2004年06月18日(金)  天上への階段

日記のネタもないのでどんどん写真出しますよ!


ミラノ大聖堂。
ドゥオーモと言います。
ドゥオーモ・デ・ミラノ。
正面からだと修復中の骨組みがモロに映ってしまうので側面からだけ撮りました。




ここで高所恐怖症の私は死ぬ思いをしました。




ヒイイイイイイイイイ
(腰が垂直に曲がる)

人がゴミのようだ(ガタガタ)。



屋上に行けるようになっているんです。
本当に「屋根の上」です。

下からも人が小さく見えたんですが、小さすぎて映らない。



尖塔は全部で135本。
完成まで500年。


次回は大聖堂の中です。お楽しみに!(日記じゃねえー)



2004年06月17日(木)  大地の恵み

某Dコさんを是非是非是非是非連れて行きたかった店。
ミラノのどこかにあるHorse Cafe。訳して馬カフェ。(訳さなくてよし)




馬の障害物競走で数々の賞を勝ち取った馬好きの夫婦が開いた店。
これでもかと言わんばかりにトロフィーと馬の絵。





コート掛け、時計、壁紙、ランプシェード、テーブルクロス、置物、エトセトラ・エトセトラ。
とにかくありとあらゆるものが馬なのです。





料理は北イタリア出身の旦那さまと南イタリア出身の奥さまの料理が融合。

馬いですよー( ̄¬ ̄)





この日初めて店頭に並んでいるラベルの如くワインを評価する人を目の前で見ました(ソムリエでなく)。
「いい香りね…とても芳醇で…何ていうのかしら、そう、大地の香りがするわ。あとこれは何かしら…あら、チョコレートみたい」(意訳)

エーーーーーーーーーー

しかも隣に座った若いイタリア人が「本当だ、チョコレートだ!」と同意していて超疎外感。



2004年06月16日(水)  アザのように残ればいい


ミラノ、スフォルツァ城の天井絵(別に有名ではない)。
デジカメの電池具合を気にしていたら城自体の写真を撮りそびれました。



この城にミケランジェロの最後の作品(未完)が展示されているとさっき知りました。そう言えば今回有名な芸術作品を一切見ていない。でも「ダヴィンチ・コード」を読んで思ったんですがああいう芸術品は予習していかないときっと何が偉大な芸術なのかすら私にはわからない。

そう言えばこの城に入る前のことですが、歩道脇のベンチに座っていた女性の二人組みが私たちを見て立ち上がった時、片手が新聞紙の下に隠れていたりして何となく胡散臭かったので上司と私でじろじろ見ていたらそれ以上寄ってきませんでした。
上司「今のがスリだ」
私「やっぱりあれってスリだったんだ…!」
上司「気をつけろよー観光客は本当にすぐ狙われるから」
私「うー怖いなー」
先輩「あ!向こうでジェラート売ってますよ!」
がっくー
先輩「あれ?どうかしました?向こうにジェラート」
上司「お前はいっぺんスラれて来い」



2004年06月15日(火)  ダヴィンチ・コード

絵を描きたい。ただし思い付く数々の構図を楽して短時間で描きたい。でもそれは到底無理だとわかっているのでやる気がない(それは絵描きではない。)。
んー。なんだろう。珍しく低迷期…(意欲が)(実力はいつもだから)。珍しくアップしてある自分の絵を全部消したい気分です。ただでさえ少ないのにそんな気分にならないで下さい(自分への呼びかけ)。本当に日記サイトになってしまう。


うちの団地の近くに夕暮れになると同時にコウモリが大量に発生する場所があります。今日の帰り道こころもち頭を低くしてそこを通っていた時ずっと前から日記で言おうと思っていて忘れていたことを思い出しました。

ダレン・シャン10巻出たんじゃん!(コウモリ繋がり)

買った?買ったよね?それならそうと言ってくれよ明日香!(名指し)なんだよー出てたんじゃんよー語ろうよー!あ、あ、あの展開予想してた?ビックリしなかった?「そう来るかー!やられたー!」って感じじゃなかった?(すでに読了前提)
今度のライブで語ろう。




最近ダン・ブラウンという作者のシリーズを読んでいて現在彼の3作目『ダヴィンチ・コード』なんですが前の2つに比べて桁違いに面白い。私はどうやらつまらないものから順番に読んでいったらしい。
「レオナルド・ダ・ヴィンチの絵に隠された暗号を追って云々」という風に内容が紹介されてたら胡散臭えと思うじゃないですか。だから今まで読まなかったんですけどこの前ようやく手に取りました。あ、ほんとだ暗号だ。

この本の何が面白いかって信じられないような美術史や美術作品のエピソードをところどころ散りばめそれらをストーリーとして関連付け一つの大きなミステリーにしているところです。そして私は無駄な知識が大好きです。



多分ネタバレにならないと思うので、この本で紹介された、かの有名な絵を象徴学的見地から見た面白い一説を紹介します(実際は会話でなされているのでもっと面白いのですが…)。


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レオナルド・ダ・ヴィンチ作、『モナ=リザ』。
この有名かつ謎に包まれた女性の後ろに描かれた背景、左右で水平線の位置がズレています。
左の方が右よりはるかに低いのです。

歴史的に、昔から性の概念は左右が決まっていました。左が女性、右が男性を表します。
この絵では、水平線のズレによって、右から見るより左から見たほうがモナ=リザが大きく見えます。ダヴィンチは元々女性的な性質を大層好いていたため、右から見るより左から見る方がモナ=リザが雄大に見えるように描いたのです。

ダヴィンチはまたホモセクシャルであり、人間は男性的な要素と女性的な要素の両方を有して初めて魂が啓発されると信じていました。そしてまた彼がふざけ好きだったという性質から、実はモナ=リザはダヴィンチ自身が女性の衣服を纏った姿を描いた絵だという説もあります。実際、コンピューターでモナ=リザとダヴィンチの自画像を分析したところ、驚くほど顔の類似点があったということです。

ダヴィンチが何を思って描いたにせよ、モナ=リザは男性像でも女性像でもありません。両性具有的なメッセージがそこに含まれています。モナ=リザは半男半女なのです。そのヒントはダヴィンチ自身が残しています。

古代エジプトではアモン(AMON)という神が祭られていましたが、これは繁殖を司る男性神でした。一方で、繁殖を司る女性のエジプト神はイシス(ISIS)でした。古代のピクトグラム(絵文字)では、この女性神はリザ(L’ISA)と呼ばれています。この二つの神の名を並べると

   AMON L’ISA

MONA LISA、モナ=リザになります。
モナ=リザの顔は半男半女的に見えるだけでなく、その名前も男性と女性が統合されたものでした。

「モナ=リザ」で使われたスフマート技法(線ではなく、ぼやけた色彩・光などによって輪郭を柔らかく表現する方法)は有名ですが、ダヴィンチが自身の描いた「モナ=リザ」をあれほど崇敬していたのは、こう言った芸術的な理由ではないのではないかと言われています。
むしろ、この絵に隠された象徴的な意味こそがダヴィンチの秘密であり、モナ=リザが物知り顔的に笑っている理由の一つなのです。


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もちろん上記は本で紹介された説であり、真偽のほどはわかりません。でも面白い視点だと思います。こういう風に斬新な視点で次々に切り取っていくのでついつい引き込まれてしまう。

ミラノで出会ったオーストラリア人の女性と話したんですが、彼女はこの本を読んで『最後の晩餐』を絶対見てやろうと決め2週間前から予約したとのことでした(ただ旅行会社の手違いか定員オーバーにより見られなかったようで、非常に悔しがっていました)。彼女の気持ちがわかるなあ。ルーブルを見る視点とか、絶対変わる。

ただこの作者、終わりに近づくにつれ話の収集がつかなくなる傾向があるようなのでまだ油断はできません。(ここまで誉めてその一言ですか…)




ノートルダム寺院。どれが焦点だ。だって修道女たちが可愛かったんだもん…!素で「天使にラブソングを」だったんだもん…!





2004年06月13日(日)  どげんでんよかばってんが

腹゛か゛。

という文章を打てるようになるまで1時間掛かかった(パソコンを開いたもののキーまで手が伸びず結局再び閉じてパソコンの上でうつ伏せ体勢)。ま、また過呼吸に陥るかと思った…。早めに薬を飲んで良かった…。
寝る前だから我慢しようと思ったのですが無理。いっそ寝てしまえと思ったけど無理。寝られないよー!仕方ないです痛覚麻痺させます。
ふ、二日目は明日なんですけど…?大丈夫でしょうか…?(腹部に聞いてみる)


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cerri ■