浅間日記

2006年01月30日(月)

春のような温かい火曜日。

外で、家主のKさんが耕運機をかけている。
古い友達に再会したような気持ちで、そのモーター音を聴く。

2004年01月30日(金) 抽選12万名様に裁判体験



2006年01月27日(金) ビーフとストーブ

夜明け前の冷気が襲ってくる前に充分に部屋を暖めておいて、
朝が来る前に一仕事。

アメリカ産牛肉の危険部位混入事件。

既に市場に出回ったものについては、
国内輸入業者に自主調査と報告を「させるように指示した」とある。

国内輸入業者だって、被害者なんである。
経営判断の誤りは別として、危険な牛肉をこっそり安く仕入れて、

一儲けしようと思ったわけではないはずだ。
「させるよう指示した」扱いではやりきれないに違いない。

そしてなぜ、正真正銘の不届き者である、
牛肉を輸出した会社の代表や検査責任者の顔がみえてこないのか。

会社の名前すら、私は覚えていない。
一体、何州の何処にある、何という会社から発覚したのか。

国と国の問題はあるけれど、企業責任がまず先だ。

調査や回収にかかる経費や輸入業者への損失補償は、
そのずさんな会社が相当の痛みをもって、きっちり負担してもらいたい。
そうでなければ、自主的な調査など実効性のある指示になるはずがない。

「わが国では松下電器がこのようにしています」と、
例のストーブに関するフォローを、教えてやるとよいのだ。
混入部位1件あたり10億円で引き取るぐらいのことが必要だ。

*

これは本意ではないのだけれど、
アメリカ産アメリカ産と騒ぐことは、結果的に得策ではないのかもしれない。

何処産だろうと、実は本質ではない。
安全で美味しい牛肉は−米国にあればだけれど−ウエルカムであり、
危険な牛肉は、排除する。
そういう取り引き関係を、エビデンス付きでお願いしたい、ということだ。




2006年01月26日(木) 巡礼の年

仕事の用事をすませた出先で、地元の農協をのぞく。

ひとかかえほどもあるヤナギと、これまたひとかかえある桃の花を購入。
産地直売のこうした店なら、花屋の半分以下の値段で手に入る。

車の中は、一足早い春である。

*

立春の日に、豆をまいて追い出すものは、
冬の寒さや厳しさだ。

光とともに春を生活にむかえ入れて、
じきに始まる、田や畑での作業準備をするのだ。

*

車中の供に、リストの「巡礼の年」。

そういえば、すっかり忘れていたが、
Hは今年も、ガンゴトリへ遠征登山に行くのだった。

あと半年もすれば、また再び、
巡礼者や、修行僧がいる聖地の、そのまた彼方の、
高峰の人になるのだった。

今度こそ登頂できればよいが、できなくても別によい。
そして、いずれにしても、あの山は今回で終わりにすることを、
時期をみてHに助言しようと思っている。

クライマーとしてのHの技術レベルは、私のあずかり知らぬ世界だが、
山の学校で教えているぐらいだから、多分申し分ないものだ。
少なくとも自己管理できるものになっている。

しかしHが確実に頂上に立つためには、
それ以外に身につけなければならないものがある。そんな気がする。

多分、家族である私にしか分からないし、間違っているかもしれない。
しかし今回の「巡礼の年」にあたって、
私はいつになくそのことが、気になるんである。

2005年01月26日(水) 性根



2006年01月25日(水)

寒い朝、コーヒーを飲みながらHと談義。

仕事がないシーズンは、こうして朝一緒に過ごせるから、
一日のはじまりがずいぶん違う。

2004年01月25日(日) 国民総ガス抜き表現者



2006年01月24日(火) ALOS!

陸域観測技術衛星ALOSを搭載した、H-�僑船蹈吋奪硲弦翅任曽紊伽�功のニュース。

ALOSは、可視光による立体視を2.5mの分解能で行うことができる、
世界最大級の地球観測衛星なんである。

全球規模での地球環境モニタリングというミッションをもっていて、
46日間で全地球のデータを取得することができるんである。

取得したデータの活用方法として期待されているのは、
北極や南極の雪氷の変化や、森林分布の変化、砂漠化の変化などと言われている。
また、大規模な自然災害の被災地域の把握も、活躍が期待されている。

そして、今まで観測上のネックだった、曇りや雨の天候にも強い。
衛星利用の現実面として、これも大きな進歩だ。

ALOSはまた、2008年に打ち上げが計画されている、
地球温暖化監視衛星GOSATへの布石でもある。

*

衛星データといえば、軍事目的で開発されたもののおこぼれにあずかって
他の目的に利用するイメージが、何となくつきまとっていた。
そしてそれ故に、用途によっては使い勝手の悪い点も指摘されていた。

だから、環境をミッションにした衛星が打ち上げられたこと、
それも日本から打ち上げられたということは、これは一つのアドバンテージである。

GOSATによる成果も、期待される。
何しろ、二酸化炭素とメタンガスについて、現在290個の観測点でものを言っていたことが、50000個での観測点で再検証されるんである。

もちろん−CTスキャンの精度が上がっても発見された脳腫瘍が治癒するわけではないように−、観測は観測以上のものにはならない。
GOSATの成果は、環境汚染の現実とその結果引き起こされる恐ろしい未来が、
よりクリアになるだけかもしれない。

しかし、知らないよりはましだと思うのだ。

2005年01月24日(月) 一見にしかず



2006年01月20日(金) 茶番劇場の後継者

第164通常国会が召集された。
小泉総理最後の国会といわれ、「後継者選び」が依然注目されている、というニュース。

まるで小泉総理がお妃選びでもするみたいである。
いつから総理大臣という役職は、後継するものになったのか。

これは、「小泉政権は、有権者から熱烈に支持されながら幕を閉じる」
という、嘘の筋書きを自明の理とするための、詭弁じゃないかと思う。

本当は、次の選挙でもちゃんと有権者から支持されるのか、戦々恐々としているはずなんである。

2005年01月20日(木) マッチポンプ日記
2004年01月20日(火) 芥川賞と私



2006年01月19日(木)

国定忠治文化圏にて、からっ風に身を震わせながら仕事。

投宿先を抜け出し、竹馬の友ともいえるRちゃんと邂逅。
お姫様のように育ち、宮様の通う学校へ進学し、
数年たって、申し分のない結婚をしたと聞いた時には、
めでたしめでたし、もう会うこともないだろうと思っていた。

彼女が、ある日突然、連れ合いを亡くすことさえなければ、
そのシナリオは、そのまま生き続けるはずだった。

*

シリアスな運命に遭遇したにもかかわらず、彼女から何かが損なわれた感じがしない。

ちょっと意味がわからず一瞬戸惑った。
久しぶりの私に気を使った空元気だったら悪いな、とも。

でもまあとにかく、ありのまま受け入れることにした。

彼女は連れ合いを、突然失った。
彼女は今のところ、自分を損なわず、うまくやっている。

2005年01月19日(水) 草稿



2006年01月18日(水) 悪貨が駆逐するもの

ライブドアグループの証券取引法違反に関する捜索の騒ぎ。

*

昨今の投資ブームについて、常々思っていた。

お金は、子どものおもちゃではない。
自分の人生や家族や生活をもつ「大人」が、それに役立てるために使うものなのだ。


他人の人生や生活を尊重することができない「子ども」が、マネーゲームで手にしたものは所詮、空しい数字のかたまりにすぎない。


その目的が、誰かから褒められたり、すごいと注目を集めたいだけなのなら、もうそろそろ他の方向をあたったほうがいい。

大人の暮らしの邪魔をしてはだめだ。

2005年01月18日(火) 悲嘆エレベータ
2004年01月18日(日) コインロッカーベイビーズ



2006年01月16日(月) マサヤ画伯への手紙

拝啓

先日は横浜で久しぶりにお目にかかれて幸いでした。
万亀さんともども、元気で仲良しなご様子、結構なことです。
最近はもう、元気なのが一番です。

それにしても、浅間日記評には参りましたよ。
「声に出して読む浅間日記」は滑稽ですね。
早くも1年分笑わせてもらいました。

そして「何だかNPOの人の日記みたいだ」ってのにも参りましたね。
NPOか。
FBIでもKGBでもなくてNPOなんですね。間違いありませんか?

ご存知のとおり私はNPOの人ではないので、
今日からはNPOの人じゃない書き方をしようと思っているんですが、
さてどうしたらいいものか、と結構思案のしどころです。

それにしても、どうしたらいいんだ。
糸井重里や松尾スズキのように書けというのだろうか。無理だ。
それとも、いしいしんじ風がふさわしいのか。同じ信州在住だし。でもあれも無理だ。

そこまで考えて、少しわかりました。NPOの意味が。
着くずし。遊び。これが足らないんですね。
教科書っぽいんですな。ははーん。

白状しましょう。
世の中のあまたある「くずれたもの」を、私は
いつも、けしからん、くだらんと思って眺めておりましたわ。確かに。
ポジション的には、サザエさんの波平ですね。
結構自分もマンガさんなのにね。

でもまあしかし、そういうところを中心に、
日々を日記で振り返っていたわけです。結局。

今ならわかります。ええ、聞こえます。
わざわざ読んで下さった画伯の、「浅間日記、こわいわ」という呟きが。
「あんたはこんな面白味のない人だったのか!」というのも。

画伯は、当然のように、解っていたんですね。
世間にあふれる「くずれ群」の中には、
「わざとくずしてる、ちゃんとしたもの」が混じってるってことを。
何故誰も教えてくれなかったんだ!意地悪だ!

*

それにしても、物事の捉え方から文章の書き方、箸の上げ下げまで、
センスよく「くずす」ことは、なかなか難しいですわ。
いやあ、苦手だなあ。
「苦手フラグ」を、晴れてここに立てますわ。

ほら、読み返せば、こんなに厭らしい日記になっちゃってるでしょ。
いまどき高校生だって、こんな風には書かないしね。

ホント、マニュアル通り、想定の範囲内というのは、楽でいいや。
明日はもう、やらないからね。そっちの方向で研鑽も積まないからね。


画伯の作品から、センスというものを学ばねばなりませんな。

2005年01月16日(日) 枯れ木残らず花が咲く
2004年01月16日(金) 赤塚不二夫



2006年01月12日(木) 秘境の根拠

年明け第一号の仕事は、とりあえず一段落。

どうも雪の状況が厳しいのは長野県の北の方だけらしい。
この辺りなど降雨すらなく、取水制限がかかりそうな水不足である。

新聞を見ると、秋山郷の除雪作業は、
自衛隊も住民も同じく、シャベル一本での作業である。

その場で気化するとか、水にするとか、
とにかく新しい除雪技術を開発して、特許でもとろうではないか、
と、KさんとHと馬鹿話。

秋山郷の約300人の住人のインフラを確保するために、
自衛隊を要請する事態にまでなったわけだけれど、
挙家離村などという、無粋なことにならなければいいなと思う。
豪勢な道のつけかえも、やらない方がいいだろう。

冬場に外部との連絡手段が途絶えるということは、秋山郷では昔からなのだ。
雪どけの春に外部の人間が訪れたら、ある集落は病気で全員死亡していた、という厳しい過去もある。
また薬もまともに手に入らないため、色々な薬草に混じり、
人骨ですら民間薬として使われていた、という文献もある。

そういう、厳しい履歴をもつ土地なのだ。
情報は距離感を曖昧にする。
都市生活者の常識を、安易に持ち込めない場所があるのだ。

2005年01月12日(水) 将軍様は健在



2006年01月11日(水) 楽園へ向う道

「人の座標はどう変わったか」というタイトルで、辺見庸氏の連載記事。
昨年12月に結腸がんで入院、手術しているから、これはその前に書かれたものかもしれない。
そのせいか、文章に重たい覚悟と決意を感じる。
もっとも、この人は常にそうした覚悟の下に文章を書く人である。

失念しないように、要所を以下抜粋。

「…消費と投資がもてはやされ、射幸心を持つも煽るも罪悪視されなくなっ
た。以前からそうだと言えばそうだが、人が生きていく価値の座標が目下、
劇的に変わりつつあるのは疑いない」

「言葉という言葉にはいやらしい鬆(す)が立ち、欲動が体内から湧くので
なく体外から操作されている感じ。怒りや哀しみの情動が直接性をなくし、
自分と世界が分断されているような不安。万物商品化の世界では人間存在が
先細り、人はひたすら資本の使途としてのみ生かされる」

*

すっかり安っぽく、資本の使途として生かされる、人の存在。

人間の、自己家畜化現象である。

辺見氏は、「自殺という死の衝動」という、生きることの裏側にも触れながら、
ある歴史のベクトルに向って人は「標ない道を倒れるまで前へ前へと」行くしか選択肢はなく、もはや楽園へもどることはできないのだ、と結ぶ。

*

生きることの意味を考えることが難しいのは、
それを「生き続けながら」考えなければならないからだ。

「生きる理由がわからなくなったので、今日から一週間中断して、じっくり考えてみたいと思います」ということは、原則できない。
人気アーティストの、活動停止宣言のようにはいかないんである。

*

人は、生きる理由を−生きる喜びを−、生き続けながらみつけなければいけない。

哲学家がするような、高邁な理由など探している暇はない。
辺見氏曰く、「政治の幅は常に生活の幅より狭い」のであるから、
生活に根ざした、シンプルかつカジュアルなのがいい。

そしてそれは多分、「自分の手で何かを生み出すこと」でなければ駄目なのだ。
消費者としての生きかたが、人間の存在を危うくしたのだから。

*

楽園を追われ、楽園へ戻れないのなら、私は楽園へ向かおうと思う。
華やかでも楽しくなくてもいい。前のところと同じでなくてもいい。
追われた一つが全てではないと思うのだ。



2006年01月10日(火) 備蓄すべきものは

辻井喬氏の新聞連載。
ハイネの「ドイツ・冬物語」になぞらえて、
日本人が現代日本を思い憂うことについて思索している。
以下抜粋す。

「…しかし現代だから、詩人たちは祖国とか愛とか言う言葉はとても使いに
くいが、ハイネが自分の国を愛するがゆえに批判して『冬物語』を書いた気
持ちはこの二十年ほど切実に響くようになったのだ。(中略)いまの僕らの
問題は、どうやったら大勢の人に読んでもらえるような、あまり悲憤慷慨
(ひふんこうがい)調になってしまってはいない『日本・冬物語』を書くこ
とができるかということではないか。」

*

自分のフィルターを通過し、血肉として取り込むものは、
悉くこうした思索めいたものばかりで、そのことに時々迷いがないでもない。

何かのハウツーにつながるものでもない。
マイレージもたまらなければ資格もとれない。
もちろん、日記のアクセス数にも、全く関係ない。

でももうそれは、自分が自分を維持するために仕方がないのだ。
たとえ明日、家の米をきらしたとしても、
現代に失望せず、思索を続ける人からの話をきらすことはできない。

2005年01月10日(月) 教育考再び



2006年01月09日(月) 犬の報い

去年の残り仕事で山へ。

今は猟期なので、そこいら中ハンターだらけである。
すぐ近くで発砲している。犬がワンワン鳴きながら追い込む。

誤射されないように、目立つ色のテープを取り出し、
背負っているザックに急いでつける。
二足歩行に見える歩き方は・・・などと、無駄なことを考えながら歩く。

途中、何度かハンターに遭遇。
口の悪い1人が無愛想に「撃たれたいのか」と意地悪を言う。
猟をしている山に入っていけないという法はない。
むしろ、鳥獣保護区以外の山なら、原則どこでも狩猟できるような現在の法律を改正するべき、という意見だってある。

思い切り慇懃に「○○の仕事です」と、伝家の宝刀を抜いて黙らせる。
なまくらだが、こういう限られた世界で威圧的な人には、たいてい効く。

*

それでもやはり、気味悪い。辺りでパーンパーンと銃声が響く。
こんな日はやですね、と同行のKさんと話ながら、
白く輝く遠くの峰をゆっくり眺めることもなく、そそくさと下山。

多分、犬やその飼い主の悪口など書いたから、
こんな怖い目にあったのだろう。


2005年01月09日(日) 真正正月



2006年01月06日(金) 綱吉公の生き様

言うまでもなく、戌年である。

正月明け、家に戻る列車の中でのこと。
向かい側の乗客が、憚ることなく、
イヌをゲージから出して、膝に乗せているのに驚いた。
もちろん、盲導犬の類ではない。

愛玩動物の行方は果てしない。
うかつに「このイヌはですね」などと言おうものなら、
多分、怒られてしまうのだろう。

*

南部曲屋は、馬と同居する建築様式で、
そしてその遠野の地の「オシラサマ」の物語は、
少女と馬の恋物語である。

牛方と山姥の牛方が、まっすぐ逃げずに、
わざわざ危険をおかしてまで山姥をこらしめるのは、
喰われてしまった牛の敵討ちなんである。

こんなふうに、日本人は昔から、動物との関係に、
深い情を伴った関係をもつ傾向があった。
「命令」がコミュニケーションの中心である欧米の動物との関係とは、
もともとちょっと違うものをもっていたという気がする。

では何故、現代版のそれには我慢ならないのか、二晩ほど考えた。

*

一つには、日本型の関係と欧米型の関係が混在している傾向がある点。
どっちつかずで混乱しているんである。

二つには、第三者にその愛情を強要しがちな傾向。
私は「ここには動物はいないでほしい」と主張する権利を維持したい。

最後に、今のところもっとも違和感を感じてしまう点。
その対象が、人間だろうが犬だろうが猫だろうが、
愛玩を目的とした関係を必要とする、その生き方である。

2005年01月06日(木) コドモ銀行券の品格



2006年01月05日(木) 未来志向な遊び

氷点下9度の寒さの中、「本日は小寒です」とラジオが言う。
このうえどんな「大」寒が待っているというのだ、とぶつぶつ言いながら、
早くも散らかった部屋の掃除。

Aの描き散らかした画用紙を整理する。
小さなバッグに詰め込まれた紙片やらペンを出して、しまう。
片端から開いた絵本を本棚へもどす。

小さい子どもというのは散らかすものと諦念している。
「遊び」というのは実に未来志向な活動で、秩序や整理整頓の対極にある。

小さい子どもというのは、過去を懐かしむ、ということをしない。
そして大人は、遊びの中での、創造のスピードに追いつけない。

もちろん、そういう方向で理解を深めるのは、
後から片付けをしてまわる私の、精神衛生上の問題でもある。

2005年01月05日(水) 人生の成長曲線



2006年01月04日(水) アウェー正月

帰宅。
都会での手持ち無沙汰な正月を終えて、ほっとしている。

アレも買おうこれも手に入れなければと、勇んでいたけれど、
初売りの勢いと人波と溢れ返る商品を見ていたら、
げっそりして一つも手を出すことができなかった。
都会の正月は、もう何もかも市場に支配されている。

家に戻り、家主のKさん自作の立派な門松に迎えられ、
ようやく新年という気分になることができた。

2005年01月04日(火) 賀状DM化



2006年01月02日(月) 郷愁について

やることもなくDVD鑑賞。ニューシネマパラダイス。

「ここにあるのは過去の幻だけ。アナタの生活はあっちよ。」

30年ぶりに帰省した息子サルバトーレに向って母親が言う。

*

幻なら幻らしく、ここももう少し静かな街であってほしいものだ。
都会が故郷というのは、どうも帰省のロマンに欠けるのである。

2005年01月02日(日) 



2006年01月01日(日) 減る国創造

新年。

着物を着せてもらったAと、近くの小さな神社へ初詣に。
子どもの頃には広々見えた境内は、猫の額のように狭かった。
笑ってはいけないのだが、御籤を引いたら凶が出た。

*

立寄った珈琲店の隣のテーブルでは、よその親子が人生談義中である。
仕事から解放された父親は、少しくたびれたフード付パーカーでくつろぎ、
中学生ぐらいの息子は、ぱりっとしたジャケットで正月を着飾っている。
「正月ぐらいそういう格好をしたい」という気持ちだけ、共通している。


*

人口が減る年の始まり、である。
100年後には現在の半分になるそうで、
これまでせっせと建設してきた家や道路その他の都市基盤は、
これから少しずつ、壊したり小さい規模に造り直したりするんである。

吸い込んだ息は、吐き出さなければならない。
政治も、経済も、文化も、そういうものでくくれない市井の空気も、
高度経済成長期と同じ勢いで、元来た道をたどるだろう。
開発とは別の意味で、やるべきことは山積みなんである。

そしてそれは、マスコミが言うほど大変でもなんでもなく、
日本が国際社会の中で「成熟した国」になれるかどうかがかかっている
相当にクリエイティブな作業であると、私はわくわくしている。

2005年01月01日(土) 越年列車はすすむ


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