日帰りで、山の家へ。家族全員で出掛ける。
畑の草取りをして、うどんの昼食をとって、皆で昼寝。
だだっ広い家の一室で、家族全員が眠っている。
雨がまた降ってきて、庭先で音がする。
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山の雨は、里とは違う降り方をする。
特にこの辺りでは、一日中ずっと降るというのは稀だから、梅雨でも外仕事ができる。
ああこれは雨に降られるかと思うと、次の瞬間には晴れ間の中にいる。
夢でも見ているような曖昧な優しい空をみながら、ごろりごろりと横になる。
それぞれ背負ってきた俗世の疲れを、家族一緒になって回復する。
2008年06月27日(金) 裁かれざるを得ない状況の重さ 2007年06月27日(水) 兎を追う男 2006年06月27日(火) 2005年06月27日(月) 睡眠の話 2004年06月27日(日) berry berry and berry
神田へ出張に出ていたHを、寝ないで待っていた。 ビールで乾杯し、この数ヶ月の労をねぎらう。
不特定多数の人に会うと言うのは、骨の折れることである。 会う、というよりも対応するといった方がいいかもしれない。
企業が事業として取り組むことに参画するのだから、 不向きであるのを差し引いても、楽ではないのは当たり前である。
企業のスポンサードからはなるべく自由でいたいとHは言う。 私も賛成に思う。
けれども、長年サポートしてくれるMさんやT部長は、 もはや山のパートナーと同等に、彼にとって欠かせない仲間だ。
より挑戦的なクライミングとは何か?について分かち合い、 将来にむけて役割分担できることが、多分Hは嬉しいのだと思う。
2009年06月26日(金) 誰よりも怒り、唯一許容する 2007年06月26日(火) ゼロ・トレランス選挙 2006年06月26日(月) 2005年06月26日(日) 梅雨 2004年06月26日(土) 美しい親子
19時の列車に乗る。 車窓からは、この時間でもきれいな夕焼け空を見ることができる。
今は、一年で最も日の長い時期であることを実感しながら帰途に就く。
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夕焼けの片隅に、月が出ている。 週末の満月に向かって、膨らみつづけている。 まるで発酵途中のパン生地みたいに。
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月が様々なイマジネーションをかきたてるのは、それを直視できるからだ。
私達は、月が形を変え、夜空を動く軌道を変え、時には雲に隠れたり、 隙間から半分だけ姿をあらわしたりする様子を、大昔からずっと眺め、 祈りをささげたり、どこか人間らしいその変化に心象を重ねたりしてきた。
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それに比べて、太陽はまるで直視できない。 我々人間の目には、それを正視する能力がない。
太陽そのものの存在を認識するのは、ようやく直視可能になる朝陽や夕陽か、 あるいは、逆にその存在が隠れてしまう日蝕の時ぐらいだ。
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太陽は直視できない。 人間が讃頌するのは、太陽の使いである光と熱なのである。
だが、全く直視できないものが圧倒的な存在感を示すというのも、 思えば不思議であり、月とはまた違うイマジネーションをかきたてられる。
2008年06月24日(火) その他のメニュー 2004年06月24日(木) お世継ぎを!その2
山を下って、西へ西へ。天下の台所にいる。
そう簡単ではない仕事なのだけれど、調子があがらぬ。 二ヶ月近くブランクがあったせいかもしれない。
蒸し暑さに少々まいっている。
2008年06月22日(日) 人生の長さ 2006年06月22日(木) 2005年06月22日(水) 表敬訪問
曇天。
週末はやけに、子どもや地域がらみの用事で拘束される。 今年は天中殺といってもいいほど、班長だとかクラス長だとかの役目が重なっている。 こうした義務的役務や気の向かない召集は、たいがいはHに押し付けることが多いのだが、 あいにく彼は今週末不在で、逃げられない。
面倒くさくて嫌だと思っていたら、夜中に胃がシクシク痛み出した。
痛みに身をくの字にし脂汗をかきながら、やれやれこれで欠席の口実がつくわいと、心の中でほくそえむ。 すかさず次の差込みにキリキリと襲われる。
身体は正直である。けれども、もう少しマイルドな方法で正直さを表現してくれても、罰は当たらないんじゃないかという気もする。
2006年06月18日(日) 沈黙・試合中断 2004年06月18日(金) 東大の壁
のんびりダラダラと実家で過ごす。
驚くべきことに、置いてきた家族のことがまったく心残りでない。
このままダラダラと近所をうろついたり台所の冷蔵庫など覗いていたら、
ここ十年の自分の置かれた立場を完全に忘れてしまいそうな気がした。
それどころか、自分をまだ高校生か何かと勘違いしそうで怖くなり、
これはいかんと帰りの電車にとびのった。
2006年06月16日(金)
都内某所で研修。有意義な内容もそうでない内容も習得する。
日暮れて、実家へ。
腰が痛いという親の様子が気になって一晩滞在を決めたというのに、 夜遊びにでかけていた。やれやれである。
考えてみればこちらも親業に少し疲れていたから、まあよい骨休めである。
2005年06月15日(水) 夢をかなえる人をみる 2004年06月15日(火) 夢を見ない不安
「米原万里対談集 言葉を育てる」を読む。
米原万里さんは、9歳から14歳までプラハで育ち、在プラハ・ソビエト学校で学ぶという面白い経歴の人だ。お父上は日本共産党代議士の米原昶という人だそうである。東京大学の大学院まで進学して、フリーの通訳者となった。
知性があり肝の太い女性である。存命中に作品を読んでおけばよかったと思う作家のひとりかもしれない。
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以下、糸井重里との対談の中での、印象に残った部分を抜粋。
「・・・われわれが、何か言葉を出すときのメカニズムというのは、「本当 はまだ言葉にならない状態があって、心の中に言いたい事や考えた感情や、 そういったものがなんとなく形づくられてきて、やっとそれをいいあらわす のに最もふさわしい言葉とか分の形とか、それから言い方、スタイル・・・ といったものがまとまって声になって出る」ということなんです。しかし、 官僚の書いた文案というのはそのプロセスを経ない言葉なんですよ。感情の プロセスを全然経ない、表面だけの言葉というものには、裏がない。言葉が 生まれるプロセスを経ない。もう残骸みたいな言葉なんです。そうすると、 そういう言葉というのは。相手に入っていかないのね。」
官僚の言葉は、感情のプロセスを経ない。 そうした言葉は、相手に入っていかない。
官僚の援護射撃をするならば、それでもいいと思う場面がないわけではない。法律の条文や通達に、官僚個人の感情のプロセスがいちいち入っていたら大変だ。
けれども、官僚にも一個人として全存在が試される場面がある。その時にその修羅場から逃げるのはだめなんじゃないか、と思う。
そして、外交というのはそうした修羅場の多い仕事の一つなのかもしれない。米原氏いわく、通訳とは言語の置き換えではなく「意味を相手に伝える」ことであり、相手に意味が伝わらなければ、言葉巧みに訳しても成果がなかったのと同じなのだそうである。
彼女は、その職務意識に真摯であればあるほど、原発言者が繰り返す意味のない発言を腹立たしく感じるのだろう。
2008年06月14日(土) 生きるのは僕だ 2007年06月14日(木) 君臨すれども統治せず 日本版 2005年06月14日(火) 玉石NPO 2004年06月14日(月) 三菱ブランドの夏大根
明日の上京の用意。 この一月は仕事を入れないように調整していたので、 どうも調子が狂った感じがするが、ようやくこれで回復しそうだ。
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小惑星イトカワに着陸したハヤブサが、地球に帰還、と言うニュース。 帰還と言っても本体は大気圏で燃え尽き、採取したサンプルが入ったカプセルだけ地上にたどり着く。
あのイトカワという小惑星は、不思議な形をしているなあと思う。 宇宙にあるのは球体ばかりなのかと思っていた。根拠もなく。
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夜更けに、五十嵐大介の「海獣の子供」を読む。 海の漫画である。
熱水鉱床で繁殖するバクテリアを体内にもつ子供が出てくる。
科学を物語に取り込むやり方は、その加減が難しいと思う。 そうしたものがでしゃばりすぎると物語に矛盾やほころびが出る。
矛盾やほころびが出ると、作者の「これで上手くやってやろう」という魂胆みたいなものが垣間見えてしまう。 魂胆-意気込みと言ってもいい-をもつことは全く悪くないが、 読者にそれが見えてしまってはダメだと思う。
もっとも、海獣の子供はとてもよい作品だ。 作者の五十嵐氏は多分、自然や自然と関わる人の暮らしが好きなのだ。私と同じく。
2009年06月13日(土) 2008年06月13日(金) NOBODY KNOWS 2007年06月13日(水) 29 39 ver.1.2 2006年06月13日(火) 人生最後のアジテーション 2004年06月13日(日) テレビ市場開放
Hはここのところ毎週、地方巡業である。 山のスライドを見せに、大阪や東京や福岡へ出掛けている。 肝心のクライミングをする時間がないと、ぼやいている。
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Hがヒマラヤへ出掛けるまで、考えてみたらもう数ヶ月なんである。
それなりの準備とトレーニングが必要な時にさしかかっている。 本人にも、家族にも。
だから、地域や子ども関連のしがらみや役務から、 そろそろ解放してあげないといけないな、と思っている。
山のぼりのために妻子ももたず、地域や会社仲間との付き合いももたず、 独り気ままにアパート暮らしをしている人みたいにしてあげないと、
そのためには自分が一切引き受けなければ、という気概をもって、万事調整にあたっている。
そうだというのにHときたら、お土産に買ったという変な明太子のキーホルダーでAの機嫌を伺ったり、いそいそと博多ラーメンを作ったりしている。
2008年06月07日(土) 弱肉強食か共生か 2007年06月07日(木) 曼荼羅と混沌 2004年06月07日(月) 生きていくことを妨げるメディアというもの
山の家へ、畑の様子を見に行く。
小さいYは、おじいちゃんはどこにいるのかと尋ねる。 おじいちゃんはね、今日はいないんだよと説明しても、何度も何度も尋ねる。
春ゼミがジーワジーワと鳴いている。 沢の水が、ドボドボと音を立てて流れ落ちる。
猫の額ほどのジャガイモ畑の草を、Aと二人でせっせと抜く。 母が花壇にしていた頃の名残か、変な園芸品種の草が、 畑の脇で、場違いに鮮やかな花を咲かせている。
おばあちゃんの花だね、とAが言う。
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山の家はいまや、父や母ではなく、私達のペースで動いている。 母の趣味の調度品や、父の土産である異国の置物にかわり、 子どもの靴や服やおもちゃや落書きが存在感を増してきている。
自分が子どもとして居る場所から、親として居る場所として、 少しずつ、空気が入れ替わりはじめている。
そのことの痛みにも、もう慣れた。
2007年06月06日(水) 2006年06月06日(火) 観光地ビフォアフター 2005年06月06日(月) 旅に民謡 2004年06月06日(日)
AとAちゃんとHちゃんの三人で、お人形遊び。
何やらキャーキャー言っている。 どうやら、おデート中なのらしい。
夕飯の準備にかかりつつ、聞き耳を立ててみたら、 今度は順番に結婚式。どうやらめでたくゴールインしたのらしい。
茶碗を並べる頃には、赤ん坊が生まれていた。 三人仲良く、病院で大安産だったようである。
あらあ、アナタも?うちの子もよー、などと 頭のてっぺんから声を出している。
食事にするから手をあらってきなさいよ、と声をかけたらば、 あっという間に小学生の女の子に戻り、 いただきまーす!と、競り合うようにして食卓についた。
2009年06月05日(金) 世界の承認 2006年06月05日(月) 蟻の罪 2005年06月05日(日) 噺家の話し方教室
CO2以外の環境負荷の存在を不明確にし持続可能性の視点に欠けることなどを主な理由として、カーボンフットプリント(CFP)ラベルへの批判が欧州で高まっている。CFPのパイオニアである英国のカーボントラスト社がCFPを表示しないラベルを黙認したほか、フランスは当初の恒久的制度の導入予定を実験フェーズからの開始にトーンダウンした。ドイツはCFPラベルではなく既存の環境適合ラベルに�ゝじ��∋餮鮫�水資源�し鮃�などの特記を付ける制度を採用する。EUもドイツと同様な制度化を図る見通し、というニュース。
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ほとんど読者というものをもたない日記というのは、自分がテイクノートしたいと思う出来事に対して、第三者向けに親切な解説をする必要がないという恩恵にあずかることができる。
本日はとにかく、そういうことにして備忘録とする。
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環境問題には、資源エネルギーや人口問題といった側面がある。最近はそのことが少しずつ表面化してきたように思う。ドイツの環境ラベルへ付される気候、資源、水資源、健康というファクターが示すとおりである。
そういった理由で、件のニュースは、マイナー紙の小さな記事であるが、私にとって大きなサジェスチョンなのである。
もちろん我が国においても、温暖化だけでなく色んな法律が改正されたり制定されたりしているが、その動向は一般市民のほとんど知るところではない。
決められた方向へ走って行って投げられた棒を拾うのが上手な、しつけのよい犬のように、いつまでも何でもかんでもシーオーツー・シーオーツーと言っている場合ではないのだと改めて思う。
2007年06月04日(月) 強制托卵の未来 2004年06月04日(金) 善意のベクトル
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