔カーナビーストリートの店でそういう写真を撮っているが、同じようなことを出来るなんて感激だ。
別のストリートへ移動し、細かい路地の中で撮影したりもした。どの建物も煉瓦造りで絵になる。小さなアパートがたくさん並んだところだ。といっても日本のものとは全く違って、かっこよくてたまらないのだ。ここに住めたらいいだろうなあと思った。18時を回っていたがまだ十分明るく、逆光が眩しかった。
撮影終了後はメンバーとBARに入った。とても広いBARで落ち着く。少しミッドセンチュリーな感じの店だ。 ギネスビールで乾杯した。もう食事の時間だけどあまりお金もないので、おつまみを3品オーダー。これが意外と美味かった。こっちはチーズが非常に美味い。 こういうところばかりをまわって、僕らは観光というよりもこの一週間の滞在は“生活”であると思った。こういう日々がずっと続けばいいのに。
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2005年07月10日(日) ■ |
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■ロンドン4日目 |
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ライブが終って機材を片付けたり着替えたりしてるうちに、フロアでは土曜の夜恒例のDJイベントBLOW UPに様変わりした。このイベントも楽しみのひとつだった。モッズに興味がある人ならこのイベント名は聞いたことがあるかもしれない。少なからず東京の60s系のイベントもこれをお手本にしてるはずだ。 僕はBARカウンターでドリンクチケットをビールに変え、ビンを片手にフロアに流れ込んだ。 選曲は東京のものとほとんど変らない。60sのビートバンド、ソウル、リズム&ブルース、そして90年代以降のUKロック。だから決してこのロンドンのCLUBに対して羨望の眼差しではなく、僕にとってこれは日常。この曲はこうやって踊るんだぜ!って感じで思いっきり踊った。そうしていると回りの連中も意識してきて3〜5人ぐらいで輪になって踊りまくり。しかし演奏もダンスも負ける気はしないけど、身長はさすがに負ける。こいつらみんな180cm以上あるんだ。フリークの中では一番背の高い僕でもここではチビだ。大きい鏡に映った自分を見ると子供みたい。よく酒売ってくれたもんだな。たぶん東洋人は若く見えることをよく知ってるんだな。 曲の中で“〜YOU!”なんてのがあると、そのタイミングで近くにいるやつに目を合わせて指を指したりすれば向こうも答えてすぐに仲良くなれた。でっかいやつと肩を組んでぐるぐる回って馬鹿騒ぎ。 あるやつに“なあ、あの子かわいいと思うんだけど、どう思う?”って言ったら、 “きみさっきのバンドのベーシストだろ?大丈夫だよ!いっちゃえいっちゃえ!”というので、調子に乗ってナンパ(?)してみた。 ちょんちょんと彼女の肩を叩き、耳元で“ハーイ!uchieで〜す!”みたいな。ボーイフレンドと来てるみたいだったからちょっと話しただけだけど。大体英語ほとんど話せないからウケねらいだ。
なかにはフランスから来たバンドマンでフリーク目当てで来た連中がいて、音楽の話をした。60年代の中でもオルガンサウンドがいいね!という話の合う連中で、スモールフェイセスが一番好きだということも共通していた。お互い年齢を聞いてびっくりした。向こうはまだ10代。僕の歳を聞いて“うそでしょ?!すごい若く見えるよ!”って言うから“だってオレ、ロッカーだもん!”って言ったらすごい喜んでた。やっぱりそうだよね〜!って感じで。 そんなやりとりしてたら“I'm a man”がかかって、僕らは一緒に踊って歌った。こういうの大好きという気持ちが間違いなく通じ合った。サビのところではみんな同じような動きに。
踊り疲れたときにバーカウンターのとこに行ったら、他の女の子とは違った感じのこ達がいるのに気がついた。ロンドンっ子はみんな派出な感じなんだけど、その二人なんか人種が違うような。 気になったので、いや、というよりかわいかったから、話しかけてみた。 フライヤーを差し出して、東京から来てさっきここでライブやったんだ、ということを伝えた。しかし僕の耳元で話す彼女の英語のイントネーションは実に巻き舌が強く聞き取るのが大変だった。しかも声が甲高い。スウェーデンから来たということだった。どうりで北欧系な顔立ちだ。色白で金髪。コンピューターミュージックが好きだと言っていた。YMOは知ってるかと訊いてみると、もちろん知っていると。さすがYMOは世界中で有名なんだな。
そんな感じでイベントの終わりまで楽しんだ。
帰りは4時半頃だったか、バスを探して乗った。ロンドンでは深夜も2階建てバスが走ってるのだ。 宿に辿りついて、シャワーを浴びてから寝た。 起きたのは11時頃。 ライブも終ったので街をぶらついてみることにした。
バスに乗ってカムデンへ。 すごいところへ来たもんだ。ここはロンドンでもカーナビ−の辺りとまったく違う。東京で言えば高円寺みたいな。通りに洋服屋やら雑貨屋やらごちゃごちゃと密集していて、なんだか全体的にインチキな感じ。 屋台がたくさん並んでるところでは、いろんな国のひとがその国の料理を出していた。これが本当にすごく旨そうでたまらなかった。どれを食べようかと迷っていたが、ここで食べる訳にはいかない理由があった。 ロンドン在住経験のある友達に“ロンドンへ行ったら絶対にフィッシュ&チップスを食べてみて!”と言われていたのだ。そういう約束は守る方なのだ。しかし我々の空腹もそろそろ限界に。なにしろもう25時間以上食べていなかったのだ。 ライブハウスBAR FLYの前を通って少しするとやっとフィッシュ&チップスの店を見つけることが出来た。もう午後4時ぐらいだった。つまり26時間ぶりの食事というわけだ。僕らはひとりひとりフィッシュ&チップスを注文した。 マスターが持ってきた皿を見て驚いた。大きな皿に、フライドポテトの山盛りと大きな魚の一切れのフライ。軽食のつもりが、どう見てもポテトが主食で魚がおかず。これだけ。これぞブリティッシュ! ひさしぶりの食事にナイフとフォークでさくさくと食べ始めた。これは日本では食べられない味だ。魚はタラだそうだ。ころもが厚くカリっと揚っている。それにしてもでかいのだ。食べ甲斐がある。 しかし半分も食べた頃にはだんだんこの味に飽きが…。それでもどんどん口に運んでいく。これぞイギリス。ひとつも残さずたいらげ、お腹いっぱいになった。
店を出てまたいろんな店を見てみた。家具の店がたくさんあった。ひとつだけミッドセンチュリーの店があって、入ってみるとこれは欲しいなと思えるアクリルのテーブルがあったが、とても高くて買えなかった。 その近くに60sファッションな洋服店があって、襟の大きいダブルのコートとかあってすごく欲しかった。店の前には、サイケデリックにペイントされたビンテージカーがあってスウィンギンな気分を味合わせてくれた。 小さな雑貨屋では駄菓子屋によくあるような入れ物の中に、生のマジックマッシュルームが入れて売られていた。どんな匂いがするのかと思い、嗅いでみたら強烈な匂いでむせ返った。お店のお兄さんが笑っていたよ。それにしてもこのキノコでマジックマッシュルーム丼とかバーベキューとかやったら楽しいだろうなあ、と想像してしまった。
駅の方に戻ってバス亭の辺りにいると、何やら黒人のブラザー達がいて話し掛けてきた。 “ヘイ!ヤパン。マリファナ売るよ。ヤパン、こっち来なよ!” 日本のことヤパンっていうのか黒人の間では。 今度はリバプールストリートへ行った。 インド系の店がたくさん並んでいて、また変った光景だった。気がついてみるともう夜8時頃。まだ明るいので時間の感覚を忘れてしまう。どうりで閉まってる店が多いわけだ。このあたりはスラム街のように見える。 しばらく歩くとビアガーデンがあって、実に多くの若者が集まっていた。ロンドンは本当にいろんな人種がいる。日本人もいくらかいたようだ。地元の人はこういうところで楽しんでいるんだな。小さな路地に200人ぐらいがたむろしてビールを飲んでいる。
もうとっくに夕食の時間だが、さっきのフィッシュ&チップスが効いていて食べずに宿へ戻った。
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2005年07月09日(土) ■ |
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■ロンドン3日目 the freaque’s live vol.12 at METRO |
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午後2時にカーナビーストリートのMERC前に行くつもりが道が込んでいて随分遅れてしまった。バスで行ったのだが、なぜか途中で乗客全員が強制的に降ろされたのだ。なんのアナウンスもなく、ぞろぞろとみんな降りていく。何か点検でもあるのか。テロがあったばかりだから、きっといろいろあるんだろう。次のバスが来るまで待たされてしまった。
2時半頃MERCに着いた。立派なお店で1FとB1にフロアがある。感動的なのは、入り口にA2サイズのフリークのポスターが貼ってあることだ。そしてB1のお会計のカウンターにはデモCDが置かれてあり、200枚ぐらい用意したものが残り10枚ぐらいになっていた。後ろの壁にはカイザーチーフスのポスターの隣にそれより大きい我々のポスターが。 全面的に協力してくれている。店員さん達ひとりひとりに挨拶を交わした。みんな歓迎してくれた。とりあえず事務所に機材を置かせてもらい、食事をしに行った。 MERCの正面にはベンシャーマンがあって競い合ってる感じなのだが、その横を通ると四方を店が囲んだ空間があり、カフェテラスで食べながらカメラマンのHirokoさんを待った。 僕が注文したのはビーフラザニアとチョコタルトとエスプレッソ。ロンドンはお菓子が本当に美味しい。ケーキとかがたくさん並んでいて見ているだけでも楽しくなってしまう。 Hirokoさんが到着すると、MERCに戻って店頭でフライヤーを配り始めた。店長は店内でお客に配ることも了解してくれるばかりでなく、彼も一緒になって配ってくれたのだ。これには驚いた。 客はイギリス人の他、いろんな人種がいた。腕にタトゥーをしたスキンヘッドの本物パンクスもいたな。とにかく店に入ってくるひと全てに僕らはフライヤーを配ったのだ。 「東京から来たザ・フリークというバンドで、明日METROでヘッドライナーで出演するんです」 などと話しかけ手渡ししていった。 モッズが好きだと言うことを伝えると、スモール・フェイセスの話題でお互い盛り上がったりした。 5時頃までフライヤーを配り、結構疲れてしまった。
Metroの入り時間が5時半頃なので間に合うように出かけた。MERCからは歩いて行けるところだ。 VIRGINメガストア前にあり、人通りが多い。渋谷のHMV前みたいなもんだろうか。 フロアに着くとまだ他のバンドは来てなく、何も準備が出来ていなかった。少しすると機材屋が来た。スタッフの人もやっと準備にとりかかり、東京と違ってなんとものんびりだ。 レンタルしたベースアンプはトレースエリオットのコンボタイプで300W。これは初めて使う。スイッチ関係は東京のスタジオにあるものと一緒だからまだ安心だ。グラフィックイコライザーが付いてるという点でこれにした。なにしろ自前のコンパクトタイプのEQはケースと一緒に行方不明中なので。 いざリハが始まってみると、やはりギターの方も音色のメインとなってるツインブースターがないし、ベースの音色を決めているアンプシュミレーターやEQがないのでいつもと同じ音色を出すのは不可能だ。不慣れな音の中で2曲の途中まで演奏して、PAさんになにも注文出来ないままリハは終了になってしまった。外国のライブハウスなんてこんなもんだ。リハがあるだけまだましなのかも。 リハが始まるのが遅れたのもあって、結局会場は8時半。フリークの出番は10時半からとなり、 隣のカフェでミーティングすることにした。外に出るとまだ明るい。東京とは日照時間がまるで違う。北海道みたいなもんだろうか。不思議とお腹は空いてなく、カプチーノだけ頼んだ。 そういえばどこの店に行ってもエアコンが入ってない。夏で暑いとはいえ、空気が乾いてるので日が当たらないところは涼しいのだ。出番の30分前ぐらいまでそこにいた。 Metroに戻ってみると、客がたくさん入っていた。地元の対バンのバンドが結構集めたようだ。フリーク目当てで来た人達も少しいて“ありがとう”と握手をした。さっきMERCでスモール・フェイセスの話をした人もガールフレンドを連れて本当に来てくれた。 またロンドン在住の友達で、UPPERS!のDJ達の友人でもある女の子も来てくれて再会した。一緒にいた女の子はなんとUPPERS!でフリークのライブを見たことがあるという。ロンドンで再びフリークを見ることになった稀なひとだ。二人ともモッドガールなオシャレな装いで、強力な味方だ。彼女達のおかげで、緊張もほぐれた。
いよいよ本番の時間が迫り、MERCから提供された新しい服に着替え、急いでセッティングをし、演奏直前に来ていた上着を脱ぎ捨てた。
曲目は、 1、インスト(ロンドンバージョン) 2、Let It Higher 3、hanging out 4、keep me flyin’ 5、days 6、it's gonna be alright 7、Up Side Down 8、Making Time(The Creation)
やっと僕はロンドンでライブをやるという目標のひとつを終えることが出来た。
テロの影響で来れなくなったひとがたくさんいたが、40人も集まってくれた。来てくれた人々に感謝である。 そして、アンケートの配布と回収を務めてくれたYamashitaさん、カメラマンのHirokoさんとPICZOさん、衣装提供と宣伝協力をしてくれたMERC、日本で応援してくれたみんなに感謝である。
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2005年07月08日(金) ■ |
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■ロンドン2日目 |
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ヒースロー空港で足留めを食らったザ・フリークは宿に連絡し、車で迎えに来てもらうことにした。 マシンガンを抱えた警官が数名警備に来ていて、厳戒体勢にあるのがリアルになってきた。 初めてそんな銃器を間近で見て恐怖を感じた。 1時間ほどかかり宿の人が到着し、僕らの荷物を見るなり、 そんなにたくさん車に乗せられないよ、と言った。 テロのことで彼も随分冷静さを失っている。 結局タクシーを使うことになった。ロンドンのタクシーは日本のと違い、車内が広く、なんとかスーツケース3つと機材を全部乗せることが出来た。 問題は料金だ。夜間だから割増だ。 宿に着くまでに料金表示はすごい勢いで廻りだし、63ポンド(1ポンド約200円)かかってしまった。場所はクラッパム・コモン。中心地から少し離れた静かなところ。 それでも無事宿に着き、その周辺全てがレンガ造りであるのを見て、ここはロンドンなのだという実感がやっと沸いた。 借りたのは3人部屋だ。8畳ぐらいの部屋にベッドが3つ。機材とスーツケースを置くともう部屋はいっぱいだった。シャワーとトイレは共同で2基ずつ。日本語OSのPCでネットも出来て、悪くない。 日本からたくさんの安否のメールをもらった。メールチェックなどを済ませ、ベッドに着いたのは午前3時頃だった。 翌日、意外にも早く起きれた。涼しくて気持ちのいい朝だ。窓からレンガ造りのアパートがいくつも見え、乾いた空気が入ってきた。みんなシャワーを浴びてから食事に出かけた。 労働者が寄るような、イングリッシュ・ブレイクファーストが食べられる店に入り、セットメニューを頼んだ。 小さな漁船の船長でもやってそうな髭をたくわえたおじいさんがのんびりと作るビーンズとソーセージとベーコンと紅茶で3.80ポンド。日本ではまず食べることの出来ない味だ。イギリスといえばやはり紅茶。イギリスの水でなければ、またこの味も出ない。 高級な朝食ではないが、こういうのは嫌いではない。 周りの客が広げている新聞を見ると、昨日のテロの写真が1面に出ていた。バスの屋根が吹き飛んでいる。死者は50人。 なにが起きたのかだんだん分かって来た。 食事を済ませると、バスでロンドンの中心地へ向かった。初めて乗る2階建てのバスだ。遊園地で遊ぶ子供のようにはしゃいでしまう気分。
あちこちでサイレンが鳴り、パトカーを通りで何台も見かけた。物騒な感じだ。 しかしピカデリーサーカス周辺はどこもセール中で、随分ひとがいて混んでいた。街は生きている。そして人々の生活は続いている。街のあちこちを歩いて安全を確認した。
しかしまだいくつか確認しなければならないことがあった。 日本からEMSで郵送したエフェクターなどの機材がまだ届いていなかったのだ。もうとっくに届いていてもいいころなのに。 心配だったので郵便局へ行って訊ねてみた。 しかし全く相手をしてもらえなかった。イギリスは郵便事情が良くないと聞いていたが、本当だ。 困惑しているところへ、ネットでの記事を掲載してくれていたUKジャック紙のスタッフが協力してくれた。 この非常事態で彼らも忙しいのに、いろんなところに電話をして調べてくれた。20分ぐらいは仕事を止めて費やしてくれた。この恩は忘れることは出来ない。 テロの影響で、空港から入った郵便物は全てストップしてしまっているそうなのだ。もう明日のライブに間に合わないのを覚悟しなければならなかった。最悪二度と手元に戻って来ないかもしれないのだ。僕のだけでも8万円相当のものだった。 そのあと急いで明日出演予定のMETROの事務所へ向かった。社長のポールはThe Weekendersのボーカリストでもあった。 体格が良く、握手のときの握力はかなりのものだった。 このテロ騒ぎの中、明日ライブが出来るのか相談しなければならなかった。昨日と今日は営業を停止していたのだ。 結果はYesだった。店長としてビジネスに厳しい面もあるが、ロッカーらしい熱さのある男だ。 とりあえずホっとした。もしライブがやれなければ今までの苦労は全て無駄に終るし、もう一度やって来る予算など我々にはなかった。 しかしまだ問題が。 東京のライブハウスと違い、バンドがアンプやドラムセットを用意するというのがこっちでは常識になってるのだ。もちろんそこまで機材を日本から用意するとなったら輸送費だけでも大変な金額だろう。 ギターアンプは対バンから、ベースアンプはレンタル、ドラムはバスとタムを対バンから、他をレンタルすることになった。全てで60ポンドだったかな。出費がかさんでいく。
ミーティングの後はスタジオでリハーサルの予定があった。 急いで宿に戻り楽器を担いで、スタジオへ向かった。かつて日本のギターウルフも使用したというスタジオだ。 部屋に入って微妙に勝手が違うことに気付いた。どの機材も電源が入らないと思ったら、ドアの上にメインのスイッチがあって、それをオンにしないと他が入らない仕組みになっていた。もちろん持ちこみのエフェクターなどはそのままでは使えない。ロンドンは240Vなので変圧器を持っていっていた。 慣れないスタジオに少し戸惑ったが、演奏が始まるとここがロンドンだろうとどこだろうと関係なく、いつもの自分達の世界になるというバンドの力に気づいた。 他の地元のバンドの練習の音が聞こえたが、全く負ける気はしなかった。 リハが終って表に出ると、今回特に協力してくれてスタジオの予約まで取ってくれた地元に住んでるMさんが待っていてくれた。彼女はとてもロック好きなひとだ。 僕らはそのまま一緒に飲みに行った。ピザなども頼んで軽く食事もした。いろいろ話をし、ビール2杯で僕はいい気分になってしまった。
その後、明日自分達が演奏する会場、MetroでCLUBがあるので宣伝がてらに遊びに行った。CLUB好きな僕にはたまらない。 テロの影響でここロンドンの中心地では普段に比べれば随分ひとが少ないそうだが、それでも十分じゃないかなって思えるぐらい人が集まっていた。ロンドンの人はタフなんだ。 英語ほとんど話せないけど勇気を出して話しかけてみると、聞いてくれるひとはたくさんいた。 中でもルークというやつと仲良くなって、ワインを少し飲ませてくれた。 「キミはフォトジェニックだね!一緒に写真撮ろうよ!」 と言われて、肩を組んで何枚か彼のデジカメで写真を撮った。 ロンドンではJAPとか言われて冷たくされるんじゃないかと心配もあったが、全くそんなことはない。彼はファミリー(たぶん兄弟とか従姉妹)と来ていて、一緒にいたショーンもいい感じの男だった。 東京のCLUBでフライヤーを撒いたりすると、しばらくすればほとんど床に落ちていたりするもんだが、みんな快く受け取ってくれたようだ。
1時頃バスに乗って再び宿へ戻った。 長い一日だった。いよいよ明日はライブである。
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2005年07月07日(木) ■ |
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■ロンドンへ出発 |
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昨日の仕事が長引いたので、真夜中から荷造りをした。 ベースのハードケースは今回この為に新しく購入した。楽器を飛行機で運ぶのは初めてだから、どんなケースがいいのかいろいろ調べた。
しかし最近寝不足で疲れていたので、こともあろうに準備中眠ってしまった。目覚ましをかけておいて良かった。それにしても大慌てでスーツケースに荷物を詰め込んで、午前5時半、僕は出発した。 新宿でメンバーと待ち合わせ、成田エキスプレスで成田空港へ向かった。 出国の手続きを済ませると、もうみんなすっかりハラペコで食事をとることにした。空港はなんでも物価が高い。 「なんにする?」 「松屋行こう!松屋安い!」 と僕は冗談で言ったが、あったのはとうてい我々フリークには似合わない不二家だった。 「これからUKでライブやるフリークが不二家かい?」 笑っちゃうけど、僕らはカレーが食べたかった。 航空機は費用の節約で香港経由のキャセイ・パシフィック。エコノミーだから狭いし立派な設備ではなく観光バスみたいだ。スチュワーデスはおそらく香港人。そこがまたワールドワイドな気分をさっそく感じさせてくれた。 ロンドンへ行くついでに香港にまで来てしまった。空港から見える高層マンション群には驚いた。 得した気分だが、たかだかライブ会場へ向かうのにこんなところにいるなんて、自分達がやっているスケールの大きさを痛感し始めた。東京でのライブなら電車で30分から1時間だ。きょうもたくさんのバンドがいろんなところでライブをやる。そのうちのひとつに過ぎないのに、あまりにも僕らの想いは大きい。年齢的にもライブシーンでの位置でも常に崖っぷちで、自分達の表現の為ならどんなことでもやらなければならない覚悟だ。 香港からヒースロー空港までがまた長かった。1万メートル上空でいろんなことを考えた。 このまま墜落したらどうなるだろうか? もしそうなっても、なにがなんでも3人で助からなければ、とか。 僕らは結成して1年でもうこんなところにいる。嬉しかった。全ての運命を共有しているんだ。 大きな大気の中に比べればちっぽけな空間のこの飛行機で、アジアを越えロシアを越え地中海を抜けた。 途中寝ては何度も起きた。おそらく空は寒いんじゃないかと、MERCのジャージを持ちこんで良かった。機内食が妙に旨くそして特別に感じた。ちょっとした英語でのやりとりも新鮮だ。 ヒースローに着く前、隣の席に座っていた日本人の男が話しかけてきた。カメラマンで感じのいい人だった。何度も仕事で渡英していて、英語は得意なようだ。 飛行機が少しずつ高度を下げると、ロンドンのきれいな町並みが見えてきた。東京の灰色で雑然した感じとは全く違う。茶色い屋根のが無数に列を組み、オトギの国へやって来たようだった。 無事滑走路にタイヤが着き、いよいよ来た!これがビートルズの国だ!と歓喜したそのときだった。 隣の席の人がアナウンスを聞きとって、こう言った。 「ロンドンで同時多発テロが起きて、死者が出ている…、市内では交通機関が全面停止…」 僕らは呆然とした。いったいどうなるんだ。 街はメチャクチャに壊されているのか? もしやヒースローもこれから攻撃されるのか?機を降りたらテロリストに銃口を向けられ囲まれるのでは?
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