日記でもなく、手紙でもなく
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2002年01月26日(土) 青磁

 銀座にあるギャラリー・バーで、知人が陶芸作品の個展をやっている、ということを知り、行こうと思っている間に、最終日になってしまいました。

 今日も仕事があったので、会社で作業をしていると、なかなか終わらずに、午後6時近くになった時点で、たぶん顔を出していると思い、ギャラリーのほうへ電話をいれてみました。
 マスターと思しき人が出て尋ねてみると、ええ、こられてますよ、というので電話を代わってもらうことにしました。

 いや、仕事が終わらなくて....また、ぜひやるときは連絡してください、という話をしたものの、仕事のほうがある時点でこれ以上進まなくなりました。
 ちょうど9時前頃。覗いていくか....

 雨脚は弱まらない中、ギャラリー・バーへ向かいました。
 Mさんは、今日は早くからきていたので、先ほど帰ったばかりです、というマスター。それでも、作品をみせてもらうことにしました。
 白〜青磁系の、作品がほとんど。ああ、こういう雰囲気だったのか、手にとりながら、そんなことを思いました。

 Kさんというマスターと雑談をして、そこを出ると、バーの柔らかい暖かさの空気とは裏腹に、まだ冷たい雨脚は弱まらず、かえって強くなっているようでした。


2002年01月21日(月) 雷雨


 朝、会社のそばまで歩いてきたときに、急に雨が強くなり始めました。
 昼食に出た時にも、かなり強く降っていました。

 仕事をしていたら、何か光ったような−−、そう思っていたら、ゴロゴロという雷。春雷というには、時期が少し早い....

 会社を出たときは、やっとあがっていました。
 不思議に暖かい夜。

 春一番は風なのですが、雷の春一番みたいなものがあるのかもしれない、などとも思ったり。


2002年01月19日(土) 通貨ユーロ:その後


 ユーロの流通開始後、様々な状況がニュースで伝わってきています。
 通貨そのものの普及は予想以上に速く、遅れていたイタリアも、2週間強経った時点で、9割を超す普及状況に達しているようです。

 興味深いのは、単に通貨が流通しただけではなく、<気持ちのつながり>のようなものも形成されてきていることでしょうか。
 昨日と今日の日経朝刊に、「ユーロが変える」と題されたコラムが掲載されていました。それによると、ユーロによって、自分たちは<欧州人>という実感を与えた、みたいなことが取り上げられていました。
 つまり、『絆そのものを意識させる<メディア>』としても、新しい通貨が機能している面があるということのようです。

 通貨ユーロは、圏内どこでも使えるものの、実際の紙幣や硬貨を見ると、同じ1ユーロでもデザインが国別に異なっているのが面白いところです。コラムによると、イギリスのフィナンシャル・タイムズ紙による<政治的通貨>というコトバも紹介されていました。

 ある国の中では、当然その国のデザインのユーロ硬貨や紙幣が、当然一番多く流通しているはずです。しかし、それだけではなく、別の国のデザインのユーロも混じってくることになります。人の行き来が多ければ多いほど、別の国のデザインのユーロの混じり方も多くなります。

 他の国のユーロ紙幣や硬貨が混じる度合いなども、そのうちに確認されていくのだろうと思います。
 このへん、通貨発行量の多い(市中流通量の多い)国は、国力があるというように見なされるのかどうか、ちょっと考えてしまったりもします。
 入国時に通貨を交換する、みたいなことをやっているのであれば、外貨を稼いでいることになるのでしょうが、デザインだけが異なるユーロが区分けして果たして使われるのかどうか、そのへんは当然怪しくなってしまいます。

 ただ、以前の国境を前提としている限り、ユーロの本当の意味はなかなか見えてこないようにも思うところです。むしろ制度上の違い、税の違いなどのほうが浮き彫りにされ、それらが平準化していく可能性もあるし、気持ちが本当に一つにまとまってしまえば、旧来の国という境目の概念そのものが消えていくことになるかもしれません。

 政治的通貨という概念がこれからも残っていくとすれば、それぞれの国のエゴみたいなものも強く残っている、ということを言っているに過ぎないような気もしてきます。


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