山の向こうが雨でけむっている。
「愛と悲しみのボレロ」。 DVDがなかなか手に入らず、レンタルショップにも見当たらず、 もう自分の記憶の中で再現するよりないとあきらめていたら、 紀伊国屋書店から復刻されていた。
レンタルショップに5枚も在庫されていて、 名作が再び掘り起こされたことに喜びつつ、早速鑑賞。
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Aはもう、難解な映画もそれなりに鑑賞することができる。 12歳の女の子なりに、ストーリーについて行っている。
意外だったのが、5歳のYが食入るように一緒に見ていたことだ。 いったい何が面白いのか?意味がわかっているんだろうか?
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翌朝Yがやってきて、あのDVDは、お母さんが死んだら僕がもらうよ、 とういようなことを、自分の言葉で言ったから驚いた。
あまりに出来すぎた話で、これには クロード・ルルーシュもびっくりするだろうなあと思う。
2010年06月26日(土) 2009年06月26日(金) 誰よりも怒り、唯一許容する 2007年06月26日(火) ゼロ・トレランス選挙 2006年06月26日(月) 2005年06月26日(日) 梅雨 2004年06月26日(土) 美しい親子
今年度の「子ども・若者白書」が閣議決定。 いわゆる「ニート」の若者が平成7年以降で最多となったことがトピックスである。 15歳から34歳の「not in education, employment or training」である人は53万人、その年齢層の2.3%を占めるそうだ。
「自殺対策白書」も閣議決定。 3万人ラインは15年ぶりに下回ったが、若い世代の自殺が深刻なんだそうである。20代の死亡の原因のうち、半数近くを自殺が占めているそうだ。
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社会全体に老害が溢れ、加齢臭が漂い、 若さのかけらもない次代に若者であるということは、 体がきしむようなつらさがあると思う。
世の中に溢れている有害物質や劣悪な環境は、 物心ついた時にはすっかり自分の身体の一部になってしまって、 だるい身体をどうしようもない。
人生に大切なことは情報産業が入れ知恵するから、 足がすくんで未来に踏み出せない。
どうにもならないとうずくまっていたら、 ニートなどという無神経な略語で小ばかにされ、 ただ存在することも許されない。
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時代に反旗を翻すのは、死ぬことではない。 もちろん、無差別に誰かを殺すことでもない。
「その駆け引き」に命を使うのは、もう無意味なことだ。 あとは、なりふりかまわず生きるしかないだろう。
町工場のランニングシャツの親父のように、 うるせー!と怒鳴りながら、せっせと手と足を動かして、 ささやかな未来を自分なりに創っていくしかないのだ。
2007年06月19日(火) 2006年06月19日(月) 3浪生の受験日前 2005年06月19日(日) 高密度な労働投下 2004年06月19日(土) 草刈り多国籍軍
仕事仲間のAさんが来訪。 今が旬の根まがり竹を食べましょう、 という御題で、郷土料理屋へ案内する。
Aさんとは、今は亡きSさんを恩師と慕う、 義兄弟のような間柄である。 ビジネス上のお付き合いでありながら、 子育てや夫婦などのざっくばらんな話ができる楽しい人だ。
業界の動向などを情報交換しながらふと、 お前はこの先どうやって食べていくつもりだ、というようなことを聞かれる。
楽しく解散した後にも、翌日にも、それが ボディーブローのようにこたえている。
2011年06月14日(火) 東日本大震災 揺れ続ける日本列島 2010年06月14日(月) 意味を伝える 2008年06月14日(土) 生きるのは僕だ 2007年06月14日(木) 君臨すれども統治せず 日本版 2005年06月14日(火) 玉石NPO 2004年06月14日(月) 三菱ブランドの夏大根
| 2013年06月10日(月) |
のど自慢の出演者からゲストの演歌歌手が元気をもらう理由 |
子ども達の夏の活動の用務で、電話をかけたり出かけたり。 マネジメントも楽ではないのである。
そんなことに関わっていると、他の人の活動も目に入る。 老若男女、いつも誰かが何かの練習をしたり発表をしたり試合をしている。 公民館や運動場は、常時予約でいっぱいだ。
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昔は、そんなアマチュアの活動を小馬鹿にしていた。 所詮、プロの厳しさや水準にかなうものではない「遊び」だ、と。
最近、必ずしも正しい見方ではない、と思うようになった。 でもそれは、下手でも楽しくやれたらいいではないか、 とかいった、寛容な態度でそういうのではない。
アマチュアにはアマチュア固有の厳しさや、執念のようなものがある。
アマチュアリズムは金目で折り合いをつけることができない。 やる気がなければ、続けて行くことができないのである。
「やる気」というのは健全すぎる表現で、「やめられない執着」といった方が正しい。
そうだから、その道何十年という活動を続けているアマチュアというのは、 金目で嫌々続けているプロよりも−例え腕前が劣ったとしても−、 評価に値するものをもっている。
それはきっと、一流になれるプロフェッショナルが修行時代からまとっている、静かでギラギラしたエネルギーと同じと思うのだ。
2008年06月10日(火) 賞賛と悔しさ 2007年06月10日(日) 争点以前 2005年06月10日(金) 時代の相場感 2004年06月10日(木) ヨン様か寅さんか
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