衛澤のどーでもよさげ。
2006年08月31日(木) 眼瞼下垂手術(翌日)。

手術から一ト晩経つと術創を冷やすのもしなくていいらしい。これはあとで医師から聞いたのだが、手術の翌日や翌々日が術創周辺が最も腫れる時期らしい。それまで冷やしておけば幾らか腫れをましにすることもできるが、一旦腫れてしまったら冷やしてもさして腫れ具合いは変わらないのだそうだ。
という訳で、冷やすのは手術直後から消灯までの九時間弱だけだった。

手術を受けたと言っても身体の具合いが悪い訳ではなく、ただ手術で傷が入っているだけだから、食事に制限はない。病院で出されるのも通常食だし、退院後も余程の刺激物でもなければ食べてはいけないものはない。
しかし、身体が傷付いたりして弱ると「身になるもの」を、身体が食べようとする。この日の朝食には納豆が付いてきたが、ぼくは関西人の例に洩れず納豆が苦手だ。けれども、蛋白質(筋肉の素)を日常よりも更に積極的に摂って傷を早く治そうという気持ちが働いて、納豆も全部食べた。

食事が終わった頃に担当医がやって来て、術創を診た。眼瞼下垂の術創は手術が終わってからもガーゼで覆ったり眼帯を着けたりはしない。傷は露出させたままなので、かけている眼鏡を取れば直ぐに傷を診せることができる。医師は腫れているが誰もこれくらいは腫れます、と言った。そして今後冷やしてもたいして変わらないから冷やさなくてもいい、しかし治癒が進んで痒くなったら掻かないで冷やすと痒みはましになる、と教えてくれた後、退院許可をくれた。
退院の手続きをして病院を出たのは一〇〇〇時過ぎだった。病院に着いたのが丁度これくらいの時間だったから、二泊三日の入院で、病院の中にいたのはまる二日程度だったことになる。

病院から貰った入院案内に「帽子やサングラスを用意のこと」と書かれていた。術創が腫れるから人目を忍ぶために必要だということだ。それ以外にも術創を紫外線にさらさないためという理由もあるのだが、主たる目的はカモフラージュらしい。
腫れると言っても多少より少し余計に腫れぼったくなる程度だろうし、自分からは見えないから気にしなくていいや、と思って、いつも被っている前鍔の帽子だけを持参したのだが、程なくそれが甘かったことに気付く。

松本市から大阪方面へ向かう高速バスは一日に二本だけ出ていて、一本は〇七一〇時発、もう一本は一六〇〇時発だ。今日の〇七一〇時発の便は既に出てしまっているので、次は一六〇〇時まで待たなければならない。六時間ほどもあるので国宝松本城でも観に行けばいいものだが、目蓋が腫れているので視野が狭くて危なっかしいのでやめておく。
入院前日に一ト晩泊まったインターネットカフェに再び入り、身体を休めておくことにした。そこで手洗いに入ったときに、ぼくは術後はじめて鏡で自分の顔を見た。

ああ、これはサングラスをかけて隠しておかないと、見た人が吃驚する。

縫い目がはっきりと見えていて、術創がぱっつんぱっつんに腫れて縫合糸がはち切れそうな状態だということが傍目に見てもばっちり判る。さながらボンレスハムだ。しかも術後暫く続いた出血のせいで縫合糸が暗赤色に染まってしまっている。一ト昔前に流行ったスプラッタホラー映画に出てくるモンスターみたいだ。
写真を掲載しようかと考えたが、あまりにもグロテスクで見たくない人の方が多そうだから、隠しておく。見たいと思った人だけ「写真」の文字をクリックしてください。別ウインドウが開きます。見た目がかなり痛そうだから見る場合はそれなりの覚悟をしてください。

こんなに大きな傷が両眼にあるけど、ぼく自身は痛くないし自分からは見えないしでまったく気にならないのだけど、顔を合わせた相手の気持ちを考えると、これは隠しておくべきだと思った。だからこの日は帰宅するまでずっと帽子を目深に被っていることにした。深く帽子を被っておけば帽子の前鍔と眼鏡のフレームで隠れて、かなり気を付けて顔を覗き込まないと術創までは見えなくなる。
明日は安いサングラスを買いに出掛けよう、と思った。

2006年08月30日(水) 眼瞼下垂手術(当日)。

いよいよ手術の日である。

顔面にメスを入れるのははじめてだ……と思ったが、よく考えるとぼくは過去にも目蓋を切ったことがあった。逆睫毛を治すために、七歳のときに手術を受けた。
一本や二本、ときどき目蓋の外側ではなく眼球の方向に毛先を向けて睫毛が生えることはよくあるのだと聞く。しかし、ぼくの逆睫毛は睫毛全部が眼球に向いて生えていて、しかも生まれつきのものだったから七歳時には既に眼球が傷付いてしまっていて、ぼくを眼科医に連れて行った母が医師に「何でこんなになるまで放っておいたのですか!」と叱られていた。
当のぼくはと言うと生まれつきだから痛くとも何ともなく、眼球が傷付いているなんて医師に言われて「そうかあ」と思った程度だった。

で、逆睫毛を治す手術を受けたのだが、このときは小さな子供でもあったし、全身麻酔をしてくれた。手術室に移動する前に麻酔注射を腕にして、眠っている間にストレッチャーで運ばれ、手術を済ませ、次に目覚めたときには病室に戻っていた。術後も痛みはなく、ただ喉がひどく渇いていたことを憶えている。
しかし今日受ける眼瞼下垂の手術は、局所麻酔で行なうらしい。目蓋の局所麻酔ってことは、目蓋に針を刺すんでしょう。考えただけで怖い。

〇九三〇時に執刀医が病室にやって来て、手術の説明をしてくれる。昨日付の記事に掲載した眼球周辺の図はこのときに執刀医が書いてくれたもの。左右両方の目蓋を切開して眼瞼挙筋と瞼板を縫いつけて、ぼくの場合は目の周囲にある筋肉である眼輪筋の力が強すぎて目蓋が痙攣を起こすことがあるから、眼輪筋を少し切って痙攣をなくすということもする、とのこと。貰った治療計画書には「挙筋前転法」と書いてある。
説明が終わると看護師がやって来て、目蓋の麻酔のためにペンレステープを貼ってくれた。それから小一時間待って、手術室へ徒歩で移動。この日はぼくを含めて三人が同じ手術を受けるのだそうで、ぼくは二人めだったから一人めが終わって後片付けが済むまで手術準備室で一五分程度待った。

手術室に入ると手術台に横になる前に眼の写真を何枚も撮影する。そのときに執刀医が確認したところによると、ぼくは左眼をほとんど使っていないのだそうだ。左の視力が弱いとは思っていたが、それ以前に目蓋が半分ほど眼に被っているらしい。だから見えていない。今日はこれをきちんと開くように治して貰う。
手術台に仰臥すると執刀医は頭の上に席を構えていて、ぼくの顔を覗き込んで「どれくらいの二重にしますか」と訊いてきた。緩んだ目蓋を挙げるためには目蓋を少し折り込んで縫いつけるから、必然的に二重目蓋になる。二重目蓋の程度がぼくはよく判らないから「おまかせします」と答えたが、委されても困るらしくて「派手なのがいいか、並程度がいいか、地味なのがいいか」と今度は三択を提示してきた。「地味に御願いします」と言っておいた。「地味ですね。地味と言いましたね。地味でいいですね」と何度も念を押される。

さて、麻酔注射。目蓋に細い針をぷつぷつと刺される。勿論痛いが麻酔前麻酔が効いているのか多少「ちくっ」とする程度。我慢できないほどではない。歯科医の麻酔くらいと言えば想像できるだろうか。
この注射のときにぼくはひどく緊張してしまって、心拍が強く速くなって息が苦しくなって、パニック発作を起こすかと思った。パニック発作の主症状である過呼吸を防ぐには「ゆっくりと深呼吸をすること」が有効だと知っているからそのようにして難は逃れられたが、もしも局所麻酔で手術を受けることになった神経症持ちの人は、事前に医師に申し出て神経を落ち着かせておく薬を予め服ませて貰うのがいいと思う。

注射が終われば直ぐに切開だが、眼を閉じているので刃物が眼に迫ってくるのを見なくて済む。注射が終わってほんとうに直ぐに切開がはじまったが、すっかり麻酔が効いていてまったく痛くはない。でも、ときどき目蓋が引っぱられる感覚は判るし、ざりざりと何かを刃物で切っているのだろう音が聞こえてちょっと怖い。
執刀医のほかに手術室には助手の医師が一人と看護師が一人いる。執刀医と助手で左右ほぼ同時に切開し、手術を進めていく。だいたい一時間程度で終わる。術中、目蓋の外側をいじるときに多少の痛みは感じるが、悶えるほどでもない。

しかし。怖れていたことが起きてしまった。

ぼくは精神科領域の薬を服んでいるために麻酔剤に多少の耐性があるらしく、麻酔が効きづらかったり早く切れたりする。昨年、内性器摘出術を受けたときは事前に二週間ほど薬を服まない期間を設けて身体から薬を抜くということをしたし、全身麻酔だったから痛みを感じることはまったくなかった。しかし、既に服薬をはじめていた八年前に乳房切除術を受けたときには局所麻酔がほとんど効かず、そのまま切開されてしまったために凄絶と言ってまったく差し支えない激痛に耐えなければならなかった。
そのときの記憶があるから、ぼくは医師に何度も「精神科の薬を服んでいても大丈夫ですか」と訊ねた。答えはいつも「鬱病の薬なら大抵大丈夫ですよ」だった。それを信用するしかなかった。

だが、どうしても全面的に信用する気にはなれず、部分的に残った不信は見事にこの日に起こることを予見していた。残すは縫合のみ、という段階になって麻酔が切れてきたのだ。
縫合ははじまっていて、縫合針がちくっちくっと目蓋に刺さるのがはっきりと判り、それは間違いなく痛みだった。手術がはじまるときに執刀医が「痛かったら言ってください」と歯科医のようなことを言っていたので「痛い」とはっきり言った。医者の「痛かったら言ってください」は信用ならないことを確信した。
「あとは縫うだけだから二、三分で終わるから」
たとえ二、三分でも目蓋に針が刺さるんだから痛いんだよう。麻酔剤追加してくれよう。と、言えたらどれだけ楽だっただろう。縫う訳だから針が目蓋を何度も貫通するのである。全身を力ませて呻き声を絞り出すのが精一杯だ。ひどい痛みを感じると人間は乱暴になるもので、だけど声が出ないから「早く終われバカヤロー!」と胸の奥で何度も叫んだ。

ラスト三分程度で一気に憔悴してしまった。執刀医は「あなた、酒強い?」と訊いたがぼくはまったく酒が飲めない。飲むと直ぐに全身が赤くなって気分が悪くなる。それで危険を感じて直ぐに飲むのをやめるからまだ倒れたことはないが、人並みの量を飲んだらきっと倒れる。
だからそう答えたが執刀医はそれを疑うように何度か繰り返して「ほんとうは酒強いでしょ」、「日本酒は駄目だけどウイスキーは飲めるとか」と訊いてきた。「飲めねえって言ってんだろ!」と元気なら怒鳴っていたかもしれないが、気力がなかった。
怒りと憔悴の原因が同じものだとこういうすっきりしないことが起こる。

縫合が終われば手術は終わり。もう一度写真を撮って、病室に戻る。戻るときには看護師が車椅子に乗せて運んでくれた。とても有難かった。自分で歩けと言われれば歩けたが、きっとふらふらとしか歩けなかった。
しかし、手術が終わって眼を開けたとき、明らかに術前よりも目蓋が軽く感じた。これまで長々と悩まされていた後頭部から肩胛骨にかけての重怠さもすっきりなくなった。目蓋のゆるみを治すだけでこうも違うものか、ということを実感できた。

病室に戻ると丁度昼食が配膳されたところで、麻酔が切れはじめて術創に痛みを感じていたぼくは早々に飯を喰って、昨日貰った薬を服んだ。薬は早く効いてきて、痛みにうんうん唸らずに済んだ。それがせめてもの救い。
食事が終わってから消灯までの間、看護師が用意してくれる氷水とガーゼで術創を冷やした。術後から翌日までの間に上手に冷やしておけば、その後の腫れ具合いが幾らかましになるらしい。腫れるのは誰もが当たり前に腫れるしそれは免れないのだけど。

2006年08月29日(火) 眼瞼下垂手術(前日)。

昨夜は二一三〇時に松本市に到着し、インターネットカフェで一ト晩過ごした。松本市にだって勿論ビジネスホテル等の宿泊施設があるのだが、幾ら低料金の施設でも五〇〇〇円はかかる。それだけ支払っても施設の中ですることと言えば入浴と睡眠だけだ。だったらインターネットカフェの個室でもいいよな、と思った訳である。こちらは三〇〇〇円もかからない。
しかも本読み放題で、飲みもの飲み放題で、シャワールームも無料で使わせて貰える。ぼくが利用した松本駅前の店は同じビルに入っている居酒屋と提携していて、ネット上からの注文で料理を出前して貰うこともできた。ぼくは利用しなかったけど。

さて、一ト晩明けて今朝。〇九〇〇時を過ぎた辺りにインターネットカフェを出て、駅前を歩いた。ぼくが地元を出発した頃は地元は真夏日続きで、暑くて仕方がなかった。しかし松本市の午前の気温は二四度。ひんやりした風が吹いて涼しい。流石長野県、避暑地になるだけのことはある、と知った風なことを思った。
この日は午前中、一〇〇〇〜一一〇〇時くらいに病院にチェックイン(違)するようにと指示を受けていたので、そのようにする。昨日付にも書いたように、受ける手術の執刀をしてくれるのは信州大学医学部附属病院の医師だが、入院するのは街なかの一般病院だ。探しながら街を歩くと丁度頃合いの時間に到着。

しかし、入院とは言っても身体の何処も悪くない訳で、病室に案内してくれた病院職員氏も「手術は明日ですし今日は予定がないので、荷物を置いて観光してきてもいいですよ」と言ってくれた。更にもう少し前、受付で入院の手続きをしたときには、入院案内や病院内の施設等が書かれた書類と一緒に「松本市観光マップ」を受け取った。病院で観光用の地図を貰うなんてはじめてだ。ついでに言うと「携帯電話を使ってもいいです」と言った国内の病院もぼくははじめてだ。
でも、この日は特に出掛けずに病室で過ごした。テレビを見てみると、地元放送局で「求人情報」という番組が放送されていて、その画面は新聞の求人広告を一社分ずつ切り離して撮影した止め絵を映すだけ。求人の給料額や静止画多数のCM等を見ると、多少失礼だが松本市の田舎加減はぼくが住んでいる街とたいして変わらないと思った。

入浴させて貰ったり(勿論自力入浴)術後に服む薬を貰ったり以外は面倒を見て頂く必要もないので看護師諸氏が病室を訪れることもなく、愉しみは食事だけ……なのだが、病院の食事ってものは全国何処でもそこはかとなく貧しいのだなあ、としみじみしてしまった。

貰った薬はペンレス、セフゾン、ロキソニン、ヒアレインの四種。
ペンレスはテープ状の麻酔剤。術前一時間くらいに目蓋に貼っておく。局所麻酔の注射を痛くなくするための麻酔。
セフゾンは抗生剤。術創が化膿しないように服む。
ロキソニンは鎮痛消炎剤。術創の炎症を防ぎ、痛みを軽減する。
ヒアレインは目薬。眼ン玉が乾かないように。「上目蓋を切開するので、その傷にかからないように下目蓋からさしてください」とちょっと難しい指示を受ける。

昨夜はインターネットカフェで本に囲まれて昂奮したのかあまりよく眠れなかった。そのせいか二〇〇〇時頃には眠くなってしまった。二一〇〇時が病院が定めた消灯時間だが、さっさと暗くして眠った。

2006年08月28日(月) もっと見えるように。

以前にも少し書いたかと思うが、ぼくは眼瞼下垂を患っている。眼瞼下垂とは、目蓋を持ち上げる筋肉である眼瞼挙筋が伸びて緩んでいたり、切れてしまっていたりして目蓋を持ち上げられない、つまり眼を大きく見開くことができない病気のこと。薄目を開けているような状態でものを見ることになる。

医師による図示左図はぼくが受診した信州大学医学部附属病院の形成外科医が書いてくれた図。片眼を顔の側面から見た図だ。眼は図の左に向いて開いている。
この図で言うと、ぼくの場合は赤い線で書かれた瞼膜と眼瞼挙筋が瞼板から離れてしまっていて、目蓋(眼瞼)自身の力では眼を開けることができない状態になっていた。

そうすると視野が狭くなって危ないので、知らず知らずのうちにぼくだけではなく眼瞼下垂を患う人は額の筋肉を使って無理にでも眼を開くようになるのだが、これが原因で頭痛や肩凝りや目眩、不安症状や睡眠障害を引き起こすことがある。ミュラー筋が必要以上に緊張することで副交感神経が刺激を受け続けることになり、それは即ち常に精神面が緊張している、ということである。

ぼくが今年三月に診断して貰ったときに測って貰った「緊張度」は、戦場にいるのと同じくらいだった。この緊張が解ければ、ぼくがいま抱えている持病である睡眠障害や鬱病やパニック障害も幾らか軽減されるかもしれない。せめて睡眠障害だけでも軽減されれば、とこれを治療するための手術を受けることにした。
手術のための入院記録を改めて別の頁にまとめてみようと考えているので、詳細な次第については後日そちらを御覧頂きたい。

さて、先にちらりと書いた通り、ぼくは眼瞼下垂治療の手術を信州大学医学部附属病院で受けた。正しく言えば信州大学医学部附属病院形成外科にいる眼瞼下垂の専門医が執刀する手術を、長野県松本市(信州大学がある)の別の病院で受けた。何故わざわざ松本市まで出掛けていったかと言うと、眼瞼下垂を治療する眼科医や形成外科医はほかにもいるが、眼瞼下垂を専門に診る医師は信州大学医学部附属病院にしかいないからだ。手術もその医師が一番巧いとの評判だ。

ぼくが住む街から松本市までは、電車と高速バスを乗り継いで七時間掛かる。松本市には空港があり、ぼくが住む街から近い場所にも空港があるので飛行機に乗ればもっともっと短い時間で辿り着くことができるが、それができるほどぼくは裕福ではない。電車とバスで行けば時間は掛かるが飛行機の四分の一程度の金額で済む。
たっぷりとある移動時間を如何に退屈しないで過ごすかが疲労感を募らせないための重要点である。ぼくは二冊の文庫本を用意した。まとまった時間があれば本を読むに限る、と思っているからだ。

今回の旅でぼくが読んだのは岡本太郎氏の「今日の芸術」と「自分の中に毒を持て」。前者は往路で、後者は復路の高速バスの中で読んだ。
何れも読みやすく、おもしろかった。「おもしろい」というのは「興味深い」ということだが、同時に読んで愉しい気持ちになるものでもあった。平易な文章で愉快なことが沢山書いてある。未読の方にはぜひお勧めしたい。

「今日の芸術」は一九五四年に書かれたもの。しかしここには、ぼくが生まれてから三〇年掛かってやっと辿り着いた、やっと気付いたことが沢山書かれている。ぼくが生まれる一六年も前に既に書物として著わされていて、ぼくがこれまで生きた三〇と数年は大変な遠まわりに過ぎなかったのかと愕然とする。
一方で、この本にたとえば中学生や高校生だった頃に出会っていたとしても、今回のように愉しく読めたかどうかは定かではない、と思う。
「自分の中に毒を持て」はずっと後の、一九八八年に刊行されている。こちらは更に砕けた文体で、若年層にも親しめるのではないかと思う。同一人物が書いた自身の思想に関わることについての本だから、「今日の芸術」と幾らか重複している部分はあるが、岡本太郎という人のはげしさや熱量がより率直に出ているのはこちらの方だ。「情熱」とか「爆発」とか「熱量」とか、そういうはげしさや熱さをはらんだ言葉が最も似合う男は岡本太郎なのかもしれない、と思わせる。

それにしても、ぼくが考えていて誰かに伝えるべく著わそうとしていることは、糸井重里氏と岡本太郎氏の二人がほとんど既に言い尽くしてしまっていて、ぼくは自分の価値をともすれば見失ってしまう。
しかし、たとえ言い尽くされたことでも、ぼくはぼくの方法で、ぼくの視点で、ぼくの書きくせで、改めて著わしていきたいと考える。糸井氏や太郎氏の唄よりもぼくの唄をおもしろく感じる人も、大勢の中にはあるのではないかと思うからだ。

2006年08月27日(日) 行ってきたー!(その2)

さて、昨日付記事からの続き。
「B'z LIVE-GYM 2006 "MONSTER'S GARAGE"」大阪ドーム公演いよいよ開演。以下、当日のセットリスト。

1.ALL-OUT ATTACK
2.juice
(B'zのLIVE-GYMにようこそ!―――ネタ仕込みあり)
3.ピエロ
(MC)
4.ネテモサメテモ
5.ゆるぎないものひとつ
(MC)
6.恋のサマーセッション
7.MVP
8.BAD COMMUNICATION
9.ultra soul
10.雨だれぶるーず
(センターステージへ移動―――5人でMC)
11.HAPPY BIRTHDAY
12.Brotherhood
13.BLOWIN'
(フロントステージへ移動)
14.OCEAN
15.MONSTER
16.衝動
17.愛のバクダン
18.LOVE PHANTOM
19.SPLASH!!
20.明日また陽が昇るなら

−アンコール−
1.ギリギリchop
(MC)
2.RUN
(おつかれー!)

今年のステージはトラスも特に変わったかたちのものではなく、センターステージも開演前にはあるのかないのか判らなかったくらい小さなもので、全体的に地味。ツアーのタイトルアルバム「MONSTER」が地味なのでそれは仕方がないことか。ドカーン!と大きな音や火が出る特効も後半の「MONSTER」までなし。曲のアレンジも少しおとなしめだったように感じた。
やっぱりヴォーカル氏の衣装はアレでナニだった。黒字に赤い柄がびっしり入った、裾が膝まである長い上着に貴○花風髪型。V2(Xではなく)のYOS▲IKIさんかと思うじゃないか。似合ってn(断線)。

2曲目が終わるといつものように御挨拶と「B'zのLIVE-GYMへようこそ!」が入るのだが、毎回「B'zの」で何回かタメる。この日もタメてタメて……ちょっと様子が違う。アリーナで何か異変が起きている様子に「何か変な人がいます」と振り向くヴォーカル氏。オーロラヴィジョンには肌も露わなタンクトップ姿のお姉さんが二人の警備員と揉み合っていいる姿が映る。そうするうちにお姉さんの胸許がオーロラヴィジョンの中にアップに。
お姉さんのタンクトップの胸に書かれている文字は「B'zのLIVE-GYMにようこそ!」
十数年前から思っているのだけど、この人たちの仕込みのやり方はいつもドリフターズっぽい。勿論、これは誉めている。

十数年前からと言えばMCもやはりその頃から先生っぽい。話し方が年々授業っぽくなっていく。流石教育学部卒と言っていいのか。最近は内容まで学校っぽいような気がする。最初のMCでは「知らない曲も出てくるかもしれませんが、何となく歌っているうちに歌えるようになります。声を出して歌うことが大事」と述べていた。中学校に通っているとき、似たようなことを授業で言われた憶えがあるぞ。

「恋のサマーセッション」はタイトルだけでも1980年代風で笑えるというのに、ステージにはこれも1980年代の歌謡番組に登場したスクールメイツ風のダンスお姉さんがポンポンを持って沢山出てきて、振付までスクールメイツ風であまりのアナクロニズムの明らさま加減に笑ってしまって大変だったよ私は。一緒に踊りたかったさ。
客席のみんなが一斉に踊る新しい曲は「MVP」。両腕でかたちづくる「MVP」の「P」は踊る本人からではなくステージから見て「P」にならなくてはいけないから、曲げて輪っかをつくるのは左腕だ。しかし、この振付は狭い客席では左隣の人の頭に肘鉄砲を喰わせかねなくて危険窮まりない。この危険さのために来年以降も採用されるか否かは定かではなさそう。
「BAD COMMUNICATION」なんて最早や伝説となった曲(つまり以前は定番だった旧い曲)が入るとは思ってもみなかったが、アレンジが地味だった。ステージ上の人ももうくるくるまわるのはやめたようだ。アレは目がまわってステージを踏み外すからな(笑)。

センターステージへの移動は、瞬間移動をやめて久しい。「移動します」と宣言してゆっくり歩いていく。今回もそう。フロントステージを降りて、3塁側からアリーナ中央の通路を通って……つまりアリーナ3塁側54列にすわっている(ライヴ中は立っているけど)私の目の前を通っていくのだ。
目の前数十センチ(1メートルも離れていない)の、手を伸ばせば頭をはたいてやれそうなところをヴォーカル氏が、リーダー氏が歩いていきます……何てことでしょう、ヴォーカル氏を間近で見て確信しましたよ。開演前にトイレ付近で見掛けた男(昨日付当記事参照)はこの人に間違いないですよ!
二度おいしい思いをした私はあんまり有難くなって、ぶんぶん手を振る観客に混じって目の前を通る二人を手を合わせて拝んでしまった。後ろ気味だがいい席だ、アリーナ54列ビバビバ!

センターステージでは座談会風MC。サポートメンバーを含む5人で輪になって話す。開演前に取ったアンケートに書かれたという名目の質問は「好きな関西弁は何ですか」。5人が1人ずつ答えていく。
ここでキーボードの増田氏が挙げた「ようせん」は、彼が言う通りに相当する標準語がなくて困る。乱暴に直接標準語に訳すなら「できない」なのだが、ただ不可能を表しているのではない、ということを増田氏は言いたかったのだと思う。しかし他地方生まれのヴォーカル氏含む3人(1人は外国人)には判らない様子。
不可能を表すのに関西では「できへん」と「ようせん」を使い分ける。無理矢理解説すると、「できへん」は標準語の「できない」。物理的な不可能を断定して言うときに使う。「ようせん」は「自分の能力ではちょっとできません」という意味を含ませるときに使う。
だから、「ほかの人ならやるかもしれないが、自分にはできない」というときにも使うし、やわらかくお断りするときに謙る手段としても使う。……これで他地方の人にも判るだろうか。

3曲センターステージで歌った後、今度は1塁側通路を通ってフロントステージに戻る。しっとりと「OCEAN」。ステージ移動の際に駆け足になったというのに、僅かにも息が乱れていないのが流石。
「OCEAN」が静かに引いて、ステージ上に怪しい影が。現れたのはMONSTERだ!……が、バボットほどの派手さもなく、デザインがイカれている訳でもない巨大なモンスターは、色づかいを含めて何だか地味。
しかしステージ前面ではイントロの「ヘイ!」に合わせて何本もの炎が噴き上がる。ここから―――ここからライヴは急加速していく。15曲め「MONSTER」から18曲め「LOVE PHANTOM」までノンストップなのだ。体力がない人はついていけないぞ。ステージ上の人はもっと疲れるはず……だが、疲れの片鱗も垣間見えない。厄年過ぎてるのにすごいぞ(ヲイ)。

アンコールでのMCがしみた。10代や20代前半の人には何だか説教くさく聞こえたかもしれない。
「みんなからは見えないかもしれないけど、(客席の)あっちこっちからゆらゆらといっぱいモンスターが現れて、一斉にステージに襲ってきて、ボク等はめちゃくちゃにやられて犯されてしまって、とても倖せになってしまいました―――自分から溢れたはげしいものが誰も傷つけることなく誰かを倖せにするなんて、とっても素敵じゃないですか」(要約)
このMCから、「MONSTER」は決してネガティヴなものだけを表しているのではないと知れる。人間を越えた強大な力を持ったもの、それが「MONSTER」。猛烈な勢いで一度に4万人もの観客を愉しませる貴方がたこそが「MONSTER」だ、と私はステージ上の人たちに対して思った。

判っていても失笑最後の曲は「RUN」。10年以上前の曲だが色褪せない。ラストに演じられることで味わいが深まったとも思える。タイトル通りに曲の終わり辺りからヴォーカル氏はステージを降りてアリーナを一周走り抜けた。大阪ドームのアリーナと言えば普段は野球場だ。野球場を駆け足で一周しても息が上がっていなかったのは驚異だと言える。恰好いい。だが、その衣装はどうだろう(左図参照)。
いつも何から何までびしっと決まっているのではなく何処か外してしまっているところがB'zのいいところだと私は思っている。

ついでと言うのは違うかもしれないが、雑誌やWebサイトでB'zの来歴を見ると、リーダー氏よりもヴォーカル氏の方が文章量が多い場合が儘ある。ヴォーカル氏は多くの場合奇人とされていて、それだけに特記すべきことが多いのだろう。しかし、その奇人をすんなりと認め受け容れ伸ばしたリーダー氏こそが実はもっと奇人なのだと言えよう。

2006年08月26日(土) 行ってきたー!(その1)

この日大阪に出掛けることは春先から決まっていて、この日のために体調の調整や体力の養成してきた。ずっと愉しみにしてきた。ついにこの日がやってきた。今日は「B'z LIVE-GYM 2006 "MONSTER'S GARAGE"」大阪ドーム公演初日である。
公演日から丁度2週間前に配達記録郵便で届いたチケットに書かれた席は「アリーナ3塁側54列43番」。54列とは少々後ろ気味で、大抵の会場ではアリーナの後ろ側よりも2階席の前の方がステージが見やすかったりする。あまりいい席でもないかな、と思っていた。しかし―――これについては後述。

同行の友人と相談の上、ライブ会場の大阪ドーム―――今年7月から京セラドーム大阪―――に行く前に「なにわ麺だらけ」で腹拵えをする。ここでは「牧場スイーツ博覧会」という催しが開かれていて、そこでは「ハイジの白パンとチーズ」が食べられると言う。幼少の頃、毎週日曜日の朝に「アルプスの少女ハイジ」を見て育った世代としてはハイジのパンとチーズは憧れの食べものであるからして、行かない訳にはいくまい。

ハイジのパンとチーズ

これが「ハイジの白パンとチーズ」450円也。拳大のパンと串に刺さったチーズが一ト欠片。固形燃料がアロマポットに配置されていて、ライターも付いてくる。燃料に火を点けてその火でチーズを焼きながら食す。溶けたチーズをパンに塗ってもいいし、チーズを焦がして香ばしさを愉しむのもいい。
白パンがとてもふわふわしていて、いつまでも食べていたい感触。チーズは勿論スイス特産エメンタールチーズ。穴が空いていないのが残念。これにヤギの乳が付いていればこの上なしだったのだが。

小さなパンとチーズで一杯になるほど小さな腹を持ってはいないので、「麺だらけ」のラーメンも頂く。いろいろあるので迷った末に、或る店で東坡肉麺というものを注文して、店内で待つ。
待つ。待つ。待つ―――出てこない。
こういうイベント会場では厨房の勝手も違って調理に時間が掛かるものなのだろうか、と好意的に考えていたが、やっとやって来た店員のあんちゃんが言ったのはこうだった。
「注文、何でしたっけ?」
聞いた注文を忘れるほど御店は忙しくなかったでしょう。空席の方が多かったでしょう。手がグーになると同時に笑ってしまいました。頂いた東坡肉麺750円也は、それなりの御味。スムースに出てきたらもっとおいしかったかもしれない。

更にスイーツ博覧会で「牧場レアチーズ」450円也、「黄金プリン」290円也、「おこっぺ牛乳あんぱん」280円也、「ふらの牛乳」250円也を購入。熱量を摂取しすぎの感はあるが、この後2時間のライヴに参加することを思えばさしたるものでもなかろう。
しかし流石に食べきれず、長時間置いていても悪くならないあんぱんだけは自宅に持ち帰る。「黄金プリン」という神々しい名前のプリンはこれまで体験したことのない食感で倖せ感たっぷり。なめらかかつふわっと。

これだけ喰うと流石に満腹で、時間も頃合い、一路ドームへ。JR大正駅から徒歩で向かう。途上にあるコンビニエンスストアにスポーツドリンクを仕入れに入るが、店内はライブ参加予定者で鮨詰め。人混みで気が遠くなった。
1730時に会場入場。開演1時間前。
席の左右はフロントステージに2基設置されているオーロラヴィジョンの上手側に近いところ。前後はセンターステージとほぼ同じ。前列53列と我々54列との間は通路。席に落ち着いたところでトイレを済ませておくことにする。スタンド席に近いトイレは数箇所あるどのトイレも男女ともにひどく混み合うが、アリーナ3塁側のトイレはとても空いていた。それは大変よろしいのだが。

トイレに入る直前に、警備員に扉を開けて貰ってバックヤードに入る男を見掛けたですよ。知っている人だったですよ。歌が上手で変な柄のシャツをよく着ている人ですよ。6月頃にテレビで姿を見て「髪がうっとーしーぞ」と思った人ですよ。見間違えるには近い距離で見たですよ。……本人か?
確信が持てないまま席に戻り、スターウォーズに登場するジャワズみたいな恰好のお姉さんに「MVP」の振付を指導して頂きながら開演を待つ。指導員のお兄さんお姉さんの衣装にはどんな意味があったのか考えてみたが判らず。「MONSTERルック」なのか?
我々が座っていたブロックを指導したお姉さんは「みなさん憶えてきましたかー? きちんと踊れないとイナバさんがほんとに怒ります」とほんのり脅していた。

1840時、僅かに遅れて開演。オーロラヴィジョンにはアメリカンコミック風のアニメーションが流れて……以下、翌日付に続く。

2006年08月24日(木) 同棲時代。

先日、この頁に「書棚の隙間からトカゲだかヤモリだかが出てきた」という話を書いた。そのトカゲ(トカゲかどうか判らないが便宜上トカゲとする)は書棚の隙間からちょろちょろっと出てきたかと思うと急いで再び隙間に入り込んでしまって、その後どうしたのかは判らなかった。
さて、数日後。
ぼくは牛乳が大好きなので毎日飲んでいて、空いた紙パックは「開き」にして資源ごみとして回収して貰うために台所のシンクで一度水洗いをして、一ト晩ほど上下ひっくり返しておいて乾かしておくことにしている。その紙パックがそろそろ乾いているだろうとシンクから取り上げると、その内側にこいつがいたのだ。

なかなかかわいい

夜中にはベランダに続く扉を開け放しておくので、いつまでも暑くて狭いマンションの部屋の中にいないでそこからでも出て行くだろうと思っていたのだけど、ずっといたらしいぞ、このトカゲの子供。
ごみを散らかすとか住人の手や足を咬むとか、そういった悪さをする訳でもないから追い出そうとは思わないのだけど、この部屋に住むんだったら家賃の何割か出してくれよな、とビンボーもの書きは思うのだった。

そう言えばぼくが高校生だった頃、「自宅に出没するトカゲに牛乳を飲ませてやるのが夢」という同級生(女子)がいて、高校卒業間際に「夢が叶った」ととてもうれしそうにしていた。そのときぼくは漠然と「トカゲって牛乳を飲むのか」と思っていたのだけど、今般牛乳パックの中に隠れていたということは、トカゲはやっぱり牛乳が好きなのだろうか。


【今日の脱力】
いま更と言った話かも知れないが「ナタラディーン」がとても気に入っている。和む。

2006年08月23日(水) 復旧。

PCからの書き込みです。
動作不良を起こしていた通信モデムの代替品が届きまして、無事に接続・設定が完了しました。御覧の通りPCがインターネットに繋がって、以前同様データのやり取りができるようになりました。
少々遅くなりましたが、メールを頂いていたみなさまには返信を差し上げておりますのでそちらを御覧くださいませ。もしも「衛澤宛てにメールを送っているのに返信が来ない」という方がいらっしゃいましたら、御面倒ですが再度御連絡を御願い致します。

思いのほか早くにモデム代替品が届いたので、たいした不都合はありませんでした。以前に引っ越しをしたときの移転手続きは、利用場所の移動だけなのに、遅滞なく必要事項を申告しても通信できるようになるまで一週間から十日ばかり掛かったので、今回もそれくらい待たされるのかと思いましたが、機械の送付などの物理的な処理はプロバイダの対応も早いのですね。

さて、前回の当頁更新から今日までの間に何をしていたかと言いますと、今週末に迫ったライヴ参加のために眼鏡の調整に眼鏡店に行ったり、踊ラーの集いを観に行ったり、映画館に「ゲド戦記」を観に行って恥ずかしくなったりしていました。勿論、仕事の「合間」に、です。

「ゲド戦記」の何が恥ずかしかったかと言うと、御話の組立が、「物語を見聞きすることにはとても慣れている人が、でも自分では物語をつくったことがなくて、右往左往しながら何とかつくり上げた御話」という感じに、初心者にありがちな失敗を幾つも幾つも重ねてしまったもので、まるで二〇年ほど前に自分が書いたものを見るような気分になったからです。
オリジナル作品だったら巷の不満の声ももう少し穏やかだったのかもしれませんが、何せ原作が「名作」なのでファンも多くて、宮崎吾朗監督も余分な反感を買ってしまったような感じです。御父君の名が高すぎるのもちょっとした不遇です。比べてはいけないと思うのです。

そろそろ上映期間も終わりに近いのだと思いますが、「ゲド戦記」を観るか観るまいかまだ迷っておられる場合は、テレビ放映を待ってもいいと思います。おそらくノーカット放映されるでしょうから。そのお金と時間で「ブレイブストーリー」を観に行った方がいいかもしれません。私は「ブレイブストーリー」を観てはいませんが、きっと。


【今日の徒名】
常に汗ばんでしっとりしている私に同級生が「濡れティッシュ」と。

2006年08月18日(金) 夏が終わる前に。

この夏の新しい課題を夏が終わる前に済ませておかなければと、つくってみました「らいよんチャンカレー」。
らいよんチャンは在阪テレビ局のキャラクタだけど、系列局やCS放送などで全国的に見ることができるそうなので、関西以外のみなさんも何とかして「らいよんチャンネル」を御覧ください。

さて、これが今日つくってみたらいよんチャンカレー。

自作らいよんチャンカレー

御飯にはサフランやターメリックで色を着けて、両眼はうずら卵の目玉焼き、鼻はハンバーグを半分程度に切ったもの、口は赤いウインナーソーセージ、耳にはじゃがいも、たてがみはカレーソースをソフトパンチっぽく。「らいよんチャンネル」番組内ではそのようにつくっていた。これもほぼその通りに。
盛りつけてから「耳」になるじゃがいもを用意し忘れたことに気付く。

うずら卵を目玉焼きにするのは難しいので(どう難しいかは実際やってみてください。涙目になるよ)、ゆでて縦半分に切ってみた。この方がらいよんチャンの半眼に近いと思う。全体的にあまり似なかったのだけど、ネット上をうろついてみるとこれより似ていないらいよんチャンカレーが沢山見つかって、「これは結構似ている方じゃないか」と思えるようになったので、まあいいや。

写真を撮ってから全部たいらげました。これだけ喰ったら満腹だ。


【今日のあり過ぎる違和感】
高校野球のヒッティングマーチにXの「紅」を演奏するのは、どうしても何かが間違っているような気がする。

2006年08月17日(木) たぶんマイペンライ。

「旅の指さし会話帳1−タイ−」を購入する。昨年、SRS(性別適合手術)のために渡タイして、そのときは言葉による意思疎通がほとんど巧くいかなくてとても困った。あと二回は渡タイしなければならないが、もうあんなに困るのは御免だから、お互いに挿画を見ながら指差して会話できるというこの本を買うことにした。
Nintendo DS版など、コンパクトで便利なデジタル版もあるのだが、これだけのために機械を購入するのもナニだし第一値が張るのでやめた。

先ずは本の使い方を理解しておかなければならないので一ト通り目を通してみる。すると……おもしろいよ、この本!
そもそものつくりが「語学の本」にはなっていないので、語学キライという人も抵抗なく入り込んでいけるのでは。どちらかというと観光ガイドブックの雰囲気。挿画(特にゾウさん)がかわいい。
会話のための単語と挿画だけでなく、タイ文字の書き方や簡単な文法も組み込まれているので基礎も何もない人のためのタイ語入門書としては最適かもしれない。何よりよろしいのは、ただ読むだけで愉しい、ということ。

ただ眺めているだけで愉しいし、ちょっとタイ文字を書いてみようかな、という気にもなる。囲みコラムにはタイ語を勉強するのに便利なツールとして現地のインターネットラジオなども紹介されていて、ぼくは現在94EFMというタイ語のFM放送を一日中部屋に流している。いつか聞き取れるようになればいいな、くらいの気持ちで。
まだ何を言っているのかは判らないけれど、聴いていておもしろいと思う。あと一年半くらい経ったら再び渡タイするので、それまでに多少会話が聞き取れて片言でも喋れるようになっていればいいなあ、と思っている。
「喋れる」ことが贅沢なら、せめてあの唐草模様にしか見えない(ผม เฃน คน ญึปน ครับ ←こんな)タイ文字を一見して「文字である」と認識できるようになりたい。

もしそれが叶わなくても、次回渡タイ時には「指さし会話帳」で何とか買いものしたり道を訊ねたりできるようにはなっているだろう。何れにせよ、もう一回タイに行きたいと、この頃はよく考えるようになっている。


【今日の憤り】
カレーパンを頂く。パッケージに「角切りビーフ入り」と書かれているが、食べ終わるまでそれらしきものに当たらなくて、緒川たまき風に「うそつき」と呟く。

2006年08月16日(水) おそらくはそれさえも。

本棚の本と本の間から、小さなトカゲだかイモリだかヤモリだかの子供が出てきて、直ぐに本棚の奥に走り込んでしまった。

本棚にトカゲの類いが潜んでいたことか、せっかく出てきたのに本棚の奥に再び引っ込んでしまったことか、何処からぼくの部屋に侵入してきたのかということか、先ず何処に突っ込みを入れていいのか判らなくてぼくは、結局何もなかったことにしてしまった。

あまりいいことではないかもしれない。でも、ぼくもトカゲもお互い大事がない方がいいよね。何ごともなく共存できたら、それでいいよね。


【今日のよしあし】
おもしろい本を入手→仕事停滞。

2006年08月15日(火) 熱暑の中を。

大阪府八尾市に住んでいる友人がぼくが住む街まで遊びに来てくれた。交通手段は何と八〇�佞離好�ーター。八尾市は大阪府のほぼ中央東寄りにある街で、快速電車を乗り継いでもぼくが住む街からは九〇分程度かかってしまう程度に離れた場所だ。
彼は二時間かけてぼくの街に到着した。そして翌日早朝には同じスクーターで那智勝浦を目指して旅立った。那智勝浦は紀伊半島の南端から少し三重県寄りの場所で、ぼくが住む街から特急電車に乗ってもたっぷり三時間はかかる。

ぼくはその無謀とさえ言える行軍が、それに臨む彼が、うらやましかった。ぼくも旅に出たくて仕方がないのだ。けれどもいまはそうもしてはいられない。
でも、どうしても何かしたくてじっとしてもいられなくなって、ぼくはプチ行軍に出掛けた。
ぼくが住む街の南の外れには人工島がある。そこまで徒歩で行くことにした。片道一〇キロメートルある。

何を思ったのかぼくは午後二時過ぎという一日で最も陽差しが厳しい時間にサンダル履きで自宅を出た。そしてほぼきっかり二時間、日陰を横切ることもなく陽光に熱せられた道を歩き続けた。着いたら島の中にある娯楽施設でちょっと遊ぼうと思っていた。でも、実際に一〇キロメートル歩いてやっと着いたら思いのほか疲れていて、少し休んだだけでそのまま路線バスに乗って自宅最寄りのバス停まで戻ってしまった。
これだけ話すといったい何をしに行ったのかと思われるかもしれないが、目的地と定めた場所まで長い距離を歩ききっただけで満足できたから、ぼくとしてはこれでいい。

帰りのバスの中で何気なく足を見たら、くっきりとサンダルのかたちに陽焼けしていた。まるで塗料で塗り分けたようにくっきりはっきりと焼けていて、あまりに白いところと黒いところがすっぱり分かれているので、パンダかシマウマにでもなったような気になった。腰に付けていた歩数計を見ると一二〇〇〇歩余り歩いていた。


【今日の超低速】
スロー再生かと思うくらいにとても、とーってもゆっくりと自転車を漕ぐ老人を見掛けた。あんなにゆっくり進んでいるのに倒れない自転車操縦術は高度な技術だと思った。

2006年08月14日(月) ヲすすめ映画。

映画好きの甥っ子にDVDを借りて、いま更ながら「キル・ビル」と「キル・ビルVol.2」を二日に分けて観ました。ずっと観たい観たいと思い続けて早や三年ですか。我ながらのんびりしています。やっと観た率直な感想は。
うっひゃー、派手にデタラメ大爆走だ!
これがQ・タランティーノ監督の「ファンタジイ」なんだなと妙に納得しました。多くの日本人が思っている「ファンタジイ」とは大きくかけ離れてはいますが、「ファンタジイ」とは本来そうしたものですしね。あまりにもあんまりなデタラメ振りが爽快な怪作。
なんてことは三年も前に大勢が言ったことなのでしょうが、やっぱり言いたい。

元々は一本のシナリオだった「キル・ビル」と「キル・ビルVol.2」。タランティーノ監督御自身が仰っているように、二作に分割して正解だと思いました。前半は圧倒的なデタラメ振りを愉しむ躍動的パート、後半はじっくり味わって感じる叙情的パート。ごくごく素直に、何も考えずにただ愉しいのはやはり前半。

鮨屋に身をやつした刀匠かつ剣の達人の服部半蔵しかも沖縄在住、というだけで充分デタラメ過ぎるのだけど、それにテレビドラマ「影の軍団」シリーズで忍者の頭目服部半蔵を演じた千葉真一氏を配してしまうところにタランティーノ監督の親日振りとよく理解した上でのデタラメ振りが窺えます。これを一番よろこんでいるのはやはり日本人の観客だったのではないでしょうか。
もうちょっと踏み込んで更にマニアックなのは、映画「少林寺三十六房」の主演俳優リュー・チャーフィー(=ゴードン・リュー)を、主人公ザ・ブライド(ユマ・サーマン)の功夫の師匠役に据えているところ。白髪白髭の仙人のような容貌の師匠が地面から軽く跳躍してザ・ブライドが振るう剣の上に乗っかってしまう場面などは「三十六房」を彷彿とさせます。

徒手空拳アクションが好きな私はこれ等の部分を堪能したのですが、それより何より、前半後半通して最も強く印象に残ったのは、どうしてもゴーゴー夕張(栗山千明)の存在。
やくざの用心棒であるミニスカート鎖鉄球女子高生、というだけで滅茶苦茶なデタラメなのに、その上名前が怪しげな日本名「ゴーゴー夕張」通称「ゴーゴー」。劇中ではこの名を誰もが真顔で呼びます。ここまで徹底してデタラメされたら何も言わずに受け容れるしかありません。私は若者言葉がどうにも好かないのですが、こういうものを目の当たりにしたときにはこう言うしかないのですね。「あり得ねえ」と。
で、この日本のヤクザのヨージンボーのジョシコーセーが使う鎖付き鉄球の扱い方は、中国の縄標(鎖や縄の端っこに手裏剣のようなものが付いた武器)のそれなのですね。ということが判るのはヲタクだけかーあっはっは。

という風に、細かいところを沢山観てヲタクっぽく愉しむのもよし、何の予備智識もなく観賞して怒濤の迫力に圧倒されるもよし、デタラメ振りを逐一指摘して意地悪に観るのもよし。ぼんやり観ていても後々まで記憶に残る作品でしょうから、ときどき思い返しては細部に感心したり巧妙さに敬服したりできるでしょう。まだ御覧になっていない方はいまからでも御覧になることをお勧めします。
でも、この作品が嫌いな人も沢山いるのだろうとも思いました。それくらい灰汁が強いです。

前半後半通して観て一番驚いたのが大葉健二氏が出演していたことでいまでも坊主なんだなギャバン隊長、と思ったなんてところが如何にもヲだなと自分で思いました。


【今日のカウントダウン】
もう幾つ寝るとライヴの日。

2006年08月12日(土) 来たぞ!

お暑うございます。みなさま如何お過ごしでしょうか。わたくし、ただいま夏期休暇を利用してワイキキに来ております。来たぞはるばるワイキキ!
うそです。
私には夏期休暇もなければ渡航する費用を捻出する財力もございませんことよ。でも気分だけ想像上のワイキキにいてもいいじゃないか。いいじゃないかーっ!

絶叫したところで今日の本題。
某ユニットの大阪ドーム公演のチケットが届きましたですよ! 昨年はスタンド席に甘んじましたが、今年はアリーナ席に返り咲きです。
テンション上がってきたーっ!
昨年は手術→ライヴの強行軍でしたが、今年もライヴ→手術のハードスケジュールです。今年受ける手術はSRSには一切関係がない眼瞼下垂を治す手術です。二泊三日で帰ってきますので御心配には及びません。ライヴも手術も愉しみです。


【今日の私だけ?】
生卵を食べた後に水を飲むと甘いよね?

2006年08月11日(金) 旨いねえ。

今月初めから、擬似断食していました。まったく何も食べなくするのではなく、食事に摂るものを野菜スープだけにしてみたのです。それ以外は特に制限していません。とは言え、間食をほとんどしないので一日に食べるものは野菜スープだけ、という生活になりました。
月初から昨日一〇日までの一〇日間これを実施、今日から通常の食事に戻しました。通常の食事と言っても、昼食と夕食に御飯を一膳食べるだけですが。

野菜スープのみの生活は案外楽で、ほぼ毎日トレーニングジムでの運動も欠かしませんでしたが、疲れがたまることもなく、大変快調でした。お腹の調子も整い、そのためか腰周りの寸法が四センチほど小さくなっています。前屈運動をしても腹がつっかえなくなったな、と思っていたらサイズダウンしていた訳です。ナイスざんす。

数日前のこの頁にトレーニング後の牛乳が旨いと書きました。それはいまも変わりません。トレーニングから帰って自宅でゆっくりと飲む牛乳はとっても旨いです。
ぼくは酒類が一切飲めなくて、いま頃の暑い季節によく聞く「ビールをきゅーっと飲むのは最高!」という風なことは理解できないのですが、おそらくはぼくが牛乳を飲んで思う「最高!」とこれはよく似ているのではないかと思いました。

そして今日は、一〇日振りに米飯を食べました。炊きたての御飯。
コメ、うめーっ!
日本の米はこんなに旨かったか、と吐息ものです。

元気に運動できて、おいしく食べられて、体調が整って、病気持ちではありますが、大変健康であります。とても倖せであります。生きている限り健康はほんとうに有難いです。


【今日の応援】
のみねこさん、がんばってー。

2006年08月10日(木) でもね。

ぼくが書いたもののサンプルを読んで、「おもしろかった、続きが読みたいのだけど、どうすれば入手できるの?」と言ってくださる人が、短い期間に何人も現れた。こまめにサンプルを配った甲斐があった、と言っていいのだろうか。
正直なところ、ぼくが書きものをしていることを知っている人は割りと多いけれど、ぼくが書いたものを読んでくださったことがある人はほんとうに僅かで、その中で読んだ感想をぼくに伝えてくださる人など更に少ない。だから、好評も酷評も、それぞれにうれしい。

残念ながら諸般の事情により現在は事実上入手方法がない作品もあるけれど、それは別の出版社がついてくれることになった。どれくらい後かははっきりとは言えないけれど、新しい姿を与えることによって沢山の人に読んで頂けるようにただいま基本構造から見直して筆を入れている真っ最中。
「続きを」と言ってくださった人、「読みたい」と言ってくださった人、もう少し、待ってください。

捨てる神あれば拾う神あり、というのはほんとうだな、と思ったりしています。


【今日のあれ?】
昨日、出先で挙げることができたバーベル七〇キログラム、今日いつものトレーニングジムで挑戦したら全然挙がらなかった。?

2006年08月09日(水) プロフェッショナルに和む。

過日、友人宅に泊めて貰ったときに、友人が「安いけどこれは便利だ」と見せてくれたCDラジオがほしくなった。デザインも機能もシンプルで、御値段も手頃とくればぼくが使うのに丁度いい。
帰宅してから、メーカー名と型番号を教えてくれるようにメールで頼むと、友人は直ぐに返信をくれた。メーカー名と型番号のほかに「ドン○ホーテで二九〇〇円ほどで売ってるから、近くにドン○があったら行ってみな」と貰った返事には添えられていた。

早速、自転車を漕いで県内唯一のドン○ホーテに行ってみた。確かに同じ機械が販売されていた。しかも販売価格一九八〇円だった。しかし、陳列されているのはすべて白い機体だった。
色で機能が変わる訳ではないけれど、どうせ買うならより気に入ったものを買いたい。念のため店員に「黒いのはないのですか」と訊ねたがやはり「白だけです」との回答。
仕方がないから、他所の家電量販店を何軒かまわった。何処にもなかった。
更に仕方がないのでインターネットでメーカーのサイトを探して、一台だけで済まんが売ってくれんか、とメールで問い合わせしてみたら、直ぐに返事が来た。売ってあげるから住所だの名前だの送り状記入に必要なことを教えれ、とのこと。折り返しそれ等を書いて返信すると、これまた迅速に「発送しました」というメールが届く。

問い合わせてから「発送しました」の連絡までの時間、一八時間。この翌日に商品が届いた。すごい、すごいぞ株式会社アズマさん!

アズマさんのCDM-101-H

不躾な問い合わせに対して非常に丁寧かつ迅速な返信、注文に対する素早い対応、礼状に対する律儀な御返事。企業はこうあるべきですよね。最近、随分投げ遣りな態度でしか対応してくれなくなった取引先があったりして気分が腐れていたのですが、そこにこのアズマさんのうつくしいまでの対応。心和みました。

CDM-101-H、大切に使わせて頂きます。株式会社アズマのみなさま、有難う!
ブランド名が「EAST」なのは、アズマ(東)という社名に引っ掛けてあるのかな?


【今日の思わぬ実力】
用事で出掛けた先ではじめてベンチプレス(仰臥位でバーベルを挙上する)をさせて頂く。七〇キログラムも挙げられた自分に吃驚。

2006年08月07日(月) しめしめ。

体質改善スープを食べ続けています。お通じも大変よろしくなり、「私の中のよからぬもの」がじょじょびじょばと出て行っているようで、身体が軽くなったような気がします。調理が簡単だから頼りっきりです。
他方、心療科のドラッグコントロールも巧く行きつつあるようで、夏という季節に相応しい元気が出てきました。いやっほう。

元気になってくると、これまで面倒だったこともできるようになります。今日は鰯を一ト舟買ってきて、しめ鰯を仕込みました。一ト舟は、二五尾前後入っていて何と一〇〇円。これだけ自分で釣ってこようとすると餌代三〇〇円に仕掛け代が二〇〇円ほど掛かってしまいます。……あ、でも一回の釣行で二タ舟分くらいは釣れるかな。
鰯は包丁で頭と内臓を取って、あとは手開きで骨を取り除き、振り塩をして一、二時間置きます。その間に酢と醤油と砂糖で三杯酢を拵えて、塩が馴染んだ頃に鰯を三杯酢に漬けて冷暗所で一ト晩置く。これで仕上がり。

頻繁に釣りに通っていた頃は鯵でこれをよくつくっていました。そのまま食べたり、酢飯を握って鮨にしたり。その後、忙しかったり出掛ける足がなかったりで釣りから遠ざかっていて、しめ鰯もしめ鯵もつくっていませんでした。だから、つくり方もうろ覚えだったのですが、できてほっとしています。
しかし、こういうのをつくったり食べたりすると、やっぱり釣りに行きたくなるんですよね……釣りに行きたいなあ。

調理が終わった後、何気なく手を見ると何か光沢があるものが薄く貼り付いています。プラモデル用の接着剤を塗って乾かしたような。指で擦ってみるとまるく剥がれました。
鱗でした。鰯は鱗が薄くて沢山あって直ぐに「脱ぎ」ます。だから釣って取り込むときにしっかり握るとつるりと取り落としたりして鱗だけが手に残ってしまいがちなんですな。


【今日のささやかな望み】
再来年の夏にはプールに泳ぎに行って、冬には温泉に入りに行くのさ。

2006年08月06日(日) 予習してます。

「ドラ○もん」のオープニングに登場する「セクシー大根のラインダンス」が少々気に掛かっている衛澤です。

梅雨が明けて一週間、巷は夏であります。連日気温三五度を越え、ともすればぐったりしてしまいがちなこの頃ですが、いまこそ! いまこそ精力的なトレーニングを積まなくてはならぬときぞ!
と思い、毎日トレーニングジムで身体を動かすようにしています。体力をつけて、長時間動き続けても平気な身体をつくらなくてはなりません。何故なら、奴等の大阪ドーム公演まであと三週間を切ってしまったからです。

夏の祭典。悔いなく完全燃焼するために、体力づくりに勤しむと同時に、予習もきちんとやっています。ライヴサイトにきちんと夏休みの課題を置いてくれているのが有難いじゃありませんか。
毎日一回は必ず課題に取り組み、御手本を見なくてもいいようにしましょう。客席は案外パーソナルスペースが狭いので、隣りの人をぶん殴らないように要注意だ。


【今日の素敵な邂逅】
青汁豆乳ホットケーキはおいしくて腹にたまるぞ。

2006年08月05日(土) あいつもこいつもみんな。

野沢直子さんのテンションの高さと声の大きさがうらやましい衛澤です。

さて、今年の高校総体つまりインターハイの相撲の部は、ぼくが通っているトレーニングジムの近くにある和歌山ビッグホエールで行なわれました。
ビッグホエールというのは、要は多目的ホールです。建物全体が鯨の姿を模していて、あんまり暑い日は背中(屋根)から潮を吹いて身体(建物)を冷やしたりもします。また、屋内には近畿最大級の広いアリーナがございますのでアーティストのみなさまはぜひコンサート会場などに御利用ください。そうすると私は徒歩で行けるので有難いです。使用して頂かないことには赤字になってしまって所有者である県が大変です。
それはともかく。
インターハイ相撲の試合が行なわれるということは、周辺には学生力士が沢山いるということです。

普段あまり利用され(ピー)ビッグホエール周辺はいつも人影は少ないのですが、インターハイが行なわれていた三日間は大勢でにぎわいました。その大勢の半数以上が、身体の大きな力士のみなさまです。のっしのっしと身体を揺すりながら徘徊する力士、力士、力士……いつもぼくが通っているトレーニングジムに行くためにはビッグホエールの直ぐ傍を自転車で通り抜けなければなりません。
あっちを見ても力士、こっちを向いても力士、振り向けば力士、石を投げれば力士に当たる。そんな中を力士をはねてしまわないように力士にはねられないように、自転車でビッグホエール前を通り抜けるのは、結構な難儀でした。力士の林を縫って走りながらぼくは、自分が小兵になってしまった錯覚を覚えました。割りと恰幅がよろしい方なのですけどね。


【今日の気になるなるなる】
何でもやっちゃうあの彼がとうとうブログ進出。

2006年08月03日(木) どんどん相談だ。

トレーニングジムで一五〇分ほど動きまわって、帰宅してから飲む牛乳はとても、とーっても旨いです。速筋も遅筋も充分に動かして、心地よい疲労感と充実感に浸りながら飲む牛乳……たまらんです。しやわせ。

近年は牛乳の消費量が激減していて酪農家のみなさんが困っているらしいです。牛乳は旨くて身体づくりの役にも立つので、みなさんどんどん牛乳に相談だ。


【今日の大枚はたいた】
思いきって電子辞書を購入。字は少し見づらいけど他項目へ「寄り道」せずに済むから時間短縮になるのと省スペースは有難い。

2006年08月02日(水) 国定中耳炎。

耳が腫れました。耳の奥に疼痛があって、耳殻を押さえるとひどく痛みます。横臥して枕を当てることもできません。

暫く以前から、外耳がやたらにかゆくて耳掻きでがしがし掻いていました。これについては今年に入ってからのいつかに、この頁にも書いた記憶があります。そんな時期が長く続いて、耳掃除は素人が自分でやってはいけない、という話も聞いていたので耳鼻科病院で診て貰う必要があるなと思いつつ、半年ほど過ぎてしまいました。やっと診て貰おうという気になったのは、やはり痛みのためです。
耳殻がダンボのように腫れた感覚があって(実際は大きさが変わって見えるほど腫れてはいません)、口を大きく開けたり、食べものを咀嚼したり、それだけで呻いてしまうほど痛いので、流石に放置しておけずに受診しました。

経過を報告すると医者先生は「あー、耳掻きし過ぎてばい菌が入ったんやなー」と耳の中を覗く前に仰いました。長ーい綿棒を使って外耳を消毒して、軟膏を塗って、服用薬を出してくれました。薬は「クラビット」という名前の錠剤で、処方箋によると「合成抗菌剤」だそうです。一日二回、三日間服むようにと指導がありました。
痛みがなくなったらまたかゆくなるけど掻いてはいけない、と医者先生が仰ったので、そんなときはどうすればいいのかと質問すると、先生はさらりと仰いました。
「我慢して。」
……医療に過剰な期待をしてはいけない、ということですよね。そーですよねー。

帰宅後、ちょっと調べてみると、どうも直前に患った冷房風邪が居残って出てきた症状のようです。風邪の症状に喉の炎症があったのですが、喉の炎症のもとになった細菌が耳にまわって中耳炎を起こしてしまったようです。こういうことはよくあるらしいです。
掻き壊しと、風邪による体力低下と、雑菌と。それ等が素敵なタイミングで重なって起こした症状、という訳ですね。


【今日の量感】
H水Mこみちくんの髪はボリウムがあり過ぎると思う。


エンピツユニオン


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