邪馬台国はどこにあったのだろう。 |
今、読んでいる推理小説が奈良の飛鳥を題材としたもので その中で、邪馬台国はどこにあったかということが書かれているのです。 小説の中では邪馬台国が「奈良」にあったのではないかというのが 本筋なのですが・・・
私は子どものときからずっと「九州」にあったものだと思っていました。 全国あちこちに説があることも知っていたし、奈良にあったという説も 読んだことはありますが・・・ 世の中一般的な認識は「九州」かと思ってた。 それはやっぱり福岡の志賀島で発掘された「漢の倭の奴の国王」の金印があるということが自分の中で邪馬台国の存在意義として認識していたのかなと思いました。 みんなはどこに邪馬台国があったと思っているのだろう?
そんなことを考えながら読んでいたら 昨夜のネットで 「蘇我入鹿邸跡か 奈良・明日香村 7世紀建物群 火災跡も確認」 なんていうことが話題になったり、 「キトラ古墳の壁画「朱雀」、はぎ取りは不可能」 とか話し合われたりしているようです。
私の夢は・・・本屋さんになることだったのですが、 遺跡発掘とかもいいな。 地味にブラシと刷毛で砂をかき分けていく作業なんて憧れます。 東京では学生時代に遺跡発掘バイトというのはなかったのですが、 こちらでは新聞広告でも見かけます。 もう少し勇気があったら・・・やってみたいな。 出来れば奈良の明日香村で。
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2005年11月15日(火)
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