「硝子の月」
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2002年04月27日(土) |
<伝説> 瀬生曲、朔也 |
彼女はそれまでも見越しているのだろうか。 遠ざかる後姿を見やり、それからまた溜息をつく。 「さてと。困った家出少年を探してやりますかね」 木箱にめり込んだ青年をさっくりと無視して、グレンも街の中へ歩を進めた。行き先には心当たりがある。ルウファも多分そこへ向かったのだろう。ならば自分の登場は遅れたほうがよかろう。 「俺ってばやっさしー」 ティオが聞いたら『余計なことすんな』という怒声が飛ぶであろうことを呟いた。
あの少年はこの街は初めてなのだと聞いた。だとすれば、どこにいるのか本人にすらわかっていない可能性もある。 しかし、ここにはおそらく忘れられない場所になったであろうポイントがある。 「どうしてほんのちょっと待ってることも出来ないのかしら」 ルウファは苛々と呟く。 「焦ることないって、わかんないの?」 この場にはいない本人に向かって問い掛ける。問い掛けて、速度が緩んだ。止まることはなかったが、それでもゆっくりとした歩調に変わる。 「……わかるわけ、ないか」 彼は彼で、自分ではない。
硝子の月。虚ろで脆い、硝子の月。 ホージュ……宝珠、運命の名を持つ少年。彼がそうであるなら、このまま放っておくのが硝子の月を目指すには一番いいのかもしれないけれど。 「言ったじゃないの」 誰にともなくルウファは呟く。挑むような顔つきで。 「運命なんて、気に食わないなら蹴っとばしてでも変えてやるわ」 泣きながら運命に従うか弱いヒロインなど、こっちから願い下げだ。 結局、運命などそんなものとは関係なく。 気に入ってしまったのだ。素直じゃない少年や、その保護者を自称する青年や、そしてこの賑やかな旅路といったそんなものを。 だから。 ――だから。
このままどこかへ、という思いにかられてティオは街を見た。今ならどこへでもゆける。馴染めない日常から抜け出して、またアニスとふたりだけで。 逃げてしまおうか? (逃げて) ティオはわずかに顔を歪める。自分の大嫌いな言葉だった。 (違うだろ?) そうだ、こんな風に臆病に。 ただ俯いているだけの自分では、なかったはずだ。
(…まあ、お嬢ちゃんには分からねえか) グレンは、少女に見えない位置で小さな苦笑を浮かべた。 (厄介だよなあ、大人未満のくせに、意地でも大人になろうとする…それも、今すぐにでも。できるわけねえのに…さ) 自分がそうであったように。 「もっとも、すんなり認められれば…苦労はしねえか」 ため息を含んだ独り言の後、苦笑は別な表情に変わった。それはセピア色をした優しい笑みだった。 「何か言った?」 「うんにゃ、なにも」 怪訝な顔のルウファの前でひらひらと手を振る。 (無力だろうさ、今は。広い世界に出て一番先に感じたのは、多分それだろ? 子供のままじゃ届きようもない。探し物に近づくことすらできないで、半病人のお荷物になってるのが現実。 だけどそれでも、どうしようもなく求めちまうから、ああして飛び出すしかなかったんだな。きっと) ルウファの優しさとグレンの林檎は、癒しと同時に別のものも与えたのかもしれない。 (動けない以上、余計に考えるしかない。そして、それに耐えられなくなった。…そんなところか) 揃って戸口から出ると、そこには嫌味なほどの完璧な晴天があった。 「じゃあ、私はこっちを探すから…一応これ、お願い」 積み上がった木箱にめり込んだまま伸びている『これ』を軽くこづいて、後は知らんとばかりに歩き出す。うめき声がしたからじきに目を覚ますとは思うが…。 遠ざかる華奢な後姿を見ながら、グレンはしばしの間、思案した。 (一体何者なんだろうな、こいつと…) ルウファ・ルール。 ティオとさして歳も変わらぬはずの…けれど、不惑の強さを備えた少女。まるで己の運命を知り尽くしているかのように、その言動は勝気な自信に満ちている。 現に、いつの間にか一行の主導権は完全に握られているではないか。 ティオとは対象的とも言える。意地や負けん気は良い勝負かもしれないが、内包する脆さは比べるべくもない、心の空洞を無理に張り詰めて覆い隠した、砂の壁。今、それは限りなく不安定になっているはずだ。 そしてふと、真顔になってこう思った。 (だとしたら、この中の誰よりも硝子の月に近いのは…ティオ
「『硝子の月』なんて、どうだっていいんだ」 少年は小さく呟く。 胸の奥にある小さな願いには気付かないふりをして。 ルリハヤブサだけが、それを見ていた。
「……何ですって?」 何かを懸命に押し殺した声で、赤い髪の少女は言葉を紡いだ。 「いや、だからさ、いなくなっちゃったんだって、勝手に! もちろん僕は止めようとしたとも! 止められなかろうと悟ってからは彼の欲求を速やかに叶えてやろうという歩みよりも見せた! しかし彼は僕を卑劣な罠に掛け…」 「それで何であんたはここにいるの?」 青年の説明を途中で遮り、ルウファは紅玉の瞳できつく彼を睨み据える。 「ふっ、やだなぁ、ルウファ。いとしい君を待っていたに決まってるじゃないか」 「とっとと探しに行けーっ!!」 げし! 「あ」 短い声を残して、足蹴にされた青年は窓の外に消えた。 (二階くらいならまぁ大丈夫だろう) グレンはとりあえずのんびりとそれを眺めていた。 「留守番一つまともに出来ないんだからあの馬鹿は! ティオもティオよ! 怪我人はおとなしく寝てなさいっっての!」 少女は烈火の如く怒りながら部屋を出て行く。 「あんたも探すの!」 「はいはい」 振り向きざまにねめつけられて、彼も素直にそれに続いた。
時の輪は静かに回る。 静かに、確かに。 それは確かに硝子の月に向かって流れているのだろう。 闇の中、光の中。蠢いている。 何かが、嗤う。
からからからから… 乾いた音を立てて糸車が回る。 白い少女の手が糸を紡いでいる。 からからからから… 先日教えてもらったばかりの物語を小さく繰り返しながらのその作業が、ふと止まる。 から…… 同時に糸車も沈黙した。 石造りの簡素な部屋に、静寂が満ちる。 何かを思案するような時間が流れ、 「――――」 少女は何事かを呟いたようだった。可憐な唇が幾つかの形に動いた。それは確かに、何か短い言葉を発したようであった。 しかし、それを見た者も聞いた者もいない。この部屋にいるのは全身を白い薄布で覆ったかのようなその少女のみである。 ……からからからから… やがて何事もなかったかのように糸車が回りだす。少女の唇が紡ぐのは先程までと同じ物語でしかなかった。
たちまち明るい表情になった少女が内心では『こんのババァ』等と思ったかどうかはさておいて。 「それでは…」 「うむ」 老婆は鷹揚に頷く。 「魔法と違って即座に完治させるというわけにはいかんがの。その連れとやらに一番合う薬を調合してやろう」 にやりと笑って、彼女はそう請け負った。
2002年04月18日(木) |
<蠢動>瀬生 曲、立氏 楓 |
どこまでも突き抜けるような青い空。 漆黒の鳥の翼は、その色を映して微かに青くきらめいた。
「…しかしお嬢ちゃんはひとつ勘違いをしておるぞ」 「え?」 真剣な表情で呟く老婆の顔をルウファは怪訝な表情で見返す。 「確かに儂は『叡智の殿堂』出身じゃ。それは認めよう。だがの、彼の地の住人が全てあらゆる知識に長けていると思うのは誤りじゃ。彼等は己が専門分野に突出しておるだけじゃ。故に儂がお嬢ちゃんの望み通りの知識を持っているとは限らん」 「…そんな…」 当てが外れたルウファはがっくりと肩を落とす。やっぱりあいつは只の厄介者だと毒づきつつ、それならばと決められた額の金額を口に出そうとした、瞬間。 「ま、儂の専門は薬草学じゃがな」 にんまりと老婆が呟いた。
「頼んだぞ、カサネ」 「御心のままに」 彼女は静かに頭を垂れ、王の前を辞した。 「ヌバタマ」 城の廊下を歩きながら肩の上の相棒に向かって語りかける。 「時は確実に流れているな」 「ピィイ」 「ああ、まだ少し早い」 中庭に差し掛かると風が吹いた。 「今しばし、我等は傍観者たり得るということだ」
「そろそろ動いてもよい頃合なのではないか?」 玉座に座る老人が言を紡ぐ。 「小国侮り難しということを知らしめてやってもな」 その瞳には老いて尚衰えない輝きがある。その言葉に陰はなく、ただ純粋な自己顕示欲のようなものがあった。 「『硝子の月』のことを思うと気分が若やぐ。まるで今のそなたと同年代にまで若返ったようだ」 老王は笑いながら片目を閉じて見せた。 「陛下……」 足下に控える女戦士は幾つもの傷跡の残る顔に微苦笑を浮かべる。まったくこの方ときたら、と。 「ですが……確かにそうなのやもしれません」 女は先日のことを思い返す。 『第一王国』の首都の西のあの街で、彼の少年が見せたのは『第三の力』。まだ未熟で自ら制御することもままならなかった。 「あの力が発動したということは、時が満ちつつあるということでしょう」 「ピィ」 主の言葉を肯定するように、漆黒のルリハヤブサが彼女の肩で鳴いた。 王は満足気に目を細める。
2002年04月08日(月) |
<蠢動>瀬生曲、朔也 |
ウォールランが言うと、その人物は立ち上がって彼の傷口のあたりに触れる。背の高い青年よりも頭二分は背丈が足りない。頭からすっぽりと黒い布に覆われているが、声の調子から見ても女であろう。 彼女の唇から低く呪文が紡がれると、青年の傷口は淡い光を発する。 やがて、鉄錆の匂いが消えた。 「お召し物を繕いましょう」 破れたままの袖を引き、女はそう言った。 「私は無生物の復元魔法は不得手ですので」 「魔法使いに繕い物か。似合わぬな」 微笑を浮かべながら青年は上半身を露にする。彼の痩身がただ痩せているのではなく、鍛え上げられたものだということが窺い知れた。 左の二の腕の傷は、跡形もない。 脱いだ服を彼女に渡すと、彼は「お前にやる」と言った。 「仮にも一国の宰相が繕った服を着るわけにはいかんのでな。雑巾にでもするといい」 「随分贅沢な雑巾ですね」 女は受け取った衣服を立ったまま器用に畳むと右腕に抱え、着替えを取りにいく青年の背中を見る。 「宰相閣下」 「何だ」
「『ツイン』はこのまま放っておかれるのですか?」 女の問いに、青年はわずかに眉根を寄せた。 「あれは諸刃の剣です。いつか大きな災いとならないとも限りません」 「……わかっている」 青年は首を振る。扉の前で、一瞬だけ歩調を緩めた。 「今はまだ、あれが必要だ。 しかし、そうだな……いずれ、災いとして立ちふさがることがあれば……」 先ほどまで傷口のあった二の腕にふれ、彼は目をほそめる。 「その時は、我が名にかけて容赦はしない」 叩き潰すのみ、と。 唇を冷えた笑みの形に歪め、彼は部屋を後にした。
「じゃあ、またね。次の仕事を引き受けるかどうかは、その時の気分で決めてあげるよ」 自分より年上の青年に居丈高にそう言って、少年は部屋を出て行った。 「あくまで運命を否定するか……」 彼に届かぬ呟きを口にして、青年はほんの少し目を細める。それが痛みにであったのか羨望にであったのか、知る者はいない。 「宰相閣下」 彼の背後に何者かが跪く。 「お怪我を……」 「ああ、すまない」
2002年04月05日(金) |
<蠢動> 朔也、瀬生曲 |
「……答える必要はない」 わずかに唇を歪め、男は答えた。 「へぇ。その秘密は命より重いわけ」 いっそ無邪気に少年は笑う。ス、と男の眉間を指差し、軽く首を傾げた。 「僕は『彼』の方とは違う。知ってると思うけどね」 眼鏡の奥の目が、笑みの形のまま凍りつくような鋭さで男を射すくめる。今一声かければ、男は他愛なく絶命するだろう。 「ひとをころすことを、躊躇ったりしないよ。これは脅しじゃない」 「……下がれ、『ツイン』」 空気の軋むような緊張感が続いた。やがて、少年の方がちいさなため息をつく。 「僕を向かわせた先に『第三の力』があったことを、まさか偶然なんて言うつもりは無いんだろ? 答えてくれないかウォールラン。 何も語らないまま僕に何をさせようとしてる? 僕は他人に踊らされるのが死ぬほどキライなんだ」 男は答えない。少年は尚も問い掛ける。 「水面下で蠢くものの正体を、教えてくれないかな」
しばしの沈黙の後に、青年は口を開く。 「……総ては運命の時が満ちる時に…」 「ウォールラン!」 少年がそれを厳しく遮ると同時に閃光が走った。 「っ……」 小さく息を呑み、青年は自らの左の二の腕を押さえた。 「僕はその言葉は嫌いなんだ。それも、知っていたと思ったけど?」 床に紅い雫が滴り落ちる。 「……では、私に言えることは何も無い」 痛みを感じさせない静かな声で青年は言い、少年は一瞬激昂するかのような気配を見せ―― 「わかったよ」 吐き捨てるようにそう言った。 「今まで世話になったからね。まぁ、当然僕は毎回それに見合うだけの働きをしてきたわけだけど」 苛立ちを隠さないのは年相応の少年らしさからだけではあるまい。
「ごごごごごごめんなさいっ!」 くすんだ銀髪の少年が、どもりながら頭を下げていた。 少年の前には痩身の男。必死に謝りつづけている少年とは対照的に、静かに佇んでいる。その双眸に怒りの色はない。 「謝る必要はない。一筋縄では行かないということは元々解っていた事だ」 「ででででも…」 「『ツイン』。私が望んでいるのは情報だ」 分厚い眼鏡の奥で、何かがざわりと蠢いた。 「…ひどいなぁ。折角『彼』が一生懸命謝ってるのに」 「何があった」 少年は、皮肉げな笑みを浮かべながら肩をすくめる。 「あーやだやだ、大人はせっかちなんだから」 「…『ツイン』」 若干の怒りを含んだ声音に、少年は諦めたように溜息をつく。 「それが僕にもさあっぱり。仕留めようとした瞬間に、あいつの体が光で覆われたんだ。あれは魔法力でも科学力でもないね。多分、『第三の力』だと思うよ」 「…何故そう言い切れる」 「一、魔法力じゃ僕の虫のビームは防げない。ニ、科学力だとしても、あの短時間に何の準備もないあいつに、僕のビームを完全に防ぎ切るだけのバリア―を張る事は不可能。三、僕のビームを防げるバリアは存在しない」 「…ふん、大した自身だな」 揶揄交じりの微笑に、少年も同じもので応える。 「事実だからね」 次の瞬間、痩身の男の背後に羽音が浮かぶ。 「で、ウォールラン、あんた僕に嘘をついたろ」 少年の笑みは絶えない。 「…何の事だ」 痩身の男の表情は変わらない。しかし、声音が僅かに緊張していた。 「あーやだやだ、大人は嘘つきなんだから」 わざとらしく大袈裟に、少年は天を仰ぐ。 「あんた、言ったよな?国王が或る貴重なルリハヤブヤを欲しがっているから、持ち主を殺してでも取って来いって。…まぁ欲しがってるっていうのは嘘じゃないんだろうけど。でも、只の『貴重なルリハヤブサ』じゃあないよね?」 肯定を前提とした、問い。 「…何が望みだ?」 羽音が二重になる。 「質問しているのはこっちだよ。ウォールラン。…でも、それちょっと興味あるかも」 不意に考え込むような仕草で少年は首を傾げた。 ぞっとするような笑みを刷いて、彼は呟く。 「『何が望みだ?』硝子の月にあんたは何を求めているんだい?」
「ほう」 ほんの少し驚いたような声を漏らし、老婆はまた笑んだ。 「しかしそれは先を急ぐ理由にはならんね。あれは急いだから手に入れられるというものではない」 「承知しています。私は『先を急ぐ』とは一言も申し上げていませんわ」 相手によっては気を悪くしかねない言い回しにも、彼女はより目を細めただけだった。 「私の出した条件は『仲間の怪我を治していただくこと』。理由は…」 ルウファは小さな溜息を挟んで続ける。 「彼が自分のせいで足止めを喰らうことを気に病んでいるからです」 「ほう」 老婆がまた驚いたような声を漏らす。 「お嬢ちゃん、なかなか優しい子だね」 「よく言われます」 微妙な嫌味を笑顔で交わす。 「まぁ、私がじっとしているのは性に合わないというのも理由の一つではありますが」 けろりとしてそう付け足す。 (はてさて。今度は何割が本音かな) 二人の遣り取りを黙って聞きながら、グレンは一人でにやりと笑った。
「……それで? お嬢ちゃんはこの老いぼれになにをさせるつもりなんだい」 「私たちの旅の連れが怪我をしました。旅を続けるのに支障をきたす大怪我です」 試すような視線に、ルウファは怯まずに答える。思いもしないほど礼儀正しく。 「彼の怪我を治してください。それが私の条件です」 「ふむ」 老婆が楽しげに頷いた。 「……旅、と言うたな嬢ちゃん。 何のための旅じゃ? 何を為すために先を急ぐ。それをわしに答えられるか?」 「もちろんです」 ルウファが挑むように微笑みかける。 「これは硝子の月を探す旅です、聡き方」
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