★★☆ 想 う ☆★★
目次|過去|未来
子供は本能的(?)に学びたがっている。 子供には本当にいろいろ聞かれる。 食卓での会話は、一つの話題につき3倍はしゃべらされるはめになる。
何度も聞かれたり、とんちんかんな理解をされると、 自分の説明を理解しないことにだんだん腹がたってくる。
最後の最後には、
「とにかくだまってて!」 「そうだから、そうなんだよ!」
と怒鳴り声になる。
子供は、「質問すると大人は機嫌が悪くなる」ってことを学んでいく。
子供はいつも学んでいる。
2001年10月29日(月) |
この日記って一体... |
日記なのに毎日書かないなんて
それでいいの?
ネタ詰まりで無理して書くより、
自分の中でじっくり暖めて
あたためすぎてどんどん抽象的に
極論的になっていくけど
やっぱ書きたいことがあった時に書きたい。
書きたいことが多いときは、飛ばしてしまった
昔の日付で書いている。
注意深くみていただければ、読んでいない日記が
ところどころに見えているでしょ!
自分の文章の表現が悪くて、
過半数の人が、それっておかしいんじゃないか?
と思っていることでしょう。
一体誰が読んでくれているのだろうか。
自分だけじゃなく、十分理解できる言葉で書いた方がいいかもね!
書けないと思うけど......
仕事をする上で、とても大切なのは現場監督。
この人に任せておけば大丈夫というベテランが重宝する。
現場がまわることが第一優先。
しかし、現場監督は、現場を回すことだけを考える。
そこで管理者と意見の衝突が発生する。
開き直られてはこまるけれど、いいなりにはなれない。
どんな状況下におかれても、現場を回すことは最低限忘れない...
現場監督は絶対必要。 重要さは十分にわかっているつもり。
でも、いまのままじゃダメなこともある。
そんな時は、とにかくなんとかせい!と怒鳴る。
当然相手は、あたける....(通じるかな???)
言いたいこと言うけど、現場監督は、現場を回して欲しい。
それが最低限の役割りであり、存在価値でもある。
自分が現場監督だったら...
そんな行動がとれているだろうか????
報復って感情がある限りなくならない。 報復したいって気持ちは自然な気持ち。
感情のないものには報復はありえない。 損得や善悪に関係なく、気持ちの問題だ。
お前がやるならオレもやる。 仕返しをする方はこれでおあいこだと思っている。 しかし、やられた方はまたやり返す。
報復はどちらかが我慢しないかぎり、永遠につづく。 傷つき、再起不能になるまで戦うのか、
つらいことが多いかもしれないけれど、最初の報復を我慢することが 相手との関係を保つ唯一の手段である。
相手との破滅を覚悟してでも気持ちを晴らしたいのか、 気持ちは許せなくても今後の関係を重視するのか、
いずれにしてもやられ損、泣き寝入り、
しかし、我慢なくして協調なし。
感情と協調は、うまく調和させながらいくしかない。
たまには感情が吹き出るが、
調和と協調が最優先であることが多い日常である。
君はこうなんだね と人に誉められる。 いや、そんなことないよ。 と答える。 しかし、それが思ってもいないことだと うれしいけれど本気で否定したりする。
社会人になったばかりの頃、大学の先輩から 言われたことがある。
「お前はそういう人間だと思われているなら、 たとえそれが誤解でもそのイメージは大切にしろ!」
この言葉は生涯忘れない言葉となった。
「本当に面倒見がいいね」 「これをやらせたら天才的だね」 「これはまねできないね」
おいおい
でもそう思ってくれているならそういう面もあるっていうこと 素直によろこんで、折角のプラスの印象は壊さないように努力しよう。
自分の長所は、自分が一番わかっていないのかもしれない...
「情けは人の為ならず」の意味は?
TV等でよく出される問題なのでだいぶ有名になってきたけど、 ことわざの本当の意味ってなかなか自信がないものです。
「海老で鯛を釣る」っていうのは、恥ずかしながら知りませんでした。
海老のような高級なもので高級な鯛を釣るという等価交換的な戒めなのか、 逆に、海老のような小物で大物の鯛を釣るという意味なのか
3択クイズなどでは、本当にそれらしい理由があげられていて どっちだったっけ? と迷います。
ことわざって学校の授業で習いましたか? 自分は覚えてないなぁ...
いったいいくつあるんだろう
ことわざを日常で使うとかならず子供が意味を聞いてきます。 こちらが答える都度、ひとつひとつ覚えていくんだろうね。
間違って教えたら間違って覚える。 これからはことわざ辞典も買っておかねば...
2001年10月21日(日) |
前を向いて歩こう 2 |
前を向いて歩こう。
妻とともに。
前を向いて歩こう。
子供とともに。
前を向いて歩こう。
友人とともに。
前を向いて歩こう。
みんなとともに。
前を向いて歩こう。
自分とともに。
よく聞くけど、野球の話。 3割バッター。 維持するのは大変だと思う。 10回のうち3回打てれば一流打者。 でも10回のうち7回は打っていない。
3回は打たなきゃっ と思う人。 7回までは失敗してもいいんだ と思う人。
7回失敗しても一流打者。 考え方で気持ちは楽になったりあせったり。
テストは満点とることが第一だろうけど、 やっぱり、とれなかった苦手な項目を知る。 知って攻略するってことが大事なんだろうね。
極端にいえば、0点取ったっていいよね。 その項目は苦手だってことがわかったんだから。 問題はテストの後なのさ。
そこんとこ、わかっているようでわかってなんだなぁ。 自分の子供の頃は棚にあげて、 お父さんぶっちゃってる。 でも「点数」にこだわっちゃうのも しょうがないよね。
先日猟師の後輩たちの船にのせてもらい釣りをやらせてもらった。
小ぶりのアジがわんさか釣れた。
釣りに飽きた子供たちは、ドタバタドタバタはしゃぎまわっている。
ふと見ると、次男が釣った魚にエサをあげていた。
それを見た友人たちは口々に、
「R君、釣った魚にはエサはあげないんだよ」
と言っていた。
釣り上げた魚を、食料とみるか生物とみるかは、人による。
どうせ食べられちゃう魚でも、お腹が減ってるなら
エサをあげたっていいと思う。
「いいよ、エサをあげても...でも少しだけね!」
私がそう耳打ちすると、次男はかすかにうなずいて
釣りが終わるまで、時折エサをあげていた。
2001年10月16日(火) |
大人の気持ちと子供の気持ち |
いつから大人になったのかはわからないけど 子供だった頃は、大人の気持ちなんてわからなかった。
今大人になっていろんなことを考えているけど、 子供の気持ちを忘れてしまったのだろうか?
いや、子供の気持ちも大人の気持ちも 両方知ってしまった。
この事が一番大きな勘違いになっているように思う。
思い出してみると、 自分が子供の頃、大人の気持ちとか考え方とか そんなことは考えもしなかった。 自分の世界のことじゃなかった。
今自分は、今の立場での考えで行動するべきではあるが 子供に自分の考えをいかに理解してもらうかを考えるのではなく 子供としてどう考えるべきかを教えなければならないのかも知れない。
信じるということは、 信じている状態が続いていること。
信じることをやめた時に、「裏切られた」という言葉が出る。
本当に信じているならば、そんな言葉は出てこない。
だっていつまでも信じているから。
物事に対して「広く浅く」というタイプと 「せまく深く」というタイプがある。
広く浅くのタイプに対して、 せまく深くのタイプの人は、専門家になりやすく こだわりが生ずる。
あなたが、「○○のプロ!」なんて言われるとしたら きっとそれなりのこだわりがあるだろう。
そのこだわりはひょっとして、 今回の障害になっているかも知れない。
しかしこだわらずにいられるだろうか? こだわりの無い世界で、自分の知識や能力を 最大限に発揮できないものだろうか?
目的があると、人は頑張れる。
応援や手助けがあると、人は頑張れる。
達成感や満足感があると、人は頑張れる。
行動に意義が感じられると、人は頑張れる。
はげまされると、人は頑張れる。
待っている人がいると、人は頑張れる。
頑張れる「もと」は、
たくさんある!
中身がぎっしりつまっていると折れやすい。
隙間があって柔軟にしなれるほうがいいかもしれない。
竹のように...
今日、応急手当の半日講習会に参加した。
話の中で驚いたことが2つあった。
我が市は60万人以上も人口がいるのに、 救急車の数は、なんと10台しかないそうだ。 その10台で1日約50件の仕事をしているらしい。 これが最初の驚き。
救急車が119から現場到着まで全国平均5〜6分。 しかし、心臓停止から5分たつと蘇生率は25%以下。 8分たつとほぼ0%だそうだ。 しかも、もし蘇生しても脳障害が残る可能性が大。 救急車が到着するたった5分間に、どれだけ 救命活動ができるかが、その人やその家族の運命を変える。
実際に人工呼吸や心臓マッサージの手当ての経験のある同僚3人に 話を聞いたが、実際には相当大変だし、勇気がいるようだ。
「他人にはなかなか抵抗があってできないものだけど、 せめて家族にはできるよう、知識と勇気を持つように」 との救急隊員の方のお話があった。
大変有意義な講習だった。
行動している人の発言には動かされる。
理論を言っている人の発言は為になる。
どんなに為になっても行動しなければなにも変らない。
自分が動けば動くほど、様々な情報が集まり、相手を動かす。
「おおぃ そっちをやってくれ!」
手伝ってくれる。
もし大変なことがあっても誰かが助けてくれる。
行動しよう。 考え込む前に...
別に根拠はないけれど、
自分の子供に、
「自分の長所はなぁに? 3つ教えて?」
そして、
「自分の短所はなぁに? 3つ教えて?」
と聞いてみましょう。
自分の長所がすらすら言える子。
そんな我が子であってほしい。
短所はすぐ言えるけど長所がなかなか言えなかったなら、
もしそうなら、、、、
毎日毎日、言われてるんだろうね。
お前はそんな子だって....
中学生の頃 自分は、いろんなことを真剣に考えていたと思う。
青春ってなんだろう。 恋愛ってなんだろう。 人生ってなんだろう。 生きるってどういうこと? 信頼って何? 裏切るってどういうこと?
今にして思えば恥ずかしいね。 結論は出なかったけど、定義はできた。 その定義は常に可変ではあったけど 一応定義が出来た。
今の中学生は何を考え、 どう結論をつけているのだろうか?
中学生の頃、定義を作るってことは 自分をその枠にはめるってことだった。 だから、今思うとその時の定義は出たらめだったけど 自分にとってはもっとも重要な自己表現の根源であり、 定義の否定は、人格の否定でもあった。
今はまた考えも変りどうでもいいが、 当時の気持ちはまだ覚えている。
この当時の気持ちで接することが出来ると思う自負が 実は子供にとってたちの悪いことになっているかもしれない。
そう。自分だけは理解者だと思い込みたい気持ち。 戒めたいと思う。
2001年10月07日(日) |
子供はいいなり... |
親は優位に立っているよね。
子供たちも中学生ぐらいになれば別かもしれないけど まだまだうちのは子供。
大人が自分を優位な立場におこうとすれば まだいくらでも出来る。
罰を与えてもいいし、ご褒美をちらつかせてもいい。 本当はしてはいけないことが多いんだろうけど まだ私の命令に従わせる手段があるようだ。
でもそのうち、これらの最後の手段も通じなくなるだろう。 現に通じなくなっている。
子供が思い通りにならないのはあたりまえと 先輩たちが教えてはくれるけれども、 父親の威厳がいつまでも続いていると思っている自分にとって 子供が反抗することは許せないこと。
あ〜ぁ、子供が変っていくのは成長しているしるし。 変っていく子供たちと接しながら変っていない自分。
いったいどうしてだろう。
子供は自然に成長する。 でも、成長を見守る親は自然には成長しない。 大人は自分が望まない限り成長しない。
そんな気がする...
小学生2年の次男に言われた。
「じゃぁ、タネも仕掛けもありません。っていうのは うそなの? うそつきなの?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
ごめん。 なんていっていいかわからなかった。
2001年10月05日(金) |
子供はいつ大人になる? |
ひさしぶりに会うと「ずいぶん変わったねぇ」と気付く。 毎日見ていると気付きにくいものだ。
でも毎日かならず何かが変化している。 もっとも変化しているのは、子供の成長だろう。
子供はいつか大人になる。 いつなるんだろうか。
去年よりは今年、先月よりは今月、昨日よりは今日、 確実に成長している。
子供は日々成長している。 知りたいという欲求を我々の何十倍もの早さで吸収している。
毎日見ている親は気付かない。
子供の関心は、いつしかアニメやおもちゃだけでなく 大人をみるようになった。
大人のすることに関心を持ち、 大人の会話に口をはさみ、 大人の見るもの食べる物を求める。
子供は見ている。 もっとも身近な大人を見て、 大人になっている....
2001年10月04日(木) |
なんとなく、なっとく |
釣りは短気な人ほど向いているという。 最初は「えっ」と思った。
話しを聞くと、どうも短気な人は釣れないとイライラして いろいろ工夫をするらしい。
そういう意味では、私はまったく釣りに向かない。 釣れるまでひたすら待つからである。
入社したての頃、友人とあゆ釣りに行った事があるが、 友人たちは、同じ場所で20匹以上釣っているのに 私だけゼロだった。 でもいつか釣れるだろうと、特別なにもせず、 ただひたすら釣り糸をたれていたのだ。
でも私は決して気が長い方ではないと思うし、 我慢強いとか、ねばりがあるとかでもない。
たぶん、釣りはのんびりとするもんだという 固定観念があるからかもしれない。
私は固定観念にしばられるタイプなのだ。
雨が降りそうな時に、傘を持って家をでる。 するとパラパラとわずかながら降りはじめる。
まわりの皆はまだ大丈夫と傘をささずに小走りになる。
私は、雨が降るから傘を持って出たので、 ほんの少しでもパラつけばすぐに傘をさす。
傘は、さすためにわざわざ持ってきたのだ。
この理論でいくと、お金は使うためにあるということになる。
だからお金がないのか!
なっとく。
今、自分は自由である。
だって ギュウギュウに窮屈で身動き出来ないわけじゃないから。
今の内に、やらねばならないことがたくさんある。 やっておきたいこともたくさんある。 その中のひとつは、「善行」である。
人はみなよい事をしなければならない。 自分は特にしなくてはならない。
自分勝手な人間は、 人を救うことは出来ないし、 人に救われることもない。
山で遭難したときに、肩書きや地位、財産など なんの意味があるだろうか。
裸で温泉に入るときに、弁護士や政治家と どれほどの違いがあるだろうか。
海にたくさんの人が投げ出されたときに、 あなたに救いの手が何本さしだされるだろうか。
自由なうちに、気がついていないと、 切羽詰ってからつらい思いをするかもしれない。
「なんてきたない部屋なんだ!」 「自分だけよけりゃいいのか?」 「人を蹴飛ばすじゃない!」 「人に迷惑をかけてるぞ!」 「あぶないじゃないか!」
書き出せばとまらない自分の怒鳴り声。
「だからおまえはダメなんだよ!」 「大嫌いだよ!」 「どこかへいっちゃいな!」 「顔もみたくない!」
ついつい最後に言ってしまう言葉。
でもちょっと待って、
怒ってもいい。怒鳴ってもいい。 しかし叱るのは、子供のその行為。
子供の人格を非難したり、否定してはいけない。
散らかしていること、欲張っていること、 乱暴なこと、 している行為を叱らねばいけない。
人格を守ってあげるその気持ちが、 子供の真実のレベルをひとつあげる。
そう常に思っていると、かっとなっても すこしは冷静になれる...
怒るのではなく、叱ることができるようになる。
自分はどちらだろうか? うまくいくように念じるタイプか、 失敗しないように念じるタイプか、
「よし、絶対にうまくいく」と思えば、 そのための努力をしていくので 予想を上回る大成功をおさめるかもしれない。
「失敗はしないぞ」と思えば、 そのための努力をするので、 失敗しなければ満点である。
強い前向きな気持ちは必ず実を結ぶ。 知識や理論を人から学ぶことも大切だが、 自分で強い気持ちを持って行動すれば、 絶対的な経験や知識がいやでも手にはいるだろう。
知識が何もなくては暴走になるが 強い思いは行動を生み、経験を生む。 それらは知恵となって工夫されていく。
知識は簡単に手にはいるが身になりにくい。
なかなか行動できないのは、 それをしようとする気持ちが弱いからである。
まず念じること。ここからスタートしよう。
快体心処/大前雅人著より
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