「硝子の月」
DiaryINDEX|past|will
2002年02月21日(木) |
<始動> 瀬生曲 朔也 |
「『夢現の狭間にたゆたいし悪夢の主…』」 唐突に呪文の詠唱が始まる。『誰が誰の花嫁だって?』等の問い掛けをしなかったのは、返ってくる答えがわかりきっていたからであろう。猫を抱えた青年よりは学習能力がある。
「『汝無限なるその場所より出でて我が地へと至れ……』」 「る…るーふぁ……?」 ここにきてようやく何かを感じ取ったシオンの腕の中から、やはり面倒見のいいグレンが罪もない仔猫をひょいひょいと回収した。 「ま、精々頑張ってくれ。一人でな」 「ナニをっ!?」
「ふふふ、照れちゃっているんだね。しかし安心してくれルウファ! 君が僕を信頼して任せてくれた猫洗いはこれこの通り、無事完遂した!」 「……ってちょっと、そのコたちどうしたのよ。まさか盗んできたの?」 ルウファが不審いっぱいの顔で3匹の仔猫を示すと、シオンはさも嬉しそうにへらりと笑った。 「いや、猫洗いが終わってあのお婆さんのとこに報告に行ったらさ、なんだか猫の話で盛り上がって一晩経っちゃって。ごめんねルウファ、君を寂しがらせてしまって……」 「いや、あたしが聞きたいのはそんな脳みその腐れたようなアンタの幻想じゃなくて」 ルウファの対応はどこまでもクールだった。いつものように景気よく殴り飛ばさなかったのは、一応同じ部屋にいる怪我人に気を使ったからなのかもしれない。 しかしそれに気付いた様子もなく、シオンはにこにこと仔猫を示して見せた。 「それで、報酬代わりにこのコたちをもらってきたんだv ほら、かぁわいいだろー?」 「――報酬……?」 にゃぁー、と鳴く仔猫と目尻の下がり青年を前に、ルウファが静かに、なんとも言えないほど静かに問い返す。ティオはそそくさとアニスを抱き寄せ、グレンは黙って手近にあった割れ物を回収した。 「ほーらお前たち、僕の未来の花嫁に挨拶は?」
「いつ、なぁ……」 グレンが唸る。 「別に急ぐ旅でもないからな」 「あたしは一緒に行くことが目的だから」 二人とも言外に『ゆっくり休め』と言ってくれていることがわかる。しかしティオはそれにおとなしく甘えることが出来ない。 「じゃあ、すぐ出よう」 空になった器をルウファに戻し、ベッドを出ようとする。 「何言ってんだその怪我で」 「今だって痛いんでしょ」 「いつまでも寝てられっかよ」 確かに傷は痛んだが、どうも落ち着かないのだ。 「……何焦ってんだお前」 そんな彼を見下ろして、グレンが言った。 「焦ってなんか…」 「待ちくたびれたかい、僕の小鳥v」 唐突にドアが開き、仔猫を三匹も抱いた青年が歌うように言った。 「忘れてたな」 「戻って来なくてよかったのに」 グレンが無感動に言い、少女はうんざりとした顔をする。
「……何で、窓から入って来たんだよ。二階だぞ、ここ」 しばらくの沈黙の後、少年はそんなことを訊いてみる。 「そこに木があるだろ?」 青年の指差した窓の外には確かに立派な木があった。 「久しぶりに木登りしたくなったんだよ」 「馬鹿じゃねぇの?」 返した言葉はほとんど反射的なもの。考えるより先に口が動く。 「まぁな」 別段怒りもせずに、青年またティオの頭を軽く叩いた。叩かれたほうではどう反応したものやら戸惑う。 「お待たせ。あら、おかえりなさい」 だからその時赤い髪の少女が戻ってきてくれたのは正直言って助かった。 「ただいま」 「林檎? 随分買ってきたのね。でもお粥が先よ」 彼女は粥の乗ったお盆をティオの膝の上に置いて「起きて平気なの?」と問い、少年は黙って頷く。 「そりゃそうか。じゃ、後でな」 『お粥が先よ』に応えたグレンは転がった林檎を紙袋に戻す。 「あたしにも剥いてねv」 「俺が剥くのか?」 「だって器用そうだし♪」 さも当然と言わんばかりに少女が微笑んだ。彼は「しかたねぇな」とあっさり呟く。やはり面倒見がいい。 「……いつ出発するんだ?」 持ってきてもらったお粥を自分で口に運びながら、ティオはそう尋ねる。
2002年02月06日(水) |
<始動> 瀬生曲、朔也 |
「徹夜……?」 とするとあれから一昼夜過ぎてしまったということか。 「お粥でも作ってもらってくるわ。消化器官は無事だったみたいだけど、いきなり重いものは無理だろうから」 部屋を出ていきかけて、ルウファはくるりと振り返る。 「じっとしてるのよ」 しゃらん、と鈴の音がした。 軽やかに階段を降りていく足音を聞きながら、ティオはアニスの頭を撫でる。 「心配掛けたな」 ぴぃ 頬に当たる羽毛の温かく柔らかな感触に安堵する。 「他の奴等はもう行ったのか?」 シオンはともかくとして、グレンには旅の目的がある。成り行きで同行することになった自分をここに置いていったとしても不思議はない。 「そんなに俺は薄情そうかね」 声は窓のほうからした。 「なっ!? ……ってぇ……」 反射的に跳ね起き、痛みに顔をしかめる。 「よっ、と……ほらほら無理すんなって」 何故か窓から入ってきた青年は、彼の頭を軽く叩いた。
「ったく、ちっと目ェ離しただけでこの騒ぎだもんなぁ……」 「……俺は被害者だ」 憮然としてティオは呻く。今回ばかりは無用心とかいう問題でもない。 そんな少年の様子に肩をすくめ、グレンはベッドにぽいと紙袋を投げた。 「ま、思ったよりは元気そうだな。安心した。 とりあえず、それでも食って養生しとけ」 紙袋の口からごろごろと赤い実が転がり出てくる。……林檎だった。 ティオはきょとんと目を瞬かせ、真顔で尋ねる。 「なんだこれ?」 「……あのな。見舞いに決まってるだろ」 グレンの方が思わずがっくりと肩を落としてしまった。言われたティオは、驚いた顔をして、複雑な顔をして、何か言いたげに口を動かし、結局前以上に憮然として押し黙った。 「? ……どうしたよ。林檎嫌いなのか?」 「……じゃないけど」 ティオは、くしゃりと意味もなく前髪をいじる。 実を言えば見舞いなど、もらったこともなかった。この年になるまで過ごしてきたあの家で。 看病だってそうだ。身体を壊しても、自分の面倒は自分で見なければならなかった。いくらアニスが賢くても、タオルを絞るのは土台無理というものである。 だからこんなのはどれも初めてのことで、どんな顔をしたらいいのかいまいちよくわからない。憎まれ口なら考えなくても勝手に口から出てくるのだが。 グレンはそんなティオの様子を眺め、「わけわからん」と言いたげにちょっと肩をすくめた。
2002年02月05日(火) |
<始動> 瀬生曲、黒乃 |
次に目が覚めた時には、昨夜と同じ宿屋の天井が見えた。 「…………?」 頭がはっきりしない。ほとんど無意識のうちに枕元の相棒を確認する。 ぴぃ 優しく鳴いて、アニスはティオの頬に頭を擦り寄せる。 「よかった、無事か……」 何気なくそう呟いてから、呟いた理由を思い出す。確か自分は死を覚悟したはずなのだが、どうやら生きているらしい。あの後何があったのかは思い出せない。 ぴぃ 「アニス、ティオは起きた……みたいね」 ルリハヤブサに語りかけながら部屋に入った少女は、少年の様子を見て安堵の溜息を漏らした。
「…ルウファ? 痛
何かが動き始めている。
――何が?――
少年の問いに応える存在(もの)はなかった。 ただ、自分が死んではいないのだということはわかった。 「死なれては困る」 聞いたことのない女の声が聞こえた気がした。それはとても遠く、また近かった。 (アニス……?) 姿の見えない女の肩に、ルリハヤブサがいるような気がした。
|